*プログラム・ノート*

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

(Ludwig van Beethoven)(1770年 - 1827年)弦楽三重奏曲 作品9−1ト長調 

この曲はベートーベン28才の若さにあふれた音楽です。あの天才モーツァルトがこの世を去った年(1791年)のわずか7年後です。この頃のベートーベンはウィーンのリヒノフスキー伯爵の主催する金曜コンサートに度々出演し、自作のピアノ曲の発表等を精力的に行っていた、と記されています。青年ベートーベンがウィーンでようやく活躍の場を得て、生き生きと自分の作品を生み出している・・そんな姿が目に浮かんでくるような作品です。いつの時代でも若者は夢多き生きものなのですね。この作品9には3曲ありますが、当時パトロンだったヨハン・ゲオルク・ブロウネ伯爵に献呈されています。第1楽章Adagio 〜 Allegro con brio 第2楽章Adagio ma non tanto e cantabile 第3楽章Scherzo ; Allegro 第4楽章presto

ヨハネス・ブラームス

(Johannes Brahms)(1833年 - 1897年)ピアノ四重奏曲 第1番作品25 ト短調

演奏時間はたっぷり40分ありますから長編小説を読む時の様にどっしりと構えてお聴き下さい。さて、わたしがこうした室内楽作品を演奏する時にいつも考える事があります。それは、この曲は作曲者自らが初演したのだろうか?・・いったいと?・・どこで?・・お客様の反応は?等などと余計な事を考えてしまいます。今回も調べてみたところ、初演者はどうやらブラームス本人ではなく、師と仰ぐロベルト・シューマン・・でもなく、その奥さんのクララ・シューマンだったようです。ブラームスはこの曲が完成する前にクララに楽譜を送り意見を求めていました。また、友人のヴァイオリニスト、ヨアヒムにも同様に意見を求めています。このように念入りに二人の忠告を受け入れた後の1861年、ハンブルクで初演されました。もうひとつご紹介したい話しがあります。それは、ブラームスがスイスのオーケストラ、トーンハレ管弦楽団の指揮をしていた(!)という事です。それは1895年、トーンハレ(響きのホールと訳されています)のホール完成落成記念演奏会でした。もうお分かりのように本日のヴァイオリニスト、古澤英子さんが昨年までコンミスとして在籍していたまさにそのオーケストラです。なんともうらやましい話しですね。こういう話題を聞くにつけ、クラシック音楽の本場であるヨーロッパの伝統を強く感じるところです。オーケストラにとって指揮者との出会いはまさに宝ものなのです。第1楽章Allegro 第2楽章Intermezzo 第3楽章Andante con moto 第4楽章Rondo alla Zingarese  (以上プログラムノート解説=井桁正樹)

フランツ・シューベルト

(Franz Schubert)ピアノ五重奏曲「鱒」イ長調  作品114、D667

この曲はシューベルトが1819年に22歳の希望溢れる青年期に作曲した。第4楽章が歌曲『鱒』の旋律による変奏曲 であるために「ます」(独 :Die Forelle)という副題が付いた。この歌曲の主題と変奏曲はそれぞれの楽器が主題を担当しバリエーションが広がる様は実に見事である。また、これを、通常のピアノ五重奏の編成(ピアノ1台と弦楽四重奏 )とは異なりピアノ、ヴァイオリン 、ヴィオラ、チェロおよびコントラバスという編成がとられている。作曲を依頼したのは裕福な鉱山技師で、木管楽器 とチェロの愛好家であったジルヴェルター・パウムガルトナーである。シューベルトが依頼を受けたのは1819年7月、29歳年上の友人ヨハン・ミハエル・フォーグル(1768年 - 1840年 )とともに北オーストリアのシュタイアー地方を旅行で訪れた際のことであった。フォーグルは、後に歌曲集『冬の旅 』を初演した名歌手として知られる。なお歌曲『鱒』の旋律に基づく変奏曲を加えることは、このパウムガルトナーからの依頼であったという。作品は、5つの楽章で構成され第1楽章Allegro Vivace 第2楽章Andante 第3楽章Scherzo Presto 第4楽章Andantino 第5楽章 Allegro giustoとなっている。いずれにしても、この「鱒」にコントラバスを編成に加えてくださったお陰で、オケでしか存在価値を見出せない我々バス弾きが、唯一、素晴らしい共演者と対等に室内楽の醍醐味を堪能させて頂けるのであるから、シューベルトにはどれだけ感謝しても足りない恩を感じて止まないのです。   (以上プログラムノート解説=長谷川悟)

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