本-開ミニミニ法話その116本-開 

県立歴史博物館満場の羅漢様に感謝

 2/27日は超多忙の一日でした。午前中に二つの法事があり、その前後して来客が続き、昼食もろくに取れないまま姫路城の北東石垣裏に位置する瀟洒なデザインの県立歴史博物館へ急いで出かけました。普通に加古川バイパス姫路バイパスと姫路駅の南側に出るには最も早い自動車専用道路を走っていますと、昨日の大雨から一変した好天の土曜日ともあって行楽へ向かうファミリーカーが溢れて渋滞するような状況になってきました。それでも開演20分前には姫路駅の南口まで来られたのですが、なんと山陽本線、新幹線、播但線、姫新線などが集合する線路を南口から北口に超える朝日橋が工事中で通行止めになっていたのです。もっとも近い踏切を通過するために大渋滞に巻き込まれ、もう前にも後にも動かない窮地に、進むのは時計の針と焦りを感じた心臓の鼓動だけが早くなっていくのでした。やっと踏切を超えた時点で開演5分前。ここから姫路城や動物園、美術館など立ち並ぶ文化施設集合地区への行楽客で大渋滞。やきもきしているのは主催者の方も同じ事で、大変なご迷惑を掛けると思い県立博物館に携帯電話で状況を伝え、昨夜遅くまで、わざわざお越し下さった聴衆の皆様に手渡しプレゼントしようと小冊2冊、パンフレットや資料のA4コピーをホッチキスで120枚綴じた資料を車から搬出搬入し客席の皆様に先に配付して頂くために裏口駐車場で待機をお願いしました。こうして、漸く講話が始められたのが予定の15分遅れとなり折角参集してくださった播磨の郷土史ファンの皆様に申し訳なく、時間との格闘に翻弄された頭と動揺した心臓と精神状態は収拾がつかず、また恐縮の余り前半は予習していたタイトル「教信沙彌と播磨の念仏」に入る前の導入が余計な話でごちゃごちゃになってしまいました。
 本来なら、こんなに遅れたら怒って帰られてしまうか、罵声を浴びせられてもよいようなものを、温かく拍手で迎えて下さった皆様の寛容な、既に悟りを開かれた羅漢様の様な初老の紳士の皆様に助けて頂き、後半は漸く落ち着いて教信上人様の徳を少しはお伝えできたかなとも感じました。これも、先代慶明が今から70年も前に執筆された「かこのうまや」は当時は誰も感心をもたれなかった全国一の山陽道の駅「賀古里駅」の場所までも指摘され、また「まつのみどり」は浄土系佛教研究者に多大な文献資料の提供となり、教信沙彌から始まる「口称念仏・称名念仏」の研究者への道筋を示された此ら小冊を「寺では100円で売っているのですが遅れたお詫びに2冊ともプレゼントします!」と申し上げた第一声が爆笑に変わり一変に緊張した会場が和やかになったのです。それもそのはず、これらの貴重な文献は、幕末から廃仏毀釈の明治に入っても脈々と続いた教信崇拝とも言える念仏が、先の世界大戦から終戦後まもなくまで全く忘れ去られていた処へ、先代慶明住職が生きる希望を失った日本人の心に一滴の潤いを与えられ様に慈愛の光明を灯されたのです。それは半世紀以上の長きに渡って龍谷大学・大谷大学・大正大学・叡山学院を始め、全国の大学や高校の史学研究者や佛教関係研究者、檀信徒から一般参詣者、御用聞きから訪問販売や勧誘者までも、出会った人々にそれこそ相手に会わせた応病与薬のお話しをされ続けた恩恵の元に、現在の教信ブームが全国的に復活したのですから、私は唯、霊媒師のように言葉を頂戴して代弁させて頂いてるのだと言う感謝の思いだけが、聴衆の皆様に伝わったのかもしれません。
 今回の講話で最もお伝えしたかったのは、教信上人が亡くなられて110年後頃に最初に文献に登場させた平安初期の偉大なる文章博士とも言える(賀茂保胤→慶滋保胤→寂心)の日本最初の往生集「日本往生極楽記」執筆編纂へのいくつかの疑問の解明と、当時最先端の浄土思想展開への礎となった慶滋保胤自信の想いが熟す経緯と情熱だったのですが、遅刻した騒動で動転したのか予定していた肝心なところをスッ飛ばしてしまいました。近年中にも詳しく文献に執筆発表したくも思いますが、愚僧の能力では日の目に出すことすら烏滸がましい限りかもしれません。教信上人が56歳から(出生不肖のため往生された年齢説は主に3つあり80歳説・85歳説・86歳説がありますが)30年間賀古の地で仏道実践された年齢と愚僧が同い年になる不思議なご縁から、これより30年間の教信寺でのライフワークとして煮詰まった頃に夢を実現させたく願う次第です。
 兎に角、私のホームページから県立博物館での講話を知り、なんと東京からわざわざ駆けつけて下さった熱心な大徳様から、歴史博物館友の会の皆様、播磨地方の地史研究者、加古川検定合格者のグループ、教信寺檀信徒の方から絵解き説法師の方、写経会の皆様など後半に少し落ち着き満席の会場を見渡すと顔見知りの旁々の優しい眼差しを感じ、教信上人様のお念仏のお姿と重複するような気持ちにさせて頂けた法悦に感謝申し上げます。
 唯、前日に旅行用トランクに「ホッチキス綴じ資料」「かこのうまや」「まつのみどり」それぞれ120冊詰め込み準備し当日配布しましたが、講演後に私の出版物のサイン会をしながら販売しようと思って一緒に用意してた「佛教聖歌CDと楽譜」、ウィーン帰国リサイタルの為に作曲した楽劇「教信沙彌の生涯」のライブ録音CD、父の七回忌追悼記念に慶明の著書や関連の写真を挿入編纂出版した「播州賀古の郷土史物語」などを、時間が無くなり慌ただしさの中、結局トランクに入れたまま持ち帰ってきたことは心残りでした。
 仏縁と申しましょうか、今回特にお世話になった学者タイプの普及事務委託委員で講話担当の先生はじめ、博識高く有能な館長補佐の先生から職員の皆様にも遅刻して大変ご迷惑をおかけしたにも係わらず、講演後ミュージアムでのミニチュア芸術の博覧会に直にご案内下さるなど、色々とお世話になりこのような主催者・聴衆の皆様からの深いお慈悲を頂戴して本当に救われました。当日ご縁を頂いた満席のお客様と会館関係者ご一同様に心より感謝申し上げます。「有り難う御座いました!」合掌。       記.2010.2/28
 
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