誓水杯(工芸6番)

誓水とは金剛水のことで、別名浄香水とも呼ばれた。これは戒壇上で弟子に菩提心を誓約させる意味合いから誓水と呼ばれるのである。 この誓水杯は、チベットラマ教の什物器で、聖者の遺徳に預かろうと死後その聖者の頭蓋骨で作られた非常に珍しいものである。内側には銀貼りが施され、ラマ教の祭礼儀式の際に使用される重要な聖器と云われている。
(杯)頭蓋骨 銅板打出 杯高5.9 チベット18世紀


ルソン壷(工芸16番)

ルソン壷は、豊臣秀吉が大坂城に諸大名を集め、海外渡来のルソン(現在のフィリピン)の壷を、茶壷として競り落とさせたと云う故事に由来するものである。その当時の価格は金銀何千貫匁とも伝えられている。この壷はその中の一つであると云われているが真偽の程は定かでない。しかし古代ルソン壷の形式を有する壷であることは疑いようがない。
       陶製六耳壷(伝ルソン壷) 総高37.0


隠れキリシタン像(彫刻27番)

この像は一見すると普通の大日如来像であるが、仏像の盆窪にクギを打ち込れ法力を止められている。通常は厨子の中に安置され巧妙にカモフラージュされていたものと思われる。大日如来像は姿形がキリスト像とよく似ている為、法力を封じた上で、キリシタン自身が偶像(隠れキリシタン像)として礼拝していたと考えられている。本品は、天草の本渡市で発見されたもので、隠れキリシタン後期の作と推定されている。
木造大日如来像 一木造(桐材)彫眼 漆箔 総高16.8 像高9.6 江戸時代


釈迦三尊像(彫刻9.7.8番)

【瑞雲山本光寺の御本尊】
 本来は秘仏として長い間被覆であったが、重要文化財本調査を契機に写真公開された。現在本堂に安置されており、御簾越しに御覧頂くことが出来ます。

*彫刻9番(右)江戸時代
    木造騎象普賢像 一木造(檜材) 玉眼 総高89.4 像高25.1
*彫刻7番(中)室町時代中期
  【木造釈迦如来坐像】
  『衲衣を通肩とし、法界定印を結び左足を外にして結跏趺坐する姿である。
   両肩に刻む相対的な衣紋や腹から膝前に至るやや厚めの形式化した衣壁、
   更に正方形に近い躰躯の象形など、室町期彫刻の特色を良く表している。
   一般に陰鬱な表情の多い室町期の作例中で、眉をやや吊り上がり気味に
   造り、眼を見開き頬を引き締めた表情には若々しい活力が感じられる。』
    寄木造(檜材) 玉眼 黒漆塗り 載金文様 総高146.0  像高54.0
*彫刻8番(左)江戸時代
    木造騎獅文殊像 一木造(檜材) 玉眼 総高90.1 像高24.5


銅像阿弥陀如来坐像(彫刻53番)

螺髪を整然と刻み、肉髻珠・白毫を表し、衲衣を通肩に纏って法界定印を結び、結跏趺坐する姿である。白毫を嵌め込みとし、両手首を別々に作って鋳つぎとする他は完全な一鋳である。かすかに波打った髪際の形や端正な尊容、正面感の整った姿態等、小像ながら堂々たる風格と慈愛の仏心を示している。
一躯銅造 総高78.8 坐高39.6 江戸時代 (島原市指定有形文化財)


厨子入り子安地蔵菩薩立像(彫刻66番)

左手に摩尼宝珠を、右手に錫杖を持つ。岩座裏面等に墨書で『九州西肥大仏師八木作』の銘記がある。彩色に部分的な剥離欠損が見られるが、鮮やかな顔料に金泥で細密な紋様が描かれ華麗な雰囲気を持っている。
一躯檜材 寄木造 玉眼 彩色 総高57.7 厨子高84.2
(島原市指定有形文化財)


木造窟入り弁財天十五童子像(彫刻52番)

六臂の木造であるが、寺伝では空海作の弁財天とされている。
檜材をくり抜いた須弥山を型どった厨子に、像高8Bの十五童子木像と共に納められており、他に類例を見ない独特な世界を現出している。
檜材 寄木造 古色仕上げ 総高46.8 総幅43.4 奥行35.2
(島原市指定有形文化財)


松平家御廟所(一の御廟)

歴代藩主の墓は、すべて島原本光寺の末寺三河本光寺にあるが、この御廟所には初代藩主忠房公の生母福昌院殿をはじめとして、二代藩主忠雄公や十代藩主忠精公正室の墓など大小23基がある。
特に忠雄公の墓は高さ3.75Eに及ぶ壮大なものである。尚、土塀と石垣に囲まれた墓域は戦国期に築かれた丸尾城本丸跡である。
(島原市指定史跡)


十六羅漢像(羅漢13号像)

松平家墓所(一の御廟)の横の羅漢窟に安置されている。その昔、領地内の石工に一体ずつ作成させたと云われている。
 中央の達磨大師像を含め十七体。
一石造(安山岩系統の岩質) 彫眼 総高(73.3〜79.3)
達磨大師像のみ116.2


常盤御殿客間(天井絵)

通称「龍の間」。京都御所内の天皇御寝所と同じ構造を持つと云われている。天井の龍の絵は京都御所の修復を担当した松平家が帰参する時に持ち帰った物と伝えられており、雪舟の流れを組む雲谷派の画家が描いた可能性が高いと推測されている。龍の間のある「常盤御殿」は、島原城三の丸にあった御茶屋「常盤御殿」を明治維新以後移築したもので、近世島原城の数少ない遺構の一つである。
 尚、「常盤御殿」は真鏡院殿(忠精公の継室正子:伊豫宇和島藩主井伊宗紀の六女)の住居であった為、龍の絵の張られていた天井板は約五寸の厚みを持ち、その上に畳が敷かれていたと云う。【全体図:モノクロ】
板面紙貼 紙本墨画淡彩 江戸時代(初期から中期の作品)


島原領図屏風(領内図1番)

寛永年間から明暦年間にかけての約三十年間は、狩野山楽の松浦屏風に代表されるように全国各地で領国屏風絵が盛んに描かれていた。この屏風絵もほぼ同時期の作と考えられ、島原藩松倉時代に島原城(森岳城)の完成を祝して描かせたのではないかと推測されている。
 一説には、寛永十四年の島原の乱において、ただ一人生き残った南蛮絵師山田右衛門(旧有馬家家臣で当時松倉家の藩絵師)の作とする見方もあるが、定かでない。
極彩 俯瞰美図 162.0×248.0 四曲半双    【中央部の拡大図】


慶長五年伏見城攻図(絵図21番)

関ヶ原の合戦の前哨戦である伏見城攻防戦の様子を記録した戦闘絵図。克明な記述と詳細な描写が特筆される逸品であるとの評価が高い。戦いの様子を知る資料として貴重であると同時に、この戦いで炎上し幻の城となった伏見城の姿を知ることの出来る現存する唯一の絵図である。
この絵図には伏見城を包囲する豊臣方と守る徳川方の戦力配置が詳細に記述されており、攻める豊臣方には、石田三成・小西行長・島津義弘など将兵五万余人が、守る徳川方には、本丸に主将鳥居元忠・二の丸に内藤家長・三の丸に松平家忠(後に島原藩主となる松平忠房の祖父)など将兵二千余人が記載されている。
 松平家忠は、自著「家忠日記」に見られるように築城の名手として知られ、豊臣秀吉の命を受けて伏見城の築城に参加した後、自らの築城した城で家臣ともども壮烈な戦死を遂げたのである。 188.0×157.0   【拡大図:詳細図六編】


木造如意輪観音菩薩坐像(彫刻79番)

大野木家日記等による寺伝によれば、本像は、元亀二年(1571)の比叡山焼討ちの際、明智光秀配下の武将が火中より秘かに救出し丹波福知山に秘蔵していたものを、寛文九年(1669)松平忠房公の島原入封の際に動座したものと伝えられている。
肉身は粉溜彩とし、衣部には、漆を施し裳には蓮唐草を切金で置くなど技巧的な作風が伺われる。尊容は藤原仏を思わせる穏やかなもので、頬の膨らみも顎で美しく引き締められ、躰部の肉取りもか不足なく自然に纏められていて高い造像技術を示している。
一躯檜材 寄木造 玉眼 漆箔 像高60.9 厨子高128.2 伝鎌倉時代


本光寺山門

初代藩主忠房公は、生母福昌院殿と第三子国千代の菩提を弔う為元禄三年、本光寺第九世暉堂宋恵大和尚を御開山として現在地に本光寺の末寺浄林寺を建立した。この山門は、明治二年に廃された浄林寺の創建当時を伝える唯一の遺構である。切妻流屋根の四脚門で建築史上貴重な形式と云われている。
 尚、この地は、元々、丸山と呼ばれ、天正十二年、佐賀の龍造寺隆信の島原半島侵攻に際し、龍造寺方の鍋島直茂と敵対する有馬方の猿亘信光(薩摩からの援軍)とが激戦を交えた丸尾城跡(古戦場跡)である。(島原市指定有形文化財)


(その他の展示資料目録)

  1. 御倫旨        天皇から発せられた伊勢神宮遷宮のための勅命書状
  2. 花見道具       元禄期の雅びにして繊細な御道具類
  3. ドイツ製西洋式金庫  甲第もしくは数寄屋銀行の備品と考えられる
  4. 日本大絵図      国会図書館蔵「慶長日本総図」と並び日本最古の地図
  5. 深溝松平家軍陣図   危急時に備えた深溝松平家の実戦用戦闘配備図
  6. 雲仙普賢岳崩落の図  世に云う「島原大変」時に幕府へ提出した報告用絵図
  7. 御内書        初 代:徳川家康(一通)
  8. 御内書        二 代:徳川秀忠(八十二通の内、一通)
  9. 御内書        三 代:徳川家光(二十一通の内、一通)
  10. 御内書        四 代:徳川家綱(五通の内、一通)
  11. 御内書        五 代:徳川綱吉(五通の内、一通)
  12. 御内書        六 代:徳川家宣(五通の内、一通)
  13. 御内書        七 代:徳川家継(五通の内、一通)
  14. 御内書        八 代:徳川吉宗(五通の内、一通)
  15. 御内書        九 代:徳川家重(二通の内、一通)
  16. 御内書        十 代:徳川家治(五通の内、一通)
  17. 御内書        十一代:徳川家斉(五通の内、一通)
  18. 御内書        十二代:徳川家慶(五通の内、一通)
  19. 御内書        十三代:徳川家定(四通の内、一通)
  20. 御内書        十四代:徳川家茂(五通の内、一通)
  21. 天目茶碗       湯滴天目茶碗
  22. インカ時代の花瓶   土製 偏壷型
  23. 磁製十六羅漢壷    磁製 轆轤挽き 色絵仕上 底部銘文「乾隆/年製」
  24. 日本名城戦闘絵図   戦いの舞台となった城郭や古戦場21カ所を紹介
  25. 異国船旗之図     日本人の目から見た船舶用識別旗等の忘備録
  26. 戦国武将の書状    織田信長
  27. 戦国武将の書状    佐久間信盛(信長家臣)
  28. 戦国武将の書状    上杉謙信 (輝虎時代)
  29. 戦国武将の書状    河田長親 (上杉家臣)
  30. 戦国武将の書状    石田三成
  31. 戦国武将の書状    武田信君
  32. 戦国武将の書状    木曾義昌
  33. 戦国武将の書状    北条氏規・氏政
  34. 戦国武将の書状    その他
  35. 富士・松鶴図     狩野探幽作 絹本著色 縦96.8 横63.6
  36. 源氏物語屏風     岩佐勝以作 紙本著色 金箔貼付 六曲一隻
  37. 農耕図        楊 章良作 紙本淡彩 十二幀
  38. 城郭図        島原城・宇都宮城・宮津城・亀山城など


このページは、文化庁補助事業・平成六年度重要文化財調査報告書
(島原市本光寺所蔵古文書調査報告書)に基づいて作成しました。

公式ページ
の目次へ