本-開伝言番外編本-開

「傲慢な人、謙虚な人」

 人生で誰もが、自分の思い通りに行かないときがある。と言うより、社会的な様々な立場に立った時の殆どが、未熟な人間ほど自分に有利な状況となる人間関係にはならないでしょう。もし、思い通りになったとすれば、周りの人が謙虚で人を立てる心得を持っている立派な人ばかりか、たまたま同意してもらえたか、或いは、遠慮されたか、その人間を諦めてしまった時でしょう。

人は不利益な窮地に立たされたその現場で取る行動によって二つの道に分かれます。

一人は、自分の思いとは違っても、どんなときでも自分を押さえて我慢し、その時理解できなくても経験豊かな年上の人の言うことを聞き、目上の人に素直に黙って従う謙虚な人。

もう一人は、狂犬病にかかったイヌのように噛みつきそうな勢いで我を吹き出し、辺り構わず吠えて、人の心を平気で土足で踏み込み傷つけてしまう傲慢な人です。

前者の人は、結果的に心の成長をスムーズに育て、成長するに連れて過去に我慢した行動が理解できる様になり、やがて様々な要因に気がつき、益々多くの人に愛される人格者に成長するのです。

後者の行動をしてしまう人は、いつまで経っても同じあやまちを繰り返し、ついには大事な一生の大半を、人を陥れたり、憎んだり、嫉んだりして、ついには相手への嫌がらせや攻撃に明け暮れてしまい、最後には自分自身が地獄に落ちるのです。

各種団体の代表に推薦されたのでなく、自分から立候補して裏工作の末、そのポジションを必死で獲得した人は、後者の人が多い様です。それでも一昔前の、このような人々は、大義名分の志がありました。近年の一部の、政治家・公務員・医者・大学教授・教師・聖職者・僧侶・スポーツ界・芸術の世界・学生まで、誰しも自己誇示と利益追求は生きる術ですから自由意思の範囲です。

しかし、それぞれの道で心の精進をしないで、口先だけで自分を認めさせる人には、自分の我を押し通す為に、身近にいる世間から認められ愛される心優しい人を敵視し、排除する行動を取ります。その人を陥れ、足を引っ張り、噛みつくのです。それどころか、その慈悲深い人を尊敬し、心の安らぎを求めて集まる人にまでに、いやがらせの悪行を重ね、内外的にバリケードまでを築いて孤立させようとするのです。すこしでもその企てが成功すると、怒りから不気味に喜ぶ醜い形相で、業を燃やす心が残念ながらこの世に存在する事は、誠に嘆かわしいく耐え難い悲しい事です。

学ぶと言うことは、自分が後者から前者に変わると言う行為なのですが、弟子は師匠に文句を言ったり、子供が親に逆らったり、後輩が先輩にたてついたり、逆に権力を持った者が弱者に必要以上に虐待を繰り返すなど、全く、近年の日本にはエチケットやマナーどころか、道徳心や慈悲の心などを持ち合わせる人が少なくなってしまったとお嘆きの方が多いでしょう。

今日のおよそ50歳以下の一部の人が様々な特異な問題を起こす原因はハッキリしています。それは、経済成長と共にプライベートな空間を持てるようになった個別家族のあり方に日本人の美徳が崩壊し、慈悲の心や真心を失っていった大きな因果があるのです。

戦後まもない頃までの貧困の日本では、小さな一つ屋根の下に三世代の大家族が一緒に暮らしていたのです。その結果、ご先祖のお仏壇に向かって、最長老を頂点にする家族の仕来りがあり、風呂に入る順番から、食卓に座る順番まで、お互いを尊重仕合ながら食べ物から生活用品まで分かち合い、遠慮しながら我慢をし、年上を立てる心、年下を庇う優しさ、家族を養う責任感、家事を手伝い、年下の兄弟の育児までも、家族が家族をいたわり合う精神が蔓延して、自然に最も大事な人間関係の絆とルールを大家族の中で生きた道徳として学び取っていたのです。

ところが近年まで、魂と交換に急激な経済発展を遂げて裕福になり、親をうるさく思う子供が独立したとき、新居を建てて勝手な自由な行動をとれるようになったのです。その新居で生活した家庭に子供が生まれると、同居しない祖父母に気兼ねしないで勝手気ままな生活をする親の姿を見た子供がまたまた育っていくのですから、ますます我が儘な幼年期を過ごした若者が増えるのです。

その自分勝手で我が儘な若者同士が結婚して子供を持ってしまった時、一昔前には信じられなかった様な、幼児虐待事件や、親を撲殺する、家族に保険金を賭けて殺害する様な人が育ってしまった、一つの要因と言えないでしょうか。

そんな、世代の人に、人に対するいたわりの心や、相手の立場になって考えるなんて事は、頭で理解できていても、怒りや憎悪に自分の心が支配されたとき暴言や暴力を発してしまうのでしょう。

いくら、自分を戒めてみても、人前で格好よく善行やいたわりの言葉を連られてみても、すぐに仮面は覇がされ醜い我は表にでて暴かれてしまうのです。

では、どうすればそんな人は救われるのでしょうか。

それは、できるだけ若い時、学生時代に素直に一生懸命勉強をすることです。誘惑に負けて、本分を離れ自由勝手な生活が逆転してしまい、醜い我が支配して来る前に、兎に角、一生懸命学ぶのです。自分が選んだ道で、教えを受けたく門を叩いた師匠・先生に感謝して学ぶのです。その恵まれた環境に応援して支援してくれた両親に、この世に自分を存在させてくださったご先祖様に感謝するのです。未熟な自分を見つめるのです。傲慢な思い上がりは勉強の妨げになります。

一生勉強出来る人は素直な心と謙虚な気持ちを持続させています。それが、決して自分では自覚していないが、側から見て世界の頂点に立っている存在感のある人になればなるほど、まだまだ一生懸命精進し謙虚に学んでいる姿を目の当たりにすることでしょう。

貴方が学べば、学ぶほど、そんなすごい人に出会えるチャンスが増えて、より偉大な人格者と心と心で直接話ができる素晴らしい幸福な充実感を感じる時がやってくるのです。

逆に、未熟な弱い人間ほど、ただ努力を怠った為に馬鹿な自分を賢く大きく見せたがり、形勢不利な立場に立った時、自己防衛本能が異常に働き、狂犬病にかかったように吠えまくり、一瞬にして清純な人の心を傷つけ、自分の思惑にとって邪魔な人に危害まで加える行動を取り、益々卑劣な醜い心が成長するのでしょう。その上、学生時代に勉強しないで大人になった人は、社会にでたときに、悪賢さだけを処世術として身につけて、自分に利益をもたらす人だけに対しては必死で機嫌を伺い、打算的な企てを使い、尻尾を振って近づく能力だけを成長させて世間を渡るのです。

さて、貴方はこれから、どちらの心を成長させるのでしょうか??自分の心を客観的に覗いてみて、自分を省みて、熟考してみましょう!

1.人に迷惑をかけない!2.人を非難しない!3.相手の立場になって話をする!最低この3つの気配りができたなら、誰しも明日の行動に希望を見いだせるでしょう。p(^▽^)qファイト!

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