本-開平成21年 お寺座の怪人Cb和尚の辻説法本-開

<足下に落ちてる宝物>

 今日は写経会、葬式、初七日、3七日逮夜と休む暇もなく法務が続く一日です。当然、それぞれの行事の前に寺院の掃除、庭の掃除、行事の準備と慌ただしく奉仕します。先代住職夫婦がこの世から去られても、お二人がされてきた行事の準備を見よう見まねで引き嗣ぐ事がバトンタッチした新住職夫婦の当たり前の務めだからです。しかし、何事も初心者マークで務めますから行き届かないのが常です。解らない時は、仏前に座り、自問自答聞いてみます。そうするとその時点での最良と思われる奉仕の場所と時間と関連が炙り出し文字の様に浮かび上がってお告げを頂けました。

やはり、根本は、相手の立場に立って「こうされると嬉しいな!」と、感じることをとことん自分の苦労や労力の損得、失敗を恐れず、相手の喜ぶ顔を思い浮かべ「おもてなしの心」で奉仕をする事こそが、意識するとしないに係わらず徳を積む仏道修行そのものなのです。

お寺に限らず、学校、会社、職場、寄り合いの場、一般生活の中に仏道修行をさせていただける黄金のチャンスはいくらでも落ちています。上や目先の利益や損得だけを見ていては見落としてしまいます。黄金のチャンスは、気持ち一つ切り替えれば自らの足下で簡単に拾い上げることが出来る宝物なのです。 合掌 2/16

<国際社会への醜態>

 三寒四温も温度差10度で可成りのものですが、観測史上2月としては最高気温25度前後を全国各地で観測したかとおもえば、今日から再び零下になるところもある温度差に動植物が耐えられなく生態系すら変わってきています。金融危機から世界的経済危機に陥り、世界への輸出貿易で生計をたててきた日本のGDPはついに年率マイナス12%を超えてさらに過去最悪にもなりそうな気配です。

 異常気象も異状経済危機も倒産と失業者の増加も、すべてが一部の人間の傲慢な欲望に引きずられ世界中があり地獄のような欲望の渦に飲み込まれたかのように感じます。

 G7の国際財政協調会議での日本人財務金融大臣が泥酔状態で世界に配信されてしまった記者会見は、まさに現在の日本人を象徴しているかのように世界に見られてしまったのではないか?

 酒に溺れて醜態をさらすのは日本人独特です。ましてや、暴れたり暴力を振るったりする聖人、ひき逃げをしる公務員は言語道断許されるものではないが、忘年会や新年会で羽目を外した普通の成人が翌朝「酒によって何も覚えていませんでした。」で、許されて良いのだろうか?

 将に欧米のディナーでの洗練されたエチケットや、ワインの嗜みからすれば、日本人は下等で野蛮な人種だと見られてしまうのです。昔は酒の席での話だからと許されていたかも知れませんが、国際社会の一員となったからには、そんな失墜を世間に報道され国や日本国民に泥を塗った責任は大きく辞職は当然ではないでしょうかね? 合掌 2/17

<日の丸背負って>

 欧米から見れば神秘的な伝統的日本文化、日本から見れば洗練されたルネッサンス芸術文化に象徴される近代文明の欧州。お互いが尊敬と憧れを持ち続けている文化・スポーツ界で世界を渡り歩くプロから、アマチュアや玉子の学生まで、海外組は国旗を背負って、それぞれの分野で活躍している。海外出張や特派員滞在を余儀なくされる企業戦士商社マンでもそう気が付く時がある。ところが、日本の金融担当大臣がG7ローマ国際会議の国際社会に出たとたん、酔っぱらい記者会見で醜態を世界にさらけ出してしました。

 ワールドサッカーの日本代表選手や、WBCに戦うサムライ日本の選手達、氷盤に舞うフィギアスケートの妖精達、世界主要都市のプロオーケストラに在籍する日本人楽団員、国連や国際機関、赤十字や国境無き医師団など国際的NPOに働く日本人、個人が国際社会の団体に働き活躍するとき、誰しもが意識しするとしないに係わらず「背中に日の丸」を背負っている。日本人として、日本のイメージを壊さず期待に応えたいと誰もが強く意識する時が必ずあるのです。

 時同じくヒラリー・クリントン訪日でやってのけた一日外交の真の目的は、明治神宮参拝や東京大学学生との講演会でも、皇后陛下との茶会でも、拉致被害者家族との聴聞でもなく、華やかな報道の裏で政府が弾圧して新聞にすら記事を書かせない日本から3兆円の米軍基地再編などを含む日米地位協定の調印だけである。神仏崇拝する善良な日本人は俺俺サギで金をだまし取られ、国は庶民の年金を取るばかりで支払しぶる仕事しか出来ず、それどころか友好国から莫大な庶民の税金からなる血税をも持ち去られる。日本の政治家は醜態を国際社会にさらけ出す情けない人材ばかりだが、元、敵国とは言えヒラリー・クリントンはあっぱれ、これぞ国益優先する才覚有る政治家の仕事ではないか!?

 私事になりますが、ウィーン留学中、世界中からウィーン国立音大に集まった優秀な同窓生に対し、仲間であると共に、一人の日本人として尊敬される存在になるために常に襟を正して精進したものです。また、プロになってからは、欧州各国の芸術家と欧州各地で共演した折りも、例え相手が世界の頂点に立つ憧れの人であっても、お互いが尊敬と信頼を一瞬に築く為に、ステージマナーと演奏内容の技術と芸術性に、命をかけていたことを昔懐かしく思い出します。 合掌 2/18

<年功序列>

 明治開国以後、世界から驚きと尊敬を一身に浴びた日本人。古来より縄文弥生時代の自然崇拝的神道から日本書紀に表れる古代文明より伝播した創生期の神々、ギリシャ神話から来た出雲の八百万の神々、飛鳥奈良時代に開かれた佛教文化、平安時代の王朝貴族文化、鎌倉室町時代より武家が栄え、戦国時代の後、鎖国した江戸時代には独自の統制された文化が元禄時代まで栄えた庶民文化。いつの時代も大陸より南方北方佛教・道教儒教・キリスト教など宗教を弾圧もあれば庇護もあり柔軟に取り入れた。それまでの独自の日本文化は多様性の中、絶妙のバランスでそれぞれの時代に伝播した信仰と信念が人々の心に息づいていたのだが第二次大戦敗戦後の現在人には薄れてしまったのだろうか?いや、そうでは無い!明治・大正・昭和までは大和魂も消えては無かった。

 それは、戦後の経済発展の根幹に残っていた。武家社会で培った城主と家臣または雇われ家来の従順な構図、我慢強く働く農民、海上交易航路を行き来する商人、国分寺以後地方を統制する各宗派寺院、向学心溢れる児童に育てた学問所の寺子屋、自然の道理を体感する山岳信仰から佛教寺院が果たした仏教思想哲学の探究、これらが歴史的につながり日本人の魂にDNAとして受け繋がれたからである。その最たる物が先祖を敬い父母を敬い師を敬う少年期の家庭教育であったろう!

 世界から尊敬される大和魂が消え去りそうなのは平成の現在になってからです。平気で善良な老人を騙して短絡的に振り込めサギや殺傷事件を起こす若者が増えてしまったことか!それらの原因の一つに学校や塾にまかせっきりで、文句や不平不満を子供を預けたくせに言う親が横暴するようになったからです。つまり自分は何も努力しないで他人を誹謗中傷する口と、人を上手に誘導して騙して利益を得る口と、平気で公共の器物を破損したり、弱者に手を挙げる事が素早くできる父親が増えたことです。その父親を産んだ姑は豊かになった頃の日本を謳歌し自分勝手が出来ていたのでしょう。家事や子育てより自分の楽しみが生活の最優先だったのでしょう!

 学ぶと言うことは偉人達の過去の歴史的時間を知り悟る事。尊敬と反省の中に未来への希望と行動が見えてくる。一刻も早く家庭から一般社会に年功序列の尊厳と物の道理を説く祖父母(会社創立した会長)・生計を立てる父(会社受け継ぎ維持発展させる社長)・従順に働く母(社長を支え会社発展に人生を捧げる重役)、両親の手伝いをする子供兄弟(各部署で働く有能な従業員)の姿を、これから生まれてくる世代(新入社員や就職希望する学生)に背中で見せて植え付けてる「敬愛される大和魂」復権を願う次第である。合掌 2/19

<苦労は買ってででも>

 昔の人は「苦労は買ってでもしなさい!」と、よく言っていました。不況の嵐は世界中に吹き荒れています。失業や解雇が身近にある昨今、働いてお金を頂くことすらままならないのに、苦労を買うとは、どう言うことなのか?買い物に行ってお金を無駄に使うことは簡単で楽しいですが、苦労を買うとはどんな事でしょう?近年の子供には塾から有名私立大学付属の幼稚園お受験、お稽古や習い事など我が子の為には高いお金を払う親が増えました。勿論、貧富格差社会の差で出来る出来ないの生活水準の違いがあっても、誰もが子供を思う親心に変わりはありません。

 昔から歴史に名を残した偉人や天才は、あんがい貧困の生活の中から生まれているのです。貧乏なのに一つ屋根に祖父母・両親・子供・孫と大家族で幼年期を年功序列の席順で、遠慮しながらも仲良く分かち合いながら共に暮らしていた生活の中に社会の縮図があり、一人飛びだした自立学生生活ではアルバイトをしながら時間を無駄に使わないで勉学に励む苦学生は生きる厳しさであり、効率よく学んだ工夫が身について知識と忍耐力と閃き発想が豊かになり、人一倍苦労しただけ他人に優しく人の痛みが解るようになれる。そんな、お金を支払っても得ることが出来ない本当の意味での宝物「賢い頭と健全な肉体と慈愛溢れる心」を、苦労すればする程に得られる!と、言う意味を昔の人々は一言で「苦労は買ってでもしなさい!」に込めていたのですね! 合掌 2/20

<寒行托鉢>

 寒行托鉢で元町商店街を昨日歩いてきた。天台宗が全国で展開している寒行托鉢で、神戸明石加古川地区の兵庫教区第一部住職や副住職、又は若い後継者や檀信徒総代合わせて26名で托鉢をした。スローガンは「地球へ慈愛の灯を」であり、地球規模の環境激変による干ばつや大洪水、地震や火山爆発、未だに世界で暴発する地雷や被弾するミサイル攻撃、地域紛争や軍事勢力の弾圧、これらで一番に犠牲になるのは弱者である子供達や一般市民。今、口にする食べ物すら無かったり、不衛生な環境から伝染病に倒れたり、怪我や病気にも十分な医療が間に合わない現実が世界中至る所にある。そんな場所に行って救済したい気持ちはあっても現実には今の生活を捨てることも出来ず、赤十字や国教無き医師団、世界のNPO法人や市民ボランティア団体に浄財を届けて「一隅を照らす運動」に参加するのです。

 托鉢出発の時、今は日本も大不況、商店街を行き交う人も少ないし、浄財は集まらないだろうなと期待しないで歩き始めました。前方の僧が旗を持ち地球救援募金のチラシやティッシュを配り、中程の若い僧侶2名がホラ貝を吹きアーケードに響く中、愚僧は行列の後尾で左手に錫杖、右手に鉄鉢を持って随喜しました。異様な光景に商店街店主や買い物客が注目してくれましたが、なかなか浄財を入れてくれる気配がなかったのですが、行程中程より、最初は若い女性、次は年輩の男性、続いて中年のおばさんと次々に、愚僧に駆け寄ってきて右手に持つ鉄鉢に浄財を入れて、手を合わせてくださったのです。長身の私は腰をかがめて受取ながらお一人お一人に「ありがとうございます」と声を掛け心中では「十念」のお念仏を捧げました。

 こんな異様な団体に気後れしないで、財布をカバンから出して浄財をわざわざ入れに駆け寄ってきてくださる買い物客の方がいらっしゃる。まだまだ日本人の心の奥底には純粋な仏心が残っていると確信できたのが、愚僧の一番の喜びの寒行でした。合掌 2/21

<悪霊に憑かれた様な50肩>

 たかが50肩など直ぐに治ると思っていたら益々クレッシェンドしてffの激痛が、車の後部座席に手持ちカバン置いたり、ETCカードを走行中に財布から出して装着しようとした時など、腕を後にネジった時に当初は痛みが走ったのですが、今は、毎日着替える時に袖を通す左肩、シャンプーで頭髪を洗うときに頭の上に手を挙げた時などの日常生活で頻繁に激痛が走るだけでなく、毎晩、寝る毎に肩や腕に激痛がはしり、もう一ヶ月以上も寝不足状態で朦朧としているのです。人は1・2週間で治ると言っていたので気楽に思っていましたが、なかなかどうしてもう2ヶ月になってしまいました。

 たまりかねて3日前に病院へ行きましたが、痛み止め飲み薬と湿布薬をもらっただけで根本的な治療は無いと医者から聞き、ひたすら我慢の日々になったのです。

 思えば35年間世界を股に掛けてコントラバス演奏で酷使してきた左腕と右手が、住職になって以来、徐々に弾くことを制御し、29年間広島往復600キロの通勤を毎週した音大や音高も2年前に辞職し、レッスンでも弾くことを止めてしまった為に、筋肉や関節が錆び付いてしまったかの様です。

 全国のオーケストラ客演も現役時代は年間通して3日に1回のペースで全国津々浦々どこかのコンサートホールのステージに立って一人で大編成のオーケストラを支えるかの様な重低音を響かせていた生活から住職の立場に一変して10年になるのですから身体も体調も変わって当然なのでしょう。毎日同じ仕事をしている人が一週間止めてしまうと調子が狂って元の状態に戻すのに何ヶ月もかかるようです。ましてや10年止めてしまったのですから、余力で数少ない本番だけを弾けていたことすら奇跡的かも知れません。

 プロ野球選手を始め各種スポーツ界のアスリートはシーズンオフから開幕にむけて自主トレに励みますが、音楽演奏家だって現役時代は毎日の練習がトレーニングであり、私の場合は毎日の本番そのものが体調を維持する最良の運動だったのでしょう・・・・。

 まだ50肩になってない先輩・同輩・後輩の皆様!例え定年退職しても楽器演奏を一遍に止めるようなことはしないで、リハビリやトレーニングジムに通ってるつもりで毎日楽器を弾いてくださいね!どんなことでも人間、天職を続けることが健康で長生きの秘訣だと激痛走る身を以て実感しましたから!合掌 2/22

<恵心僧都のたまわく>

 それ一切衆生、三悪道をのがれて、人間に生るること、大いなるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや、家まずしくとも餓鬼にはまさるべし。心におもうことかなわずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。世の住み憂きは厭うたよりなり。人かずらならぬ身のいやしきは、菩提をねがうしるべなり。このゆえに人間に生るることを悦ぶべし。信心あさくとも本願ふかきがゆえに、頼めばかならず往生す。念佛ものうけれども、唱うればさだめて来迎にあずかる、功徳莫大なり。このゆえに本願にあうことをよろこぶべし。又妄念はもとより凡夫の地体なり、妄念の外に、別の心もなきなり。臨終の時までは、一向に妄念の凡夫にてあるべきぞとこころえて念佛すれば、来迎にあずかりて、蓮台にのるときこそ、妄念をひるがえしてさとりの心とはなれ、妄念のうちより申しいだしたる念佛は、濁りにしまぬ蓮のごとくにして、決定往生うたがい有るべからず。妄念をいとわずして信心のあさきをなげき、こころざしを深くして常に名号を唱うべし。南無阿弥陀仏。合掌 2/23

<畦道(あぜみち)>

 東京ではこの時期に桜が満開との情報もありますが、当地方は毎年温暖化の影響はありますが桜はまだ咲いてはいません。→寒椿→蝋梅→水仙→白梅→やがて桜と、順次咲いています。しかし、季節の花達も咲いていいものかまだ待つべきなのか毎年迷うような異常気象ではストレスが溜まるでしょうね。動物は温暖化すればより生態系に相応しい場所に移動できますが、植物は動けません。次の世代への受粉場所を徐々に北上させて分布環境を変えているのです。年輩の皆さんなら子供の頃学校からの帰りに寄り道した畦道で見た動植物を見かけなくなったり、咲く時期が早くなってきてることに気がつかれてるでしょうね?もし普通に気が付かれないなら、たぶんタンポポや彼岸花が咲いてた思いでの畦道そのものがなくなってしまったんですね。行き交う幹線道路から寄り道すれば、田んぼやため池に注ぐ小川、野山に続く畦道が、真っ白い画用紙に描かれた原風景であり、童心の心癒される哀愁の想い出とともに色あせてきたのかもしれませんね。鮮明で原色豊富な色とりどりの花や草木の絵を、定年後と言わないで今から大地のキャンパスに描き始めましょうね。合掌 2/24

<しだれ梅>

 

 数年前に鶴林寺の太子会恒例庭木即売会で買ったしだれ梅が根付いて毎年ほのかな香りとともに可憐な白い花を咲かし楽しませてくれるようになりました。ところが、玄関に目出度く紅白のしだれ梅を対に咲かそうと玄関に白梅と紅梅を一対で植樹したのですが、紅梅の方は、そんな人間の勝手で決めた場所が悪かったのか成長が悪く毎年花の数も少なくなり、ついに今年は花を咲かしてくれなくなりました。

 紅梅を植樹したところが唐門銅板屋根の滴が落ちる場所でもあり、塀に近く日照時間も少ない処だったからでしょうか。土壌も日照も環境が発育を大きく左右されるのは人間もおなじです。子供の両親となる夫婦、その祖父母、親族の皆が多くの人に愛される徳を積んできた本拠地であり、治安や見識ある地域や校区を村民住民みなで作り上げてる社会であることは勿論ですが、紅梅の様に慈愛をもって注意深く毎日水をあげたり新緑の季節には害虫駆除をしたり発育の為に剪定をしたりしても、やはり命を育む土壌が良いか悪いかで地表から見えない大地からの栄養補給条件は決定的な死活問題なのです。人類創世以来、古来より命を育む母親は偉大です、だから自然界の恵をもたらす大地を古代から近年の農耕民族も「母なる大地」と崇敬の念を強く抱いて大事にしてきたのですね。世のお母様、貴方は偉大です!合掌 2/25

<万葉歌人からの便り>

**響き合う心の歌**

  コントラバス 奏者なる子が この寺を

  嗣ぐべく山へ 業に出て立つ(翠嶺S62.10)

 音楽家としてすでに名を成しておられる長谷川悟氏が教信寺法泉院住職として修行のため比叡山に出立される時の母上さまの歌です。きびしい修行を終えられて今日現在では長谷川慶悟として活躍していられます。

 この度「翔」の会の主催で「コントラバス・ピアノのリサイタル」が開かれ大勢の人々が野口公民館大ホールに集い鑑賞の一時をすごしました。コントラバスは音域が広く、象さんの声は力強く低音で、白鳥が泳ぐ姿は美しく繊細な高音で奏でられ先生のすばらしい編曲と演奏は私たちの心を夢の世界へと遊ばせてくれました。又曲と曲の間のおしゃべりには聴く者の心がなごみました。全13曲が終わっても拍手喝采は鳴り止まず、アンコールの「星に願いを」で感動はクライマックスに達しました。客席の皆さんの顔は夕映えの中でほほえんでいる童子童女のような美しさでした。今私はよろこびと感謝と敬いの心でいっぱいでございます。

 長谷川先生に贈る歌一首

  コントラバス 世界の舞台に 響かせて

  平和を祈る 佛心(みこころ)のままに  播磨国八重郎女

去る1/29の演奏を聴いて下さった聴衆のお一人から素敵な万葉歌を読んでくださる程に身に余る光栄なご感想の機関誌投稿文を頂戴しました。詩や短歌には音楽のメロディーが元々付いていませんが、万葉集も古今和歌集も、日本歌曲やドイツリートなど世界の民謡と同じように、将にタイトルの様に「響き合う心の歌」だったんだと改めて確認させていただきました。素敵な歌を贈って下さった八重子様に感謝申し上げます。有り難う御座いました。 合掌 2/26

<深夜の激痛>

 50肩に苦しみ2ヶ月になります。日常の生活では腕を使ったときに痛みが走るだけですが、寝る体勢では痛みが治まらないのです。漸く眠れたなと思っても無意識に寝返ったり腕を捻った時に激痛が走り魘されます。昨夜は寝返ったとき今までで一番痛い激震が左肩から腕に走りついに「うーっつ」と、いつもは堪えられたのに口に発してしまいました。堪らず湿布を貼りホッ懐炉を貼り処置しましたが眠れず朝の鐘突の時間になりました。

 当山本堂右脇壇の右前に鬢頭盧尊者(びんづるさん)が薬師如来と同じように薬壺を左手に持って座って折られます。昔から腰痛の人は腰を、膝がいたい人は痛い関節部分をと、この仏像は檀信徒参詣者が直接手で患部を触って御利益得られるように、どこの寺でも手に届く外陣に安置してあります。こうして長い年月の間多くの信者さんに触られ擦られたせいで、頭のてっぺんからつま先まで、たいがい何処の寺でもツルツルになっておられます。

 愚僧も触れば直ぐに治してくださるはずと、毎朝本堂で朝の勤行の後、左肩と右手指を触って拝んでいたのですが、早2ヶ月、なかなか治療してくださらないので困っています。恐らく今朝は普通の2月の寒さが戻り冷えたせいで激痛が増したのでしょう、桜の頃まで待てば治まるのでしょうかね・・・・・。

 しかし、こんな痛い思いを多くの人がこの年齢になって経験され乗り越えられたんだと思うと、益々、同輩先輩から高齢者を労りたく思います。恩師や師僧、そして今は亡き両親も肉体的老化現象を克服しながら身を粉にして道を差して教えて下さり、ご先祖様は子々孫々と此処を守ってくださったそれぞれの慈愛に強い想いを抱き、この痛みの量だけ誰もが感謝置かざる処となるのですね。人間の五感に響く喜び・悲しみ・痛みの三要素は経験して始めて本当の第六感の本質が解るように悟られるのです。そう思えばこの激痛も有り難いことです。合掌 2/27

<本日寒行満行>

 2ヶ月間の朝6時0分1秒に鐘突→本堂勤行→阿弥陀石仏納髪供養→ご開山教信上人御廟所→地蔵石仏→六地蔵石仏→ご先祖様御廟所→霊園墓地→自坊内佛本尊で勤行を続けてきました。

 寒行の間の願文は一貫して、天下太平(世界平和共存できますように)万民快楽(人類総ての人が幸せでありますように)五穀豊穣(農作物が凶作にならないで順調に実りますように)そして本尊阿弥陀如来に導かれた父母からご先祖様と三界万霊皆様への回向と感謝を述べてきました。

 すると今朝起きると50肩の左肩の痛みが治まっているのです。これで治ったと思いきや、今度は右手中指と薬指が固まって痛みが増しています。左が終わって右に移ったようです。なんとも不思議な筋肉の箇所に激痛が走ったと思われるでしょうが、将に30年間コントラバス演奏に酷使した箇所なのです。特に私の奏法はウィーンの正当を継承してた為、極端に普段使わない筋肉を酷使してきたのです。右足に重心を掛けてたため右足脹ら脛もしびれがあります。そして弓ですべての発音をコントロールしていた中指の筋、左腕上腕の筋肉、背筋などが50肩とともに痛みました。まったく職業病です。

 50肩が終われば再び楽器演奏が復活できるか不安が残りますが、やはり激痛を隠して弾いた先月の公演でも大反響のご感想を頂いたように、愚僧独自の生涯説法は、弾き語り風「コントラバス辻説法」だと再確信し、他に能も無いから復活を願いました。昔は盲目の平家琵琶の弾き語り旅僧、虚無僧の尺八も、高橋竹山のような津軽三味線一本での巡業なども、現在のストリートミュージシャンも、元を正せばお釈迦様の辻説法からのバリエーションだと思うからです。

 住職に就任するまでは、世界中のコンサートホールから大聖堂なる教会特設ステージや大寺院でのスペクタクルなステージ、オペラやミュージカルのオケピットから学校の体育館まで、平均すれば3日に一度の本番をこなしてきました。現在は法務が忙しく業界に迷惑をかけるので総て止めてしまいましたが、一人で辻説法することが愚僧の原点となり、音楽道と仏道の探求から偶然的に生まれた「コントラバス辻説法」こそ、現在社会に望まれる愚僧ならではの「釈尊に還れ」「バッハに還れ」との答えだと、二ヶ月の寒行を満行して得た天の声でした。50肩を克服して、より悟りを開いた境地で辻説法公演で再び皆様を感動の渦にお誘いするご奉仕をしたく思いなおし、来月からリハビリに挑戦することにします。色々ご心配をお掛けして申し訳御座いませんでした。またアドバイス応援下さった先輩に深く感謝申し上げます。

2ヶ月間ご拝読くださった多くの読者の皆様から、直接公演や法話を聴いて下さったリスナーの皆様との縁の一期一会に感謝感激です。有り難う御座いました。次回のシリーズ再開は6月です。お楽しみに! 合掌 2/28

どんなことでも、貴方様のご感想や、ご意見も是非お聞かせ下さいね。
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