本-開99.初秋の伽藍に響き合う雅な世界その2本-開

<<書写山に響く至福の弦楽五重奏>>

西の比叡山と称される古刹、書写山本堂を右手に、さらに奥へ進むと響きを計算して建立された3つの堂会場へ

 終演後の会場

創建当時より能楽舞台として音響効果を考えた常行堂北縁より食堂・講堂、さらに書写の山や森に生の音が心地よく響いた

 昨日、樫本大進音楽監督が世界8ヶ国の優秀なソリストを率い、モーツアルトとシューベルト弦楽五重奏のコンサートが書写山3つの堂境内広場会場で開かれました。満席のお客様に混じって、思いがけず招待券をご用意して頂いたので本当に久し振りに聴きに参上し、これまた大きな感動を久し振りに頂戴したので、その感動を皆さんに伝えたくなり、これまたまた久し振りにプログを書いています。

 いつもはステージに立つ機会が多い私ですが、かつて毎晩様々な世界水準のオペラやコンサートに通っていたウィーン遊学時代以来、帰国後は日本での演奏会がつまらなく思い、自閉症の様に出不精となっていたので、本当に久し振りに聴衆の一人として本物の室内楽を堪能させて頂きました。

 ロープウエイで書写山山頂駅に到着。そこから昔は馬車が参道を往来して参詣者を運んでくれていたのですが、現在は馬車に代わりマイクロバスが送迎していました。開演時間ぎりぎりに山頂駅に来たので本堂まで送迎バスを利用しました。しかし、会場となる3つの堂へはさらに徒歩で進まねばなりません。会場に通じる参道を歩きながら、なによりも雨が降れば中止となる心配事すら感じさせない様に、書写山の住職達が天候までも祈りで絶好の気温と好天気にされたことは知られない偶然だっただろうなと推察しながら歩きました。それだけ多くの主催者関係者や、音楽ファンや圓教寺ファンの人々の思いが集結され実現した奇跡の演奏会だと気付かされたのも開演前からの不思議な体験でした。

 客席となる会場広場は一見すれば残響を左右する屋根もない青空、照明は逆光となる西陽に客席の後3割が照らされ、空調も自然の風、騒音は無くとも小鳥のさえずりが聞こえてくる。決して今日の通常の室内楽のコンサートでは考えられない環境条件であるはずが、逆に、この会場で演奏が始まれば、不思議なことに一瞬にして全てが心地よい居場所に感じてしまったのです。一体どんなエネルギーがそうさせたのでしょうか?

 心の耳を澄ませば、既に歴史ある書写山の神仏諸精霊と、演奏者達の崇高な魂と、弦楽器名器を作ったマエストロと、本日の演奏プログラムを作曲したモーツアルトとシューベルトの魂が、囲まれた3つのお堂に来臨し、森と山に木霊して私たちの心に響き合っていたのでしょうか?!

それは、リハーサルの時から演奏者達も同じく感じたことでしょう。この空間が古より聖なる場所であり、そこで公演する奏者達も、いつしか書写山の精霊達と交信し、益々その演目が最高潮の時限にまで引き寄せられてしまった事を・・・・。

個々の奏者達が、これまで国際舞台で修得された高度な技術と音楽的センス、そして崇高な精神が融合し倍増しあい、決して馴れ合いのアンサンブルでなく鮮烈な超本気モードの見事なアンサンブルに、この書写山で再び出会えた喜びに、私自身が一昼夜過ぎた今も感動が溢れているのですから。。。。。

 余談ですが、ここで室内楽の醍醐味を少し紹介します。嘗て歴史的な偉大なるソリストも名声を得た室内楽奏者も、若い頃は大音響で迫力有る大編成のオーケストラサウンドに憧れ、また、世界主要都市にあるメジャーオーケストラ団員になるために一生懸命研鑽を積んだ時期があったはずです。しかし、地位の高いメジャー国際コンクールでゴールドメダリストになり名声を手中にした世界を飛び交うソリストになったり、交響楽団や管弦楽団団員にしがみつかなくとも生活できる一握りの飛び交う客演首席奏者となった彼らは、自らの楽団のコンサートマスターになったり、独奏者や室内楽奏者を兼務したり、退団して独立を願ってソリストになったりした後に、尊敬仕合える気の合う世界中の仲間で室内楽団を幾つも設立したりしたのです。それは、奏者が研鑽を積み、より高い境地を見出し、邪念無く、純粋に音楽を追求する魂に導かれ、同朋を求め合い、確かめ合う行動が押さえられなくなる不思議なエネルギーなのです。だから、究極の室内楽を演奏する奏者も、そんな贅沢なメンバーの顔合わせが現実となる演奏会に出会える聴衆の喜びも、双方にとって代え難い幸福な一時なのです。室内楽の醍醐味は将にこの崇高で高度な奇跡なのです。そして、その演奏の室の高さは、迫力や大音響にも敵わない、上品で上質、繊細で華麗、全てが高次元で集約されたエネルギーそのものなのです。だから、本物の芸術家も音楽ファンも、人生の早い遅いに係わらず、いつしか最後には室内楽に到達するのかも知れません。

 さて、話は戻りますが、私共のお寺の室内楽定期コンサートに出演された多くの芸術家からも感じるのですが、楽器も勿論名器なのでしょうが、古刹寺院での演奏会では、何故か全身全霊から音楽家は演奏させられてしまう、そんな不思議なエネルギーが働いているのだなと感じずには居られませんでした。

それは寺に集まった諸佛・諸菩薩・諸精霊と、自然の恵みに活かされてる我々の命の共生への感謝の気持ちや、苦難を乗り越え幸せや平和を祈る現世に生きる人々の祈願や、悲しみを乗り越え慈愛へと追善回向をする人々の言葉には表せない深く純粋な心が、洋の東西を問わずクラシック演奏家が最後に到達する究極の室内楽演奏に響き合ったに違いないと、幸運にも世界最高峰の弦楽五重奏の名演に出会え、溢れる感動の涙を抑えながら感じ入っていました。

 恐らく書写山を開かれた性空上人様はこうした催しをも現在人に提供する事を見据えられていたのでしょうか。崇高な精神で開かれた山に三世の精霊達が時空を超えて集い魂が安らぐ霊山、それこそが現在まで人々を魅了し続ける誠の書写山圓教寺であるが由縁なのでしょう。久し振りに出会えた名演と、懐の深い書写山に抱かれ安らいだ至福の一時、一瞬であっても一生心に残る今回の演奏会は、将に盲亀の浮木の一時でした。この感動の一時に遭遇させて頂いた佛縁に心より感謝致します! 合掌      

2008.10/19

 

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