本-開伝言その30本-開

<<30回記念番外編>>

2002年5月27日執筆

「国際文化交流と世界の教育事情」

 私事で恐縮ですが、音楽修行で15歳から郷里の歴史ある寺院を飛び出して以来、広島〜東京〜ウィーンで学生時代を過ごし、卒業後も、仕事柄ウィーンを拠点に欧州各国の主要都市から、台湾、フィリピン、ハワイ等の環太平洋地域への度々の演奏旅行で、様々な国の人々と、心と心で通じ合える音楽を媒体に交流をさせて頂く機会に恵まれました。招かれた都市での見聞に好奇心を大いにくすぐられ、出会った人々の真心に触れて感涙する経験は、私自身の最も大切な宝物だと自負しています。また、僅か20数年の専門教育現場に立った経験からですが、日本と海外の国々で出会った多くの学生達の実力と、環境の違いに困惑させられながらも、純粋に学ぶ彼らの姿勢と成果に感銘を受けました。

 例えば、私が初めて開いた海外ソロ公演は第2の古里ウィーンでした。その滞在中、母校のウィーン国立音大でスペインに招かれて留守だった恩師の代わりに本番前日まで後輩の指導もしていました。当大学では流石に音楽の殿堂だけあってレベルの高い学生に溢れていました。その後続いて、ベルリンとブルガリア各地で公演し、黒海に面するバルナという街で開いたリサイタルの翌日でも、現地の音楽学校に招待され、半日レッスン室で指導した時に驚きました。今日の日本では殆ど見られなくなくなったベニア板合板で出来た古くてボロボロの楽器を当地の音楽専門学校で使用しているのです。しかも、経済的に西側の良品が流通の関係で輸入されず、消耗品の弦は張り替えられた形跡も無く巻き線がほどけていたのです。こんな楽器の状態にしているのだから、まともに演奏なんて出来ないだろうと思いましたが、とりあえず順番に弾いてもらいました。受講した音楽専攻生は中学から国立大学受験生まででしたが、若い彼らが演奏した独奏能力は、日本の芸大・音大生より遥かに上をいく音楽性と技術を持っていて驚いたのです。私は夢中になって彼らにアドバイスをしました。何故なら、日本に比べて、進んだ演奏技術習得の為の条件が不充分に見えたにも拘わらず、彼らの向学心溢れるパワーと、彼らの豊かな心から発する演奏表現に感動したからです。学生は当然贅沢な携帯電話も持っていないし、様々な娯楽に無駄使いするほど小遣いも持っていません。ですから時間的金銭的な浪費をする誘惑もなく、恐らくコンピューターゲームに夢中になって簡単に攻略してしまう日本の子供の様に、彼らは唯一与えられた楽器が最高の遊び感覚で毎日長時間練習したのでしょう。その証拠に、固い楽器の指板の上が半音階のポジションで規則正しく凹凸が出来ていた猛練習の跡を私は見逃しませんでした。

また、東西ベルリンに第二次大戦の遺物「壁」が有った頃も知っていますが、壁を取り壊してまもない東ドイツにも夏期大学の客員教授に招かれました。ドレスデンからポーランドの国境に近い中世の城下町バウツェンと言う小さな街でのマスタークラスです。中世の建物はどれも立派な建造物でしたが、冷戦時代の東側の経済は文化財を修復する余裕はなかったのです。しかし東西ドイツ合併後、まもなく西側資本が入り、街の美観復旧工事が至る所で進み、引き裂かれた民族再統合の勢いを推察できました。そんな状況下、夏休みの学校を開放した会場で10日間レッスンしました。日本から連れていった学生に加え、ウィーン留学生、チェコからわざわざ来た参加者、聴講に訪れたドレスデン・フィルの首席奏者と息子さん。そして、迎えて下さった現地のスタッフから市民との交流で、高い理想に向かって純粋に学ぶ学生を、行政・市民一体となって応援する姿にも心打たれました。

 その年の秋、台湾とフィリピンの室内楽公演の合間に大学に招かれて学生と交流する機会がありました。その大学は、両国とも有名な私立の一流総合大学でした。台北の大学は当時まだ日本の大学では希だったコンピューターが一人一人に与えられ豊かな物質に恵まれていましたが、東欧の学生と同じ向学心に燃える目をしていました。希望と夢に胸を膨らませ溌剌と学んでいる姿は一昔前の良き時代の日本のようでした。一方、マニラの大学は台北ほど物質的に豊かでは無いように見えましたが、やはり学生達のどん欲に吸収しようと学ぶ姿は気迫すら感じられたのです。

 現在、日本の学生達が決して向学心を失ったとは思いません。国家組織で本物の環境を築き、希望と夢を与えてあげれば、子供の向学心に国境はありません。それを感じさせられたのは、昨年の夏、ザルツブルクからアルプスの山々を背景に持つ山麓で、アルペンスキー国際大会で有名な街、シュラートミングの夏期大学に招かれた時です。ウィーン音大教授、デトモルト音大教授らと共にマスタークラスを開き、日本からの私の門下生を同行させての参加でした。10日間の厳しいレッスン日程の中、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になった美しい森や湖、古城や教会へ一日観光を教授判断で決行しました。それは、素晴らしい成果を学生にもたらしました。国内では何度口で説明しても理解してくれなかった音楽表現で、「クライマックスは、この窓から見えるあの雄大なアルプスの山だよ!」とか、「この静かなメロディーはあの森の新鮮な空気感だよ!」とか、「このアッチェレは、昨日見た山から流れ落ちる雪解け水の急流だよ!」「この曲の2楽章は、あの広大で長閑な田園の風景だよ!」と、イメージのアドバイスしただけで音楽が一変し、最終日の修了演奏会では別人のように説得力ある豊かな演奏をしてくれたのです。

 これには私自身驚きましたが、将に現在の日本人学生が失ってしまったのは、技術や勤勉さだけでなく、神髄はこれだと思いました。文化を守り伝えることは、人類の創造物に敬意を表し、自然の恵に感謝し、美しいモノを美しいと感動し、人間が自分勝手に大自然を破壊しないで共存する心を次の世代に伝えることが芸術の使命なのだと。また、音楽を通じて知り合った他のコースの学生や、教授、お世話になった商店街の店主まで、そんな共通の心で打ち解け合い、なんと、この夏期大学で知り合った教授が韓国公演のついでに私の家に訪問され、再開に花が咲いたのです。いつも感じるのですが、第一線の芸術やスポーツで結び会える国際交流こそ、世界平和の根幹だと実感しています。

出会いが出会いを呼び、世界中に尊敬する仲間を増やし、掛け替えのない感動と喜びを分かち合う為に、人は学ぶのでしょうか。学ぶと言うことは自分の視野や見識が変わる事。つまり、目標の高い山に登れば、雲の上に顔を出す他の峰山が見えてきます。それは麓では見ることの出来ない感動的な眺望です。そして、努力して登っただけ、人生に於いても最高の喜びを味わう事になるのではないでしょうか。合掌

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