本-開老人介護ホームで佛教講話本-開

 

 5年前から続く加古川市仏教会の会員住職が交代で務める今年最後の「せいりょうえん佛教講話会」の講演依頼の電話が仏教会事務局よりありました。「愚僧は以前に一度講演させて頂いていますし、まだまだ人生修業された素晴らしいご老僧様が市内の居られるから、私のような若僧などは恐縮です・・・。」と申し上げたのですが、「仏教会会員皆様忙しく、なんとか引き受けてくださる僧侶は、もう2回目に巡回していて、事務局の私は3回も務めてる状況なんですよ。」と、言われ、仕方なく予定表を見ますと、丁度その日は空白になっていたので断り切れず12/6日午後3時からの佛教講話を引き受けたのです。

 ところが、その電話の直ぐ後に、12/6日の午前中に生前戒名をもらいたいと希望される身寄りがないご婦人の為に、在家得度受戒式を当寺院で執り行い授与する式が予定に入り、その上なんと、お葬式が無い周期に今年後半が入っていたのですが、この日に丁度半年ぶりにお葬式ができてしまいました。予定が重なるときでも、お葬式になればその上に急遽スケジュールを調整しなくてはならないのが住職の宿命なのです。

 喪主様の御意向にそって通夜葬儀骨揚げ初七日の日時を決めていますと、葬式から斎場で最後のご回向して骨揚げ初七日までの待ち時間帯にぴったり、当初依頼を受けた佛教講話が治まるのです。これは、最初からそう言う運命が決まっていたのかなと悟り、急を要する重なる法務対応に追われながらも法話講演台に立ちました。

 対象の聴衆の殆どが車椅子です。老人ホーム介護施設に入院入居されている皆さんと近隣の旁々に対して話す演題も資料原稿も用意していませんでしたので、今朝の得度受戒して生前戒名を受けられた方の話を持ち出し、本当は、死んでからもらう戒名よりも、生前に在家出家得度して受戒して頂く法名(戒名)の方が理に叶うものであると説き、また、今回の皆さんより目前の死と相対する末期癌患者さんが切望して家族に見守られ、条件が整えば入院病棟で行う「臨床帰依式」も全国的にも増えてることなどを紹介して法話を始めました。

「クリスチャンなら生後すぐに教会に向かい、クリスチャンネームを頂いて神の御子として有意義な人生を送る祈りを家族で捧げ、生涯、教会での日曜礼拝を欠かす事無く、普段の生活を勤めをします。佛教でも全く同じなのですが、日本では近年、亡くなられた後のお葬式や通夜式でお釈迦様の弟子となる戒名を頂戴し、俗名と決別して彼の世でさらなる精進をして極楽浄土に向かうのが当たり前のように思われています。」

「得度とは、長い長いご縁のある血脈が続く菩提寺や本山の戒師(住職)に導いて頂き、お釈迦様の孫孫孫孫・・・100代ほど後の弟子となって、仏道精進する為の、今までの自分と違う仏弟子となる名前を頂戴する儀式なのです!」

「例えば愚僧は中学2年の夏でしたが比叡山で得度し僧籍を受けました。妻もそうですが、在家からでも、ご縁があればどなたでも出家得度でき「法名」(戒名)を頂けるのです。」

「生前に仏様と戒律で、1.不殺生戒(むやみに殺さない)、2.不妄語戒(嘘をつかない)、3.不偸盗戒(他のものを盗まない)、4.不淫欲戒(強姦しない)、5.不貪欲戒(酒に溺れない等)などの五戒や、これに更に追加される戒めの十戒などをご本尊様と約束をします。毎朝お経を読む住職でも十戒どころか五戒もなかなか守れないのが悩むところです。例えば我々命有る動物は、他の命(食料)を頂いて生きています。自分が生きる為に1.不殺生戒の罪を重ねているのですから懺悔しなくてはなりません。だから、日本語には食前に「いただきます」と、手を合わせるのです。この「いただきます」には前にある言葉を省略してしまっています。本当は「命を」いただきます!なのです。だから食事作法も精進修行と捉えるのが仏道修行者の食事なのですよ!」と解説しました。

「それから、剃刀を頭に当てて剃髪の儀を行い、身を清めてから誓うことで、常に精進する有意義な人生を送るための法名を頂き、その法名に恥じない生活をするのが得度受戒儀式の重要な意味です。ですから、皆さんも、ご希望されるなら、ご縁のある旦那寺のご住職にお願いすれば、快く生前戒名を頂戴することが出来るのですよ!」

「死んでから頂戴してもこの世で知ることは出来ないし、自分が死んだら自分の葬式をしてくれるだろうかとか?墓はどうなるだろうとか?位牌はどうなる?残された親族はどうしてくれるだろう?等と、心配して余生を暮らすと早死にしますよ!それより、生前戒名をもらって死後の安心をした方が、きっと朗らかに長生きできますよ!」

と、説明しますと、大反響が起こり、次の初七日法要に出るギリギリまで皆さんが積極的に手を挙げて質問コーナーに発展してしまいました。虚飾を捨てて誠心誠意に相対すれば、此の今の日本を戦前戦中苦労して支えて発展させてき下さり、介護施設にそれぞれ訳有って入所された人生の大先輩方にも、笑顔が戻り生きる喜びと希望が少しでも復活して頂けたのかな〜〜〜と感じながら急いで移動して初七日法要を、こちらでも一生懸命ご冥福を祈り務めさせて頂きました。それにしても、いつもいつも忙しい時に忙しさが重なりヘトヘトになってしまうのはなんとかならないかな・・・・。合掌

  合掌

<<一回目の講話>>

記、コントラバスの和尚さん

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