「どうなる?これからの日本仏教」

葬式佛教と言われて久しい今日、霊魂は極楽浄土でなく「天国」に行くと口にする昨今の遺族、日本仏教界の宗派に限らず佛教離れを痛感する。

 例えば日本佛教の母山である比叡山より世界宗教サミットを発信し、また、様々な取り組みに今日まで天台宗は率先してきたが、現状は、末寺檀信徒まで新しい流れを浸透させるにはまだまだ時間が必要のようである。

また、それら改革意識を踏まえて社会一般に布教すべき僧侶達に、崇高さを求められるが目先の現金収入に惑わされ見失っている。

 祖師から師僧に流れる普遍的伝統は守り、尊敬の念を持ち続けながら、多様化する現在社会に対応する新しい布教や研修方法を模索すべきが現在社会ではないだろうか? また、檀信徒は勿論、一般社会にも受け入れられ継続している、様々な寺院活動を寛容に宗派としても認め、支援する時期ではないか?

 それらが将来の檀信徒の根幹を形勢しているかもしれし、或いは逆に、佛教界全体で、檀信徒が減少し、やはり、葬儀や墓地以外で僧侶の活動が見られなくなるかもしれない。

 今、天台宗に復権して頂きたいのは、かつて唐より国際交流で持ち帰った最先端の佛教総合大学的な研鑽の場として、高度な学問から精神を伝授した学僧を日本全国に輩出した様に、高い教育理念と道徳心を養わせ、現在社会に通用する国際感覚豊かな学僧を育て、今日社会で仏道実践して頂く事ではないか?

 そう言った志を持つ為には、保守的な思考範囲から脱却し、また、社会に貢献できる人材を育成するには、明治以降世襲制となった寺院の意識改革も必要であろう。2世3世の若い住職には、起居する寺院に個人財産的な観念すら持つ者も少なくない。いっそ教会の神父や牧師の様に、転勤布教的な覚悟で地域社会に取り組み、日本のみならず、アジアや世界の中の佛教興隆に意識を持ち、先人達の佛教遺跡を守り、地球生命体共生を願いたい。

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