本-開関テレ特番「戦争と僧侶」を見ての感想文本-開

 

 異常気象で酷暑のきびしい残暑お見舞い申し上げます。

 8月13日の特集番組「戦争と僧侶」を拝見致しました。しかし何分にも、この酷暑の中、私共はお盆参りから施餓鬼法要では袈裟まで汗びしょ、その準備の掃除でも汗だく、 後片づけでも収支決算会議まで毎日汗だくで脱水症状に倒れそうになりながら、お盆を過ごしていましたので、感想を書くのに遅くなりました。しかし、一週間経った今でも報道の記憶は消えず様々な考えが頭の中を酷暑のお盆の間も、朦朧としながら廻っていました。

 お盆が終わって少しは涼しくなって頭の中もすっきり整理でき感想文も書けるかと思いきや、連日35度を超える猛暑に熱中症寸前、もはや、衣や袈裟も中国日本式でなく、スリランカ・タイなどの僧侶の様な片肌だした如法衣一枚が相応しい南方熱帯地域にすっぽり日本が覆われてしまった様にさえ思えます。

 さて先ず結論から言えば、65年前の終戦、又、その後の戦後復興時代を含め、占領した東アジアから南方の島国と、日本全土が悲惨な戦争の地獄図になってしまった事実を決して忘れ去ってはならないと肝に銘じさせられました。

 将に、異常時に人間が如何に愚かな方向へ流されてしまう弱さと愚弄さを持ちあわせているか、大変な犠牲を持って思い知らされたのですから、決して忘れてはならないのです。

 この度の報道番組で、浄土真宗の僧侶達による素直な啓蒙と真実の告発は、純真な浄土真宗僧侶ならではの活動と感心しました。本音で部会会合する真宗僧侶に敬意を表します。 しかし、実際、開戦当時の世論やラジオ新聞のマスコミ報道を含め国民総決起する風潮から、悲惨にも終戦間際の国民総玉砕の覚悟で地獄の海に流れる血の河の流れが本流だったのですから、あの時代の片寄った情報量では、平和を祈る事が本分の僧侶ですら戦争美化した参戦は致し方なかったのかもしれません。

 ところで、高野山金剛峰寺には戦国大将や敵対した武将の墓が並んで祀られているのは有名ですが、当時日本と同盟国であったあのナチスドイツの独裁者とされるヒットラーの位牌までが祀られているのはご存じでしたか?この世の修羅場で戦い終わってあの世に向かえば、そこは敵も味方もなく、殺人者でも極悪非道な人であっても、極楽浄土に成仏すれば皆同じ佛となると言うのが佛教的解釈なのかもしれません。 しかし、本来のお釈迦様の教えとは、この世に極楽浄土を建国するにはどうすれば良いかと言う方法論が仏説のはずです。如何に、人々の思想哲学信念の捉え方が様々あろうとも東洋的佛教思想こそ平和思想の根元のはずなのですが、それを実行するのが我々この世の凡人ですから有史以来、戦争で塗り替えられた歴史上いつの世も過ちだらけです。

 さて、私の身近な体験談としては父と同年代の来客の話を子供時代に聞かされたことです。師僧の父は、交友の深い同朋の天台僧侶も槍鉄砲持って激戦地で戦い、そこで、戦死していく同僚の葬儀とも言えない無惨な遺体に向かい、弔いのお経を終戦間際には毎日の様にしていたと聞かされました。

又、先代の頃の世話人寺総代も寺に集まれば戦地の話しが酒の肴だったな〜と、私の子供時代の記憶が戻ってきました。30年ほど前に時折先代住職の代理で法事の手伝いをしていた頃は、法事懐石に隣り合わせ長老と、豪華な会席膳に箸を勧めながら「戦争中はな〜生きるためにボウフラがいっぱいおる水を飲んで、蛙もカタツムリも蛇も、何でも食べたもんやで!」と異口同音に戦争経験者から生々しい話を小僧の頃に良く聞かされたものです。

 しかし、最近は、そんな壇家の戦争経験者達も相次いでご浄土へ旅立たれ、先に遷化された先代住職と共に、あの世で賑やかに話しているのかもしれません。ところが、この世に残された我々の次の世代は、そんな話を聞く機会が全く無くなってしまったようです。

 そんな身近な話を聞くことが、結局は、将に戦争とは無惨でくだらない人間の愚かさの成す地獄図だと知ることが出来るのであり、最も重要なことは、両親や祖父母達ご先祖様が、悲惨な戦争を乗り越えて復興へと尽力して平和な日本を築いて下さり、私と言う子孫を本当に苦労して育て下さったと言う自分の存在価値を知り、心から常に感謝できる様に、今の若者は自覚を持たなければならないと思うのです。

 今を自分勝手に生きていると思うから、現在人は子供から一般社会人、公務員から聖職者までもが身勝手な自己顕示欲や破壊的精神状況に陥り、人に迷惑をかける嫌がらせどころか、犯罪行為にまで平気になってきています。人を陥れたり邪魔者を排除して孤立させ、誹謗中傷を平気で吹聴されて始まる登校拒否や「いじめ」の問題などは、既に低学年から始まっているのです。しかし、これらは学校問題でなく家庭環境構築する親の責任でもあるはずなのですが、父母になれない幼稚な自己中心的な親がすでに蔓延してきています。又、本当に学校で学ぶべきは世界史でも日本史でも、例えば大和朝廷建国以来、戦国時代の歴史を受験勉強で決して年号の暗記や武勇伝の賞讃でなく、相手陣営敗戦者や戦闘被害に遭った民百姓、女性や子供まで戦争犠牲者の悲惨を伝え、平和への本質を知ることでなくてはならないはずです。特に先の大戦からも「平和」の尊さを守ると言うことは、個人個人の縦の歴史を学ぶ知識の蓄積から、横方向へ繋がる今現在のご縁のネットワーク意識の中に正しい判断が出来る智慧の上に成り立たねばなりません!つまり、世界の人々と芸術・文化・スポーツ・政治・経済・交易・民族交流でつながり、尚かつ、その国々の文化を尊び敬意を払って讃え合うことこそ、本当の平和維持軍となる人間一人一人の活動だと思います。そう言う意識にさせることも、現在のマスコミの仕事の重要性だと、「戦争と僧侶」の放送を見て改めて感じました。  合掌 

平成22年8月21日

コントラバスの和尚さんより

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