2009.11/10
教信寺では12月3日(旧暦十月)に毎年行われる十夜会ですが、お釈迦様が悟られた成道会や、五穀豊穣の収穫感謝祭なども兼ね備えた法要として執り行われ、念佛山教信寺の昔からの習わしで、ご先祖様の追善供養をも付随しています。
この晩秋の季節、御輿を担ぎ人々が熱狂する様々な特長ある村祭が日本全国で催されています。これら神社仏閣の縁日や地方の祭りの殆どに、今年の収穫を祝い来年の五穀豊穣を願う感謝の気持ちが重要な祈りの要素となって何百年も続いています。
誰もが食べなくては生きていけませ。そして、生きるために一生、例え植物と雖も、その命を頂き口にするのです。そうです、美しい日本語だけにある食前に手を合わせ誰もが口にする言葉「いただきます!」とは「尊い命を頂きます!」の後半だけを言ってるに過ぎないのですね・・・・・・。
今年はたまたま当地方では台風や豪雨の災害も無く、豊作だったと有り難く聞いています。 一方、兵庫県の屋根中国山脈山麓の街、佐用地域では先の豪雨で田畑が壊滅的となり収穫が無い農家も少なくありません。また、世界的には干ばつ、洪水、地震、津波など地球規模で今年も異常気象はエスカレートし、世界各地で多くの尊い人命を亡くしました。
貧困世界での異常気象の影響は多大です。それが我が国でも貧困を感じる指数は6人に1人の割合と報じられました。敗戦復興で一億総中流社会を勝ち得た日本が、今や世界一の格差社会に転落です。
そんな今こそ、ご先祖様が大切にされ、現在の私たちに示され、我々が子孫に伝えるべき宝とは一体何だったのか、現在に生きる私たち一人一人が、真剣に思い出すタイム・リミットが来た様です。宝とは決して煩悩の渦の中心にあるお金では無かったはずです!
奈良の都でしか受験できなかった僧侶の国家試験を、比叡山寺でも資格が得られる様にと、伝教大師最澄様が情熱を注いぎ、遂に延暦寺戒壇院が勅許されたのは最澄が亡くなられた翌年弘仁十四年(823)の事でした。
南都六宗の抵抗に遭いながらも必ず桓武天皇より勅が叶うと信じ開かれた比叡山で、若い有能な出家僧を全国より延暦寺に集め当時最先端の総合佛教教育を脈々と山で伝授された事により、その後、時を経て多くの鎌倉新佛教各宗の祖師が輩出されました。
だからこそ天台宗のみならず各宗派からも今日まで1200年の法灯が絶えず、宗派を超えて敬慕され続けている霊山、比叡山こそ日本佛教の母山と言えるのです。
その比叡山を開いた最澄が修行僧達に訓示した言葉「山家学生式」(さんけがくしょうしき)と言う金文を、今回は皆様にご紹介させて頂きたく存じます。
合掌。 念佛山教信寺貫主兼務法泉院住職慶悟
「山家学生式」(伝教大師最澄御作)