2002年1月
2002年1月1日(火)
あけましておめでとうございます。大晦日からNHK教育で『ムトゥ・踊るマハラジャ』をやっていたので、頭がくらくら。ただのおっさんやん、と思っていたムトゥに映画が終わるころにはウットリ・・・。それにしてもすごい、この映画。映画と物語のありとあらゆる手法を駆使してエンターテイメントに徹している。正月からこれだもんな・・・(笑)。
2002年1月4日(金)
どうしてもラーメンが食いたくなって西口に行った。今年の初ラーメン。ほんとうは吉村家にしようと思っていたのだけれど、さすがに閉まっていた。結局、熊本ラーメン『桂花』でターロー麺を食った。あーん、なんか中途半端なところで手を打ってしまったなぁ。いや、『桂花』は美味いけど・・・うまあああああいというほどではない。これだったら、激マズのラーメンのほうがよかった・・・絶対に忘れないからね。昔、「桂花のターロー麺は完全食だよね」と言った人がいたけど・・・へ〜ん、ラーメンに完全食を求めるなんて、さっ。ラーメンは一芸に長けていればいいのだ。一芸必殺のラーメンを求めてひらげは今年もさまよう・・・。
2002年1月6日(日)
チキリカ練習の後にちょっと話題になったんだけど・・・「犬の肉を食うなんて野蛮だ」とFIFAが韓国を非難したとかいう話。まったく、ヨーロッパ人の心の狭さには恐れ入るぜ。ソウル・オリンピックの時にも同じことがあって、そのときは韓国は犬肉屋を一掃したけど、今回は抵抗しているらしい。ぐぅわんばれ!韓国!。日本は同じアジアの国として、またワールドカップ共催国として韓国に対する連帯を表明すべきである。犬肉を食おう!。ヨーロッパ人がなんと言おうと、滋養に満ちた犬肉料理を食おう!。もしくは牛や豚をペットにしよう!。私のブーちゃんを食べないで〜っ、いや〜っ、野蛮よっ!。
韓国料理の『ふる里』という店で、犬肉料理が食せるらしい。ひらげの部屋、次回のオフ会は犬肉で決まり!。
・・・ひさびさにFranz CasseusのCDを聞いている。ハイチのクラッシック・ギターリスト/作曲家。ハイチの民謡やヴゥードゥーを取り入れた曲で知られる隠れた天才だ。ぼくがこの人のことを知ったのは、マーク・リボーがこの人の曲を集めたアルバムを聴いてのこと。マーク・リボーはこの人のお弟子さんだったらしい。ぼくはこの人の曲を聞くと限りなく切なくなってしまう。切なさが切なさを呼んで切なさの無限回路に入ってしまうのだ。で、夜更かしをしている。ぼくのなかではこの人のメロディーは物心ついて最初の思い出に結びついていく・・・京急線の野比という駅(いまは『YRK野比』という無粋な名前になってしまった)のそばにあった小さな長屋風のアパート・・・そこから幼いぼくは両親と夕陽を眺めていた・・・そして、切なさの連鎖がとまらなくなる・・・目黒にあった都立大の部室に吹き込んできたハンドボール場の赤い砂・・・帷子小学校の木造校舎の一室に無造作に並べられていた足踏みミシン・・・市沢幼稚園の跡地で見つけたぼくの名前の書かれた出席簿・・・あの娘とキスした電信柱・・・ジーン・トゥーマーの『砂糖きび』・・・「彼女の肌は 東の地平線の 黄昏のよう/太陽が沈んでいくときの」・・・
2002年1月8日(火)
非常勤の授業。こいつらと会うのもあと二回だけか・・・休みに入る前の答案用紙に「お酒の飲みすぎには注意して、良いお年を!」なんて書いている奴もいて、けっこう情がわいてきてるんだけどなぁ。
仕事のあと、渋谷の『El Sur Record』に行ってナイジェリアもののレコードを買い込む。特にびっくりしたのは、アインラ・オモウラの弟ダウダが兄の死後バンドを受けついで出したレコード(Nigeria Koni Baje)があったこと。「アルハジ・アインラ・オモウラ・メモリアル・バンド」名義で、ジャケットには$マークのちりばめられた民族衣装を着たアインラ本人の姿も見える。あと、シキル・アインデ・バリスターも一枚手に入った(Ise Logun Ise)。シキルのレコードは若い頃のもののほうが好きなんだけど、今回買ったのがまさにそう。リズムが変化に富んでいてわくわくする。さらにさらに、ダブの感覚を取り入れて作ったと思われるデレ・アビオドゥンのCorruption。何かJagataraみたいだ。他にもセグン・アデワレやサラワ・アベニなんかを買った。ナイジェリアもののレコードってときどきとんでもないはずれもあるんだけど、今回は全部当たり!。
今日のラーメンは渋谷駅ガード下の『麺KAWAKEI』。いわいる立ち食いそば屋で、メインは日本そばやうどん。全然期待してなかったのだけれど、なんのなんの、この手の店にしてはしっかりした味だと思う。値段も安いし、渋谷はけっこうお気に入りの店の少ないところなので、ときどき寄ってもいいかな〜。
2002年1月10日(木)
近所に『ラーメン
&喫茶 ふじ』というユニークな店があるのを見つけて行ってみた。入るとおばちゃんばかり3・4人、わいわい話しに花を咲かせている。そのうちのひとりが「いらっしゃい」と水を持ってきたので、ラーメンを注文・・・出てきたラーメンをすすっている間にもおばちゃんたちはテレビの話題に忙しい。「何で離婚しちゃったのかしらねぇ〜」「ほんと、いいカップルだったじゃない〜神田さん、いい男だし」「ガハハハハハハ」・・・どうも神田正輝のお母さんのお葬式のことを言ってるらしい。で、話題は娘SAYAKAのことに・・・。「うわぁ、お父さんそっくりねぇ。目のあたりなんか・・・」「ほんと、この子はお父さん似よ!」 おいおい、親戚の子じゃないっつーの(笑)。で、肝心のラーメンは・・・かなりしょっぱかったけど,昔ながらの中華そば風でおいしかった。渕野辺の屋台(ぼくが勝手に「コズミック・ラーメン」と名づけている)を思い出した。何が入ってんだかわかったもんじゃないって感じもするけど・・・美味きゃいいんだ、美味きゃ!。
2002年1月11日(金)
卒論の提出日だったので、卒論を提出し終わった学部生、遠藤・末廣両先生と飲みに行く。徹夜でカラオケ。最近のカラオケはすごい。はちみつぱい「塀の上で」があったのはもちろん、何とSMAP「弱いぼくだから」がある!。この曲はRCサクセションの未発表曲にして、「きみが僕を知っている」と並ぶ名曲!(のちにキヨシロー自身のバージョンも発売される)。ぼくはソウル・ブラザーの吉浦さん(というより、その奥さん)にもらったRCの屋根裏ライブ海賊盤テープではじめて聞いたのだ。キムタクずるいよな〜、いくらいい男だからってこの曲を持ってってしまうナンテ!。もちろん、ぼくはキムタクではなく(←なれないし・・・って、余計なお世話じゃ!)、屋根裏時代のキヨシローになりきって歌う。♪弱いぼくだから〜きみが大切なのさ〜ひとりじゃだめなのさ〜きみがいなければ〜ガッタガッタ
2002年1月13日(日)
チキリカ横浜ライブ!。来てくれた皆さん、どうもありがとう。楽しかったっす〜。自分的にはどんどんライブが楽しくなっていきます。練習では悩んだり、行き詰ったり、いろいろあるんだけど、ライブとなるともう楽しくて楽しくてしょうがない。見てくれたみなさんはどうでした〜?。もっともっとお客さんに楽しんでもらえるステージを目指して、ひらげはジャンプし続けます。ぴょ〜ん!。
あ、あ、あ、次回は2月11日(祝)吉祥寺Silver Elephantです。詳しくはチキリカ・ホームページをご覧ください。
2002年1月14日(月)
NHK『ETV2001』で、建築家・東孝光の自宅「塔の家」のことを紹介していた。渋谷区神宮前=都会のど真ん中、わずか6坪の土地に建てられた地上5階地下1階の細長い建物・・・こんなに狭いのにまるで窮屈な感じがしない。とてもプライベートな匂いのする空間なのに、開かれている。内側を向いているのに、思わぬところであらゆる場所とつながっているような・・・不思議だし、素敵だ。やっぱり、シュバルの「理想の宮殿」のことを思い出してしまった。東氏と奥さんの節子さん、娘の利恵さんが書いた『「塔の家」白書: 6坪に住んだ二十年』という本も出ているらしい。
2002年1月15日(火)
朝の満員列車。ポッケに手を入れたまま乗ってしまったら、鼻の頭が痒くなってきた・・・か、掻きたい。掻きたい掻きたい掻きたい・・・掻きたいのに、手が上がらない。思わず前に立っている人のコートに顔をスリスリしたい衝動に襲われる。うむむむむむむ・・・・うがほがほげげ(←鼻をむずむず動かしてみる)。そのとき・・・列車が少し揺れた。今だっ!。手を・・・手を・・・いや・・や‥待てよ。ここで手をあげると横に立っている女の人に触れて痴漢と間違われるかもしれない・・・あ、あ、違う、違う、違うんです。ただ鼻が掻きたかっただけです・・・触ろうなんてそんな・・・確かにコートに顔をスリスリしたいとは思いましたが・・・あ、いえ、スリスリ・マニアの変態とかではありません・・・ちちち違います、違いますって!あ、あ、おまわりさん、いや、ちょっとした誤解なんですよ、ははは、署までってそんな、あの、ぼく、仕事が・・・ああ・・・三十三年間かけて築きあげてきたもの(←ないない)が音を立てて・・・
・・・バカな妄想は続く。
今日は吉野町に『ぺーぱん』の旭川ラーメンを食いに行った。うまい、うまい、うまい。大久保の『竈』とか、相模原の『キリン食堂』なんかとも共通する、酸っぱさと苦味とうまみの波状攻撃。ぼくのなかでは最近、こういう味がブームなんだよな〜。おばちゃんの威勢のよさ、気取らなさ、これだけうまい店なのにお高くとまらず、近所の人たちの会話が聞こえてくるところも素晴らしい。今日は近所の子供がズンドウのなかに入って遊んでいた。そんなおこちゃまを優しく見守るおばちゃん・・・いいなぁ。
2002年1月17日(木)
連続テロ事件のことをアメリカの最下層の人々はどう見ているんだろう。ひと昔前だったらヒップホップ系の人たちやなんかの声がもっと聞こえてきただろうに・・・やっぱりジュリアーニ市長の「ニューヨーク浄化作戦」にやられちまったかな・・・と思っていたら、今日の朝日新聞朝刊に面白い記事が載っていた。ホームレスから作家になったリー・ストリンガー氏のインタビュー。アメリカの社会は最初ホームレスに対して哀れみ深かったのに、ジュリアーニの「きれいなニューヨークのため、ホームレスを排除せよ」という掛け声のもと、少しずつ敵視するようになっていったと言う。ストリンガー氏はそれを9月11日の事件になぞらえて「みんな優しく見知らぬ人のために泣いたのに、政治家が星条旗を掲げよと言ったとたんに戦争と復讐のことしか考えなくなったようなもんだ」と言う。「アメリカは偉大だが、それがすさまじく多くの人々の犠牲のうえに成り立っていることを知らなきゃ。高級車を買ってテロリストに負けてないと見せつけてやれなんて言ってるが、その代償に窓から自由を放り投げようとしている。高級車なんていらない。自由が大切だ」・・・どうしてこうした意見を持つようになったかと聞かれて彼は最後にこう答えている。「黒人だからじゃないか。金持ちの白人地区に『いるべきじゃない』貧乏な黒人だったから」・・・ストリンガー氏の著書『グランドセントラル駅・冬』は日本語訳も出ている(中川五郎・訳、文藝春秋)・・・読んでみよう。
2002年1月18日(金)
今日は午後から仕事・・・のはずだった。ところが、行ってみると事務室にいるはずの松山(同僚)がいない。あれぇ〜?・・・あっ、今日はセンター試験の準備日で休みなんだっけ?・・・どうだったかな・・・帰っていいものかどうか・・・ん?卓上カレンダーの日付が・・・月曜だ・・・帰ろっと(トホホ・・・)。
口惜しいやら、情けないやらで、町田でラーメンを食っていくことにする。『薩摩黒豚拉麺からいもん』。去年の11月に一度行ったんだけど、けっこう美味かったのでもう一度行ってみた。この間醤油を食ったので、今日は塩ラーメン。お腹がすいていたので角煮入り。でも、これは失敗だった。角煮の味が染み出してしまうので、せっかくスープを堪能できるはずの塩ラーメンが甘くなってしまって・・・それでも充分美味しかったけど。塩のほうが『支那そばや』直伝の丸鶏スープと言う感じが強い(醤油とはだしが違う?)。丸鶏のスープはくどくてあまり好きじゃないんだけど、そこはさすが。さっぱりとした後味になっていて、大満足。麺も噛めば噛むほど味が出る感じ。角煮をいれずにもう一度食ってみよう。
部屋を整理していたら、メモ用紙に変な落書きを見つけた。酔っ払ったときにいい気持ちになって描いたものと思われる。どこか禅の真髄に通じるところがあるような気もするので(←嘘)、皆さんにもお見せしようと思う。「これは何?」とか聞かないでください。今となってはぼくにも何だかわかりません。いったい何を考えていたんだろう・・・
ムーンライダースの新作『Dire Morons TRIBUTE』、すごくいい。「イエローサブマリンがやってくる ヤァ! ヤァ! ヤァ!」って、あんた・・・少年っぽいような、じじむさいような・・・はまるな〜。
2002年1月19日(土)
ルーファス・トーマスが死んでしまいました(昨年12月15日。享年84歳)。またもやほんとうに好きなミュージシャンがひとり、天に召されてしまいました。でも、これで「世界最年長のティーンネイジャー」の座は俺のものだっ(笑)。ご冥福をお祈りいたします。
2002年1月22日(火)
資料をコピーしに東京大学に行ってきた。これが天下の東大か・・・(実は入るのはじめて)・・・菊川怜が学生時代を過ごしたという・・・(←そういう見かたかい!)。重厚長大で、威圧的な建物・・・いかにも東大って感じだなぁ。でも、図書館の司書さんは感じのいい人だった。下調べが不十分で、探してた資料はなかったんだけど・・・。
そのあと新宿に出て『若月』で手打ちのおいしいラーメンを食って、ディスク・ユニオンでレコードを買う。その足で國學院(たまプラーザ)に忘れ物を取りに行く。ついでだから、夕飯は『くじら軒』。なんか去年の復習のような一日だなぁ(笑)。
2002年1月24日(木)
青山学院大学に資料をコピーしに行った帰り、「塔の家」(1月14日の日記参照)を見てきた。ぼく以外にも外国人の女の人がビデオを回していた。彼女はぼくと目が会うと共犯者のような顔をして「ニッ」と笑った。しばらく写真を撮っていると、彼女が目をキラキラさせながら英語で話しかけてきた。「これがここに書いてあるタワー・ハウスかしら?(←彼女のガイドブックにはしっかりと"Tower House"と書かれていた)」「ソウ。ソウ思ウ」とつたない英語でひらげ。「でも、大きさが聞いていたのと違うような気がするんだけど・・・」「ワタシコノ建物てれびデ見タ。ダカラアレ、トウノイエ」「そうなの。わたしもこの建物のことを聞いて、とっても興味深いと思って来てみたの。それにしてもあのヴァン邪魔ねぇ」(気持ちはわかるけど・・・笑)・・・外から見た「塔の家」はコンクリのカタマリみたいで意外とショボイ感じがする。ぱっと見、五階建てには見えない。でも、このカタマリのなかに、あの開放的な空間が広がっているのかと思うとますますドキドキする。
2002年1月25日(金)
リー・ストリンガー『グランドセントラル駅・冬』(1月17日の日記参照)、読み終わった。ホームレスの体験記のようなものを予想していると軽く裏切られる・・・もちろん、いい意味で。ハードな路上生活の話も出てくるのだけれど、著者の視点はあくまでも冷静で客観的だ。「書く」ことの持つパワーを改めて認識させられた。書くことによって自分と向きあう、そのことの持つ意味は大きい。ホームレス(である自分)に同情する人びとに対する複雑な思い、犯罪に手を染めそうになる自分との葛藤(ヤク中のホームレスだからといって道徳観念がなくなってしまったわけではないこと)、問題は政策ではなくそれを実行する人びとの意識であること・・・自分自身と自分を取りまく状況に対する鋭い視点は、書くことによってはじめて得られたものだろうと思う。ギミックに走りがちな文章はいかにもアメリカ的でそんなに好きじゃないけど、思わずうーんとうなってしまった。アメリカはアメリカの夢でもなく、テロリストの恐怖でもなく、アメリカそのものについてもっと「書く」べきなのだ。
最近、橋本の駅ビルMeWeのなかにあるタイ料理屋『チョーク・ディー』によく行く。店長らしきあんちゃんがちょっと行かないと、「ひさしぶりじないか。今年に入ってはじめて?なんだ、ふざけんな!」とうるさいので・・・いやいや、料理が美味いのです(笑)。たぶん、ぼくがいままで日本で食ったタイ料理のなかでも最高。そのうえ今日は店員の女の人(レックさん=タイ人)に、「わたしたち友だちみたいなものネ」と、マブダチ予備軍宣言されてしまったので・・・店長のあんちゃんは東南アジアの料理にやたら詳しい(当たり前か)。今日もタイにはナンプラー(魚醤)以外にもいろいろな醤油があることや、タイではパクチーが香の基本なのに対して、ベトナムではミントであることなんかを教えてもらった。あちこちでエスニック料理を企画してきた人らしい。もうすぐこの店もやめて、相模原に新しくできる店に取りかかるんだとか(「もうこれで立ち上げ屋は終わりにしたいね」とか言ってたけど、ホントにダイジョウビ?)。行く行く。これは・・・オフ会かっ!?。
2002年1月26日(土)
チキリハ(チキリカ・リハーサル)に行くときにのった列車が、全車両二階建てだった。ワーイ\(゜▽゜=))/…\((=゜▽゜)/ワーイ。二階建て列車、サイコー!。せっかくの二階建てなのに入り口近くの一階建てのとこにすわっちゃうやつの気が知れないね〜。二階席の優越感もいいけど、一階席の(というより半地下一階席の)穴倉感もたまらない。ホームにいる人と目線が合わないんで、のぞき見しているようなあやし〜い気分になる。オレって暗い?(笑)。
2002年1月27日(日)
行ってきた。経堂『はるばるてい』。おいしいラーメンを食べさせる居酒屋風の佇まい・・・八つしか席がないのに、お酒を飲ませるので回転が悪い。長居をする「居酒屋」というコンセプトと建物が合致していないのか・・・いやいや、そうではない。本来常連の集まる小さな居酒屋のはずなのに、ラーメンが美味すぎるのだ。店内に漂うお魚のかほり・・・そして予想を裏切らない五臓六腑(って実はどこにあるんだかよくわかんないが)にしみわたるようなスープ、するりするりと小麦の味を流し込む麺、流行りのとろとろではないニクニクしいチャーシュー・・・至福・・・ああ・・・そして店長がまたなんとも味のある人で・・・何ていうか、使い込んだ皮ジャン(茶色)のような・・・となりの常連客にメニューにはないどぶろくをすすめている・・・(ソトニハ待ち客ガ恨メシソウ二並ンデイルノニ)・・・「この酒飲むとだしの味がますますよくわかるねー」「そうだろう、和風だからね、鰹節、昆布、椎茸・・・中華だとやっぱり紹興酒とかのほうがあうけどね」・・・アア〜ハヤク常連二ナリタ−イ。
↑ジョニーとティッシュ
夜中にテレビで永ちゃん(矢沢永吉)のライブをやっていた。かっちょい〜(「チャイナ・タウン」の弾き語り、しびれた〜)。永チャンて昔はマッチョなイメージがあって、そんなに好きじゃなかった(ラーメンにはマッチョなものを求めているくせに、音楽は断然ナヨナヨ派なもんで・・・)。でも、いまは大好き。永ちゃんは実はマッチョじゃない。すんごく優しいんだ。それはキャロルの頃からわかっていたはず・・・唯一永ちゃん作詞の曲が「ズッコケ娘」って言うんだもん。いいなー。同じ元キャロルのメンバーでもジョニー大倉はマッチョで行きたいらしいけど・・・近所の薬屋に張ってある精力剤のポスターには、裸に皮ジャンを羽織ったジョニーの姿が・・・ある意味凄いものがある。もうジョニーって言うと、この姿しか思い浮かばない・・・。
*訂正:永ちゃんが作詞した曲は他にも「涙のテディ・ボーイ」「夏の終わり」などがあります。
2002年1月29日(火)
大橋巨泉が議員を辞めてしまった。辞めたい気持ちはすごくわかるよ。特に小泉の「おんなの最大の武器は涙だから」みたいな無責任な発言、国のやり方が気に食わないNGOはサヨナラみたいな時代遅れ封建外務省、口では非難しながら小泉にすり寄るふがいない民主党・・・あんななかにいたら絶望的な気持ちにもなるだろう。無所属になるとか、最近連携を強めていた社民党に入るとかいう選択肢もあったはずだけど、仮にも比例区で当選したのだから民主党に我慢がならないのならツルネン・マルテイに議席を譲るべきだと考えたのかもしれない。だけど・・・残念だ。国会でほんとうにするどい質問をする数少ない議員のひとりだったのだ。街頭インタビューで「もとから向いてないと思った」とか「何してるかよくわからないでしょう」とか言ってるアホタレ諸君、そんなことだから小泉なんかに騙されるんだよ。ちゃんと国会中継見てるのか。見てないだろう。見てる時間がないのも無理はないとしても、それなら「何をしてるかわからないでしょう」なんて、知ったかぶりすんな!。今後もぼくは巨泉のおっさんに注目していこうと思う。多分、テレビで国会の裏話を暴露しまくってくれるだろう。誰も見ていない国会中継(その上テロ対策法案に反対したことで民主党からは完全にほされている)なんかよりもそのほうが宣伝効果大と考えたのかもしれない。こんどは無所属で立候補しろー。今後の出かたによっては、投票するぜ。
で、さらに大きなニュースが・・・田中外務大臣と野上事務次官が二人とも更迭?。なんで?。どうゆーこと?。世間では「どっちが嘘つきかというような低レベルな議論」ということななりつつあるけど、そんなことない。外務省の運営に大臣でもない政治家が大きな力を持っていたのかどうかと言うことは大変な問題だよ。「国会の混乱の責任をとる」って形で喧嘩両成敗なんて、疑惑を闇から闇へ葬り去ることでしかない。問題は「国会の混乱」ではない。混乱を招いた疑惑なのだ。不景気対策、構造改革を急ぐために国会審議を再開しなければならないと言うなら、疑惑を解明すべきだろう。そんな疑惑なんかより、不景気を何とかしてほしいってのが多くの人の声なのかもしれないけど、そんなことしてるとあとで大変なことになるよ、マジで。
話かわって・・・今、テレビでT・レックスをやっている。確かこれは大学生のときにいっしょにバンドをやっていたスエヒロくん(通称「なげやり」、現・桔梗)に見せてもらったおぼえがある。あれは明大前のあいつの部屋だったろうか・・・いや、あいつの部屋にビデオなんかあったかな・・・その時見たのは海賊盤で画質も悪かったんだけど、ライブ映像の間にリンゴ・スターとふざけるシーンが挟みこまれるのが印象的だった(T・レックスの有名な『スライダー』のジャケット写真=シルクハットのマーク・ボランを撮影したのもリンゴ)。マーク・ボラン、サイコー。T・レックスの音楽はもちろんブギーなのだけれど、マーク・ボランが弾き語りで歌うとなぜか中世の吟遊詩人のようになる。この吟遊詩人はアジア、アラブ、アフリカを旅して、星の明かりを頼りにイングランドに帰ってきた。それからジュラ紀の地層から竜の骨を掘りだして、最新型のマシンに仕立て上げたのだ。ボランのボランによるボランのためのメッセージを伝えるために・・・人々ハカツテ美シク髪ノナカニ空ヲ持ッテイタ。今デハ眉二星ヲツケルコトデ満足シテイル・・・ゲティトォン!
・・・で、いま気づいた。録画しそこねた(涙)。
2001年1月30日(水)
足です。何の意味もありません。ときどきわけのわからないことをやりたくなるだけです。それにしても汚い足だなぁ。ライダーキック!。
アフガニスタンを描いたドキュメンタリー映画『カンダハール』をつくったイランの映画監督モフセン・マフマルバフの本『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』が届いた。見捨てられた国アフガニスタン。仏像はタリバンに破壊されたのではない。人々を救えないことを恥じてみずから崩れたのだ・・・タリバンが仏像を爆破したのは、国際社会の注目をアフガニスタンに集めるためであったと言う人もいる。だけど、みんな仏像のことはトヤカク言ったけど、アフガニスタンの人々のことは考えなかった・・・(もちろん、ぼくも含めて)。文化財のある京都には空襲が行われなかったという話とよく似ている。アメリカの学者が政府にそう進言したとき、そいつの頭のなかには空襲で焼け死んでいく人間の姿はなかったに違いない。そいつがそんなにも愛す文化財も同じ人間によって建てられたのだ言うことも・・・「大阪城を建てたのはだ〜れだ」「豊臣秀吉!」「違うワイ、大工さんじゃい!」・・・
まだ読んでないうちからぐだぐだ書くべきでないのはわかってるんだけど・・・こんなふうにいろいろと書きたくなってしまうぐらいこのタイトルは強烈だ。内容の感想はまた読み終わったときに・・・映画『カンダハール』も見にいこうと思う。
2002年2月
2002年2月2日(土)
キネカ大森にだいとうくんおすすめの映画『オー・ブラザー!』を見にいった。実は同じ劇場で午前中にずっと見たいと思っていた『千と千尋』をやるというウソのような話もあったんだけど、連続して見ると脱走囚のなかにカオナシが混じっていたり、刑務所をぬけだしたとたんに豚に変えられてしまったりしそうなのでやめておいた。
で、『オー・ブラザー!』・・・三人の脱走囚の逃走劇。よくある話だし、展開も「うそ〜、そーうまくいくかー」って感じで正直ご都合主義的・・・でも、テンポがいいせいかゲラゲラ笑いながら「ああ、そんなこともあるかもね〜」(と言うより「こんなことあったらいいな〜」)って見せられてしまう。尊敬する井筒監督はゲラゲラ笑いながらも、感情の機微みたいなものがあまり描かれていないことに不満をもらしていた。それはそのとおりなんだけど、この映画にそうしたものを求めるべきではないと思う。これは、サイコーに楽しいミュージカル・コメディー・・・そう、ブルーグラス版『ブルース・ブラザーズ』なのだ(実際、「あれ〜、これ『ブルース・ブラザーズ』で見たことある」って言うようなシーンがいくつも出てきた)。それから、だいとうくんの言うとおりトミーはろばじょん(ロバート・ジョンソン)だな(トミー・ジョンソンっていうブルースマンもいるんだけど)。エピソードもそうだけど、よくみると右目が少し腫れている。ろばじょんは右目に「底翳(そこひ)」を持っていたといわれ、有名な二枚の写真でも右目が少し腫れているように見える。トミーが三人に聞かせる鬱々としたブルースはぼくが最も好きなブルースマンのひとり、スキップ・ジェイムスの「ハード・タイム・キリング・フロアー・ブルース」。ろばじょんはスキップ・ジェイムスの影響も受けていたらしいから(ろばじょんの「ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル」はスキップ・ジェイムスのスタイルを踏襲している)、これは矛盾しない。ちなみに、トミー役のクリス・トーマス・キングは自身もミュージシャン。この映画にあわせて発表したと思われるアルバム(The Legend of Tommy Johnson, Act 1: Genesis 1900's)も出していて、そのなかではトミー・ジョンソン(実在したほうの)の名曲「キャンド・ヒート・ブルース」(「缶詰入りの熱」とはずばり、お酒のこと)を取り上げている。結局、映画のなかのトミーは「とみじょん」や「ろばじょん」をはじめとする何人ものブルースマンのイメージからつくりだされたものと考えるのが正しいんでしょう。
実在した強盗ベイビーフェイス・ネルソンやKKKの集会なんかも出てきて、30年代のアメリカ南部を知るという意味でも面白い。それにしても改革派の政治家が実は・・・という展開は今の日本を見ているようで・・・ねぇ。あと、ピートは二丁拳銃の小堀に似てる。
2002年2月3日(日)
チキリハ(チキリカ・リハーサル)のあと、大久保にポシンタン(補身湯)を食いに行った。ポシンタンとは韓国の犬肉鍋のこと。国際サッカー連盟だかなんかの偉い人が犬肉を食うような野蛮なところにワールドカップはやらせられないと言ったとか。そんなエスノ・セントリズムに対する抗議をこめて・・・いやいや本当のところを言えば好奇心と食欲に満ちた胃袋の意思に従っただけなのですが・・・。
韓国料理の店『昔のふる里』。職安通りから横道に入って、住宅街のなかを少し歩いたところ。『王様のブランチ』やココリコの番組なんかでも紹介されたらしいから、知っている人もけっこういるかもしれないけど、ふつうに行ったら絶対に気がつかない。お店は小さいけれど清潔感にあふれてる。お店の人たちが気さくで人当たりがよいこともあってとても好印象。そして、でて来る料理がどれも抜群にうまい!。特にキムチとユッケは今までに食ったことのない味!。どれもゴマの風味が利いていて、深いんだけど優しい味・・・で、ついに登場、ポシンタン!。真っ赤なスープのなかでニラと犬肉がぐつぐつと煮えている。犬肉はさすがにくせがある。ぼくはくせがあるものがけっこう好きなので大丈夫だったけど、食えないって言う人がいるのもわかる。実際、マスターの話では韓国でも好きな人と受けつけない人、まっぷたつに分かれると言う。でも、ポシンタンの真髄はこの後だ。残った辛いスープにご飯を入れて、スープがなくなるまで煮込む。ポシンタン・ビビンバの出来上がりだ。「スープにこそ、栄養がつまってるんだから」とお店のお姉さん。で、これがうまい!!!。お姉さんは「うちより美味いところはないよ」ってすごい自信だったけど、それも納得。ちなみにポシンタンは韓国ではおっさんがスタミナをつけるために食う、日本でいえば「すっぽん鍋」のような料理で、若い女性が食べるにはちょいと勇気がいるとのこと。でも、日本では出稼ぎの韓国人女性が連れだってやって来る。「風邪なんかすぐ治るヨ」とお店のお姉さん。慣れない異国の地で元気に働きつづけるエネルギーを得るには絶好の食べ物である、ということらしい。実際、うちに帰ってしばらくしたら身体が熱くなってきた・・・ああ、ほんとだ・・・実はちょっと風邪気味だったんだけど、ホントに吹っ飛んだ。
駐車場に向かうまでの間に韓国音楽専門のCD屋を見つける。ひらげの弟にしてチキリカのパーカッショニストであるたわんだは韓国のロック・バンド、サヌリムが大好きだ。サヌリムはギター/ヴォーカルのチャンワンを長兄とするキム三兄弟によるスリー・ユニット。韓国でまだロックが一般的でなかったころから活動している、韓国ロックの祖とも言うべき存在だ。その醒めた世界は学生運動に燃える当時の韓国にあって特異な存在であったに違いない、と思わせる・・・と、そのサヌリムのCDがどっさり・・・うれしい悲鳴をあげるたわんだ・・・結局8枚も買っていた。みんなに「おまえの野望はほんとうに果てしないな・・・」と言われながら・・・(笑)。サヌリムについて詳しいことはたわんだがそのうち開設するであろう『サヌリム・ホームページ』を待たれい!。
いやー、今日はいろんなことがあったね・・・などと話しながら京浜東北線で横浜へ・・・しかし、これで終わりではなかったのだ・・・帰りの電車のなかで偶然、モリタ(通称・クスリヤ)に会うし(クスリヤが立ちあがって「ひ、ひらおさん!」などと叫ぶもんだから犬肉が飛び出すかと思っちゃった)・・・そして、横浜から乗ったタクシーのドライバーはなぜか大滝詠一のラジオ番組を聞いている。デイブ・クラーク・ファイブ特集だ・・・ダカダカダカダカダカ・・・なにもんじゃ?このおっちゃん?・・・家に帰ってからも、ポシンタンで火照る身体をもてあましてなかなか眠れなかった・・・。
2002年2月4日(月)
たわんだに借りてサヌリムのCDを順番に聞いている。韓国のサヌリム、日本のジャックス、ロシアのヴィージェリブイ・アトゥカース、タイのカラワン・・・熱い魂と冷たい心。鏡の国。
サヌリムの3枚目まで聞いたところで、たわんだが寝てしまったので、カラワンを聞くことにする。1991年のカナダ・ライブ・・・タイに行ったときに買った大量のカセットテープ・・・ぼくはタイで何かをもらってきたのではなくて、タイに何かを忘れてきたんじゃないだろうか・・・
今日は飲んだくれることに決める。忘れたものを思い出すために・・・1991年・・・ぼくももう歌を歌っていた・・・都立大の旧校舎・・・廃墟のような「談話室」・・・歯車はゆっくり動きはじめる・・・記憶のそれも、過去の現実のそれも・・・ぼくらは性急にゆっくり動きはじめた。片足を怪我したポリリズム・・・タカタッカタタッタカッタタ、タタ・・・ふふ、ふ・・・ぼくらは笑った・・・タテカンにペンキを塗りつけて、笑った・・・夢を見た夢を語った夢を見たことを笑った・・・じりじりと朝をむかえた、歯ブラシがないことがおかしかった・・・
♪カーラワン、カーラワン、牛車が動きだす・・・
ぼくらの道はアスファルトで、土ぼこりがたっていた、目が痛かった・・・タイに行った。金色の稲穂、金色の砂埃、金色の子供たち、みんなくずれてしまうもの・・・かもしれない・・・スネアドラムにつもった赤い砂?・・・先輩はそれを手で払って、叩いた。パパン、パパン、パパーン・・・夢だったんだろうか、全部。夢?・・・
・・・ソクナムカオについた夜。タイの田舎町、去年ひいたばかりの電灯の光りのした、かたまった顔の少年・・・「ワタシ、ナマエ、ヒラオ」・・・たどたどしいタイ語・・・笑ってくれた・・・こごえた顔を溶かした最初の記憶・・・壁のない家・・・金色の砂・・・ぼくの、ぼくの、ぼくの冷たい心できみを笑わせたい・・・
♪カーラワン・・・カーラワン・・・
ぼくの冷たい心できみを笑わせたい。
2002年2月5日(火)
渋谷『にぼしラーメン時代屋』に行ってきた。渋谷駅南口。桜ヶ丘を越えた、もう渋谷と呼べるか微妙なところ。さすが店名にしているだけあって店の外にまで、にぼしの香りがたちこめている。狭い入り口の割に広い店内に、梅宮辰夫、ルー大柴、ネプチューンら有名芸能人の写真が所狭しと飾られている。マスターは無口。「いらっしゃいませ」すら口ごもっている。風貌も髭の仏頂面で、お世辞にも人当たりがいいとは言いがたい。でも、有名人の写真に混じって、近所の小学生が書いた環境緑化のポスターが貼られていたりしてほんとうは優しい人なのだとわかる。出てきた「にぼしラーメン」は魚系の基本のようなラーメン。奇をてらったところはまったくないが、すこぶる美味い!。渋谷イチオシ!。
で、また坂を登って渋谷駅へ。静かなビジネス街のなか、おばちゃんの二人連れと行きかう・・・左のオバチャン、派手だな〜・・・黒地にピンクの花柄・・・野村佐知代みたいだ・・・顔もなんとなく似てる・・・う〜ん、似てる・・・似てるなぁ〜あ・・あ?・・・ああっ!!
サッチー!!
タイガース・ファンのひらげとしては忘れようにも忘れられない、あの顔!。間違いない。サッチーじゃないか!!!。連れのおばちゃんが「まあ、これに懲りずにさ・・・」なんて言っているのが聞こえてきた。いや!頼むからあんたは少し懲りてくれ!!。
サッチー遭遇の衝撃もさめやらぬまま、渋谷のレコード屋をのぞいて新宿へ。新宿武蔵野館でムフセン・マフマルバフ監督の『カンダハール』を見る・・・再び衝撃。この日記を読んでいるみなさんにもぜひ見ていただきたいので、詳しい内容については触れません。正直、ぼくのなかでも整理がついてなくて、下手に何か言おうとすると全部ウソになってしまいそうだ、ということもあります。マフマルバフ自身の言葉を引用しておきます・・・「アフガニスタンの現実はそれ自体がシュールなのです」・・・ この人のほかの映画も見てみたくなりました。
新宿では昨日できたばかりのラーメン屋『とんこく屋台ラーメン 源火』に。「うまこくラーメン」はとんこつベースのスープに特製のとり油がまぶしてある。不思議な味。悪くない。けっこう人気店になるんじゃないかなぁ。
2002年2月8日(金)
最近、ぐずぐずと先延ばしにしていた翻訳の仕事(二月末日締め切り)に取りとりかかったので、ほとんど一日中、家でワードくんに向かっている。だもんで、日記に書くネタがないのよねー。あの部分の訳はここが大変だった、とか言う話はまだできる段階じゃないし・・・街中に出て何か訳のわからないことを叫んでみようかとも思ったけど、捕まっちゃったら人々の反応をレポートすることもできないのでやめた。
飯食いながら新聞だけは読む(←「ご飯食べるときはご飯だけに集中しなさいっ!」)。6日の朝日新聞にイスラエルで徴兵拒否の運動が起こっているという記事が載っていた。「1月下旬に50人が新聞に『拒否の手紙』を発表して以来、賛同者が増え続け」ていると言う。「手紙」は「占領地での軍務が、我々がはぐくんできたあらゆる価値を破壊している」と指摘し、第三次中東戦争でイスラエルが占領した領土では軍務につかないと宣言している。こんな動きがもっと出てくると少しは希望が持てるような気がするんだけどな・・・それに、日本だっていつ徴兵制がでっちあげられて、「ひらげ?ちょっとジジイで、運動神経もないがまあ、いいだろう」と最前線の捨て駒にされないとも限らないしな・・・→「拒否の手紙」ホームページ(英語版)
今日の井筒監督。「いい軍曹と悪い軍曹を描きたかった」と言う『プラトーン』の監督に「あほか!植民地主義と軍国主義でベトナムに行ってるアメリカ軍に、いい軍曹も悪い軍曹もあるか!」と噛みついてワーナーから乾されたとかいう話。カッチョイー!!!。やっぱり、あなたについて行きます。
希望はあるのか?
希望はあるのか?
希望はあるのか?
希望はあるの?
希望はある?
希望はある! (上田正樹・・・日本語訳・ひらげ)
2002年2月9日(土)
ホッチキスを止めたつもりが、針が入ってなかったときの感触ってキモチワルイ。暗い階段を登っているときに、あると思っていた最後の一段がなかったときみたいな・・・学食に「串カツ」があるというので注文してガブッとやったら、中身が魚肉ソーセージだったときの感触にも似ている・・・
仕事のあとに渋谷に行った。『にぼしラーメン 時代屋』で、塩ラーメンを食ってみようと意気込んでいたんだけど、閉まっていた。スープ終わっちゃったのかな・・・で、すぐそばに例の『がちんこラーメン道』のお店があるのを思い出して行ってみた。『ラーメン 道』・・・うーん、〜道とか〜魂とか言うのはだいたい好きになれないんだよなぁ。ぼくの座右の銘は「臨機応変」、これにつきる・・・何かにのめりこんでる人は美しいけど、それを「道」とか「魂」とかいって正当化しちゃうのはどうかなぁ・・・あえて言うならひらげが歩むのは、へなへな道、ちゃらんぽ道。かの心理学者、岸田秀大先生は「オレは真剣にいいかげんやってるんだ」とか何とか言ったとか・・・リスペクト!。
で、『道』のラーメン。テレビでおなじみ、京都出身のあんちゃんがつくるラーメンは・・・いかにも京大阪のとんこつって感じ。関西方面のとんこつは、もちろん九州とんこつを基本としているのだが、博多や久留米を中心とするラーメンとは別物なのではないかと思う(実は京大阪のラーメンも本場九州のラーメンも食べ歩く機会には恵まれていないので、東京周辺に出店しているお店のラーメンを食って思ったことなんだけど・・・)。やっぱり、「九州」を謳っているところのほうがマッチョだ。京都のラーメンはけっこうこゆくてエグいのだけど、嫉妬に燃える京女のような艶然としたエグさなんだ・・・って、なんのこっちゃい。で、『道』のラーメン、京都のラーメンにしてはあまりエグくないな・・・と思っていたのだけれど・・・食べていくうちに味が濃縮されてきて・・・ああっ・・・あっ・・・やられてしまいました。ううう・・・図ったな・・・。「道」の話はまあ、置いとこ。うまきゃいいのよ、うまきゃ・・・ってうちに帰ってラーメン本を見たら、「道」は「どう」ではなく「みち」と読むらしい。なーんだ、ほんならオッケーじゃん・・・でも、ごめん、どっち行くかって言ったら『時代屋』に行く・・・
渋谷のレコファンでインドのギターリスト、ヴィシュワ・モハン・ブハットのCDを見つけた。ぼくが好きなミュージシャンには変な楽器をつくったり愛用したりしている人が多いんだけど、この人もそう。この人のギターはシタールと同じようにネックにペグがついていてフレットが動かせる(らしい)。見かけもギター?シタール?という
異様なシロモノ(ぼくは勝手に「ギタール」と呼んでいる)。たわんだがボストンに住んでいた頃遊びに行ったとき、インド雑貨屋でブハットのギターと同じスタイルのギターを見たことがある。ブハットさんはそれをスライドで弾く。ちゅろ〜ん・・・ぼくがはじめてこの人を知ったのはライ・クーダーとの共演盤を聞いてのこと。そのあと、どこか(六本木にあったWAVEだったか、吉祥寺の民族雑貨屋だったか・・・)でカセットを手に入れて愛聴していた。ジンバブエに行ったときにトランジットで寄ったシンガポールではインド人街のレコード屋で「インディアン・ギター、インディアン・ギター」を連発(そのときはまだ「ブハット」って名前を覚えていなかった)、三流環境音楽みたいなレコードを出され、「違う、違う」と言いながらやっとの思いでCDを一枚手に入れた・・・で、今回の一枚。今まで手にしたブハットさんの録音の中でもサイコー。ラッキー!!。
ギター?シタール?
2002年2月11日(月)
南半球系バンド・チキリカ、「Ningen堂本舗販促企画」吉祥寺Silver Elephantライブ。いやぁ、楽しかった。いつになくリラックスして演奏できました。吉祥寺だし、次の日平日だしでゆっくり飲めなかったのが残念だったけど・・・。いつもチキリカのライブに来てくれる方々、初めて来てくれた人たち、企画者のジェットテンビン20号(←ものすごくかっこよかった)の度さんと林さん、共演バンドの皆さま、シルエレのスタッフの皆さん、CDの販売を担当してくれたのぞみちゃん、写真を撮ってくれた内海さんと徳さん、ありがとう!。この次はさらにさらに、さらにモア・ベターよっ!(次は3月3日ひなまちゅり、関内7th Avenueです。来てね〜)。
2002年2月12日(火)
今日は一曲、素晴らしい曲が出来た。本当は二月末日までにやらなければならない翻訳の仕事か、今週中に提出しなければならない論文の最終確認をしようと思っていたのだけれど・・・曲のインスピレーションがわくのって、逃したら最後だ。フレーズとか思い出しても、最初にあった興奮を忘れたら・・・何?これ?・・・だもん。もう全部放り出した。ムチャかっこいいのできたよ、ほんと。
テレビで花紀京のコントをやっていた。ひっくりかえった。こんなにすごい人だったのか〜。ずっと関東で生きてきた人間にとって昔の吉本新喜劇は正直、縁遠い存在だ。だいたい、今の新喜劇だって関東で広く知られるようになったのはこの10年ぐらいのことだと思う。関西の人は「え!?新喜劇、テレビでやってへんの!?」というような反応をする人が多いけど・・・やってません!。「毎週土曜!」・・・やってないって!!。十数年前、「奥歯ガタガタ言わせたろか・・・」って言う関西人を見て、「何を言ってるんだろうこの人は・・・?」と思った記憶がある。「ぼのぼの」のアライグマくんがペンギンにカニバサミをかけるのも意味がわからなかった。まして、80年代の出演者なんかわかるはずがない。だから「明日がある」を歌っているなかに、なんか見慣れないおっさんがいる・・・と思っていたのはぼくだけではないはず・・・で、でも、すごいっ。今の一発ギャグや動きの笑いが中心の新喜劇も好きだけど、この人の笑いのほうがずっとひらげ好み。特に岡八郎との名コンビ(←これも、もちろんはじめて見るわけです)によるコント、お決まりのやりとりなんだけど、花「ちょっと熱いの、お酒ちょうだい」岡「一杯だけやで」花「うわ、熱すぎるで、うめて」岡「ほんまかいな」(と、うめる)花「ぬるいで〜。これは」・・・と、どんどんお酒の量を増やしていくのなんか、絶妙。マルクス・ブラザーズだな、これは。ロンブーの淳と共演したコントも新鮮だった。騙しあい、化かしあい。ゲ〜ラゲラ笑った。
2002年2月18日(月)
今日は訳もなくヘヴィーな一日だった。ライブがあったこともあって、このところのぼくは基本的にハイテンションで、ハッピーな状態だったんだけど・・・突然低調になった。ぼくは感情の起伏と言うか、躁鬱みたいなものの入れ替わりが激しい。みんなそうなんだろうか。みんなはそうでないのかもしれない。あるいは、みんなそうだけど上手に隠してるのかもしれない。みんな、よく隠せるなー。ぼくはだめだ。隠してたら、クルクルパーになってしまう。ぼくはバカだけど、クルクルパーにはなりたくない。だから、日記に書く。
夕べがハイの頂点で、夜11時ごろまで翻訳をやって、どんどん訳してって、ああ、俺天才!!・・・と言いながらギターを持ち出して、新しく買ったマルチ・エフェクターをいじって、あ?あ?なんだ?こうか?こうか?などといいながらいじりまくり(←なんかヤラシイ感じがしますが・・・)、そのあと11日のチキリカ・ライブのビデオを見て・・・がーもっと歌練習するぞーっとなって、寝た・・・ハイになってて気づかなかったけど、ストーブがついてなかった。風邪をひいた。職場に行ったときには気づかなかったんだけど、人文事務室の華・Uさんに「風邪ひいてます?」と言われたとたん、頭痛がしてきた。あがが・・・J・G先生が持ってきた頭痛薬があったので飲み込む・・・とたんに世界が何もかも信じられなくなる・・・すべてが・・・ほんの小さなことがあんなに可笑しかったのに・・・何を見ても、何を聞いても紙を噛むみたいに味気ない・・・泣きたいとも思わない・・・かわいい女の子が通り過ぎても「おっ」とも思わない・・・今なら、半裸になってモーションかけてきても素通りできる自信がある・・・ア〜ァ、一週間前、ぼくが老人になる前に来てくれれば良かったのに・・・やばいやばい・・・やばいのでレコファンに行く・・・ミンガスのレコードがたくさんあったので抱え込んでレジに向かおうとしたとたん、興味が失せる・・・
でも・・・だめ、だめ、だめ・・・と考え続けているとだんだん可笑しくなってくる。ホントにダメだな、何もかも。ダメダメ人間ひらげちゃん!。「恐怖!ダメダメ男!」・・・くっくっくっくっ。今日はついてなかったけど、それもまた面白いじゃないか。マイナス×マイナスはプラスになるのだ。これってすごいことじゃないか。プラス×プラスがプラスになったって、プラスがプラスになるだけだ。マイナスとマイナスをかけるとマイナスがプラスになるんだ!!・・・なんのこっちゃい・・・横浜に着いて、五番街の横を入ったところにでている屋台でラーメンを食う。ははは、もう大丈夫。オレハオレダー。HMVとレコファンでCDを買う。
ルー・リード『メタル・マシーン・ミュージック』・・・これ、CD化されてたんだ!。RCサクセションのG2が、「扇風機が壊れてしまって、とんでもない音をたてている。今年の夏は『メタル・マシーン・ミュージック』みたいな音を聞きながらすごさなきゃならないのか」とか言ってたのがむちゃくちゃおかしくて、何かあるごとに「メタル・マシン・ミュージックみたいな・・・」って枕詞のように使っていたんだけど、実は聞いたことなかったんだよね。聞きたくても手に入らなかったってこともあるけど、基本的にノイズ物は苦手なんで・・・で、勇気を出して聞いてみると・・・おおっ、いいじゃん!!!。かっちょいい!!。これはノイズと言うより、エレキギターによるいんちき民俗音楽だよ!。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽って架空の国の民俗音楽(たぶん地下)っていう感じがする(って言うとみんな「???」って顔をする)んだけど、これもそう。ようするに、ドローン(通奏低音)、あるいは共鳴弦の響きなんだな。ビャーンビャーンビャーンって言う。これがぼくは死ぬほど好きなんだ。シタール、好き。ジミヘン、好き。メタル・マシーン・ミュージック・・・大好き!!。
しかし、『メタル・マシーン・ミュージック』を聞きながら、『ワンダフル』を見ている俺って・・・ステキ!(←懲りずにハイ状態へ)。
2002年2月19日(火)
『徳福』でラーメンを食った帰り、開かずの踏み切りが閉まりそうになったので慌てて走ったら、マンホールのちょっとした段差につまずいて・・・跳んだ・・・うわぁー・・・で、着地して一回転。柔道の受身を教えてくれた宮田中学・体育の石橋先生(通称ビシバシ)、ありがとう。思わぬところで役に立ちました。
2002年2月20日(水)
ひさびさに『吉村家』にラーメンを食いに行った。うまいうまいうま・・・あ?んんん?なんか醤油の味が濃くないか?だいとうくんが「(吉村家は)美味いけど、ぼくらには醤油の味が強すぎる」とか言うのを聞いたからか?。最近さっぱり味のラーメンばかり食っていたからか?。いいや、違うと思う。ぜったい、醤油が濃くなっている。あんまり塩辛いんでスープを残した。んー????
2002年2月21日(木)
今日は待望のブライアン・ウィルソン来日公演の日。その前に有楽町のラーメン。JRガード下の『谷ラーメン』。昭和42年(ひらげが生まれる前の年である)から営業しているお店はよく言えば「レトロ」・・・悪く言えば「ぼろっちい」・・・サッシになっていない引き戸を久しぶりに見た・・・しかも建てつけが悪いのできちんと閉まらない・・・で、こういう雰囲気が好きかどうかと言うと・・・もちろん、大好き!。店長も「あばれはっちゃく」のお父さんみたいな仏頂面で、いかにも頑固おやじって感じ。出てきたラーメンは・・・まあ、昔ながらの・・・って言う以外にはあまりとりえはないような気もするが・・・でも、多分飲んだあとに食べたら美味いんじゃないかな・・・とも思わせる。麺がかなり固めなのは好感が持てました。
で、来ました、来ました、ブライアン・ウィルソン。ピィーッ(←興奮のメモリが振りきれて頭の隅から蒸気が噴出す音)。
一曲目、ブライアン賛歌の「ブライアン・ウィルソン」が終わると、いきなり「ティル・アイ・ダイ」。いいい、いきなりこれかい!。ビーチボーイズの1971年の名盤『サーフズ・アップ』に入っていた、ブライアン・ファンには忘れることの出来ない曲だ。
ぼくは海に浮かぶコルクの栓
荒れ狂う海に漂う
海はどれだけ深いんだろう
海はどれだけ深いんだろう
ぼくは道に迷ってしまった
すべてが嫌になったブライアンがバスローブにくるまってベッドルームに引きこもっていた頃の心境を歌った名曲だ。「ぼくは道に迷ってしまった(I lost my way)」の後に「ヘイヘイヘーイ〜」と続くところがよけいに悲しい。で、こんな歌詞が3コーラス続いた後、曲はコーラスが絡みあうエンディングへ・・・ドゥードゥードゥードゥドゥドゥドゥドゥドゥ〜ドゥドゥ〜アンティル・アイ・ダーイ(アーンティールアイダーイ)・・・泣きそうになる・・・大学一年のとき、この曲を聴いて「ドント・ルック・バック」って曲を書いたんだっけ・・・って、それは余計か・・・
そのあとも、軽快なロックンロールは「ファン・ファン・ファン」ぐらいで、切なくて、イノセントで、ドリーミーなブライアン・ワールドが続く・・・ビーチボーイズ初期の曲も「カルフォルニア・ガールズ」「ウォームス・オブ・ザ・サン」「プリーズ・レット・ミー・ワンダー」「ドント・ウォーリー・ベイビー」と、『ペット・サウンズ』を予感させる曲ばかり。そして、1970年の名盤『サンフラワー』から、亡くなった弟デニス・ウィルソンの名曲「フォーエバー」と「アド・サム・ミュージック・トゥー・ユア・デイ」。特に死んだ二人の弟に捧げられた「フォーエバー」には泣きそうになった。さらにはななな何と1968年の隠れた名盤『フレンズ』から「メーント・フォー・ユー」〜「フレンズ」のメドレー。そして圧巻は・・・「英雄と悪漢」「アワ・プレイヤー」「サーフズ・アップ」と続く『スマイル』(←1967年、ヴァン・ダイク・パークスと製作されたが、結局発表されずに終わった幻のレコード。収録されるはずだった曲は後のビーチボーイズのアルバムで小出しにされた)のナンバー(それから『スマイル』の曲ではないけど、やはりヴァン・ダイクと書いた「セイル・オン・セイラー」も!)。いや〜、「サーフズ・アップ」を生で聞ける日が来ようとは思わなかった。幾重にも重なるコーラスがどんどんぼくらを高いところにひっぱっていくので、「おいおい、どうするつもりだい」と言いたくなるほど。生きてて良かった・・・ブライアーン。
と、これで終わっても、十分満足して帰ったことだろう。それが20分の休憩をはさんだ後半では何と、かの名盤『ペットサウンズ』(1966)の曲を全曲・・・じ〜ん・・・そしておまけに「グッド・ヴァイブレーションズ」・・・あがー(あごが閉まらなくなっている)・・・ブライアン!ブライアン!ブライアン!ブライアン!そして・・・
アンコール!、アンコール!、アンコール!、アンコール!
・・・アンコールではビーチボーイズのロックンロールを次々と・・・こここ、これが、おまけかい!大サービスだな・・・
もう、何も言うことはありません。ブライアーン(次に来たときには「キャビネセンス」が聞きたいなーなんて・・・←「言うことない」んじゃないのか!)。
2002年2月25日(月)
ずいぶん前に送ってもらった同志社大・坂下さんの論文(「歴史展示とその社会的受容―リンチ写真展"Without Sanctuary"を例に―」『アメリカ史研究』第24号)を読んだ。リンチ(犠牲者の多くはもちろんアフリカ系アメリカ人だが、ユダヤ系アメリカ人レオ・フランクなど白人も含まれる)の写真を集めた写真展"Without Sanctuary"(展示された写真はウェブサイト版のヴァーチャル写真展で見ることができる)を扱った、非常に読み応えのある論文だった。
写真展の主眼の一つはリンチを「アメリカの歴史」として捉えなおすことにあった。リンチは「黒人の歴史」として捉えられることが多い。しかし、なぜ「白人の歴史」であってはならないのか。それは黒人の「受難・抵抗の歴史」であると同時に、白人の「暴力の歴史」でもあるはずなのだ。
もちろん、黒人の受難や抵抗について語ることは必要だと思う。けれど、例えばリンチの写真を見るとき、吊り下げられた黒人の死体、「奇妙な果実」に焦点をあてすぎると、写真を見るものの視点は図らずも黒人を切り刻み、焼き、吊るした群集のそれと重なってしまう。 展示された写真の多くが絵葉書だったという事実からもわかるように、リンチは(信じたくないことだが)エンターテイメントでもあったのだ。ある青年は「これが夕べのバーベキューです」と書き添えて、リンチの絵葉書を母親に送ったと言う。ぼくらがリンチの写真を見るとき、最初のショックを通りすぎてふと気づくと、よく出来たスプラッター・ムービーを見るかのようにそれを見ていたりしないだろうか・・・
しかし、リンチする側の白人の姿に視点を移したとき、ぼくらは「暴力」と言うものの正体を垣間見ることになる。犠牲者の死体を囲んで薄ら笑いを浮かべる人々・・・ぼくは彼らの視点で死体を眺めていたのかもしれない・・・ぼくのなかに彼らと同じ部分がないと言えるだろうか・・・?
ジョン・レノンが「ビートルズは神よりも有名だ」と口を滑らせたとき、ビートルズのレコードを焼くために集まった人たちも同じ顔をしていた。同じように薄ら笑いを浮かべながら、レコード盤を割り、火にくべる人々・・・ジョンは「人々の憎悪を招いたこと」にショックを受けて発言を撤回する。ジョンはほんとうにショックを受けたんだと思う。あの時、狂信者たちのなかにジョン・レノンが紛れ込んでいたら、彼らはジョンを火にくべただろう。ちなみに、トッド・ラングレンがその時の写真をユートピア『スウィング・トゥ・ザ・ライト』のジャケットに使っている(ただし、レコードはユートピアのもの・・・同じレコードの合わせ鏡状態・・・になっているが)。
2002年2月27日(水)
「アメリカの赤ちゃんが日本のバンドと問題を起こしているらしいねー」「そうなの?」「とらぶりゅー」「・・・・・」「ばぶー」←わかりにくいぞ!
2002年2月28日(木)
駅員さんのマイクの持ち方はちょっとラップの人に似ている。
2002年3月
2002年3月1日(金)
もう3月か〜。ぼくは毎年、2月が28日までしかないのを忘れていて、慌ててしまう。
※映画の感想です。映画を見る前に内容を知りたくない人は次の※まで読まないでください。
渋谷のユーロスペースに映画『ABCアフリカ』を見に行ってきた。アフリカ中部の国ウガンダ。アフリカの国では珍しいことではないが、ウガンダでも長く続いた内戦と爆発的なエイズの流行の結果、数え切れないほどの孤児が生まれている。「ウガンダ孤児のための女性運動」(UWESO)は女性の間の互助組織などを通じて孤児の問題を解決することを目的とした団体である。冒頭でこの映画が、ウガンダの孤児の現状とUWESOの運動を世界に知らしめることを期待されていることが示されている。
しかし、監督キアロスタミの意図はそれとは微妙にずれているように思えた。映画はキアロスタミとスタッフが地元ドライバーの運転するタクシーに乗って、土ぼこりたつウガンダの道を町から町へと移動していくロード・ムービーのような形を取っている。UWESOの活動のようすも出てくるけど、キアロスタミとスタッフの家庭用ビデオカメラはほとんど、カメラと白人を珍しがって群がってくる子供たちを追いかけている。そうか・・・この子たちの何人かも孤児なのかもしれない・・・ああ、どこの国でも子供はカメラを見ると変な顔をしたがるもんなんだな・・・などと思いながら見ていたのだけれど・・・それにしても、長すぎる。おいおい、この人はアフリカに一体何をしに行ってるんだ・・・などと思い始めた頃、タクシーは赤茶けた道をひた走り・・・
道端に棺桶が並んでいる・・・葬儀屋?・・・と思ったら、それがエイズセンターだった。ベッドに横たわるエイズ患者。布にくるまれた子供のエイズ患者の死体。それを自転車で運ぼうとする人々・・・しかし、エイズ・センターの映像は子供と戯れるシーンに比べてあまりにも少ない・・・んんん?どーいうことなんだろう・・・で、舞台は一転、夜ホテルのそばで夕涼みをするキアロスタミとスタッフ。「もう遅いから電気を消してくれ」と言われ、しぶしぶ部屋へ戻る。画面は真っ暗に・・・二人の会話だけが響く・・・
これ以上書くと、内容全部ばらしちゃいそうなので、やめますが(もう十分?)・・・アフリカに近づきたい。でも、近づけない。キアロスタミはそんなジレンマをものすごく感じているんだろうな。アフリカで何が起ころうと、ぼくらの人生にすぐさま深刻な影響が及ぼされることはほとんどない。そんなぼくらは内戦が起これば明日死んでしまうかもしれないアフリカ人にとって、結局は「お客さま」にすぎない。いや、「お客さま」ならまだいい・・・「意地悪な観察者」というのが正しいかもしれない。そんな壁を超えたいと思うのなら、アフリカの状況に飛び込んで行けばいい、と言う人もいるだろう・・・それはそれで、ひとつの道だとは思うけど・・・でも、そうなったら、ぼくらがいま、ここで、抱えている状況はどうなるんだ。それはそれで卑怯じゃないのか・・・?
ロード・ムービーって基本的にそう言うものなのかもしれないけど、自意識の強い映画だと思いました。たんにアフリカの現状を訴えた映画でも、「こんなひどい状況があっても笑顔を忘れないアフリカ、ありがとう〜」みたいな能天気な映画でもない。それは映画の冒頭、カンパラのホテルからの映像でわかることだった。敷地の外とは別世界の豪華なホテル(ジンバブエに行ったときにもそんなホテルがあった。ぼくらが泊まったのはもっと小さなホテルだったけど・・・)。青々と茂る芝生。涼しげに横たわる人々・・・その彼方、丘の斜面にひしめく小さな家々・・・そしてカメラはホテルの敷地のなかにあるのだ。一体、アフリカにとって俺は何なのだ。俺にとってアフリカは?・・・でも、キアロスタミもぼくも、また行ってしまうんだろうな。アフリカに。
※(←ここまで)
El Sur RecordでCDを買う。すごいのを見つけた。『カンボジアン・ロックス』 何と、ポル・ポト政権以前のカンボジアのロックを集めたオムニバスだ。レコーディング・データどころか、アーティスト名、曲名すら書かれていない。しかし、すこぶる良い。演奏には「ジミヘン風」「ブッカー・T&M・G's風」「ゼム『グローリア』風」など、60年代英米のロックの影響が感じられるのだが、歌は東南アジア独特のメロディーや歌いまわしが色濃くあらわれていて、暴力的なまでのミクスチャー感覚に頭がくらくらする。なかでも、5曲目。「あっ、サンタナ!『ブラック・マジック・ウーマン』!」で、「ブラック・・・」そのまままのブレイクのあと、もろに東南アジア系のメロディーが・・・しかし、バックは微妙にラテン・ロック・・・途中のギター・ソロはサンタナと東南アジアの間を縫い取るように流れ、強引にブレイクへ・・・じゃ〜ん。すごいなー。日本のGSとかもそうだけど、このごたまぜ感は邪道でもなければ、キワ物でもない(「インチキ」ではあるかもしれないけど・・・笑)。何と言ってもこの熱さ、自分たちのやりたい音楽をはじめて手にしたと言う喜び、それがグルーブになって弾けとんでいる。でも・・・この人たち、ほとんどみんな殺されちゃったんだろうなぁ・・・。
中目黒に行ってラーメンを食う。『支那そば 八雲』・・・やったぜ、ひさびさの百点満点。店内に漂うお魚の香り・・・味は・・・必殺『くじら軒』から鷹の爪とにんにくをのぞいた感じ。文句なし。はぁー、うまかったー。ここはほんっとにおすすめです。アクセスも悪くはないところですから、みなさんも是非!。
2002年3月2日(土)
「カフェ・ワ・タ・シ?」「・・・??」「カフェ・ボ・ク?」「????」「カフェ・オ・レ!」「・・・・・・・」「オ〜レッ!」
2002年3月3日(日)
南半球系バンド・チキリカ、横浜ライブ。いやー、トラブル続きで見てるほうもはらはらしたことでしょう(笑)。打ち上げではエロさん(チキリカ、エロ・ベース担当)のコズミックなボケが炸裂し・・・みんなかなり腹筋が鍛えられました。次回は5月19日関内7th Avenueです。
おっと、危うく書き忘れるところだった。ライブ前にメンバーそろって、中華街の名店『海員閣』に入った。ひらげはもちろん、ラーメン(豚バラそば)を注文(ラーメンマニアとしての義務である)。しかし・・・いくら待っても、出てこない・・・ラーメンひとつにいつまでかかってんじゃい!ライブはじまっちまうじゃねーか・・・おおお、ようやく来たか・・・まったく・・・これでまずかったら、テーブルひっくり返して、大リーグ・ボール養成ギブスつけさせるぞ!(←あれって、明らかに幼児虐待だよな)・・・で・・・(食べる)・・・う、う、う、うまいっ。しかも、並じゃないうまさだっ。はぁぁぁあ、もう、すべて許す・・・っていうか、何に怒っていたんだっけ・・・(←記憶をなくすほどの美味さ・・)。
2002年3月6日(水)
渋谷ツインズヨシハシに『くたじゃ』のライブを見にいってきた。松島玉三郎さん率いる『くたじゃ』(いや?もしかして、グループ名というより松島さん自身が「くたくたジャガー=くたじゃ」なのか??わからなくなってきたぞ??)は去年、渋谷のクロコダイルにバンド編成のライブを見にいって、「うわぁー、インチキ・アフリカの先輩だ〜」と痛く感動させられてしまった(2001年9月30日の日記参照)。松島さんはチキリカのライブにも来てくれて、くねくね踊ってくださったので(笑)、それでは、とバンドのメンバーと徳さん、シトラス・・・チキリカ・ファミリー(?)勢ぞろいで聞きに行くことに・・・。今回はパーカッション/ヴォーカル(松島さん)、ギター/ヴォーカル、ヴァイオリン、ピアニカのアコースティックな編成。で、やっぱ良いなぁ〜。良い意味でとてもインチキくさくて、それでいてワクワクするようなリズムがあって、なぜか切なくて・・・。タラフ・ドゥー・ハイドゥークスなんか聞いたときにも思ったけど、ヴァイオリンの音っていいなー(昔はリョーケのオジョーサマのイメージがあって好きじゃなかったんだけど・・・←何と言うステレオタイプ)。ぼくのお気に入りの曲はやっぱ「セスナテキナキモチ」かな・・・。
ちなみにこの編成でのライブをインターネット・テレビのバックナンバーで見ることができます。
→『インコのpm11』
松島さんのメールマガジン『くたじゃ報』のバックナンバーはこちらで
→『不定期刊くたじゃ報』
よーし、チキリカもアナべべ(チキリカ、アコースティック別働隊)を始動させるかな・・・。
2002年3月9日(土)
アル・グリーンと言えば、「メンフィスのねちっこいソウル・シンガー」という人はなかなかのR&B好き。トーマス・マプーモのCDを出しているアノニム・レコードの代表もアル・グリーンと言います。そのアルがブッシュを弾劾する署名をはじめました。「アメリカ国民とアメリカの国土に住む人々の憲法で保障された権利」を侵害した」と言うのがその理由ですが、アフガン空爆や中東政策への抗議を意図したものであると思われます。ぼくは「ブッシュは合衆国の『外の』多くの人々の生得権を犯していると思う」と書いて署名しました。
ちなみに、アノニム・レコードからマプーモの過去の録音がCD化されました。もちろん全部注文しました。月曜には配送するというから、もうウキウキ。
2002年3月10日(日)
夜中にNHKで宇宙についての番組をやってたりするとつい見てしまう。宇宙開発なんかするよりも、地球上に他にやることがあるだろうって気もしなくはないんだけど・・・銀河のむこうにまた銀河、銀河銀河銀河・・・と続いていて、何百億光年むこうの銀河の光りがとらえられたなんて聞くと思わずワクワクしてしまう。宇宙人はいるな。これだけ広大な宇宙のなかに、他に高い知能を持った生物がいないわけがない。もちろん、地球に来てるかというと話は別。だいいち、「人」と呼べるような形をしているかどうかもわかったもんじゃない。高等生物なら何らかのコミュニケーションの手段は持っているだろうが、われわれ地球人のように音や視覚(文字)によるものだとは限らない。嗅覚が高度に発達した生物ならば、臭いで意思を伝達しているかもしれない。クサヤの臭いなんか嗅がせたら、大戦争になったりして・・・(あるいはものすごく愛されたり・・・)。こりゃ、どちらにしても外交交渉には干物が欠かせないな!・・・スルメの臭いは一時停戦、サンマの干物は無条件降伏、ミリン干しなら平和の使者・・・みたいな・・・痛みでコミュニケートしている生物だって考えられる・・・「バシッ、バシシシッ」「バシシ、ツネツネ」「ドガッグリリ」「グリグリリ」「バシッドドドグリッ、ツネ?」「ツネ〜」(かなり険悪なムードだったけど、最後は仲直りしたみたいですねー)・・・愛の告白なんかはきっと「ツネツネ」系が多くなる・・・「ツネツネン」「ツネン」「ツネン?」「ツネツネン」「ツネ〜ッ♪」(いよっ、あついね〜、見てるこっちがはずかしくなっちゃう)・・・
・・・ばかな妄想は続く・・・
チキリハ(チキリカ・リハーサル)の後、幡ヶ谷の中華料理屋『刀削麺荘』で食事をした。ここ、実はもう三回目。美味い。お店の名前にもなっている「刀削麺」というのは小麦粉の生地を刀で削ってつくる中国西方独特の麺。辛いスープと言うか、たれといっしょに出てくるのだが、ぷるぷるしててこれが美味い。さらに「ヤンルーポーモー」とかいう変わった料理。まず、ナンのようなパンが出てきて、これを細かくちぎってくれ、と言われる。「え?俺たち、お客よ!?」とか思うのだが、美味いものを食うため、とりあえず言われたとおりにする。ちぎったパンを渡すと、それを春雨などといっしょに薄味のスープに入れて持ってくる。これにお好みで甘辛い味噌やシャンツァイ(パクチー)を入れて食べる。うみゃ〜(←唐突に名古屋人化)。他にもパクチーのサラダなど珍しくも、美味な料理の数々・・・素晴らしい。
2002年3月11日(月)
渋谷のラーメン屋『でび』に行った。ここはタレントのデビッド伊東が開いたことで有名なお店。しかし、タレントの副業の域を超えている、とけっこう評判がいい。出てきたラーメンは確かに、薄味のとんこつで美味い。つるっとしたひっかかりのない麺はスープがするすると逃げていってしまうようで、あまり好みじゃないんだけど、スープはかなり美味い。とんこつが中心となっているけど、それだけじゃないかなり奥の深い味だ。う〜ん。ラー博に一月まで出店していた沖縄新麺『通堂』の味にも近い。どちらも『一風堂』の店主の指導によると言うのが気になる。『一風堂』のラーメンはそんなにぐっと来なかった(まずいというわけではない)んだけど、もう一度食いに行ってみるべきか。
両親と弟・たわんだの務める診療所はいつもものすごく混んでいるのに、今日の午前中はが〜らがらだったらしい・・・鈴木宗男だ。みんな病気も忘れて、鈴木宗男の証人喚問を見ていたのだ。『君の名は』(放送される時間になると、町のお風呂屋さんの女風呂がガラ空きになったという伝説のラジオ・ドラマ)のようではないか(←古いって)。鈴木宗男、「まちこ巻き」に勝つ!?(←だから、古いって)・・・しかし、ほんと、この人のおかげで、モザンビークの水害援助自体が胡散臭いもののように思われてしまいかねない・・・「金をせびることしか知らない野蛮な連中が日本の欲深い政治家を利用したんだろう」みたいな・・・冗談じゃないぜ!!。その意味でもこの人の罪は深い。
ユッスー・ンドゥールのセネガル盤新作Ba Tayを買った。のっけからいなたい、ウォロフというよりはマリ〜ギニア=マンディング風の田舎くさいギターのフレーズ(あくまでぼくの印象ですが)が飛び出して驚かされる。ところが、それがバックの演奏が入ったとたん、見事なンバラ・ファンクになっていく。おお、これだよ、これだよ、ぼくの好きなユッスーは。このところのワールド盤は、グローバリゼーションに目を配ったような優等生ぶりにどうも納得いかなかったんだけど、これは違う。何と言ってもサバール、ンゴマなどの太鼓類がびんびん響いている。おおっ。やるじゃん。いっしょにライブ盤も二枚出たらしい。買っちゃおうかな〜。
2002年3月12日(火)
夜中に東海村臨界事故についてのNHKスペシャル『被爆治療83日間の記録』を見た。事故の犠牲になった大内さんが医師団の懸命の治療もむなしく亡くなるまでのレポートだ。放射線障害の恐ろしさと言うものを目の当りにした。大量の放射線を浴びたために、染色体が完全に破壊された大内さんの身体は、新しく細胞を作ることができない。これは、身体が細胞レベルで着実に死んでいくことを意味する。まず、白血球が減少する(つまり免疫力がどんどんなくなる)。医師団は血液の病気などで白血球が減少したときと同じように、型の合う妹の白血球を移植する。しかし、せっかく移植された妹の白血球すら遺伝子を破壊されてしまう。原因はわからないが、大内さんの身体自体が放射線を帯びてしまったからではないかと医師は言う。それから、すさまじい下痢と下血が始まる。内臓の粘膜が細胞を再生産することができずに剥がれ落ちるからだ(『はだしのゲン』でも、直接被爆していないはずの日本兵が下痢便を垂れ流して死んでいくシーンが出てくる)。医師団による延命治療がなければ、この時点で死んでしまうのだろう。医師団は何度も輸血と水分補給を繰り返し、大内さんの生命を維持しようとする。そんな身体に追打ちをかけるように、今度は全身の皮膚が腐りはじめる。やはり、皮膚の細胞を再生産することができないからだ。皮膚を失った身体からは血液をはじめとする体液が流れ出す。医師団はガーゼをあて、人工皮膚を使って懸命の治療を施すが、再生能力を失った身体は人工皮膚を自分のものにすることができない・・・こうして、大内さんは亡くなった。
残された奥さんは、人間が扱っている以上、原子力の現場から事故を無くすことは出来ないだろうと言う。だから、せめて医療によって事故にあった人を救ってほしい、と。でも、どうなんだろう。ぼくは原子力自体が人間の手におえるエネルギーではないのではないか、そんな思いを強くした。そして、この事件のことを深く知ろうとしなかった自分を恥じた。
2002年3月13日(水)
藤沢にラーメンを食いに行った。『七重の味の店 めじろ』。5時頃行ったら、まだ仕込み中(5時半から)だった。でも、もうすでに煮干のいい香りがしている。期待に胸を膨らませながら、しばらく藤沢の町をぶらつくことにする。藤沢の町には思い出があるんだよねー(ふふっふふ・・何かはヒ・ミ・ツ←気色悪っ)。
あっという間の30分。ぼくは「煮干焦がし塩味」の「詩」(この店のメニューにはそれぞれ漢字一字の名前がついている)。出てきたラーメンは澄んだ(ほとんど透明)塩味のスープに焦がしネギが浮いている。もちろん、あたりに漂うのは上品なお魚の香り・・・しかしてそのスープのお味は・・・む?ちょっとしょっぱいかな?でも、そんなに悪い感じを受けないのは、ただの塩じゃないからだ。何か、海の香りがするのね。多分、天然塩かなんかを使ってるんだろうと思う。さすが、湘南の入り口=藤沢である。そして、化学調味料を一切使っていないというスープは実に味わい深い。カウンターには「当店のラーメンは食べるごとに味が変わります。最後の一口は冷ましてから飲んでみてください。また、味が変わります」みたいなことが書いてある。ニクイネ〜。こんな材料を使っていますとか、だしのとり方はこうだとかいった薀蓄はどうでもいいけど、こういうのはいいなぁ。そう、そう、その通りなんだよ。美味いラーメンって、ただ一口目が美味いだけじゃないんだ・・・食べてるうちに冷めてきたラーメンのスープってのもまた乙なもんなんだよなー。いやー、味と言い、お店の雰囲気と言い、参りました。百点!。
2002年3月14日(木)
さすが、東スポ。「新日、宗男獲得へ」!!!(爆笑)。新日プロの木村スカウト曰く、「彼は使える!!もう少しで議員辞職しなくちゃいけないワケだから、よく考えてみた(中略)彼がマネージャーで来てくれると、面白半分でお客さんがいっぱい来てくれる」 何の縁もゆかりもない木村スカウトが宗男議員の将来を「よく考えてみた」と言うのも可笑しいが、はっきりと「お客さんが面白半分で」と言っているところもすごい。記者は「もちろん問題もある」と書くが、あちこち問題だらけだと思うけどなぁ・・・(笑)。で、ここからがさらに東スポの芸の細かいところだ。木村スカウトにムルアカは体格と顔はいいが、レスラーになるには「ちょっと年齢がいっている」と否定的な発言をさせておいて、左下には「大日本はムルアカ氏に狙い」という記事・・・(小鹿社長「鍛え方次第では"アフリカのジャイアント馬場"になれる」って・・・)。恐るべし、東スポ。(本当なら)恐るべし、日本のプロレス・・・しかし、実際ゴージャス松野とハウス宗男のマネージャー対決を是非見てみたいものだ。
2002年3月15日(金)
風呂場の脱衣場に、誰かのポケットに入っていたのか、五十円玉が二個置きっぱなしになっていた。ところが、今日見たら百円玉になっている。だれだ?こんなところで両替しているのは!?。
2002年3月17日(日)
英文の合宿に行く。本当は朝一番の電車で行こうと思ったのだけれど、『笑っていいとも!増刊号』を見ているうちに遅くなってしまった。ま、しょうがないか(←あきらかに、しょうがなくありません)・・・浅草でラーメン食って行こう・・・
浅草仲見世柳通り沿いの『与ろゐ屋』・・・魚味のスープはなかなか美味しいんだけど、どうも味が酸っぱいなー。魚系の出汁からくる酸っぱさとは違う感じ。醤油だれの方が酸っぱいんじゃないかな・・・と思っていたら、スープにゆずが散らしてある。ああ・・・これか・・・これはこれで乙なもの・・・と言えないこともないけど、魚だしの香りをもっと楽しみたいぼくとしては・・・う〜ん・・・でも、あとから魚の香りが鼻腔に吹き抜けてきて、けっこういい感じだった。
東武線に乗って会津高原へ。これが長い。ざっと三時間ぐらい。でも、大丈夫。実は昨日aNOnym reCOrdからトーマス・マプーモの旧作と最新作『マンフンゲトゥンゲ』のCDが届いていたのだ。全部持ってきた。CDウォークマンで聞きまくる。むふふ・・・。会津高原の駅に着いたのが三時三十分。四十五分のバスに乗らなければならないのだけれど、駅でラーメンを食うことにする(ラーメン・マニアの義務である)。大急ぎでつくってくれるおばちゃん。「急いでんなら、かた麺にするか?」 出てきたラーメンを慌ててかきこむ。「おい゛てかねから、ゆっくり食べろ」 ふぅふぅわい(←はい、はい)。うまうま、うまい・・・スープとかは、ま普通なんだけど、麺がけっこうプルプルしてて・・・それに、こういうとこのラーメンってのがまた・・・。
おばちゃんにお礼を言って、バスに飛び乗る。で、ここからがまた長い。ほとんど人の乗っていないバスに乗って、雪道を一時間半。横浜や東京は最近ぽかぽかしてるけど、この辺はまだ1メーター以上雪が積もっている。遠くへ来たなぁ・・・と思っていると、バスの運転手さんがププッと鳴らして車をとめた。乗降口の扉を開けて横を歩いていたお姉さんに「ああ、○○くん、○○だってよ」「え、そうですか、ありがとうございます」「じゃあ、がんばってな」「はい、ありがとうございます、ありがとうございます」・・・おいおい、知り合いかいっ。
それにしても、完全に普段着で来てしまった。一体、俺は何者に見えるんだろう・・・どう見たって、スキー客には見えないし・・・傷心旅行?・・・おいおい、やめてくれよ・・・そうだ、辺鄙な温泉地にこもって原稿を完成させる作家・・・そうだ、これがいい。いやぁ、今度の小説の書き出しは決まったよ、チミ。「トンネルを越えるとそこは・・・」(←なんでぇ、パクリかい)。
で、檜枝岐っていう日本の秘境について、温泉に入って、お酒を飲んで、例によって大暴れして・・・記憶をなくした・・・
でも、酔っ払う前に、NHK特集『兵役拒否〜イスラエル18歳の決断』は見ました。イスラエルで徴兵拒否をするということの厳しさと同時に印象に残ったのは、徴兵拒否を完全否定していた父親が少なくとも息子が闘ってるんだということ(祖国を守ろうとしてきた自分と同じように)を感じていたように思えたこと・・・ただ後半は飲み会と重なってしまってコメントが良く聞き取れなかったんで・・・もう一回見たいなー。
2002年3月18日(月)
結局、二日酔いで末廣先生の講演も聞くことができず(末廣先生、ごめんなさい)・・・一体ぼくは何をしに・・・ああ、でも、檜枝岐の蕎麦は美味かった。本当に美味かった・・・ほんとうに・・・みなさん、ごめんなさい・・・ごめいわくをおかけしました・・・ 帰りの電車のなかもほとんど寝ていたひらげ・・・でも、浅草で隅田川の風にあたりながらみんなと写真撮ったりして、楽しかったなぁ・・・。
みんなと別れた後、新橋でラーメンを食う。『ラーメン 勇』。美味しいけど、しょっぱいことで有名な「がんこラーメン」系のお店。でも、思ったよりしょっぱくなかった。うん、鶏がら系のスープはかなりうまい。二日酔いじゃないときにもう一度行かねば・・・。
2002年3月21日(木)
チキリカ・レコーディング。荻窪石井邸にて「じんとうせ」「自転車に乗って」「まわる」「わたなべくん」のヴォーカルを録音。
録音の途中、みんなで荻窪の有名なラーメン屋『めん家』へ行く。近所にかなり美味い和風ラーメンを食わせるところがある、という話を石井夫妻から聞いていて、いつか行こうと楽しみにしていたのだけれど、半年ぐらい前からお店は閉まったきり。それが久しぶりに開いたので・・・お店に入るとほとんどゴッドファーザーのようなかすれ声(というかほとんど声が出ないような状態)のマスターが「いらっしゃい」と迎えてくれる。元からこういう声の人かと思ったら、違うらしい。そうか、お店を閉めていたのは身体を壊していたからなのかな?・・・なるほど、和風のスープはめちゃくちゃ美味い。煮干系よりも鰹節が強く出たような感じで、とても上品。ちょっと味が濃いかなぁ・・・と思っていたら、「昔はもっと薄味だった」とのこと。ちょっとおでん的だけど、それでも充分美味い。ケイタローさんが味噌ラーメンを頼むと「おすすめしないよ。それ食うのは500人に一人ぐらい」と拒否されてしまった。それじゃ、なんでメニューにのせているんだ。愉快なおやじだ(笑)。
2002年3月23日(土)
チキリハ(チキリカ・リハーサル)。新曲「言葉の花束」、歌詞もほぼ完成。曲調は西アフリカ(マンディング系)+JB?。
2002年3月24日(日)
代々木公園にautomamaのパフォーマンスを見にいく。ママは相変わらずかっこよかった。で、パフォーマンスを見に来ていた絶対運命☆乙女軍の春日乙女さんたちのお花見に参加する。ホームページそのままのはじけた飲み会で楽しかったのだが・・・ジェンベを見ているうちにはぐれてしまって・・・
酔っ払ったひらげは見知らぬ若者の集団に紛れて嵐のような一晩を過ごすことに・・・男子ばかりの集団がギターとボンゴを抱えて座り込んでいたので、「ひらげと申しますが、仲間に入れてもらえませんか」とわけのわからない導入のしかたをして・・・意気投合。タクシーに7人かなんかで乗って(一人はトランクの中)、そいつらの一人の家に泊まって・・・
2002年3月25日(火)
・・・遅刻した(マッちゃん、深沢さん、ごめんなさい。深く反省しています)。で、それでも懲りずに卒業生の人たちと(卒業式だったのだ)カラオケにいってNカジマくんと朝まで歌いたおしてしまいました。ブルーハーツとか、ピストルズとかパンク・デーでした。スリー・ピース!!!。
2002年3月26日(水)
始発で帰って、仮眠をとってから御茶ノ水に注文していたボ・ディドリー・モデルのギターを買いに行く。やった!ついにあの四角いギターが手に入った!ちょっとネックが太めでいかにもボの大きな手にあわせて作った感じ。へっへっへ、次回のチキリカ・ライブはこれを持って跳びまわるひらげの姿をお目にかけることができるでしょう。
で、酔いどれの国から帰ってきて見ると、あれま、清美ちゃんが大変なことになっている。野党の急先鋒だろうがなんだろうが、疑惑を受けたらやめなければならない。それは当然だ。今回辻元氏がしたことに酌量の余地はない。ただ、この事件、どうも腑に落ちないことが多すぎる。特に、辻元氏の政策秘書が私設秘書をしていたという社民党代議士、照屋寛徳の発言には首を傾げざるを得ない(ちなみにこの人、国会でジュゴンの写真をとりだして、「かわいいジュゴンの話を・・・」とやった人である→2001年3月7日の日記参照)。照屋議員は自分の秘書が辻元議員の秘書を兼任していたことを知らなかったというのだが・・・そんなことがありうるだろうか。辻元氏にとって照屋は仮にも同じ政党の大先輩である。その大先輩から、名義上であれ、実際にであれ、秘書を「お借りする」のに、何の報告もないなんてそんなことがありうるだろうか。絶対にありえないと思う。辻元氏が議員を辞職した今、問題の焦点は一年生議員であった彼女にそんな裏金作りを指南したのはだれだったのか、というところに移りつつある。照屋議員にはもっと納得の行く説明が求められるだろう。社民党には、辻元氏ら「土井ズ・チルドレン」を良く思っていない社民党の古参議員も少なくないらしい。「小生意気な」清美ちゃんを利用するだけ利用して、最後にポイとはき捨てるときの切り札として、「秘書疑惑」握っておこうと考えた人間がいたとしてもおかしくはない。だからこそ、辻元氏は社民党の中にとどまることを選んだんじゃないか・・・でも、社民党なんか飛び出して、全部ぶちまけて・・・ってわけには行かないのかなぁー。
2002年3月27日〜30日
ものすごく怠惰にすごしてしまったので、いつ何をしたのか良く思い出せない。ただ、新しい論文の仕上げには少し時間をかけた(でも、まだ終わらない)。あと、横浜駅東口に『一風堂』の支店ができていたのを知っていってみた。言わずと知れた九州とんこつラーメンの有名店だが、いわいる博多のムーチョ・マッチョス(とっても男らしい)なラーメンではなく、さわやかな、洗練されたとんこつで知られる。前に食べたときはそんなに美味しいとは思わなかったのだが、このお店の息のかかった『でび』や『通堂』が悪くなかったので、もう一度・・・と思っていたのだ。で、感想・・・たぶん、とんこつラーメンの本場のエグさとかはないのだろうけれど、これはこれで素晴らしい。今回はさっぱり系の「白味」(こちらがオリジナルらしい)を食ったのだけれど、前回明大前で食ったこってりの「赤味」よりも、ここのラーメンの魅力が味わえるような気がした。なんか寡黙な印象で、これはこれである意味マッチョだと思う。マスラオ的!(←言ってることがまるでよくわからない)。
2002年3月30日(土)
タイガース、開幕戦。憎きジャイアンツを相手に快勝。井川、よくやった!
2002年3月31日(日)
タイガース、ジャイアンツに連勝!。仙さん!仙さん!!仙さん!!!
2002年4月
2002年4月1日(月)
三軒茶屋にGravityのライブを見に行った。グラビ(←ぼくは勝手にそう呼んでいる)の演奏はかっこよかったし(音は悪かったけど・・・)、対バンもなかなか面白くて楽しめました。「今日ははじめて三軒茶屋さんで・・・」って言うカネコくんのMCは笑えた。三軒茶屋さんって・・・お茶屋じゃないんだから・・・わかる人だけわかればいいですって感じのねらい方がグー。
で、ついでに三軒茶屋のラーメン屋。246沿いを渋谷方面に数分歩いたところにある『茂木』。ぼくはワンタンメンを食ったんだけど、実に美味かった。スープは塩と醤油の中間ぐらいで、エースコックのワンタンメン風(無論、もっとずっと美味い)。巨人→横浜の駒田似の店長がまた、なんかいい味を出している。とろとろ系のチャーシューは好みではないけれど、とろとろ系にしてはしっかり肉の味が出ている。それに・・・ワンタンが・・・はぐはぐ・・・ほがほが・・・ほろほろ・・・んぐんぐぐ・・・ふー。サイコー。
2002年4月2日(火)
タイガース、開幕三3連勝!。わわわ、これはホンモノ?
今日はわが町・天王町の商店街にあるラーメン屋『主水家』を紹介しよう。ここは基本的には「家系」だが、家系のお店で修行した人がやっているとかではないらしい。だから、ぼくは「家系傍流」と呼んでいる。実は家系好きも含めて、あまり評判は良くない。でも・・・この店のスープは日々改善されている。この店を悪く言っている人はだいたい、開店当初(その頃の味も天王町では衝撃だったんだけど)に行った人なんじゃないかな・・・その頃と比べても、どんどん美味しくなっていると思う。「家系」のなかには油がぷかぷか浮いているような品のないものも多いんだけど、ここのはけっこうさっぱりしている。『吉村家』のえぐさはないけど、これはこれでありだ。最近はチャーシューを豚バラ風のものに変えたりして、オリジナリティーを出そうとしたりしているらしい。でも、地獄ラーメンやつけ麺は余計かな・・・
夜中にテレビでビング・クロスビー主演の映画『我が道を行く』を見た(途中からだけど・・・)。故・淀川長治さんが「これこそ、映画」・・・って感じで絶賛してた記憶がある。で・・・素晴らしい映画だった・・・。素敵なナマグサ坊主たちの話。ぼくは神さまは信じない。でも「神さま」って、花束にそっと紛れ込んだ花の名前でしかないことがある。パンジー、みたいな。そんなとき、「神さま」って言葉を使っていてもそれは人間のお話なんだな・・・そんなの、ぼくは大好き・・・泣けた・・・
2002年4月3日(水)
どうしたの?タイガース???46年ぶりの開幕4連勝。しかもホームランばっこんばっこん。ナ〜ニガナンダカワカラナイノヨ〜!
今日は横浜西口ジョイナス地下の『札幌屋』のラーメンを食った。ここのラーメンは・・・ひどい。味噌ラーメンは味噌に化学調味料を入れまくった味がする。空腹時に調子に乗ってスープを飲み干すと、クチビルの端あたりがピリピリとしびれる。ラーメン・マニアでこのお店のことをよく言っている人を見たことがない。でも・・・ときどき妙に食いたくなるんだな・・・あのシビレがまたたまんなかったりするノダ!。♪俺はラーメンでしびれてる〜はっし〜びれちゃったし〜びれちゃったし〜びれちゃったよ〜(←わかる人だけわかってくれればいいです・・・)
イスラエルのシャロン首相がアラファト議長に自主的な亡命を勧告したとか。あのバカ、アラファトを追い出してどうするつもりなんだろう。そんなことしたって、交渉相手を無くすだけのことだ。目に見えない戦士たちとの泥沼の戦いにイスラエルを巻き込もうとしているのがわからないのだろうか。アメリカだってあれだけアフガンを空爆して「勝った勝った」みたいになってるけど、ビン・ラディンはどうしたんだ?・・・ビン・ラディンが殺されたって同じことだけどね。結局、また誰かが「テロリズムに対する戦い」と言う名のアメリカのテロリズムに対するテロリズムをはじめるだけだ。テロ、テロ、テロ、テロ・・・交渉相手を失った戦いは悲惨だよ・・・
と言うわけで、トップページの抗議文を変更しました。
2002年4月4日(木)
入学式&新入生歓迎会。飲む。特に今年はタイガースがびょんびょん勝っているので、タイガース・ファンのはせべーと盛りあがる。やったぜ、タイガース。いけいけ、タイガース(開幕5連勝)。
そのあと、イザワッチと二次会。飲む飲む。
で、イザワッチと別れたぼくはさみしくなって数名に電話。夜中にわけのわからない電話を受けた人、ごめんなさい。
で、さみしさのあまり、地元のロック居酒屋『オレンジ・カウンティー』で飲み明かす・・・あほや。ヘルプレス。
2002年4月5日(金)
タイガース6連勝・・・まさか・・・
2002年4月6日(土)
タイガース7連勝・・・このまま・・・
2002年4月7日(日)
タイガース、8連勝ならず。あーあ、このまま140連勝でダントツ優勝かと思ったのに・・・。
今日はたくさんレコードを買ったんだけど、いろいろ聞いてるうちに結局ずっと前に買ったチャーリー・パットンの『コンプリート・レコーディングス』を聞いている。このCD、昔つき合ってた女の子に「痩せたら、買ってあげる」と言われていたのだけれど、痩せる前に別れてしまったので結局自分で買った(とほほ・・・)。心臓麻痺で死んでも、後ろ指差されてもいい。こんな歌が歌えるならば・・・。ウィスキーをあおる。よく、ブルースは悪魔とか、地獄とかそんなもんと結びつけられがちだけど、違う。わら半紙みたいな薄い地面一つ隔ててこの世にとどまっているのがブルースだ。しっかり、わら半紙を踏みしめて、ややや、嫌な響きがするな、下はブルースの泥沼かい?俺は追いつかれないぜ、悪いけど!逃げ切ってやる!!・・・何だっけ、難しい本にはトランスフォーメーションとか書いてあったっけ。でもそんな言葉を当てはめたとたんに、ブルースを振り払うブルースの魔力は失われてしまうんだけど・・・。
で、チャーリー・パットンを聞きながら考えてみた。China Blueのページでもちょっと話題になったので、気になりだした。ツチノコ・・・というより、ツチノコを探す人々。ツチノコが実在するのかどうかは、この際置いておこう。ツチノコを探し出してどうなるのだ・・・いや・・・いや、でも、探し出してみたらけっこう美味かったり・・・牛肉がクレイジーな病気のせいで下火になっている今、ツチノコこそが求められているのかもしれない。あるいは、ツチノコの糞がエネルギー源として活用され、これでエネルギー問題も解決、「原発なんていらない!!」なんてことに・・・いや・・・いやいや・・・いかん。ひらげもすでにせちがらい近代社会の能率一辺倒主義に侵されていたらしい・・・反省(猿のポーズ)。好奇心あってこその人間である。ツチノコに好奇心を持つ人がいて何が悪い!!・・・ひらげはツチノコ自体には興味を惹かれないが、ツチノコに興味を惹かれる人に興味を惹かれる。つまり、ツチノコ探索家は十分人類に貢献していることになる。後世、日記文学の名作として語り継がれることになるであろう「ひらげ日記」に話題を提供したのだから・・・ハイハイ、好きなようにつっこんでください・・・イマニミテロヨ!!(笑)。
2002年4月9日(火)
タイガース、また勝った・・・おぉぉぉおおおおお!!。よーし、ここから132連勝だ!!(←バカ)。藪、今岡、ホワイト、アリアス、すべてが素晴らしい。今年は甲子園に行くぞ!!!(←盛りあがりすぎ)。
2002年4月10日(水)
今岡・・・あ、あ、今岡!?い、今岡!!今岡あっ〜!!!(←何が起こったか気づくのが遅い・・・ああ、33歳)・・・わ、わー!!わーーーー!!すごいすごい。谷中の好投、息詰まる投手戦。これは延長戦かな・・・と思った矢先のさよならホームラン・・・わわわわ・・・わわ・・・わ・・はは・・は・・はははははは・・・・(←少々、狂いはじめている)。
2002年4月11日(木)
あんまりに怪しげだってことで消えかかっていた「霊能者」(宜保なんとか)が、最近テレビで復活している。まあ、それなりに相談者の心の澱を落とすというような企画なので、あんまり悪い気はしない。「霊」っていう考え方には上も下もない・・・アフリカやギリシャの人間チックな神さまや、先祖の霊との結びつきと同じことだ(もちろん、それを利用して高額なお金を要求する奴らは臍のゴマ乾かして葬り去ってやりたいし、宜保なんとかがそんなことをしていないとは限らないが・・・)。霊がいるかどうかなんてぼくにはわからない。ぼくは見たこともないし、それを証明する能力もない。だから・・・信じない。でも、「霊」と言う考えが苦しんでる人の心を救えるならそれでいいと思う。ぼくがほんとうにむかつくのはもっと違うもの・・・人間を萎縮させてしまう別のものだ・・・王さま、神さま、それから・・・どんな霊的な存在を想定するとしても、それが自分と平等な力関係にあると考えるなら、それは健全だと思う。ただ、「絶対者に対する帰依」みたいな考えだけは別だ・・・嫌だ・・・絶対に!!
もし、霊というものが存在しているとしたら・・・ぼくの(父方の)おじいちゃんやひいおじいいちゃんは、どうしているだろう。そういう超常現象的なものを否定していた人たちだったから。ひいおじいちゃん(吉十郎)は、葬式で祭壇のうえの花がゆれるのを見て(死者が別れを告げているのだと信じられていた)、おばあちゃん(富子)に「よく見てろ、あの下にな、鯉がいるんじゃ」と言っていたらしい。もし彼が「霊」になっていたら、恥ずかしくてぼくの部屋のカーテンも揺らすことができないかもしれない。いや、葬式の祭壇はうその霊力で、これこそが本当の霊力だっ!て、えらい無茶なことをやってくれるかも・・・ははは、その日が楽しみだ。待ってるぜ、ひいじいちゃん!!。
おじいちゃん(吉郎)はもっと強烈な人だった。大酒を飲んで、馬車をチャーターして日本刀片手に幼きひらげパパをのせ野辺地(青森県下北半島の付け根の港町)を駆けめぐるなんてこともあったらしい。タキシードを着てダンスホールでタップダンスを踊る伊達男(モボ)。どうしょうもない女ったらし。一階でひらげパパとおばあちゃんが寝込んだ頃、二階に連れ込んだ女と・・・なんてことも・・・。かと思うと、妙に熱血漢だったり・・・親戚が病気になったとき、精をつけてやろうと肉屋に・・・「貧乏人がちっぽけな肉を買って、フフン」(当時の肉屋はまとめ買いの金持ち相手だったらしい)と馬鹿にされて、「俺は肉屋になる!!」 でも、実際に肉屋をささえた支えたのはおばあちゃんだった。肝心なときにおじいちゃんは放浪の旅に出てしまったから・・・(旅先で女性と関係を持っていないわけがない・・・と思う。全国には多勢ぼくの親戚がいるんじゃないかな・・・笑)。そんな破天荒な生き方が祟って、おじいちゃんはぼくが生まれる前の年に肺炎で死んだ。ひらげパパが医者になったのは、そんなおじいちゃんを見ていたからだ・・・
そんな話を、今は亡きおばあちゃんから聞かされた。無茶苦茶苦労したはずなのに、そのことを話すおばあちゃんはとても楽しそうだった・・・そのときのおばあちゃんの少女のように輝いた表情が今でも忘れられない。
2002年4月12日(金)
「レバノン」ってドリフっぽい(←それは「ビバノン」だろーが!!)。レバノンノン。
タイガースまた勝った。井川、またしても完投。いまや井川慶は井川遥と並ぶ癒し系だ!!。全国のタイガース・ファンは井川が完投する姿を見て癒される・・・って、なんじゃそりゃ。そして、不調の(はずの)アリアスがホームラン。勝率9割。このままで行くと、120勝してダントツ優勝だ!!。
2002年4月13日(土)
北海道旅行のお土産にもらった『味の時計台』(←札幌の有名なラーメンのチェーン店)のラーメン(醤油味)を食った。札幌なのになんで醤油ラーメンやねん!(←何で似非関西弁やねん!)とつっこんで欲しかったらしいけど・・・なんのなんのけっこう美味かった。旭川のラーメンもそうだけど、北海道の醤油ラーメンは東京周辺の醤油ラーメンともまたちょっと違う。ほんのりと苦いような不思議な旨みがある。けっこう油(ラード?)が浮いているんだけど、それほど油っぽい感じはしない。身体のあったまる、寒いところのラーメンって感じだな〜。おいしかったです。ありがとう。
2002年4月14日(日)
昨日、練習の帰りにたわんだ(チキリカのパーカッション奏者にしてひらげの弟)と西アフリカの音楽のことが話題になった。セネガル/ガンビアの音楽(ウォロフ系)と、ギニア/マリの音楽(マンデ系)は似ているようでいてやっぱりちょっと違う。コート・ディボアールはかなり西洋化されている(レゲエやラップが人気)んでわかりにくいけど、やはりマンデ系。で、謎なのがブルキナ・ファッソの音楽。ウォロフ系ともマンデ系とも違う独特の感じがあるのだ。アビブ・コワテ(←この人自身はセネガルの出身でマリにルーツを持つ、マンデ系のカソンケ人)が時々やる遊牧民(フルベ人など)の音楽に似てるんだよね〜・・・で、調べてみるとやっぱり・・・ブルキナ・ファッソで一番多いのがモシ人(300万人)やフルベ人(66万人)など伝統的に遊牧を生業としてきた人々だ。この地域では、遊牧民であるモシ人が農耕民を支配してきたという歴史があるらしい。モシ人やその周辺民族(タガリ人、ボボ人など)は言語的にもウォロフやマンデとは違う、ポルタ語系の言語を話す(フルベ人はそれとはまた違った系統の言語を話している)。なるほど〜。
ぼくの持っているブルキナ・ファッソのCDは2枚。ひとつはフランスのレコード会社から出ているMusic du Monde(「世界の音楽」)シリーズの1枚、 Danses du Burkina Faso: Balafons, percussions, chanteurs de Bobo Dioulasso(『ブルキナ・ファッソの踊り:ボボ・ディウラッソの木琴、パーカッション、歌』・・・ボボ・ディウラッソは首都ワガドゥグから西南に300kmほど行ったところにあるブルキナ・ファッソ第二の都市。有名なイスラムの寺院があり、ロンリー・プラネットのガイドブックによればワガドゥグよりも「かなりすごしやすい」ところだと言う)。ウォロフやマンデの洗練された音とは違う。比較的単調でドカドカした感じのする演奏。その分、疾風怒涛の勢いみたいなものはこちらの方が強烈かもしれない。もう一枚はMama Konate&FarafinaのMiriya(2000)。1978年に結成されたファラフィナはブルキナ・ファッソを代表するグループ。ストーンズの『スティール・ホイールズ』(1989)や坂本龍一の『ビューティー』(1989)なんかにも参加している。『ブルキナ・ファッソの踊り』の演奏がさらに研ぎ澄まされたような見事なアンサンブルだ。優雅で茫洋としたマンデの音楽や、激しいなかにも洗練された細やかさを見せるウォロフの音楽とは明らかに違う。どどどどどど・・・と疾走するリズム。ある意味、パンキッシュ。しびれる〜。
・・・・で、さらに探してみたら、アーサー・S・アルバーツという民俗学者のコレクションを収録したアルバム(The Arthur S. Alberts Collection: More Tribal, Folk, and Café Music of West Africa)にボボ・ディウラッソでフィールド・レコーディングされた録音が2トラック収められていた。先の2枚のCDと共通する疾走するリズム。解説は"galloping"という馬の早足を表す言葉を使っている。そう思って聞くと、くり返される太鼓の音がタカラッタカラッタカラッタカラッ・・・と馬のひづめの音のように聞こえてくる。やっぱり、このリズムはブルキナ・ファッソに遊牧民族が多いことと関係があるのだろうか。
タイガース、11勝目。矢野がいないのに良くがんばった!!。
2002年4月15日(月)
横浜東口の地下街に『玉泉亭』という中華料理屋ができていたので、行ってみた。本当のことを言うとすぐそばにある『一風堂』に行こうかと思ったのだが、あんまり混んでいたんでやめた。で・・・玉泉亭?・・・あ、伊勢崎町にある老舗と同じ名前だ・・・もしかして・・・とりあえず四の五の言わず、ラーメンを食う。チャーシューはボゾボゾしてていまいちだが、スープや麺は懐かしい感じでけっこう美味しい。食べ終わってから聞いてみると、やはり伊勢崎町の店の支店だという。そう言えば西口の地下街にも『玉泉亭』という中華料理屋があるが、調べてみるとそこも同系列だということがわかった(味の印象はずいぶん違ったような気がするんだけど・・・)それにしても、東口、いつの間にかラーメン激戦区だなぁ。
最近気になっているのは、柴咲コウが出ているお茶のコマーシャル。バックに『ひょっこりひょうたん島』のテーマ(作詞は井上ひさし・山本譲久、作曲は宇野誠一郎)が流れている。正規ヴァージョン(前川陽子)でも、フォーククルセイダーズのヴァージョンでもないようだ。誰が歌っているんだろう。
苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけどぼくらはくじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃお すすめー
コマーシャルではここで終わってるけど、このあとに有名な「♪ひょっこりひょうたんじ〜ま」というフレーズが続く。それにしても、メロディーと言い、歌詞と言い、本当に素晴らしい曲だ。特に「泣くのはいやだ 笑っちゃお」というフレーズは、ブルースの真髄であるといっても過言ではない・・・かもしれない・・・→『ひょっこりひょうたん島』ファンクラブのページ
2002年4月17日(水)
仕事中にどうしてもおならがしたくなった。1階からエレベーターに乗ると、誰も乗っていなかったので「シメシメ」と連発。プップププププ・・・ふ、ふふふ、このエレベーター(もしくはエレレーター)は、ぼくの屁の噴射エネルギーによって上昇しているのだ・・・おお、俺ってすごい・・・と、妄想に浸っている間に事務室のある5階へ・・・あっ、人が!!
2002年4月18日(木)
非常勤初日。昼休みにイトーヨーカドーをぶらついていたら、去年の学生に会った。残念ながら、彼には不可の成績を出さざるを得なかったので、「ややや、これは『お礼参り』かっ」とちょっとびびったのだが(笑)・・・「あ、先生!」「お!よ〜どうしてた〜・・・落としちゃったけどな・・・」「いや〜まいりましたよ〜」「でも、自分でもわかってたろ、あんだけ授業出てなけりゃ」「ええ」「なにしろ、ひさしぶりだもんなー(笑)」「ひさしぶりですねー(笑)」・・・彼は別の大学に移ろうかとも考えていて、そのための勉強もしていたのだ・・・ぼくもそのことを知っていて、相談にのったこともある(結局ダメだったみたいだけど・・・)。根は実直な奴なのだ。でも、ぜんぜん授業出ていないのに単位あげるわけにもいかないからなぁ。ま、とにかく、会えて良かった。
夕飯を食いに近所のラーメン屋『昌希』に行った。開店当初行ったときにはごく普通のラーメン屋って感じだったのだが・・・「牛すじラーメン」を食って驚いた。ううう、うめぇよっ。スープもコクがあって、さっぱりしてて、かの『くじら軒』を彷彿とさせる(もう少し動物系が強い気はする)・・・と言ったら大げさだが、それは『くじら軒』がすごすぎるからで、充分うまい。みんな、切磋琢磨してるんだ。ぼくもがんばらなくっちゃ。
2002年4月19日(金)
たわんだに貸してもらったブルキナ・ファッソのジェンベ奏者アダマ・ドラメのCDを聞く。ジェンベのソロを中心としたものが一枚。ジェンベ、ドゥンドゥン(低音を担当する太鼓)などのパーカッション・アンサンブルのものが一枚。もう一枚はコラやバラフォンも入ったカラフルな演奏のもの。ドラメはマリ国境近くの町ノウナ出身のマリンケ人(典型的なマンデ)。演奏はかなりマンデっぽい。ブルキナ・ファッソと言ってもいろいろあるんだなぁ。もちろん、マリやギニアの音楽とは違うところもあるけれど、その違いが地域の違いによるものなのか、ドラメさんの個性によるものなのかまではぼくにはわからない。でも、どれも素晴らしい。
2002年4月20日(土)
タイガース、ジャイアンツに大勝。今季12勝目。こうでなくっちゃ。
2002年4月22日(月)
事務室に置いてある昔の雑誌に「電車のなかでの座り方を見れば育ちがわかる」なんて書いてあった。この書き方になんだか釈然としないものを感じるのはどうしてだろう。ぼくだって、混んだ電車のなかで座席に荷物を置いてるオバチャンとかいるとむかつく。でも、「育ち」って・・・?ようするに親のしつけが良かったとか悪かったとか言うことだろうけど・・・厳しく育てられたあげく嫌になって「もういいや」って足を投げ出して座ってる奴もいる。逆に親の行儀があんまりに悪いんで「自分だけは」って必要以上にがんばっちゃう奴もいる。環境が人間に影響を与えることは確かだけど、その与え方は様々だ。だから、ぼくらは自分の運命を自分で決めることができる。自由でいられるんだ。「〜を見れば育ちがわかる」って言葉は、そんな考えを踏みつけて粉々にしようとするもののように思えた。『「〜を見れば育ちがわかる」なんていう奴は、育ちがわかる』なんて言われたら、その人はどう思うんだろう。
2002年4月23日(火)
渋谷でレコードを買い漁る。本日の収穫・・・
←サリフ・ケイタ、モリ・カンテなど、のちにワールド・ミュージックのスターとして世界に進出していくミュージシャンが在籍していたマリのレイル・バンドのLP(サリフ在籍時のもの)。右から3番目、ひときわ目立つ白い肌(アルビノ)、にっこり微笑むメンバーのなかで唯一憂鬱そうにうつむいているのが若き日のサリフ・ケイタだ。レイル・バンドというのは国鉄バマコ駅付属のホテルを活動拠点としていたことからついた名前で、このジャケもディーゼル機関車がでーんと写っていてなかなかイカス。内容は・・・もちろん素晴らしい。なんと言っても名曲「ガンサン・ナ」が入っているのだ。『マリの音楽』というオムニバスに入っていたこの曲に刺激されて、まだメンバーが4人しかいなかった頃のチキリカで「ガンサナ」という曲をつくってやっていたこともある。『マリの音楽』の解説によればこの当時サリフはまだ21歳。彼の最初のレコーディングだそうである。
→こちらは、スリム・ゲイラードのアルバム。内容云々より、ジャケットのバカさ加減にひかれた。スリム・ゲイラードは粋な演奏でおバカな歌を聞かせるジャズ・ミュージシャン。日本では「ジャイヴ」なんて呼ばれている分野の人。「セメント・ミキサー、パッチパチ」って言っているだけのその名も「セメント・ミキサー・パチパチ」なんてのが代表曲だ。このアルバムは内容的にはバカ度が少ないが、ジャケがこれだから許す!。この撮影のためにわざわざメリー・ゴー・ラウンドの馬を野っぱらに持っていったのか・・・とか、この馬を後ろで支えている奴がいるはずだ・・・とか、考えれば考えるほど楽しい。バカなことに真剣になれる・・・人間って素晴らしい!!!。
帰りに『柿岡や』というお店でラーメンを食った。109の先、プライムの2階に新しくできた尾道ラーメンのお店。尾道ラーメンって、魚の酸っぱさが出ていて好きになれないものが多かったんだけど、ここのはなかなか美味しい。確かに酸っぱい味は残るんだけど、動物っぽいコクがあるのでそんなに気にならない(というよりかえって味わいが増している)。マル。
その後、関内の『The @ Super Suits Store』でスーツを買う。青山にワイルド・マグノリアスを見にいったとき、石井夫妻に「安くて、感じよくて、おしゃれな」良いお店だよ、と教えてもらっていたのだが、なんせ遠くて・・・と思っていたら、伊勢崎町店ができているのを発見!・・・いやー、ほんとに安くて、感じよくて、おしゃれなお店でした。フリースにジーパンの小汚いカッコでやってきた服飾音痴のひらげにも(だからこそ?)懇切丁寧に説明してくれて、とても勉強になる。茶系のスーツを買って「じゃ、ワイシャツも・・・」と言うと、店員のおにいちゃんは青いワイシャツを持ってきた。試着してみるとサイズも合ったので、じゃあ・・・「どちらのシャツになさいますか?」・・・ん〜・・・はっ!・・・そうか、もしかしてこれは、さりげなく「青色がおすすめ」ってこと?・・・「そ、そ、それじゃ、青のストライプのこれと、もう少し濃い色のこれを・・・」「ああ、茶系に青って言うのは合いますね」・・・ははは、褒められているみたいで気分いいなぁ・・・この商売上手!で、ひらげってた〜んじゅん。
2002年4月24日(水)
南大沢で都立大卒業生にしてQubeley(ホームページ製作中)のギターリスト、ヤマグチくんと遭遇。二人でしばし、新しいギターの自慢をしあったりして、別れる。Qubeley次回のライブは5月4日新高円寺のRITZ。見にいこうかな・・・。
仕事の帰り、成瀬のラーメン屋『大文字』に行った。とりあえず評判の味噌ラーメンを注文。出てきたラーメンは・・・ややや、で、でかい。よく見ると、「当店のラーメンは麺を1.5タマ使っております」と書いてある。1タマのラーメンもあるが、それは「小ラーメン」になるのだ・・・なるほど・・・って、なんでや!ふつうに1.5タマを大盛にすればいいじゃん。で、味は・・・う〜ん、美味しいとは思うけど・・・ぼくの好みではないなぁ・・・上品すぎるンだなぁ・・・カウンターには「いかにも」っ感じの焼き物が置いてあったりして・・・てやんでい、茶室でラーメン食ったってウマかねぇやい。三種類の味噌をあわせて使ってるらしいけど、橋本の『大宝』みたく、「うちの味噌は自家製、もんくあっか」と言う方が好きだなぁ・・・。
タイガース、広島に快勝。今季13勝目。
2002年4月25日(木)
ローラースケートに夢中になる夢を見た。「もういい年なんだから・・・転ぶよっ!」とみんなが止めるのも聞かず、得意になって町を駆けめぐるひらげ・・・変な夢だけど、妙にいい気分だった・・・
マダム・ラーゲ(ひらげのなかの占い師人格)
「ローラースケートに夢中になる夢を見たあなた。最近行動がうわすべりしていませんか。生活を見直してみては?」・・・ってそんなのいつもじゃん(笑)。
<今日のラーメン>
『汐のや』 たまプラーザにある塩味中心のラーメン屋。自慢の「潮そば」はなかなか美味い。でも、Cozyさんもホームページで書いていたけど、原因不明の変な味が口全体に残る。その後味のせいであんまり手放しで絶賛できないんだ・・・なんだろう、この味・・・どこかで味わった覚えがあるんだが・・・思い出せない・・・というわけで、思い出すためにまた行ってしまうかも。
タイガース、広島に大勝。今季14勝目。
2002年4月26日(金)タイガース!!タイガース!!タイガース!!
投稿者:ひらげ 投稿日:2002/04/27(Sat) 00:24
キャー!!!タイガース!!!
もう、すごすぎて失神しそう。キャー!!
矢野が戦線離脱して、バッテリーに不安を抱えたとたんに
打線が爆発!!だもん。キャー!!
アリアス!!お前は打率が低くても許す!!
一発屋でいい。たくましく育って欲しい。
タイガース!!キャー!!ジュリー!!(←それは違います)
>>あるBBSへの書き込みより・・・タイガース、ヤクルトに大勝。今季15勝目。
橋本でCDを漁っていたら、シトラスから電話。徳さんと関西旅行中、ちょりそー普及委員会大阪支部長NBPと会って三人で食事してるらしい。「ひらげ兄さんも来なよ」 んな、無茶な・・・以前、新宿でレコードを漁っていたときに南大沢から飲みの誘いの電話を受けたことがあったが(donaちゃん、あなたたちのことよ)・・・こんどは大阪かよっ!(←三村マサカズ風)。徳さん「新幹線の終電で来れば?」だから、無理だって。「それより、NBP、徳さんの車で横浜に来ればいいじゃん」「ああ、あ、そうか、そう、ちょっと冷静になって考えてみるね」と、電話は切れた。
夜11時頃、NBPから電話。「やっぱり家に帰ってきちゃった」「ああ、そう」ま、そりゃそうだろう。ふつう来ないよな、いきなり横浜に。「今テレビ見てるんだ」そう言えば、何か騒がしいな。部屋ではあんまりテレビを見ないと言っていたはずだが・・・「じゃ、○○(←NBPの双子の姉の名前)に代わるね」「え?」「あ・・・もしもし?やっぱ出るのやめるって」「??」「じゃ、後でまたかけなおしてもいいかな?」「??いいけど?」・・・・と言うわけで電話は切れたのだが・・・なんか、あやしい。挙動不審だ・・・あ・・・もしかして・・・着信記録を見ると、家に帰ったはずなのに携帯からだ。これは・・・
夜1時頃、再び電話。NBP「あ、もしもし?ちょっと代わるねー」・・・徳さん「よう」ひらげ「やっぱりなー」徳さん「(まわりのひとに)『やっぱりなー』だってさ」ひらげ「で、何時頃着くの?」・・・NBP、嘘下手すぎ。「だましちゃお〜♪」ってウキウキしてんのが、みえみえなんだもの(笑)。
2002年4月27日(土)
NBP、来横(来る、横浜)。徳さん、シトラスと4人で『吉村家』のラーメンを食う。相変わらず、美味いな〜。そのあと、『カフェ・ハイチ』で雑談をして、それからひらげの部屋(ホンモノの方)へ・・・みんなでCDを聴いたり、ビデオを見たりして楽しくすごした。それにしても、お三人さん、お疲れさまでした。
2002年4月28日(日)
チキリカ、レコーディング。ちゃんとしたレコーディング・スタジオに入るのははじめてだったので、ウキウキしてしまった。例によってエロさんパワー炸裂。笑いの堪忍袋が破れる(「もう堪忍して〜」というくらい笑ける)ことがたくさんあったのだが、ウェブ上では残念ながら伝わらないと思うので省略。雨さんは「豆腐か肉豆腐」を「トーマス・マプーモ」と聞き間違えることが判明。鶏太郎さんはもう少しで夕食にチムレンガを食わされるところだったらしい。肝心のレコーディングはほぼうまくいきました。あとはぼくのギター(チューニングが悪い・・・)を取り直して、完了!かな。メンバーとエンジニアさん、お疲れさまでした。
レコーディングが終わって、地上に出たとたん星くんから電話。何か俺、よく飲みの誘いうけるなぁ。終電間際の秋葉原にいたんでさすがに無理だったけど・・・みんな、ぼくが誘われればホイホイ着いてくと思ってるでしょ・・・あのねー!!・・・誘われなくても着いていくよ!!(笑)。
2002年4月29日(月)
あれ?月曜なのに試合あんの?タイガース。中日に初勝利。今季16勝目。
ハーレム・ルネッサンスの時代にウォレス・サーマン、ラングストン・ヒューズ、ゾラ・ニール・ハーストンなど若い作家が中心になってつくり、創刊号のみで廃刊になった雑誌『ファイア!!』についての論文、ほぼ書き終わった。あとは結論、というか結びを書くだけ。『ファイア!!』そのものというよりも、それに関わった三人の作家(サーマン、ヒューズ、ハーストン)がアフリカ系アメリカ人としてのアイデンティティをどう捉えていたか、また彼らの捉え方が前の世代の知識人とどう違っていたかについてぼくなりの考えをまとめてみた。自分ではけっこう面白いものができたと思う。
2002年4月30日(火)
タイガース、中日に連勝。藪の好投が光る(2年ぶりの完封!)。今季17勝目。ファイン・プレーは出るし、ホームランは乱れ飛ぶし(桧山!桧山!桧山!)、言うことなし。ほんとに、きみたち、去年までのタイガース?
2002年5月
2002年5月1日(水)
もち肌ツルツルには自信のあるひらげだが、最近うなじのあたりがめずらしくかぶれている。なかなか治らない。このまま人面痩になってしまったらどうしよう・・・そんな不安が脳裏をかすめる。そうなったら、人面痩の分までご飯を用意しなくちゃならないじゃないか・・・ご飯あげないで死なれてしまっても嫌だし・・・だいいち、世間体が良くない。「あーあ、あの人、人面痩死なせちゃったよ」「やーねー、甲斐性なし〜」・・・とほほ・・・でも、こんなところに人面痩ができたら、どんな顔をしているのか自分で確認することもできない。せめてうら若き女性とかだったらいいんだけど・・・おい、人面痩、お前何ものだ!何かしゃべってみろ!
「最近、うなじに人面痩ができたあなた・・・」
えっ!!その声は・・・マダム・ラーゲ!!
・・・バカな妄想は続く・・・
2002年5月2日(木)
渋谷で愉快なレコードを見つけた。Patsy AbbotのYiddish Songs Mama Never Taught Me(『ママが教えてくれなかったユダヤの歌』)。裏ジャケの解説には、「ここに入っているのはちょっときわどい、頬を赤らめるようなダブル・ミーニングを持つ歌です」とか、「ドアを閉めて子供を中に入れないように。パッツィーの『ママが教えてくれなかったユダヤの歌』の時間ですよ」みたいなことが書かれている。およおよ、これはユダヤの猥歌集ではないか・・・イデッシュ語なので何を歌っているのかさっぱりわからないが・・・しかし、このジャケ!いつかユダヤ人の友だちができたら、何も言わずに聞かせて恥ずかしがらせてやろう。いっひっひっひっ。
<今日のラーメン>
渋谷『煮干しラーメン時代屋』塩ラーメン
美味い。煮干しのだしに動物系の味がほど良く混ざったこくのあるスープ・・・塩ラーメンは茎ワカメがのせてあって磯の香りを演出・・・うーん、やるねぇ。
2002年5月3日(金)
タイガース、18-11で広島に勝利。今季18勝目。両チームあわせて8本のホームランが乱れ飛ぶ大混戦。井川、チームメートに感謝しろよ(笑)。
2002年5月4日(土)
※以下は映画の感想です。映画のストーリーに触れる部分があります。映画を見る前に知りたくない人は次の※まで読まないでください。
渋谷イメージフォーラムで映画『鬼が来た!』を見た。
素晴らしい映画だった。重たい歴史を扱っていながら、いわいる社会派映画のようなかしこまったところはない。客席から笑いがもれることもしばしば。二転三転する展開も見るものを飽きさせない。でも、『東京ウォーカー』に書いてあった「楽しい状況が、些細なきっかけで地獄に一変」という表現には首をかしげた。
底抜けに「楽しい状況」なんて、ここにはひとつも描かれていない。常に日本軍と対峙しながら、なんとか日常を保とうとする中国農村の人々・・・そのなかではユーモアやセックスが重要な役割を果たすこともある。臆病で身勝手な人間の姿が描かれている場面もあって、それは観客から見ると笑いを誘うものかもしれない。しかし、そこには常に日本軍に対する屈辱と怒りがある。それを「楽しい状況」と呼ぶことはできないだろう。虐殺前の宴会のシーンでも、長老やおばさんが日本の小隊長を褒め称える歌をうたう(その直後、彼らは無残に殺されてしまうのだが・・・)。そこに屈辱がないと考えるのは多分、日本人だけだろう。
この映画のキモは、中国の農村に日本人捕虜がほうり込まれることによって、表現されない鬱屈された感情が顔をのぞかせ、日常を日常のままに暮らそうとする人間の優しい感情とぶつかり合うところにある(そうした感情はどちらも戦争の狂気によって押しつぶされてしまうのだが・・・)。ここで描かれている日本兵はステレオタイプな「残虐な侵略者」ではない。だからこそ、少なからぬものがこの映画の舞台である村と同じ貧しい農村の出身であったはずの日本兵を凶行に走らせた戦争の狂気や、中国人に屈辱的な仕打ちをする彼らの無知が際だつ。ぼくらが目をそむけてはいけない事実がここにはある。日本に凶悪犯罪が増えているのだとしたら、それは「第三国人」の流入なんぞのせいではない。自分たちがかつて世界にばら撒いていた狂気を直視せずに突っ走ってきた日本が、自分自身の暴力と狂気に苛まされているということなのだ。主人公マーさんの一家を苛めつくす日本の通信兵の姿・・・そこに浮浪者のおっさんをなぶり殺した若者を重ねあわせてみる・・・。
※←ここまで
<今日のラーメン>
高田馬場にある有名なタイ料理の店『ティーヌン』の支店が渋谷にできているのを見つけた。バーミーヘン(細麺)を食ってみた。なるほど、美味い。麺のコシの点では橋本の『チョーク・ディー』とかのほうが上だと思うが、スープが美味い。バッチ・グー(←死語)である。パクチー大盛もできるのが、臭いもん好きのひらげとしては嬉しい限り。他にもトムヤムクン・ラーメンや、タイ風油そば、カレー各種などのメニューがある。
夕飯は『大島ラーメン』 上野に総本店があるお店の渋谷店。最初、伊豆大島のご当地ラーメンか!?だしはクサヤか!?とひるんだのだが、何のことはないオーナーの名前が大島さんと言うのである。動物系のなかに鰹節の味が浮びあがってくるようなスープはけっこう美味い。チェーン店からイメージされる平均的な味とはちょっと違う。渋谷には『時代屋』があるので、しょっちゅう行こうとは思わないけど、悪くない。
2002年5月5日(日)
タイガース、広島に逆転勝ち。今季19勝目。
2002年5月9日(木)
非常勤の昼休み、たまプラーザのラーメン屋『汐のや』に行く。前回行ったときに感じた原因不明の変な後味の正体・・・なんとなくわかった。アサリのすまし汁の味だ。よく見ると、メニューに「浅蜊そば」とある。スープにもアサリの煮汁か何かが使われているんじゃないだろうか。アサリのすまし汁は大好きだけど、動物系の油とまざるとどうもこう、すわり心地が悪い、お尻がむずむずするような味になってしまう・・・いや、きっと好きな人は好きなんだろうと思う。でも、ぼくはちょっと・・・。
非常勤の帰り、仲町台のラーメン屋『白河中華そば』に行った。福島県白河にある『とら食堂』で修行した店長は、頑固者そうでいて「(ラーメン食べて)あったまりました?」と聞いてくるほどの人なつっこさ。注文した「中華そば」は基本に忠実な醤油ラーメンといった感じ。見た目はほんっとにフツー。スープも丁寧につくられていて美味いけど、驚くほどではない。しかし、麺は・・・ぼくの大好きなプルプルとした手打ち麺。コシも歯ごたえもあって上等。これでスープにもう少し魚系の香ばしさがあればなぁ・・・と思ったら、別メニューの「支那そば」は動物系・魚系をあわせたスープだと言う。今度はこれを頼もうっと。
2002年5月10日(金)
タイガース、ジャイアンツを粉砕。今季20勝目。アリアス、かっこいいぞ。打率が二割にも満たない4番というのは前代未聞ではないだろうか。しかも、降ろされないだけの働きをしている。「チャンスにホームランしか打てないバッター」というのは新庄の上を行く。打率1割台のホームラン王っていうのもすごいかもしれない。よっ!愛すべき一発屋!(褒めてるんですよ。念のため)。
たわんだ、中華人民共和国から帰国。かなり刺激的な旅だったらしい。万里の長城とかも行ったらしい。左の写真がお土産。魔よけらしいんだけど、何かブードゥーっぽいなぁ(ダーティ・ダズン・ブラス・バンドにこんな感じのジャケがあったっけ)。『鬼が来た』で、中国の血なまぐさい歴史(それはもちろん、「日本の」血なまぐさい歴史でもあるんだけど)を見たばかりなので、よけいに迫力を感じてしまう。魔よけで追い払われる悪魔って、日本軍のことだったのかも(そう言えば、『鬼が来た』の英題は『デビルズ・オン・ザ・ドア―ステップ』だった)。そういう重たい歴史を背負っている(かもしれない)彫像なので、じっと見つめていると何かが起こるかもしれません。
2002年5月12日(日)
チキリカのギターリスト今奈良が隅原くん(なぜか今年から都立大生)とやっているユニットautomamaのパフォーマンスを見に代々木公園に行ってきた。相変わらず、かっこよかったデス。個人的にはもうちょっと激しく動い
たほうが、ママの良さが際立つような気もするが・・・。子供受けがよいのも面白い。呆然として眺めているが、立ち去ろうとはしない。子供を引きつけて放さない、タケモトピアノのCMソングのような魔力を持っているのかもしれない。今奈良は「オレンジなんで、仮面ライダーかなんかと勘違いしているのでは?」(←よく考えたら意味不明・・・笑)と言っていたが・・・。写真はパフォーマンス性が高そうなものを選んでみました。「跳ぶ今奈良」(右)は決定的瞬間をとらえていて(左足が地面から離れているところに注目)、なかなか傑作だと思うのだが・・・どうでしょう。
帰りに渋谷で『竹麓輔商店』のラーメンを食った。ここは『むつみ屋』のオーナーが新たに作ったお店。『むつみ屋』のラーメンと言えば昔は母性が強いような気がして、ラーメン・マッチョ派のひらげはあまり好きになれなかったのだが(←何を言ってるのかよくわからない)、最近になってとろりと優しさで包み込んだなかに苦みばしった男らしさが感じられるようになってけっこう気に入っている(←ますますよくわからない)。その『むつみ屋』の店主が作った新たなラーメン屋・・・さて、お味は・・・頼んだのは醤油ラーメン。スープの味は基本的に『むつみ屋』とよく似ているが、比較的とろり感がなくてすっきりしている。麺もややちじれた固めの細麺で、中太ストレートの『むつみ屋』とはかなり違う。6:4で『竹麓輔商店』のほうがひらげ好み、かな。
母の日・・・柄にもなく花を買って帰った。
2002年5月14日(火)
ニュース・ステーション。アウンサン・スー・チーさんのインタビュー。
久米宏「ヨーロッパもアメリカもミャンマーに対する経済制裁を解こうとしていないなかで、日本はあなたの釈放をもって経済制裁を解除しようとしています。そのことについてどう思いますか」
スー・チー「日本政府のいつものやり方で、どうとも思いません」
久米「いま、日本の外務省はむちゃくちゃなんですが、ご存知ですか」
スー・チー「(ふふっと鼻で笑って)外務省だけなんですか?」
久米「・・・・・・」
さすがの久米宏も一瞬、言葉を失っていた。政治活動を再開しようとするときには、援助や承認を期待して外国に対する辛辣な発言は避けるものだ。つまり、スー・チーさんにとって、日本は何も期待できないへたれ国家ということなんだろう。中国で北朝鮮の亡命者が日本領事館から引きずり出されるのを見ていると、やっぱりそうなんだろうな・・・と思う。
タイガース、横浜に勝利。今季21勝目。ジャイアンツは負けたので、一日で首位復帰だ!。
2002年5月15日(水)
タイガース、横浜に勝利。今季22勝目。
2002年5月16日(木)
非常勤の帰り、再び『白河中華そば』へ。予定通り、今回は「支那そば」を食す。やっぱりこちらの方がひらげ好みだな。でも、一番魅力的なのは手打ちの麺。
タイガース、横浜に連勝。今季23勝目。8点も取るなんて弱いものいじめみたいで、ちょっと心が痛むが・・・。
2002年5月18日(土)
チキリハ(チキリカ・リハーサル)。横浜で電車を待っている間、明日お披露目する新曲の歌詞が思い浮かんだ。ほぼ完成していたのだけれど、ちょっと納得いかないところがあったんだよね。アイディアってけっこう変な場所で浮かぶものだ。
2002年5月19日(日)
南半球系バンド、チキリカ横浜ライブ。来てくださったみなさん、どうもありがとう。「夏が来る」という企画で、対バンも面白くて楽しかったです。四角いギターもお披露目できたし。昨日作詞が完成した新曲も・・・(ただし、一ヶ所歌詞を間違えた。どこかは・・・ヒミツ)。次回は7月28日(日)吉祥寺曼荼羅です。それまでには新作CDも出る予定。
2002年5月20日(月)
仕事の帰り、橋本でCD漁り。掘り出し物を幾つか見つけた。
ひとつは60年代ドイツのビート・バンドを集めたオムニバスRare&Raw Beat From the Sixties Vol. 6。「Vol.6かよ!」ってつっこみ入れたくなる。こんなものが6巻もでているのか!。ボーナス・トラックとしてラスカルズの未発表トラックが・・・ってよく解説を読んだら、フェリックス・キャバリエのラスカルズとは縁もゆかりもない、ドイツのラスカルズ・・・でも、なかなかかっこいい。これが500円。
もうひとつはBachir AttarのThe Next Dream。アタールはモロッコのミュージシャン。モロッコのジュジュカと言えば、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが録音しに行ったことで知られるマジカルな音楽。高校時代ひらげは同級生の女の子に「ローリング・ストーンズ何か貸して」と言われて、『ブライアン・プレゼンツ・ジュジュカ』を渡していた(アホである・・・ごめんね勝さん)。当時子供だったアタールはブライアンが現地のミュージシャンの演奏を録音する様子を見ていたという。で、ストーンズが『スティール・ホイールズ』でこのブライアンゆかりの音楽を取りあげたとき、参加したジュジュカのミュージシャンを率いていたのがアタールだった。内容は・・・素晴らしい。なぜかメイシオ・パーカーが参加している。何とこれが100円!!!!。得したぁ〜。
2002年5月21日(火)
昼食を食いに行こうとしたら、オバチャンにナンパされた・・・というのは嘘で、ヤクルトのアンケートだった。面白そうなのでやってみる。図書券も1000円貰えるらしいし・・・主にヤクルトのCMに関する質問。コンパクトDVDプレイヤーでCMの映像を見せられて答えるのだ・・・ひらげはサービス精神過剰なので、ついついいろいろ喋ってしまう。渡辺謙主演のコマーシャルは良い。なにしろ、BGMがジミー・スコットだ。でも、雑誌広告はいただけない。テレビよりマッチョなイメージが強いからだ(ひらげはマッチョなラーメンは好きだが、それ以外ではなよなよ派である)。田中美佐子主演のCMは「この人も年取ったねー」という印象。でも、疲れたOLがヤクルトで元気が出ると言うイメージは、だからこそ得られるもので大変好印象・・・
・・・以上、もちろん口からでまかせ。
2002年5月23日(木)
非常勤の後、渋谷でレコード漁り。すごいのんがあった。西アフリカはギニアのヒット曲を集めたオムニバスDiscotheque'73。「ディスコティーク」シリーズは、1972年から76年ぐらいまで出ていてCD化もされている。ところが、なぜか73年のものだけが手に入らないのだ。それが・・・あった!。しかも、ジャケットが秀悦。宮益坂El Sur Record。店長さんに聞いてみた。「これって、たしか73年のだけCD出ていませんよね」「いや、出ているはずなんですが、なぜか入ってこないんですよ」「そうなんですか。ベンベヤ・ジャズの『スーパー・テムテンバ』とかって聞いたことがないし・・・」 ちょっと高かったんだけど、買ってみて正解。「スーパー・テムテンバ」は大好きなベンベヤ・ジャズ・ナショナルのなかでも一番好きな曲「テムテンバ」(ライブ盤10 Ans de Sucess収録)のスタジオ・バージョン。さらにはミリアム・マケバ(南アフリカを代表する女性シンガー)がギニアに亡命していた頃に録音した曲(最近当時の録音を集めたCDが出た)が入っていたり、およよ、これはディスコティーク・シリーズの中でも一番の注目盤かも・・・。
そして、さらに究極のばかジャケを・・・。
タイガース、巨人に勝って連敗しゅうりょ〜!!。今季24勝目。しかし、11点って!!。もう少し平均して点が取れんものかのう。でも、その辺が母性本能をくすぐられるところなんだけど・・・。
2002年5月24日(金)
今日いちばん心に残ったのは深夜テレビでやっていたユー・ザ・ロックのインタビュー。今度のアルバムは中学二年生あたりを対象としているらしい。「『楽しいことがあるよ』って言ってやるのは俺のアーティストとしてのつとめだと思う。世の中つらいことばかりなんだから」・・・テレビ番組なんかでみせるおしゃべりなお騒がせ屋的な顔とは裏腹に、すごく繊細で知的な人なんだな。自分の感覚を大事にしながら、それがまわりに与える影響ってものを敏感に受けとめている。そんでもって、流れていた最新アルバムの音がグー。アフロ・アメリカンのヒップ・ホップを丸ごと受け入れたり、恐持ての表情をつくってみたりする必要はないんだ・・・かっこいいぜ、ユー・ザ・ロック!!。
2002年5月25日(土)
タイガース、中日に快勝。今季25勝目。アリアスが13号を放ち、ムーアが完封。さあ、これからまた連勝街道驀進だっ。
2002年5月26日(日)
タイガース、中日に連勝。今季26勝目。アリアス、また打った!!。
2002年5月27日(月)
アデ、かっくい〜!!助手稼業の後、新宿でレコード漁り。素晴らしい収穫。ラヴィ・シャンカールのウッドストック・ライブ完全盤。ジンバブエのムビラ(親指ピアノ)奏者エファット・ムジュール現地盤。キング・サニー・アデ、サニー・アラデ・レーベルからの25枚目『メッセージ』、そして・・・ブライアン・ウィルソン2002年日本公演の海賊盤・・・あの感動のコンサートで隠し録りしてた輩がいたのか!と憤りつつも買ってしまった。聞いてびっくり、海賊盤とは思えない音の良さ・・・あの日の感動がよみがえる・・・るるるる〜
『阿闍梨』でラーメンを食う。前回は普通の醤油ラーメンだったので、今回は合わせだしの「一番だし醤油ラーメン」・・・何と、ラーメンのうえにこんもり削り節がのっている・・・スープをすすった・・・おおおおおおおお!!!・・・ひさびさに天の声を聞いた!!うまああああああああい。百点あげよう。花マル!!。
2002年5月28日(火)
一日、家で論文の推敲をしていた。國學院の雑誌に出してもらえるかもしれないので、規定にあわせて削らなければならない。何時間もハードボイルドの鬼になって削りまくった。時間はかかったけど、けっこうあっけなく短くなった。俺の文章って無駄が多いんだなぁとつくづく反省した次第。
久しぶりに『徳福』に行ったら閉まっていたので、となりの『保土ヶ谷中華堂』にした。ここの「中華そば」はあっさりとした魚介系スープの醤油味。ずいぶん前に一度食ったときには、美味しいけどあまりにもあっさりしていて、味の滞空時間が短い感じがした。久々に行ってみると「中華そば2」というメニューが・・・なんじゃこりゃ??。頼んでみると、「中華そば」の上に、高菜と揚げ玉葱がのっている。それがあっさりスープを吸って、なかなかの味わい。これは行ける!!。いっしょに頼んだ「つけワンタン」は、茹でワンタンを濃いめのたれにつけて食う。辛味噌が添えてあってお好みでつける。ちょっとチープな、おつまみ的メニューだけどけっこう美味い。
帰りに保土ヶ谷駅近くの居酒屋に「いっちゃんの白えびラーメン」と貼り出しが・・・この居酒屋、以前にもラーメンを出していて、気になって行ってみたのだけれど、そのときにはすでにラーメンをやめていた。そうか、ラーメン復活か・・・明日行ってみよう。それにしても、「白えびラーメン」って・・・?
深夜にジプシー音楽を聞いていると、両手を振りまわしながらクルクルと踊り出したくなる。五回転ぐらいしたら頭がくらくらしたのでやめた。
2002年5月29日(水)
タイガース、横浜に辛くも勝利。今季27勝目。満塁で一点しか取れないってのはどうかと思うが、とにもかくにもこれで首位復帰!!
昨日、「いっちゃんの白えびラーメン」って書いてあると思ったのは「白えびスープ」の間違いだった。頭のなかがすっかり魅惑の「白えびラーメン」でいっぱいになっていたひらげは、居酒屋「いっちゃん」の前でしばし呆然。ラーメン中毒のひらげは「スープ」と聞くと即座にラーメンを連想していることが判明。
2002年5月30日(木)
タイガース、横浜に連勝。今季28勝目。アリアスが初回ホームラン、さよならヒットと大活躍。しびれる〜。
China Blueから大阪芸大サークル製作の『ゲータイガー・ヒット曲集』届く。芸大の人たちって・・・底抜けにバカ・・・あ、いや、褒め言葉です。大真面目にバカをやる、これこそがゲージツのゲージツたる由縁でしょう。ひらげは・・・誠実にバカをやりたいと思っています・・・誠実なバカ・・・バカ誠実(「ぼくは死にましぇ〜ん」と言いながらトラックに轢かれてみせるとか・・・?)。
2002年5月31日(金)
タイガース、また勝った!!。今季29勝目。
ワールドカップには大して興味なかったんだけど、何とセネガルがフランスに勝った!!。ダカールは今ごろ大騒ぎだろうな・・・アフリカ人のサッカーに対する情熱はものすごい。ジンバブエに行ったとき、一等車専用の待合室に次々人が入ってきて「何だ何だ??」と思っていたら、待合室のテレビでジンバブエ・ナショナル・チームの試合が・・・ってことがあった(入ってきたのは鉄道の職員)。結局ジンバブエは負けたんだけど、いっしょになって一喜一憂して盛りあがった・・・あのときの相手は確かセネガルだったっけ・・・?
だいとうくんがBBSに「祈祷師たちはがっつり報酬がもらえることでしょう」と書いていたけれど、そう言えば、この間NHKでやっていたワールドカップの歴史についての番組によると、ザイールがブラック・アフリカで最初のワールド・カップ出場国になったときにも、祈祷師が同行したらしい。日本も陰陽師とかが同行するといいかも。
2002年6月
2002年6月1日(土)
「こんなことをつぶやいているのを聞いたら、誰でもびっくりするだろうが、わたしには、自分を殺そうとして背後から追っかけてくる『死』よりも、自分にとって興味のあるものを見ることのほうが、大事なのだ」(エイモス・チュツオーラ『ブッシュ・オブ・ゴースツ』橋本福夫・訳、ちくま文庫)
次に書こうと思っている論文の参考のために、ナイジェリアの作家エイモス・チュツオーラの『ブッシュ・オブ・ゴースツ』を読み返してみた。今度の論文ではヨルバ語で「アビク」、イボ語で「オバンジェ」と呼ばれる存在について書こうと思っている。アビク/オバンジェというのは同じ親のもとに何度も生まれては幼くして死に、親の捧げた供物や愛情を自分たちの世界へ盗んで帰る邪悪な霊のこと。ナイジェリアではヨルバ人のウォーレ・ショインカ、ベン・オクリ、イボ人のチヌア・アチェベ、ブチ・エメチェタなんかが作品のなかでアビク/オバンジェのテーマを扱ったり、アビク/オバンジェと言われる子供を登場させたりしている。『ブッシュ・オブ・ゴースツ』では、第七章に出てくる「強盗ゴースト」っていうのがアビクだ。多くの作家が人間社会にやってきたアビク/オバンジェを描いているのに対して、霊の世界に暮らすアビクの姿を描いているところがチュツオーラのユニークなところ。
で、そんな話を抜きにしても、この作品は面白い。戦争の混乱のなか魑魅魍魎の棲む「ゴーストの森」に迷い込んだ男のお話。身体中から悪臭を放つ「悪臭ゴースト」、口を利く地面、こびとゴーストと目から稲光を放つ巨大な母親、テレビの手をした女ゴースト・・・奇想天外な話が次々に繰りだされる。最初に引用したところはこれだけ読むとちょっとかっこいいけど、「興味のあるもの」ってのは「世にも醜悪な女ゴースト」のことなのだ。、主人公は腕なしゴーストの集団に追いまわされながらも、女ゴーストのあまりの醜さに好奇心を押さえきれず追いかけていく。ちらりと見たその醜さに笑いがとまらない。女ゴーストも自分自身の醜さにゲラゲラと笑い声をあげながら、醜い自分の姿を見せまいと全速力で逃げていく・・・もう、めちゃくちゃである(笑)。
チュツオーラは1920年、ナジェリアのアベオクタ(ヨルバランドの中心地のひとつ。フェラ・クティなんかもここの出身)に生まれ。1997年に亡くなった。『ブッシュ・オブ・ゴースツ』は1954年の作品。アフリカに対する偏見を深めているとか、政治的な問題に無関心だとか、ヨルバの民話を焼きなおしただけとか、英語が陳腐だとかいうことで批判されることも多かった人だけど、奇想天外な世界はやっぱり面白い。それに、チュツオーラが政治に無関心だったという見方は見直されつつある。この作品でも、主人公がゴーストの森に入って行くのは、「奴隷戦争」の戦乱を逃れてのこと。24年間魑魅魍魎の世界を渡り歩き、やっとの思いで人間社会に帰ってきた主人公はたちまち奴隷商人に捕まり売りとばされてしまう。人間社会もまた魑魅魍魎の世界と同じくらい(あるいはそれ以上に)危険なところなのだ。もしかすると主人公は最初から奴隷商人に捕まって、主人から主人へとあちこちを転々としていたのかもしれない。生まれ故郷に帰ってきた主人公は奴隷として生きてきた24年間をヨルバの民話にこめて語ったのだ。奇天烈な物語にすることで、辛い体験を乗りこえるために・・・最後の最後に添えられた謎めいた言葉「これは憎しみがどういう結果をもたらすかと言う話なのです」はまさにそのことを示しているんじゃないだろうか・・・代表作は他に1952年の『やし酒のみ』、1981年の『薬草まじない』(どちらも土屋哲・訳、晶文社。日本での人気は高く、他にもいくつか日本語訳が出ている)。
タイガース、また勝った!!。今季30勝目。
2002年6月2日(日)
「高級食材って言えばキャビアだよね」「あ・・うん」「キャビアの親だって言うから期待したんだけどさ、魚料理」「うん」「大したことなくってすっかり白けちゃって・・・」「そう・・・」「もーチョーザメ(興ざめ)・・・」「・・・・」「なーんちゃって」・・・♪えーじゃないかえーじゃないか〜
チキリハ(チキリカ・リハーサル)。間違えて一時間早く行ってしまった。仕方がないので幡ヶ谷の町をぶらぶらしていると、駅前に『武蔵家』という家系ラーメンの店ができているのを見つけた。吉祥寺と中野に同じ名前の店があるらしいけど(吉祥寺の店と中野の店は系列が違うらしい。『家系ラーメン』のページを参照)、どちらかの支店だろうか・・・チャーシュー麺を注文。ところが出てきたのはほうれん草たっぷりで、チャーシューは1枚。あれ?と思っているとちょっと遅れて運ばれてきた隣のお兄さんのラーメンはチャーシューがたっぷり・・・あれれ・・・二人で顔を見合わせて「すいませーん」・・・ひらげはチャーシューを探すために箸をつけてしまっていたので単純に交換とはいかない。お店はほうれん草たっぷり(しかも中盛り)にチャーシューを入れて持ってきた。「サービスするからゆるちて」ということらしい。隣のお兄さんの分は最初から作り直しだから、ひらげはとっても得をしたように思える・・・でも、練習前だから軽く、と思ってるところに1.5タマの中盛りってのはどうも・・・さらにお兄さんが駄目押しの一言「ぼく頼んだの、味濃い目、脂多目だったんですけど・・・」 とほほ・・・基本の味はいいと思うけど、「味濃い目」はぼくには塩辛すぎた。
練習後、行きつけの中華料理屋『南天玉』に。新店舗の準備でしばらく顔を出さなかったおばちゃんがいたからね。ここの料理はほんとうにおいしい。新店舗は日本橋(東京のニホンバシ・・・大阪のニッポンバシではありません。念のため)。お近くの方は是非。
2002年6月3日(月)
〈空耳アワー〉
グレイトフル・デッド「マネー・マネー」。サビのところ、「シー・ウォンツ・マネー」にレスポンスするコーラス。「ホァット・シー・ウォンツ」というところが何度聞いても「欲しいわ〜ん」と聞こえてしまう。意味的にもかなり近いし・・・。
映画『少林サッカー』を見た。すごかった。びりびり電気走った。見たあと、歩幅が30センチぐらい広がったような気がした。身体中の筋肉がむぎゅぎゅぎゅぎゅひゅぎゅ〜っとひきしまり、どこまでも全力疾走できそうな気持ちになった。今なら、何かがしゅるしゅるしゅるしゅるる〜と竜巻回転で飛んできても、片手でびゅんっ(一瞬)と始末できる(はず)。もちろんご都合主義だらけの娯楽超大作なのだが、ご都合とご都合がうまい具合にかみ合って、完全に感情移入。笑いアリ、涙アリ。『ムトゥ・踊るマハラジャ』と『ブルース・ブラザーズ』と少年マガジンをあわせたような世界。楽しかった〜。
2002年6月5日(水)
眼鏡が・・・!!眼鏡が・・・!!(再現画像)会議中に眼鏡をいじっていたら、真ん中からぽっきり折れてしまった。げげげ・・・みんな知らないふりしてくれたけど・・会議中に静かに慌てふためくひらげの姿はさぞかし可笑しいものだったろう・・・笑いが取れたから、ま、いいか。
よしこさん(ひらげのなかの母性人格)「ひらげさん。笑わすのと笑われるのとは違いますよ」
帰り、ひさしぶりに町田に寄った。『いくどん』でラーメンを食って行こうと思って歩いていくと・・・な?な?な?何?『いくどん』二号店の辺り一帯の建物がない!!。大通り公園みたいにずっと向こうまで見渡せる。しばし、呆然。何が起こったんだ???。町田に自爆テロ??・・・そ、そ、そんな・・・だいたい町田を襲ってどうするつもりだ・・・とりあえず空腹なので、『いくどん』一号店に行く。いい感じの東京ラーメンを食べ、店長に聞く。「もうひとつのお店のあたり、どうしたんすか、あれ」「ああ、109が建つんだよ。また地下一階に入るからよろしく」・・・ああ、そういうことか・・・そりゃそうだよな・・・。
2002年6月6日(木)
明け方、ものすごいカミナリの音で目が覚める。爆撃のような雷鳴が朝まで休むことなく続いた・・・カミナリはやめて・・・いや、怖いわけじゃないんだ、怖いわけじゃ・・・でも、あれ、必ずどこかに落ちるんだぜ・・・
タイガース、7-0で広島に快勝。今季31勝目。井川完封。アリアス、またまた打った!。
2002年6月8日(土)
ビーチボーイズの『カール&ザ・パッションズ』を聞いた。1973年にリリースされた、最も売れなかったアルバム。あんまり売れなかったもんで名盤『ペット・サウンズ』と抱き合わせの二枚組にして再発されたけど、それでも売れなかった。でも、カール・ウィルソンが中心になったソウルフルなサウンドはなかなかかっこいい。先日の来日公演でも演奏されたブライアンの名曲「マーセラ」も入っているし。このアルバムから南アフリカ出身のロック・バンド「フレイムズ」のブロンディ・チャップリン(ベース)とリッキー・ファタール(ドラム)が参加している。二人とも、のちに数々のセッションに参加することになる凄腕だ。特にリッキー・ファタールはあのラトルズ(ビートルズのパロディ・バンド)にも参加していたし(ただし、なぜかギター=ジョージ・ハリソン役)、10年ぐらい前ボブ・ディランが来日したときにもドラムを叩いていたと思う。その二人が作って、ブロンディ・チャップリンがヴォーカルをとった「ホールド・オン・ディア―・ブラザー」というワルツがまた素晴らしい。
まわりで起こっているすべてのことに
目をつぶろうとしていた
でも、だめさ、逃げることはできないんだ
友だちを一人失っても
ぼくにはきみがいるだろう?
シンプルすぎて何を歌っているのかわからないような歌詞だけど、もしかするとこれはアパルトヘイトのことを歌っているんじゃないだろうか。ブロンディもリッキーも見るからに白人ではない。南アフリカでロック・バンドをやるカラードの若者の状況ってどんなものだったんだろう。二人とも当時のことを語りたがらないのか、南ア時代の状況を伝える資料はほとんどないんだけど、興味のあるところだ。
2002年6月9日(日)
文京シビック・センターにジェンベの演奏とアフリカン・ダンスを見に行ったのだが・・・当日券売り切れ。予約しておけばよかった。とほほ・・・甘く見てました。
仕方がないので、池袋でラーメンを食っていくことにする。本当は『大勝軒』系の名店『麺屋ごとう』に行こうと思ったのだけれど、日曜は休み。そこで、同じビルのすぐ上にある『めん処 あ・うん』に。新作メニューの「鯛ラーメン」を食ってみる。だしに鯛を使ったラーメンというと調布「千ひろ」の「鯛骨ラーメン」が有名だが、ここのはえびワンタンが二つのっている。あっさりスープは実に上品なお味。美味い。「千ひろ」のシンプルさ(具は長ネギとカイワレだけ)のほうが衝撃はでかかったけど・・・今度はふつうのラーメンも食ってみよう。
すぐ前にレコード屋があったので、寄っていくことにする。アイク・ターナー(ぼくのアイドルの一人)のソロ『バッド・ドリーム』みっけ!!。ジャケも愉快。ティナを苛め抜いた暴力夫アイクも、心のなかでは強い奥さんの尻にひかれる「悪夢」に悩まされていたのかもしれない・・・と思うと可笑しい。
夜中、ビールを飲んでいて階段から転げ落ちた・・・いや〜、そんなに酔っ払っていたわけではないんだけどなぁ・・・あいたたたたた・・・
2002年6月12日(火)
昨日、大学の自販機でお茶を買った。しっかり、150円入れたのに何も出てこない。で、メーカー(サンタさんを赤く塗った会社の日本社)に電話をした。「すみません。ご自宅に商品をお送りしますので・・・」 そんなもん、今欲しいのに後で家に送られても・・・と思ったが、「直しに行くのでお待ちいただけますか」などと言われてはなおさら困るので、おとなしく電話を切った。
で、今日某ボトラーズ社から手紙が・・・なかには150円分の郵便為替・・・はああ〜?。150円のために郵便局に行けっての???。あのなー、問題はお金じゃないんだよ。150円入れたのに商品が出てこなかったときのあの裏切られた気持ち、それからその後電話するまでに要した時間、そっちの方がだんぜん大きい。何で俺が、さらに郵便局にまで出向いてメーカーの失敗の尻拭いをしなきゃいかんのよ。家から郵便局まで何分かかり、郵便局で現金化するのに何分かかると思っているんだろう(郵便局まで何時間もかかる田舎の人にも同じ対応をするんだろうか???)。金さえ払えばOKなのか?。
2002年6月13日(木)
「世界で一番小さな国ってどこだか知ってる?」「ああ、知ってる、知ってる。確か、カツオがとれるんだよね・・・」「へ?え、あ、そ、そうなの?」「みかんの産地とか、うどんが美味い県とかもあるんだよね・・・」「みかん??うどん??・・・もしかして・・・」「バチカン四国(市国)!!」「・・・・・」「・・・で、さ、日本のある地方には法王がいるって・・・」「・・・もういいから・・・」
タイガース、中日に勝利!。今季32勝目。
2002年6月14日(金)
日韓そろって決勝トーナメントへ!。おめでとう。
でも、「サポーター」が度を超して騒ぐのはどうかと思う・・・何だか他人の葬式で家族よりも大泣きしている人みたいなちぐはぐな感じが拭えない。一番がんばったのは選手でしょ・・・お前ら、もう少し遠慮せいよ。羽目をはずすのはいい(ひらげははずしっぱなしだし)。でも・・・はずすなら訳もなくはずせ!!(←なんのこっちゃ)・・・と言うわけで、ひらげはこれからも訳もなくはずし続けるぞ!!(←この機会に自己正当化)。
2002年6月15日(土)
渋谷にレコードを買いに行った。たまたま、パルコで古レコード市をやっていて大収穫。何と言ってもジュリアス・レスターの『ディパーチャーズ』があったのにびっくり。思わず「あっ、あった!!」と叫んでしまった。ジュリアス・レスターは作家で、公民権運動の闘士。ぼくは、元奴隷たちの証言から奴隷制の悲惨さを描き出した『奴隷とは』(岩波新書)と言う本でこの人を知った。フォーク・シンガーでもあるレスターは二枚のアルバムを出していて、一枚目の『ジュリアス・レスター』は御茶ノ水で見つけた。『ディパーチャーズ』は二枚目。作家らしく裏ジャケには「ディパーチャーズ」と題したレスターの文章が・・・「夜に生きるようになったとき、11か12のぼくは死んだ。ボーイスカウトの少年は死んだんだ・・・」という、サリンジャーかラルフ・エリソンを思わせるような書き出しで、ちょっとドキドキする。肝心の音楽は・・・ブルース・サークル外の黒人青年が一生懸命ブルースをやろうとしている感じで、「すごく、いいよ」とは言いがたいんだけど・・・でも、ぼくは好き。ぼくもサークルの外からブルースやアフリカ音楽にアプローチしてきた人だから・・・
なお、ばかジャケもいくつか見つけたので、ばかジャケ・ファンの皆さま、乞うご期待。
2002年6月19日(水)
ワールドカップもいいけど、いろいろ気になる事件が・・・とりあえずは、鈴木宗男の逮捕。もういいよ・・・って人がほとんどだろうし、宗男ちゃんひとりがスケープゴートのされたという気もしないではないが・・・でも、すごく重要なのは、申請された企業献金が賄賂であると認定されたことだ。このことは、そもそも賄賂性のない企業献金ってあるのか??という疑問にわれわれを導く。献金に対する見返りを期待しない企業ってあるんだろうか・・・個人献金の場合、政党なり政治家なりの主義主張に共鳴して・・・と言うこともありえる・・・でも、企業は集団だ。しかも、同じ主義主張を共有した集団(環境保護団体とか)ではない。本来、主義主張が一致するはずのない集団なのだ。企業の目指すことは唯一、利益である。利益だけを求める団体が、何の見返りも求めず献金するだろうか。
2002年6月20日(木)
平成新標語集@
「飲んだらノリノリ、ノリノリなら飲めば?」
河川敷に無断で作られた畑を役所が撤去したとか言う話をテレビでやっていた。公共の土地に畑を作るのが不法であることは認めよう。たとえそれが老後のささやかな楽しみであっても、浮浪者の唯一の食料であっても、法律を厳密に適用すれば公僕たる役人には畑を撤去する義務がある(もっとも、そんなものより前に「撤去」すべきものがあると思うが)。しかし・・・「どうせ持っていかれちゃうんだから・・・」とジャガイモを掘りだしていたクソババアども。「つくっていた人も出てこないところを見ると、悪いって思ってるのね」って・・・その「悪人」から泥棒しておいて「悪いって思って」いないお前らは何なんだ!!。確かに土地は不法に占拠されていたのかもしれない。でも、そのジャガイモには何ヶ月にもわたる労働がつぎ込まれているんだ。横から出てきて「悪い人のつくったものだからいいよね〜」ってネコババするなんて・・・お前ら、「悪いことはしていない」って思うなら、モザイクなんかかけずに顔を見せろ!!。「見せないところを見ると自分でも悪いって思ってるのね・・・」
宮本のマスク、良かったねぇ・・・海外のメディアでは「バットマン」って言われてたみたい。ふふふ。もともとつけたくてつけたものじゃないだろうに、面白いなぁ。日本のサポーターはあれをまねしてマスクをつけて行ってたし、宮城では500枚ほど無料で配布されたとか言う話も聞いた。でも、20年ぐらい経って、ふと押入れからあのマスクが出てきたら・・・「パパ、このマスク何?」「昔なぁ、日本代表に宮本って選手がいてなぁ」「うん」「鼻を怪我したんだよ」「鼻を・・・怪我?」「で、鼻を守るためにこういうマスクをつけていたの」「・・・?」「で、みんなまねしてつけたんだ、マスクを」「????つけたの?どうして?」・・・絶対、わかってもらえないだろうなぁ・・・くっくっくっ・・・今回の日本代表は実力がどうの、とか言う前に面白かった。「ベッカムの頭なんてモヒカンじゃない。あいつのはかっこいいだけ。俺のは相手を威嚇するためのものだ」と言った戸田といい、な〜んか、タイガースに対する愛と同じようなものを感じる・・・。
2002年6月21日(金)
ラーメンバンクで橋本のラーメン屋を検索したらなんと「ニーラーメン」というお店が出てきた。な、なにっ。こんなところにひらげの好物とひらげの部屋方言「にー。」(がんばってにー。元気でにー。など、状況によって好きなように使うことができる)を合体させたお店が存在するとは・・・で、行ってみた。指定された住所の場所にあったのは『二丁目ラーメン』・・・なんだぁ、ミスプリかぁ・・・でも、せっかくなのでラーメンと餃子を食していくことに・・・「支那そば」は懐かしの中華そばと言った感じでなかなか美味い。さっぱりしているんだけど、上品ではない。正統派のジャンクフード。餃子もプリプリしてて、かなり高レベル。いいぞ・・・唯一気に食わないのは店中に邪イアンツの選手のポスターがベタベタ貼ってること。今度は「六甲おろし」を口ずさみながら行ってみようと思う(←チャ、チャレンジャー)。
2002年6月22日(土)
『黒人研究の会』全国大会に参加するために、神戸へ。関西の研究者のみなさんと再会。ちょいと遅刻してしまい(←すなよ!)、キース・バイエルマン先生の記念講演は聞き逃してしまった・・・不覚。
というわけで、シンポジウム「グローバリゼーションと世界の黒人文学」から参加。三人の先生方のお話はどれも面白かったけれど、アフリカ文学に興味のあるひらげとしては北島義信先生の発表(ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴの小説『川をはさみて』 ― 北島先生の手による日本語訳が先日出版されたばかり ― を題材にアフリカ土着の文化とヨーロッパ文化の出会いと融合を語るもの)に興味をひかれた。で、討議の場ではついついまとまらない意見をくどくどと述べてしまった。別の文化との融合を図ろうとするときには、そうした文化融合のためのシステムがすでに自分たちの文化に備わっていたということを再確認していく必要がある。特にある文化(この場合ヨーロッパ文化)が圧倒的な力を持って、別の文化(アフリカ土着の文化)を飲み込もう、もしくは消し去ろうとしているような場合には。別の先生は懇親会で、「でも、変わらざるを得ないんだよ。変わることを恐れてはいけない。心配しなくても最後に大切なものが残るから」と言っていた。その通りだと思う。「変わることを恐れない」能力こそが伝統というものだ。でも、それがどの文化にも(誰にでも)備わっているものであるということは、忘れてしまいがちなことだ。とりわけ「暗黒大陸」、何千年も文明の進歩から取り残された後進地域と決めつけられたアフリカに住んでいた人たちにとっては・・・
5時からジャズ・ギターリスト畑ひろしさんのミニ・コンサート。ウッド・ベースとギターだけのシンプルな構成でジャズ・スタンダードを聞く。演奏は素晴らしい・・・でも、大学の教室にはそぐわないなぁ。みなさん、せめて身体を揺するぐらいしましょうよ・・・次回からはどこかお酒の飲めるところにくりだしていって、チンピラ、ポン引き、スリ、娼婦、麻薬の売人、マフィアの親玉なんかがうろうろしているところで安酒を煽りながら聴きたいものです・・・って、そんなとこ日本にあるのか??。いっそ、新宿思い出横町の立ち飲みやで流しのおっちゃんの演奏に耳を傾けた方がジャズやブルースを理解することになるんじゃないだろうか・・・
2002年6月23日(日)
『黒人研究の会』大会二日目。今日は奈良女子大の石田さんの発表から。アメリカ合衆国第二代大統領トーマス・ジェファーソン。アメリカ国民の尊敬を集めるジェファーソンのスキャンダルとして大問題になったのが、彼が奴隷サリー・ヘミングスと関係を持ったという話(もちろん、「奴隷主が奴隷の女性を手篭めにする」という話はめずらしくもなかったのだが、なんせジェファーソンは奴隷制廃止を口にしたこともある「理想主義者」である)。ヘミングスの子孫は自分たちはジェファーソンの血をひくものであるということを強く主張し、DNA鑑定を要求した。鑑定の結果、彼らは確かにジェファーソンの子孫であるということが認められ、大きな話題となった。石田さんの発表はそのヘミングスとジェファーソンの関係を描いたテレビ・ドラマ"Sally Hemmings: An American Scandal" を扱ったもの。ドラマの映像なんかも交えた立体的な発表で、とても面白かった。個人的にはヘミングスとジェファーソンの関係を美しく描いてしまっていいのだろうか・・・という疑問は残るけど・・・ジェファーソンとの血縁にロマンを求めるヘミングス家の人々に、現在のアフリカ系アメリカ人の自己意識の一端を見ることができた。
次は山下清先生によるアリス・ウォーカーの小説『喜びの秘密』についての発表。この作品は女性割礼の問題を扱ったことで、激しい論争を巻き起こした。一方にこれを「ウーマニスト」作家アリス・ウォーカーの勇気ある告発であると見る人たちがおり、もう一方に文化的文脈を理解しない僭越であると考える人々がいる。山下先生の発表がどちらに軍配をあげるものでもなかったために、フェミニストの先生方からの批判が相次いだ。ぼくは「割礼」に代表される性差別に対する批判を「これはアフリカの文化なんだから口を出すな」と言って封じてしまうようなやり方は間違っていると思う。でも、「先進国」とか「進歩的」とかいう肩書きによってぼくらが手にしてしまう力に対しては無自覚であってはならないとも思う。アリス・ウォーカーは「『割礼』は文化(カルチャー)じゃない。拷問(トーチャー)だ」と言ったそうだけど、ぼくは拷問もやはり文化だと思う。それはめちゃくちゃネガティブな文化なのだ。ある先生が「だれもアパルトヘイトや人種差別を『文化』だと言ってかばいはしなかったでしょう」と言っていたけど・・・果たしてそうだったでしょうか?。アフリカーナ―やKKKは人種隔離を自分たちの文化として押し進めていたんだと思う。もちろん、それは吐き気を催すほどネガティブな文化だけれど・・・文化だからこそ、差別される側の心にも差別される側の心にも深く食い込んでしまうのではないでしょうか・・・でも、文化は変わることができる・・・
大会のシメはラングストン・ヒューズ生誕百年を記念した古川博巳先生の講演。ヒューズと直接交流のあった古川先生の話はとても面白かった。特にヒューズの送ってくれた朗読のテープが乱暴な郵便配達人のせいで破壊されてしまったとき、即座に代わりのテープを送ってくれたと言う話・・・大きな箱に「これでもかっ」というほど新聞紙が詰まっていて、なかに小さなカセットが一つ・・・ヒューズの人柄がしのばれるようでホノボノとしてしまいました・・・
さて、ここからは大阪篇。梅田の大観覧車でなべっぺ&ちな(ちなとは初対面)と待ち合わせ。かなり遅れそうだったんだけど、死ぬほどお腹がすいていたので神戸のラーメンを食べていくことにする。地下鉄大倉山駅そばの『ラーメンTOROWA』・・・よっ、さすが神戸。ラーメン屋さんまでおしゃれ〜っ!!・・・まるでパスタ屋(「TOROWA」って・・・)。ラーメンはこってりとした豚骨。チャーシューは味のないとろとろの煮豚で、まあ、良く言えば若者向け。まずいと言うわけじゃないが・・・ひらげは招かれざる客のような気がした。それにしても店員の手際が悪い。一人で入ったひらげはまだ良いが(ホントは激烈に腹がへっていたので全然良くないが)、カップルで来ているのに片方が食べ終わるころにもう片方の注文が来る、と言うのをあちこちでやっていた。「店構えよりも先に気をつけることがあるだろう!」って感じ。
で、大阪へ。先に合流していたなべっぺ(NBP)&ちな(ふたりも初対面)と会う。なべっぺ、どことなく得意気。「ひらげさん、わたしたちはもう打ち解けたよ〜」って、「この不思議な宝物を先に手にしたのはわたしよ〜」ってなもんである。ちなはいきなり「ちょりそ〜」のボーズをかましてきた(←「ちょりそ〜」についてはいちいち説明するのがめんどうなので、わからない人は放課後に聞きに来ること!もしくはメールで)。ホームページを見て色々と想像はしていたのだが・・・想像以上に「変」(むこうも同じことを考えていたらしい・・・笑)。 ※ひらげにとって「変」と言うのは褒め言葉です。念のため。
約束通り、三人で観覧車にのる。「あ〜、悪いけど、思ったほど感動しないわ〜」となべっぺ。ちなが「おこちゃま」キャラなせいか、今日のなべっぺは冷めたお姉さんっぽく振舞っているような気がして(←なべっぺ&ちなからの「コンプレインツ」はあるでしょうが、受けつけません‥笑)、妙におかしかった。しかし、さすがのひらげも三回目ともなると観覧車でおおはしゃぎ・・・というわけにもいかず、まずは穏やかなすべりだし(←???)。
三人で通天閣を見に新世界へ。なべっぺはこってこての大阪人なのに通天閣に行ったことがない。ちなは埼玉出身なのに大学が近くだったこともあって、毎日のように「ジャンジャン横町」(串カツ屋の並ぶ新世界の商店街)を通っていたらしい。いやぁ〜、通天閣の雄姿、こゆいの〜。なんかバランスが・・・頭でっかちで・・・短い両手を広げてラジオ体操しているみたいに見える・・・胸にはでっかく「日立ソリューション」・・・やっぱり、大阪は縮尺が違う・・・近くによってみてさらに驚く。通天閣の建っている場所!。道路ジャン!!。東京タワーや横浜のマリンタワーは道のわきの敷地に建てられている。京都タワーがホテルのうえにあると知ったときにも驚いたが、通天閣は・・・放射線状に交わる交差点のうえにある。すぐそばは普通の商店や民家だ。やっぱり・・・やっぱり・・・縮尺が・・・
現在の通天閣は実は二代目。初代はフランスの凱旋門を模した大理石の重厚な建物のうえにエッフェル塔風のタワーがのった、さすがの大阪人も度肝を抜かれるようなものごっつい建物だったらしい。で、当時の新世界は西洋風の劇場が立ち並ぶモダーンな大レジャーセンターだった・・・と荒俣宏さんがテレビで言っているのを聞いたことがある。初代通天閣は戦時中に火事で焼けてしまい、現在のそれは戦後再建されたものだとか(この辺のことは「通天閣ヒストリー」に詳しい)。二代目通天閣とともに再建された「新世界」はご存知の通り、串カツ屋、一杯飲み屋、ヌード劇場、雀荘、囲碁将棋場、パチンコ屋などが所狭しと立ち並ぶ庶民の町(これはこれで大レジャーセンターだ)。そこに最近、ショッピング・モールと遊園地をあわせたレジャー施設『フェスティバルゲート』ができた。町はこれができてずいぶん変わったとか。「昔は怖くて一人じゃ歩けなかった」とは、ちなの弁。
ともかく、通天閣にのぼる。猿と何とかは高いところに登りたがると言うが、今日のわれわれは登ってばっかりである。でも、楽しい。展望台から大阪の町を一望して、ビリケンさんとご対面。「ビリケン」とはアメリカの1909年女性芸術家フローレンス・プリッツが夢に見た妙な神様を形にしたもの(世の中にはいろんな人がいるものです)。不細工なキューピーちゃんみたいなお姿。幸福の神としてアメリカ・・・そして日本で大流行したらしい。触ると願いがかなうらしい・・・スリスリ。台座には「あるべき姿のものどもの神("The God of things as they-ought-to-be")」と書かれていた・・・なんのこっちゃい。
三人で『フェスティバルゲート』のジェットコースターに乗ることに。なべっぺとちなはなぜか最前列の席に・・・はーい、なぜでしょ〜それは〜先に並んでいたひらげがさりげなく席をゆずったからです〜・・・いっひっひっひ、レディーファーストですがな!。ちなが「えっ・・」と言葉を失っているのがおかしかった・・・くっくっく・・・いちばん前に座ったら「ぎゃ〜」とか叫ぶ二人の姿を拝めないじゃないですか、へっへっへ・・・で、ゆっくりと出発進行。最初のうち、なべっぺは「空が青いよ〜」などと余裕ぶっこいていた・・・しかし・・・落ちる・・落ちる・おち・・・ンぎゃ〜〜〜〜〜・・・コースターを降りてからもしばらくは顔面蒼白の二人。「へー、俺はけっこうこういうのは平気かなー」と言うひらげは「一列目と二列目じゃぜんぜん違う!」とつっこまれてしまいました(笑)。
お腹もすいたので串カツ屋へ。べたべたに新世界っぽいところはどこも込んでいたので、ちょっとチェーン店っぽい所にはいった。土手焼きと串焼きは美味かった(このときまで串カツは牛なんだって知らなかった)。うん。今度はもっとこってこてのイナタイお店も試してみたいかな〜。で、とどめになべっぺの知っている梅田のバーへ。お酒の飲めないちなはジュースを注文しては「オレンジジューチュでちゅか〜」とからかわれていた。(笑)(笑)(笑)。楽しい一日でした。なべっぺ&ちな、ありがとう。
2002年6月29日(土)
東急多摩川のラーメン屋『支那そば英屋(はなぶさや)』にラーメンを食いに行った。醤油味のスープは鶏がら・豚骨を主体としながらも、魚の味・香りがかなり強く出ている。醤油がかなり濃い感じがするが、あまり角が立っていないので悪い感じはしない。魚の酸味もかすかに出ているが、動物系の味とうまい具合に組み合わさって、これもいい感じ。チャーシューもグー。今流行のとろとろではなく(「あれは焼焼じゃなくて、煮豚だ」とはケイタローさんのお言葉)、噛みごたえのある固めのやつで、ふちのところがほんのりと赤い。そうそう、これが、これこそがチャーシューなんだよ!!。結論:うまいっ!!。
3時ごろからエロさん宅でチキリカ新作CDのミキシング。メンバーが集合して、「ああでもないこうでもない」と議論しながら1時間、2時間、3時間、4時間・・・まさか徹夜することになるとは思わなかった・・・みんな、お疲れさまでした(特にエンジニア役のエロさん)。
タイガース、平下(「ひらげ」ではないよ)のさよならヒットでようやく連敗脱出。今季33勝目。よし、これから巻き返しだっ。
2002年7月
2002年7月2日(火)
タイガース、7月は白星スタート!!。井川復活!!。今季34勝目。よーし、今に見てろよ〜。
2002年7月3日(水)
タイガース、スワローズに連勝。今度は藪が復活!!。今季35勝目。ふふふ、っははは、ひゃははは。
2002年7月5日(金)
電車の前の席に座っていたのは、カウボーイ・ハットをかぶった髭のおじさん。それがちょっと目を離している間にスキンヘッドの若者に変わっていた。もしかして・・・変装!?。油断も隙もあったもんじゃないな・・・くっくっく・・・。
2002年7月6日(土)
都立英文学会。院生の渡邊さんの発表(ドライサーの『天才』について)も、本間先生の発表(日本語のオノマトペについて)もとても面白かった。うん、音声学というのも面白いなぁ。ぼくは自分でも日本語で歌詞を書いたりする人なので、この言葉はノルけれど、これはノラナイっていう感覚がどこからくるものなのかとっても興味がある。オノマトペ(擬音語、擬態語など)って面白い。水車の回る音を「もんもんもんもん」と表現した宮沢賢治とか、サンタの橇が「はばはば」と鈴を鳴らして走るトニー谷のクリスマスソングとか、楽しいったらありゃしない。
打ち上げで結構飲んでいたのだが、物足りずに『オレンジ・カウンティー』(地元のロック居酒屋)に・・・愉快な仲間(といってもほとんどが初対面)と朝まで・・・
2002年7月7日(日)
タイガース、邪イアンツに大勝!!。今季36勝目。井川!、井川!、井川!
2002年7月9日(火)
タイガース、ドラゴンズを破って今季37勝目!。
2002年7月13日(土)
黒人研究の会・東京例会。例によって遅れていってしまったので(←だから、すんなっての)、成城大学・三井さんのトニ・モリソンについての発表は聞き逃してしまった。二番目の発表は日本女子大・中地さんのネラ・ラーセンについての発表。ラーセンは再評価されつつある女性作家の一人(昨年7月の東京例会でも、ラーセンについての発表があった)。『クイックサンド』『パッシング』と言った小説はずいぶん前からアフリカ系文学の古典に数えられていたのだが、最近はむしろアフロ・アメリカンの伝統からはかなりはみ出した人だったと考えられるようになってきている。この日の発表もラーセンのあいまいな位置、混血性(ハイブリディティ)に焦点を当てたものだった。とても面白かったけど、こういうテーマならやっぱハーストンでしょ、などと心のなかで我田引水。
休憩をはさんで、斉藤忠利先生のラングストン・ヒューズ生誕百周年記念講演。神戸の全国大会では古川先生がヒューズとの思い出を披露してくださったが、斉藤先生の話もヒューズのしなやかな人柄を髣髴とさせる興味深いものだった。斉藤先生は学生時代に同人誌でヒューズの詩を翻訳されていた。で、同人会が解散する際にたまっていた訳をまとめて出版した(『ニグロと河』国文社、写真)・・・無断で・・・後になっておそるおそるヒューズに連絡してみると、なんと「ぼくの詩を訳してくれてありがとう。これからも自由にぼくの詩を訳していいよ。ただし、出来上がった本は必ず一冊以上送ってくること」と返事があったと言う。うわー・・・でっかい人だな。
さて、そんな貴重なお話の後、不肖わたくしが登場。テキサスのブルースマン、ライトニン・ホプキンスとテキサスのコミュニティーを描いた傑作ビデオBlues According To Lightnin' Hopkinsを解説・上映。ブルースの演奏をただ並べて見せるだけではなく、それが演奏される環境のなかに置いてみせた傑作中の傑作ビデオだけにぼくの解説などあまり意味がない・・・とも言えるが、一応ブルースの歴史におけるライトニンの位置、テキサス・ブルースの特徴(ミシシッピ・ブルースとの比較)、このビデオの素晴らしさ、などについて話した。上映後、飛行機になかでウイスキーをあおり、上機嫌でギターをかき鳴らしていたところ、乱気流に巻き込まれ、ウイスキーのビンを割ってしまい、おまけにびびって小便まで漏らして、ウイスキーと小便まみれになってがたがた震えていた・・・というライトニンのエピソードを紹介して笑いをとった。ブルースってのはね、聖人君子の音楽じゃあないんですよ・・・
※乱気流のエピソードはアラン・ロマックスが話したものと言いましたが、アランの孫のジョン・ロマックス(三代目)によるものでした。また、ライトニンを飛行機に乗せたのはアランの息子ジョン(二代目)で、ジョン(三代目)は父親から聞いたエピソードをインタビュアーに話していたわけです(Blues & Soul Records No.22, 17-18)。この場を借りて訂正させていただきます。
2002年7月15日(月)
おー型で強い台風7号日本縦断・・・おー型って、まさか血液型じゃないだろうな・・・くっくっくっ・・・O型で温厚な性格の台風13号とか、AB型で神経質な台風11号とか・・・あるいは、ソップ型で腕っぷしの強い力士5号とか?縦型で場所をとらないコンピューター27号とか?あるいは、新潟で小さな居酒屋を経営する女将22号とか?・・・くっくっくっく・・・(←何を言ってるんだか、もうわからない)。
2002年7月16日(火)
最近、昆虫どもに舐められている。この間、酒のつまみを自分の部屋に置いたまま、たわんだ(ひらげ弟)の部屋で話し込んで帰ってくると、大量のアリが群がっていて半狂乱になった。今日、コンピューターに向かっていたら目の前を大きなゴキブリがゆったりと通り過ぎていった・・・かか、完全に舐められている・・・叩き潰そうかとも思ったが、ここまで大きく黒々としたのはめずらしい・・・何人もの兄弟たちが無念の死を遂げるなかで、こいつはたくましく生き残ってきたに違いない・・・よく生き残ったなぁ・・・などと考えているうちに逃げられてしまった(←こんなことだから舐められるのである)。ゴキブリくん、ぼくの部屋に住むのはかまわんが、お互い領分を守って鉢合わせしないようにしようよ。
タイガース、カープに勝利。後半戦白星スタート!。今季38勝目。
2002年7月19日(金)
タイガース、横浜に大勝。横浜駅でタイガース・ファンが騒いでいた。よっぽど「タイガース勝った!?」と声をかけようかと思ったが、また呑んでしまいそうなのでやめた。今季39勝目。
2002年7月21日(日)
↑町田の古本屋で見つけたロマックス編集のアメリカン・
フォークソング楽譜集。アメリカの民俗学者アラン・ロマックスが亡くなった。享年87歳。ロマックスは1930年代から父親のジョン・ロマックスとともにアメリカ中をまわり、数多くのフォーク・ソングやブルースを収集・紹介した。ゾラ・ニール・ハーストンとフィールドワークをしたこともあるらしい。多くのカントリー・ブルースマンが広く知られるきっかけをつくったのも彼である(彼が残したフィールド・レコーディングはラウンダー・レコードからCD化されている)。
ロマックスの仕事のなかで忘れられないもののひとつが、1966年に行われたニューポート・フォークフェスティバルに出演したブルース・マンたち−スキップ・ジェイムス、ハウリン・ウルフ、サン・ハウス、パーリー・ブラウン、ブッカ・ホワイト−が小さなバーに集まってプライベートな演奏を楽しんでいる様子を収めた映像(P-ヴァインから『デヴィル・ガット・ウーマン』として発売された)。ぼくにとっては何と言っても大好きなスキップ・ジェイムスの動く姿(おそらく唯一のもの)を拝めるだけでも、涙もの・・・ハウリン・ウルフのサービス精神過剰なところ、サン・ハウスのかっこよさも・・・アランの父ジョン・ロマックスもちらりと登場する・・・今日はそれを見ながら、この偉大な(って言葉、似合わないんだよな・・・童顔だし)フォークロアリストの死を惜しもう・・・最後は養護施設にいたと言う話だけれど、生活に困っていたのかな(そういえば、ハーストンも養護施設で亡くなったんだっけ)・・・ともかく、ご冥福をお祈りいたします。
タイガース、勝てはしなかったが素晴らしい試合だった。
2002年7月22日(月)
橋本のレコ・ファンでバーデン・パウエルのCDを買った(『トリステーザ・オン・ギター』)。パウエルのことはボサノバの超絶ギターリストってキャッチ・コピーがあんまりそそらないんで、何となく敬遠していた。ところが、曲目を見ると「シャンゴーの歌」とある。シャンゴー!!・・・シャンゴーとは、ヨルバ〜ブードゥー(ブラジルでは「カンドンブレ」)で雷の神さま・・・ほほー・・・横浜線のなかで聞いてみると・・・!!・・・こ、これはボサノバじゃないっ!!。アフリカだっ!!。作者を見ると、パウエルとともにヴィニシウス・ジ・モライスという名前がクレジットされている。あまりにも衝撃的だったので、横浜のHMVでモライスの曲が入っているパウエルのCDを二枚購入(『ア・ヴォンタージ』『アフロ・サンバ』)・・・これがまた凄い。『ヴァオンタージ』に入っている「ビリンバウ」「カンドンブレ」「コンソラシオ」・・・そしてモライスとの共作『アフロ・サンバ』には「シャンゴーの歌」のオリジナル・バージョンが入っている。どれも、強烈なポリリズムとブードゥー系音楽特有の切ないメロディー(ハイチのギターリスト・フランツ・カシューにも通じる)があふれている。ヴィシニウス・ジ・モライスは詩人で、有名な「イパネマの娘」の作詞者(作曲はもちろん、ボサノバの父ジョアン・ジルベルト)。60年代初期、モライスはパウエルと組んでカンドンブレなどアフロ・ブラジル文化を意識した「アフロ・サンバ」系の曲を次々と作りだしていた(どこを調べてもはっきりしたことは書いていないのだが、「宇宙飛行士」のようなインストにも作者としてクレジットされているところを見ると、この時期モライスは作詞だけではなく作曲にも関わっていた?)。うーん、しびれる〜。
2002年7月24日(水)
タイガース、邪軍相手に見事なサヨナラ勝ち!!。今季40勝目。でも、藪、桧山が負傷・・・大丈夫か!?。
2002年7月25日(木)
タイガース、邪軍に連夜のサヨナラ勝ち!!。今季41勝目。星野監督に何を囁かれたのか、沖原が泣きそうな顔をして打った打球はライトへ・・・(感涙)。
2002年7月26日(金)
タイガース、追いつめられながらも三度サヨナラ勝ち!!。ドラゴンズを下し、今季42勝目!!・・・そして、2位復活!!。
2002年7月28日(日)
南半球系バンド・チキリカ、CD『オジャレ!』発売記念ライブ。来てくださったみなさん、どうもありがとうございました。久々の吉祥寺曼荼羅は狭いけど、いい雰囲気。お客さんも予想以上にたくさん来てくれて、のびのびジャンプできました。すくすく育っています。次回は10月19日(土)にやはり、曼荼羅でやることが決まりました。ぜひ、おいでください!。
←写真はチキリカNew CD『オジャレ!』。9曲入り1000円で発売中です。
2002年7月31日〜8月10日の日記はハラレ滞在記をご覧ください。
2002年8月
2002年7月31日〜8月10日の日記はハラレ滞在記2002をご覧ください。
2002年8月11日(日)
まだちょっとお腹が痛かったのでかなり迷ったんだけど(ハラレ滞在記20028月9日参照)、新宿にGravityの企画を見に行く。なにしろ今回は乙女軍、ナオミ、ZIONG−HEADなど、知り合いのバンドがたくさん出演するのだ。なかでも、絶対運命☆乙女軍。は春日乙女の不思議キャラばかりが先行して、まだ一度も聞いたことがなかったので、楽しみしていた。はじめて見る乙女軍は旗持ちの人(後援会長だそうな)がいたりして、ある意味ヴィジュアル系。曲&歌詞はとても切なくて、かっちょ良かったDeath!。シャキッとした春日をはじめて見ました(さては、普段つくってるな〜・・・笑)。他のバンドもすごく良かったけど、この日の主役は何と言ってもGravity(いつの間にかメンバー変わっちゃったのネ)。初の企画と言うこともあってか、ものすごく気合が入っていてかっこよかった。うん、行ってよかった・・・
2002年8月12日(月)
新宿のレコード屋ChicagoでレジナルドにもらったLP(ハラレ滞在記20028月7日参照)を掃除してもらう。ここには超音波でLPを掃除してくれるマシーン(よくメガネドラッグなんかの前に置いてあるメガネ洗浄器と同じ仕組み)が置いてあるのだ。結局、思ったほどきれいにはならなかったけど・・・。
帰りに歌舞伎町でラーメンを食べた。『ラーメン 古武士』・・・帰国後初のラーメンにふさわしい、素晴らしいラーメンだった。去年の12月ごろできた新しいお店らしいんだけど、魚の香りと動物のコク・・・満点!。歌舞伎町のはずれのこんなところに、こんなにおいしいラーメンがあるとは思わなかった。はぁ〜日本に帰ってきて良かった〜(レジナルドにもラーメンの美味さを教えてやりたいなぁ・・・)。
2002年8月13日(火)
今日はタイムマシンの利用法について考えてみました。タイムマシンが発明されたとしても、大したことはできないのではないでしょうか。過去を変えるとか、未来の先取り(競馬や宝くじのあたりなど)といった誰もがやりたいと思うようなことはすぐに禁止されてしまうでしょう。間抜けな先祖を救うためにネコ型ロボットを派遣するなどと言うのは、もっての他。結局のところ、観光とか、学術目的とか、地味な利用法しか・・・しかし、あったのです!。しかも、環境問題の解決に寄与する画期的な利用法が・・・現在の日本では冷房のない夏はほとんど考えられないようになっています。確かに冷房は室内を冷やします。しかし、その一方で熱を室外に排出しているのです。そのため、特に都市において気温はどんどん上昇していくことになります。ますます暑くなった夏に対応するため、人々はますます冷房の設定温度を下げ、そのことが気温の上昇に拍車をかける・・・まさに悪循環・・・あな、おそろしや・・・そこで、提案です!。タイムマシンの技術を使うことによって、夏の冷房の室外機をその年の冬に置くのです。冷房機によって集められた夏の熱気を、冬の暖房に使う・・・これこそまさに熱のリサイクルです(使用されるエネルギーも半減することは言うまでもありません)。もちろん、現在と未来を結ぶねじれた時空のなかをどうやって熱を通すのか、といった技術的な問題はあるでしょう。しかし、タイムマシンができたのですから、あと一歩です。奮起せよ、技術者諸君!
・・・バカな妄想は続く・・・(タイムマシンできていないって・・・)。
2002年8月28日(水)
↑ドゥドゥの撥から飛び散った木片(拾ってきた)たわんだと神奈川県立音楽堂にドゥドゥ・ンジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラの演奏を見に行った(しかも、最前列!)。ドゥドゥ・ンジャエ・ローズはセネガルのパーカッション奏者。主にサバールという撥を使う太鼓を叩く(オーケストラのメンバーには、手で叩くジェンベなども加わる)。セネガルの国民的英雄、無形文化財的なすごい存在・・・でも、さ〜。さすがにもう72歳だしな〜・・・あの激しい太鼓が叩けるのかな〜・・・激しい部分は若いメンバーに任せて、プロデューサー的な役割に回ってるんじゃないか・・・などと邪推して、「生き仏」を拝むような気持ちで行ったのだ、実は・・・ところが・・・なななな、なんだなんだこのじじい!!。太鼓叩く前から、ぴょんぴょん飛び跳ねてる。まるでリングに上がる前のボクサーのようだ。叩く太鼓がまたすごい。びんびん身体に響いてくる。感情に訴えると言うよりも、身体に叩き込まれる感じ。心のなかにはあとからじんわりと熱が伝わってくる。だから、悲しいとか楽しいとかではなく、ただただぼくのなかのぼくが生きかえってくるのだ。もちろん、そうした空気はドゥドゥの太鼓だけではなく、総勢20名ほどのオーケストラのメンバー全員が一体となってつくり出しているものだが、ドゥドゥはやはり群を抜いてすごい。完全にメンバーを掌握している。それもそのはずドゥドゥの太鼓は他の誰よりも良く響くし、太鼓を叩かないときも太鼓を叩いている以上の運動量で踊りまくっている。すごい、すごい、すごい・・・来日記念盤(以前出ていた日本公演ライブの編集盤)も買ったけど、やっぱり生です。生でないとあのびびびびび〜んは伝わりません。やっぱ、太鼓と○○○(←え?ビールですよ、ビール)は生に限るわ!。
2002年8月29日(木)
「2015年には西城秀樹も60歳か〜」「2015年って・・・ずいぶん気の早い話だね」「赤いチャンチャンコ着てカレーのコマーシャル出るんだろうね」「もしかして・・・」「ヒデキ、還暦っ!」「・・・」・・・13年後を待て!。
2002年9月
2002年9月1日(日)
渋谷で溝口さんと会って、レジナルドの演奏を録画したビデオを渡す。久しぶりに渋谷109の『チャンパー』でタイ料理を食いながら、ジンバブエの思い出話に花を咲かせた。溝口さんはジンバブエの後南アフリカに行った。オリーブ・シュライナー(南アの白人女性作家)に関する資料を探したりして、研究者らしい充実した日々を送っていたらしい。エライ。その上、民俗音楽博物館にも行ったらしい(壁一面にムビラが飾ってある写真を見てちょっとうらやましかった)。ま、ぼくもレジナルドのおかげで毎日充実していたけどね・・・カシューナッツ炒めやパパイヤのサラダなどを胃袋におさめ、宮益坂のレコード屋『El Sur Records』へ。溝口さんは目をらんらんとさせて、ジンバブエ物のレコードを買い込んでいた。店長さんとしばらくお話。「これからはこの人ですよ。ぜひ、エル・スールに置いてくださいよ」とアンディ・ブラウンを大推薦。
2002年9月3日(火)
レジナルドに約束していたベース・ギターを送った。と言うわけで、有田くん→幸絵ちゃん→ひらげと渡り歩いたベースが、とうとうアフリカへと旅立つことになりました。
2002年9月4日(水)
たわんだとハイチのパーカッション奏者アゾールのライブを見に、横浜『Thumbs Up』に行ってきた。ブードゥー音楽やミジック・ラシーンなどのハイチの音楽が好きで、ハイチのレコードと見ると買っていた時期がある。アゾールのCDは日本でのライブを収録したものが二種類出ていたのだが、どちらもジャズ・ミュージシャンとの共演盤。ディープなブードゥー音楽を期待していたひらげは「あれれっ〜」となってしまった。でも、今回は自分のグループを引き連れての来日。ボンゴ系の太鼓がアゾールを含めて3人。タンバリンのような打楽器が3人。女性コーラスが2人。そこに打ち込みのバスドラムが重なる。すごい。すごい。リズムリズムリズム。ドゥドゥ・ンジャエ・ローズ(8月28日の日記参照)とはまた違ったパワーが感じられる。深い森のなかに入っていたら、いつの間にか太鼓の音に囲まれていた・・・みたいな。アゾールさんは半眼ですっかりあっちの世界に行ってしまったかのように見える。トーキング・ドラムは入っていないけど、これはヨルバの音楽と同じだな。汗だくになって踊りまくった。
演奏前、たわんだの知り合いでイラストレイターの廣中さん(ジェンベ奏者でもある)に遭遇。彼女はかなり前からアゾールさんに夢中で、何度かハイチにも行ったらしい(←いいな〜)。演奏が終わったあと、フォト・ジャーナリストの佐藤文則さんを紹介してもらう。ハイチの農村部に入り込んで、ブードゥーの儀式の写真などを撮っていると言う。「もしかして『朝日グラフ』のハイチ特集号・・・」「そうそう、あの写真が佐藤さん」・・・『朝日グラフ』1998年2月20日号に載った佐藤さんの写真は、ハイチの人々の生活やブードゥーの儀式の様子が生きいきと捉えられている素晴らしいものだった(ぼくがアゾールのことを知ったのもこの特集号の記事)。ハイチで撮った写真を見せてもらう。「ブードゥーの儀式の写真なんかよく撮らせてもらえましたね」「ハイチの人はアフリカにすべてを置いてきているって意識があるから、モノとかにはこだわらないんですよ。ブードゥーの本質は心のなかにある、だから写真を撮られてもかまわないんです」「なるほど〜」 ・・・佐藤さんの著書『ハイチ:目覚めたカリブの黒人共和国』(写真、凱風社)は、カリブの文化に興味がある人は必読です。
その後も、廣中さんの一行と12時過ぎまで楽しく飲み明かした(廣中さんのページでこのときの写真を見ることができます)。
2002年9月9日(月)
江角マキコがCMで「女優だから、頭痛が痛くても・・・」と言ってた。「頭痛が痛い」っておかしくないか?・・・ん〜おかしくないか・・・いや、やっぱりおかしくないか?。だって、頭痛って「頭の痛み」ってことでしょ。「頭の痛みが痛い」っておかしいよね?・・・おかしくないか・・・いや、やっぱり、おかしいくないか?。「頭が痛い」ならわかるけど「痛みが痛い」って、おかしいよ、やっぱ。「痒みが痒い」とか、「悲しみが悲しい」とか、「驚きがびっくらこいた」とか・・・おかしくないか・・・いや、やっぱりおかしくないか?(←季節の変わり目ですねぇ・・・)
2002年9月11日(水)
あの日から一年・・・テレビではあちこちで同時多発テロの特番を流している。日本テレビでフランス人の兄弟カメラマンが撮影したビルのなかの映像を見た。新米消防士の成長を追うつもりだった兄弟は、思いがけずツイン・タワーの崩壊に立ち会うことになった。人が飛び降りる「どすん」と言う音が何度もビルのロビーに響く。やがて第二ビルが崩壊し、砂埃に埋まった第一ビルから人々が逃げ出す。ものすごくリアルな映像なんだけど、ぼくの想像力がついていかないのか本当に起こったことだという実感がわかない。アクション映画のなかのワン・シーンと言う感じだ。でも、前日まで消防士たちの和気あいあいとした食事風景なんかが収められているだけに、息の詰まる思いがした。
2801人が殺された・・・このことを忘れてはならない。でも、アフガニスタンで殺された人々のことも忘れてはならないと思う。アメリカにもようやく反戦を訴える人々が増えてきたようだけど、報復ムードはまだまだ強い。それどころかブッシュはさかんにイラク攻撃を口にするようになった。集団殺戮兵器を秘密裏に開発しているということが理由のひとつらしい・・・世界でもっとも多くの集団殺戮兵器を抱えている国はいったいどこだろうか。「イランは信用できないけど、アメリカは大丈夫」とでも言うのだろうか。核兵器を人間のうえに落とした唯一の国はどこだろうか。枯葉剤でベトナムに数え切れないほどの奇形児を生みだした国は?。イラクを攻撃してフセインをぶっ倒したところで、憎しみの連鎖が終わるわけでもない。
もうひとつ気になることがある。このところビン・ラディンが大富豪の出身だとか、同時テロの実行犯のひとりが特権階級出身だとかいったことが強調されることが多いような気がする。ブッシュも演説で「テロリストには資金があったが・・・」と言っていた。もちろん、ビン・ラディンが富豪出身であるというのは事実だ。イスラムの世界に想像を超えるほどの貧富の差があると言うことも・・・でも、そのことばかりを強調してもはじまらないと思う。この事件の裏に圧倒的に豊かな国と圧倒的に貧しい国との格差があると言うことに目をつぶろうとしているようにしか思えない。
2002年9月12日(木)
タマちゃん、帷子川に現る!。後世の人々のために説明しておくと、「タマちゃん」とは2002年夏なぜか突然多摩川に姿を現したヒゲアザラシのこと。たちまち人気者になったタマちゃんはやがて鶴見川に住処を移す。で、鶴見川からも姿を消していたとおもったら、今度は帷子川だ。帷子川というのはひらげの地元を流れるドブ川である。えええっ、あんなところにタマちゃんが・・・仕事から帰ってきていつものように天王橋を渡ろうとすると、そこには立ち止って川を見つめる人々が・・・ポリスまでやってきて「立ち止らないでください」なんてやっている。しまいに「タマちゃ〜ん」なんて子供の声が・・・なんだなんだ・・・みんな浮かれやがって・・・明日はカメラを持って出動・・・かな・・・ウフフフ(論文締切りの日まであと3日・・・あと3日・・・←『宇宙戦艦ヤマト』のエンディング風)。※追加情報: ひらげ母、天王町駅近辺にてタマちゃん目撃!。
町田の『伽藍堂』というラーメン屋に行った。小田急線沿いの道を新宿方面へ歩いていくと、それはある・・・はずだったのだが・・・ないっないっ・・・どこだ・・・あちこちうろうろしたのだけれどなかなか見つからない。それもそのはず・・・店構えだけ見るととてもラーメン屋とは思えない。こじゃれた割烹料理のお店と言う感じ。う〜ん、ここまではひらげの好きな路線じゃないなぁ。店内も厨房とカウンター席の間に簾がちゃららーんとかけてあったりして、なんかなぁ・・・ここの売りは「柳麺」という名前の塩ラーメン。名前からして、なんかそうめんみたいなてろてろの麺を想像していたのだが、なんのなんの、ストレートの細麺ながらなかなかコシがある。鶏+魚の上品なスープもかなり高レベル。これにお通しのような小皿料理が3っつ。おいしかったです。でも、900円は高いと思う。いくらおいしくても、お店がおしゃれでも、900円のラーメンというもの自体に抑えきれない反発を感じる・・・とは言え、「まぼろしの調味料・源醤」を使ったと言う醤油ラーメンが気になるので、もう一度行こうと思う(こちらはなんと1000円)。
2002年9月17日(火)
こんなに驚いたことは久しくなかった・・・ベルリンの壁が崩壊したとき以来ではないだろうか。小泉が北朝鮮で金正日と会談すると聞いたとき・・・日本人拉致問題の解決なんて、ありえないと思った。そんなの「はい、われわれはテロ国家で〜す」と言っているようなもんじゃないか・・・ところが・・・北朝鮮は日本人拉致に国家が関与したことを認め、謝罪・・・しかし、その結果は(北朝鮮側の発表で)8名死亡、生存者はわずか4名・・・家族の気持ちを思うと、やりきれないし怒りもおぼえる(金正日に責任がないわけないだろう!)・・・でも・・・小泉が国交正常化交渉を再開したことは、絶対的に支持する。「なぜこれで国交正常化に踏み切るのか・・・」と憤っている人たち、気持ちはわかるが冷静になろう。小泉は「国交を結ぶ」と言っているのではない。「国交正常化の交渉をはじめる」と言っているのだ。交渉がなければ、生きていると言われる4名の帰国も死亡したと言う8名の情報を得ることもかなわない。小泉嫌いのぼくだけど、今回ばかりは英断を支持する。どんなにむちゃくちゃな国家でも、門戸を閉じてしまってはおしまいだ・・・あと、インドネシアのチャーハンみたいな名前の団体で活動しているコッカイギーンの諸君(特に自由党の西村真吾)、ひらげのボスのシンタローくん、憎悪を煽るのはいますぐやめろ。やつらの言葉に踊らされて、罪のない少女のチョゴリが切りつけられるようなことがないことを祈っています・・・
2002年9月18日(水)
<今日のラーメン>
横浜西口、『浜虎』・・・ポルノ映画館『西口シネマ』がレトロなエロスを振りまく街角にそれはあった。で・・・結論から言うと、美味かった!。こんなところにこんな美味い店が・・・スープに鰹節の粉末が浮いていて、荒削りのやつを酒のつまみにするほど鰹節を愛しているひらげには、も〜たまりません。でも、さすがにスープを飲み干す頃には「しつこいかな・・・」と思ってしまった。でも、魚系の味が「しつこい」なんて・・・ありえな〜い(←キョウビの若者風)。吉村家をのぞけば、横浜駅西口でベストです。
渋谷でレコード漁り。まずは、宮益坂El Sur Recordsへ・・・今日はジョビジョバのマギー似の店員さん。ずっと気になっていたフェイバリッツ・グループのPOP JAWA Vol.2というレコードを買った(写真)。これ、多分、インドネシアのポップスじゃないかと思うんだけど、ジャケが何かすごいです。真ん中のオブジェも何だかよくわからないし、一番左のメガネくんをはじめとして、4人ともいい顔してます。内容は・・・何だろう・・・インドネシアのはっぴいえんど?・・・違うか・・・(Map of Indonesian Popsによれば、フェイバリッツ・グループは60年代後半から70年代にかけてビートルズやストーンズの影響下で結成されたグループのひとつらしい)。El SurではさらにあとLPを2枚。それから、レコファン渋谷BEAM店へ。ドミニカのマッチョ・スター、ジョニー・ベントゥーラのエロエロ・ジャケ(「大人のばかジャケ」コーナー計画中)などLP3枚と、ローリング・ストーンズ『ベガーズ・バンケット』のリミックスCDを購入。帰り、東横線のなかでストーンズのCDを聴く。あまりの音の良さにしびれる。あれっ、こんなとこにパーカッション入ってたっけ?・・・ベースはブリブリ、アコギもび〜んびん、生々しくってもう、たまりません。
2002年9月19日(木)
ZimSite.comで注文しておいたアンディ・ブラウンのCDが届いた。1999年のアルバム『ホンド・イェ・サザ』(ショナ語で「サザの戦争」という意味・・・「サザ」はトウモロコシの粉を練ってつくったジンバブエの主食)。イーストゲート(ハラレのショッピングモール)のCD屋のおっちゃんが、「(アンディのベストは)それじゃない」と言って新作『トンゴガラ』を薦めるので(ハラレ滞在記8月7日参照)、買いそびれていたのだ。でも・・・素晴らしいじゃないの!。アビジャン(コート・ディボアールの首都)録音。もろハチロク・ポリリズムの曲、ラテンっぽい曲、ルンバ(リンガラ)っぽい曲、さらには現地ミュージシャンとの共演ということなのかコラ(西アフリカの弦楽器)やトーキング・ドラムがフィーチャーされた曲まで入っている。才気奔るかっこよさ。しびれる〜。
2002年9月21日(土)
かなり前に買ったきり、ずっと「つん読」状態になっていたPaul F. BerlinerのThe Soul of Mbiraという本を読みはじめた。序文からして面白い。著者が、ムビラ(親指ピアノ)の鍵盤一つ一つの名前を、名手バンダンビラに聞きにいったときの話。ひと通り名前を教えてもらったあとで、「この鍵盤は○○ですよね」と確認すると、ことごとく「アイワ!(ショナ語で「ノー」)、それは△△だ」と訂正されてしまう。矢印と訂正でぐちゃぐちゃになったメモを手に、著者はもう一度最初から教えてくれるように頼んだ。バンダンビラは快く引き受けてくれたものの、教えてくれた名前はさっきとは全く違うもの。しかも、確認するとまたまた「アイワ!」とすべて訂正される。メモはまたしても矢印と訂正でぐちゃぐちゃに・・・著者はなおも食い下がった。「もう一度、最初から・・・」・・・矢印と訂正だらけのメモがもう一枚増えたところで、あきらめて帰ろうとする著者をバンダンビラが引きとめる。「きみが真剣なことはわかった。本当の名前を教えてあげよう」・・・うわ〜、やっぱり今までのはウソだったんか〜い。いわいる「民俗音楽」って信仰や秘儀と結びついている場合も多く、そうやすやすとよそ者に教えられるものではのかもしれない(ハワイのスラック・キー・ギターのチューニングや奏法も、昔は他の村の人には絶対に教えなかったという話を聞いたことがある)。それって閉鎖的って言えば閉鎖的なんだけど・・・神秘的な力を音楽に求めることで生き延びてきた人たちにとっては必要なことでもあったんだと思う。
2002年9月22日(日)
毎日放送製作の『情熱大陸』で、山野井泰史という登山家についてのドキュメンタリーを見た。むちゃくちゃ面白かった。子供の頃から登ることが好きだった山野井さんは、37歳の今でも子供の頃のまんま。近くの岩山(目もくらむような絶壁)に命綱なしで登ってしまう。「散歩みたいなものだから・・・」と言って・・・。ひらげは追いつめられるとよく、切り立った山の上に立っていて「どうしよう・・・ええいっ」と飛び降りてしまう夢を見る。飛び降りてしまわない山野井さんはすごい(←なんのこっちゃい)。
2002年9月24日(火)
最後の最後にいいもん見せてもらった。タイガース、邪軍に粘り勝ち・・・ヤクルトが負けたために邪軍は優勝を決めてしまったが、甲子園はすごい盛り上がりだった。「邪軍に一矢報いた」からじゃない。昨日から戻ってきた浜中。再びベスト・メンバーがそろったタイガースは実に強く、かっこよかった。前半戦破竹の連勝を続けていたときのタイガースそのものだ。このことはつまり、故障者さえ出なければタイガースは来年も優勝が狙えるということを意味する。甲子園に集まったタイガース・ファンはそのことを喜んでいたのだ。今にミテロヨ〜。
2002年9月29日(日)
タマちゃんがまた帷子川にやって来ているというので、ビデオカメラを持って見に行った。何となく、タマちゃんに出会えるような予感がしていたのだ。ニュースの画像から考えると、平沼橋のあたり・・・ひらげの自宅から10分とかからないところ。到着すると、すでにすごい人だかり。見物人の駐車した車が列をなしている。みんなミーハーだなぁ・・・(←って、お前もじゃ!)。2メートルはある堤防の上にのっかって、「たーまちゃーん」と大騒ぎ。普段だったら、こんな高くて危なっかしいところに子供がのったら烈火のごとく怒るだろうに、今日ばかりはお父さんお母さんが率先して担ぎあげている。ちょうどいい具合のところに不法投棄された廃車があって、老若男女がそれを踏み台にしてよじ登る。かく言うひらげも人ごみの中に自分のスペースを確保。すると・・・数分もしないうちにタマちゃんが目の前に顔を出した。きゃ〜、タマちゃ〜ん!!きゃわゆ〜い!!(←心のなかで叫ぶ)。
2002年10月
2002年10月1日(火)
尾崎紀世彦はなぜ別れた理由を言おうとしないのだろう。「なぜか悲しいだけ」などと言っているが、悲しくなるのにも何か理由があるはずだ。「なぜか」などと言ってお茶を濁しているところを見ると、何かとても言いにくい理由で別れたんだな・・・「鼻の形が嫌い」とか、「口が臭い」とか?・・・そりゃ言いにくいわなぁ(そう思ってたのは彼女の方ってことも考えられる)。あるいは悲しくなるくらいみみっちい理由だったり・・・「ジュース買ったときの20円返せよっ」とか、「テレビのリモコンいつもの場所に戻しとけよっ」とか・・・そんな小さな理由で別れちゃったら、そりゃ悲しくなるわなぁ・・・まあ、人生いろいろあるよ、キヨヒコくん(←何様?)
・・・バカな妄想は続く・・・
2002年10月3日(木)
大阪梅田の駅前、ビルの上にある巨大な観覧車のことはこのページでも何度か紹介した。ひらげは高所恐怖症のくせに高いところに登りたがるという悪い癖があって、大阪に行ったときには必ず乗ることにしている。「ビルの屋上に観覧車とは、やはり大阪は縮尺が違う」と思っていたのだが・・・横浜市営地下鉄「北センター」駅前にも巨大な観覧車をのせたデパートがあることに気づいた。何だ、あれ?・・・気になったので非常勤の後に行ってみた。デパートの名前は『都筑阪急』・・・やっぱり大阪人の仕業だったか!・・・さっそく乗ってみる。梅田のようにまわりにビルがあるわけではないので、さほどスリリングではないだろう・・・と思ったら、とんでもなかった・・・ジェットコースターなんかは、怖かったら目をつぶっていれば一瞬だ。観覧車はそうはいかない。ゆるりゆるりと登っていって、いつまでたっても頂上にたどり着かない。それでも目をつぶっていればいいではないかと言うかもしれないが、人間は「怖いもの見たさ」と言う感情に長時間耐えられるものではないらしい。よせばいいのに、地上をのぞきこんで「高いよ〜、怖いよ〜、死む死む〜」などとつぶやく。梅田の観覧車は登っていくときの投げ出されるような感覚が怖いのだが、北センターのほうはむしろ下りるときのほうが怖い。もしかして恐怖のあまりスローモーションのように感じているだけで、実は猛スピードで落下しているのではないか・・・というリアルな落下感。うわああぁぁぁあああ・・・・・堪能いたしました。
2002年10月6日(日)
ソウル・ブラザー徳さん(ギター)と、チキリカのベーシストエロさん、ドラムのコバによるジャズ・トリオ「コバババーナ」の演奏を聞きに関内『Club24 West』に。かっちょよかったっす!。ジャズ・バンドにしてはやや喧しかったけど、それもまた個性と言うことで・・・(笑)。12月にも同じ場所でやるそうなので、みなさんも是非。
2002年10月7日(月)
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜は
数え切れないなぁ。
(尹東柱「眠れぬ夜」、伊吹郷・訳)
2002年10月8日(火)
在日コリアンの詩人、金時鐘の評論集『「在日」のはざまで』(平凡社ライブラリー)を読み終わった。日本統治下の朝鮮半島に生まれた著者は、日本語を強要する皇民化教育のなかで「優等生」として育った。当時、朝鮮の学校では次のような「ゲーム」が行われていた。まず、週のはじめに十枚のカードが配られる。級友同士が目を光らせあって、朝鮮語を使った仲間を摘発する。摘発されたものは摘発したものにカードを一枚差し出さなければならない。週末、カードが十枚に満たなかった生徒は日本人教師からの過酷な体罰が待っている・・・そんな陰湿な騙しあいを余儀なくされていると、そのうち切れるやつがでてくる。「モッテロヘラ!(勝手にしやがれ!)」と叫んでカードを残らずばらまき、朝鮮語をしゃべりまくるのだ(「モッテロヘラ」・・・なんて素敵なコトバだろう。「じんとうせ」もおんなじ意味だ。「ロックンロール」も)・・・金少年はそんな環境を勝ち残った「優等生」だったのだ。金氏の父は日本の新聞を何紙も購読しながら、決して日本語を使わない頑固一徹な人物だった。日本統治下でも朝鮮の民族衣装を手放さなかった父は不遇を囲い、釣りばかりして過ごしている。金少年はしだいに大好きだった父親とのあいだに距離を置くようになっていく。
そんな金少年にとって、日本からの「解放」は主体的に勝ち取ったものではなく、与えられたものにすぎなかった。日本の敗戦を知った皇国少年はただただ呆然とするしかなかった。そして、自分が朝鮮語を消し去ろうとしていたそのときに、父親がどんな思いで釣り糸をたらしていたのかに思い至る。自分の手で「国」とか「民族」とかいったものをつかみ取りたいという気持ちからか、金氏は軍事政権下の韓国で学生運動に身を投じる。やがて祖国に留まることができなくなり、日本へ・・・父があれほど憎み、自分から朝鮮語を奪った日本・・・こうした複雑な背景があるにもかかわらず(だからこそ)、金氏は自分のなかの「日本語」に目をつぶろうとはしない。日本語で詩を書く金氏は、日本語によって自分のなかに切り込んでいく。自分のなかの日本語と切りつけあうかのように・・・英語のblackに否定的な意味が付与されていることを見つけて戦慄くマルコムXのように・・・「日本語」が切り離せない一部となった自分を否定するのではなく。否応なしに入り込んでくる「日本人の平常の暮らしを形づくっている日本語」が金氏の身体感覚とアレルギー反応を起こす。金氏はそのアレルギーのど真ん中に切り込んでいく。そこにとても新鮮な驚きをおぼえた・・・ぼくにもできるはずだ。在日ジャパニーズ(生まれ故郷や住んでいる場所に対する愛着と「国」や「民族」が別のものだとするなら、こうした言い方も成り立つはずだ)としての自分自身を見つめ直すことが。
もうひとつ印象に残ったのは、金さんの紹介する朝鮮の人々のコトバの強さ、切りつけるようなユーモアの鋭さだ。日本統治下で朝鮮の人々は日本のお偉方を朝鮮読みで呼んだ。征韓論の西郷隆盛は「ソヤン・ガンセンイ」(=西洋の子犬)、朝鮮総督府初代総裁の伊藤博文は「イトン・パンメンイ」(=虱のついた棍棒)と言った具合に。また当時の朝鮮では誰彼なしに手を出しては孕ませてしまう女ったらしのことを「チョントップマルトク」(=総督府の馬杭)と言ったそうだ。これは総督府が農民の土地を収用するときに、かたっぱしから杭を打ってその土地が総督府のものであることを示したことから来るのだと言う・・・ぜんぜん、屈していなかったのだ、この人たちは!。このへん、沖縄の人とも通じるものを感じる。それから、朝鮮文学の素晴らしい作家たちの存在も教えてもらった。戦時中の日本で朝鮮語詩の原稿持っていたというだけで殺されてしまった尹東柱の詩集(『空と風と星と詩』伊吹郷・訳、影書房)はすでに注文して手元に届いている(昨日の日記でも紹介した)。キリスト教徒らしい思いつめたような詩は時々ついていけなくなるんだけど、次の詩なんかはかなりしびれた・・・
明日、明日と言うので
訊いたら
夜 眠りにつき 夜明けがきて
明日という
新しい日を探していたぼくは
眠りから醒めてみると
その時は明日ではなく
今日だった
はらからよ!
明日はないのに
・・・・・・・・・・・・・・・・
(尹東柱「明日はない−幼な心が訊く」)
2002年10月12日(土)
↑イメージ画像先週の土曜からはじまっている『アフリカ映画祭』にようやく行くことができた。今日はドキュメンタリー映画『モブツ〜ザイールの王』を見た。モブツ・セセ・セコはザイール=コンゴの独裁者。1960年9月のクーデタで実権を握って以来、長い間ザイール=コンゴに君臨した。去年の10月、パトリス・ルムンバ(モブツの台頭とともに暗殺されたコンゴの初代首相)を題材とした『ルムンバ』(今回の映画祭でも上映・・・素晴らしい映画です)を見たこともあって、これだけは見なくてはと思っていたのだ。面白かった。カリスマ性と巧みな話術を誇った「ザイールの王」・・・でも、必死で威光を守ろうとする姿は、むしろモブツの弱さを示しているような気がする。国民の信頼を失い、それでも権力にすがりつこうとする晩年のモブツが、震える手でトレード・マークの豹柄の帽子と奇妙な形の杖をたぐりよせる・・・「それがないと俺は裸みたいだ」(←黒澤映画『用心棒』で仲代達也扮する新田の卯之助が最期に言うセリフ)と言ったかどうかはわからないが、権力者って哀れなもんだなぁ。ルムンバとは別の意味で興味深い人物だと思った。
それと・・・モンティ・パイソンばりの爆笑シーンも(ネタバレになるので書きませんが)・・・事実は小説よりも奇なり!。
映画を見終わった後、アフリカの旅行記(『アフリカ旅物語・中南部編/北東部編』)を書いている田中真知さん、ダイトウ、都立大の院生で今回の映画祭のボランティアをしている酒見くんと4人で飲んだ。ダイトウは田中さんの本を読んでアフリカに行き、当時エジプトに住んでいた田中さんの家に会いに行ったんだそうな。ぼくは本は読んでないんだけど(あ、読みます読みまぁすっ←坂上二郎風)、美人の奥さんとボートでコンゴ川を下ったこともある(・・・無茶するなぁ)田中さんの話はとても面白かった。
2002年10月13日(日)
昨日に引き続き、『アフリカ映画祭』へ。今日はまずモロッコ映画『アリ・ザウーア通り』・・・敵対するグループとの抗争で死んだ友人アリの遺体を埋葬するために奔走するストリート・チルドレンのお話。崩れかけた街を駆けまわる子供たち・・・泣けた・・・。それから、架空の独裁国家を舞台とした大活劇『シーア』・・・活劇モノ大好き。アフリカの独裁者・・・という設定が昨日の『モブツ』を思わせ、興味深い・・・と思っていたらこの結末!。「東京都新宿区新宿・・・恐山」(←寺山修司『田園に死す』のラスト・シーン)みたいな・・・。
ダイトウ&ビケちゃんと食事に・・・そのままふたりの部屋におじゃまする。すっごい広さにびっくり。朝5時ごろまで、音楽を聴いたり(マディ・ウォーターズ、リチャード・ボナ)、ビデオを見たり(ライトニン・ホプキンス)、猫とじゃれあったり(正確に言うとひらげが一方的に猫にちょっかいを出していた)してすごした。高校時代にマディ・ウォーターズを買いに行ったとは、やるな、ネエさん・・・おじゃましました〜。楽しかったで〜す。
2002年10月15日(火)
崔碩義『放浪の天才詩人 金笠』(集英社新書)を読み終わった。李氏朝鮮後期の放浪詩人金笠(キム・サッカ)のことは、金時鐘さんの本(10月8日の日記参照)で知った。両班(リャオパン=李氏朝鮮の支配層)の名家に生まれながら祖父の失脚によって出世の道を絶たれたサッカは、朝鮮半島を放浪して歩くようになる(笠=サッカとは、笠ひとつで旅をしていたことからついたニックネーム)。韓国ではその生涯がテレビドラマ化されたりして、とても人気があるらしい。もともとは役人になろうとしていただけあって旅先の雄大な自然を描いた格調高い詩なんかも詠んでいるんだけど、何と言ってもかっちょいいのは乞食同然の姿で旅をする自分を邪険にした人々を罵倒する詩だろう。例えば、現在の北朝鮮東岸の町・吉州(=キルチュ)と明川(=ミョンチョン)で読んだこんな詩・・・
吉州吉州不吉州 吉州、吉州というがここはそんなにめでたいところではない
許可許可不許可 許可する許可すると言いながら(一泊も)許可しようとはしない
明川明川不明川 明川、明川と呼ぶけれど、(そこに住む人は)少しも明るくない
魚佃魚佃不魚佃 魚佃、魚佃といいながら、のらくらしてちっとも魚を食べさせてくれない
サッカをはじめとして、朝鮮の詩人はダブル・ミーニングを多用する。「魚佃」(=ウォジォン)というのは漁村の名前だが、「ウォジォンウォジォン」と音読すると「のらりくらり」と言うような意味になるのだそうだ。また、許可(=ホガ)と言うのも、このあたりに多く住むホガ氏の人々をもじっているらしい。それに、「ホガホガフホガ」(「不」を朝鮮語で「フ」と読むのかどうか、ちょっとわからないが・・・)と声に出してみると、相手の名前を無意味な音の羅列にしてしまうカッサの呪詛の強さが伝わってくるような気がする・・・クソッタレメ、ホガホガフホガ(←完全に舐めてるな、こいつ・・・笑)・・・クソッタレと言えばこんな詩も・・・
放糞南山第一峰 南山の一番高いところで糞を放つと
香震長安億万家 都のおびただしい家々がその香ばしい臭いで震えた
うわ〜、さすが、サッカ!糞便テロリスト!すっごい、解放感!・・・ひらげは根が子供なのでウンコとかオシッコの話になると異常に興奮してしまう。やったぜカトちゃん、ウンコチンチン!・・・そうそう、チンチンと言えば、(←どういう話の持って行き方だ!)、一晩泊めてもらおうと寄った書堂(朝鮮の寺子屋のようなもの)で、子供たちに乞食扱いされて追い返されたときに詠まれた次の詩・・・
書堂乃早知 書堂は早くから知っていたが
房中皆尊物 部屋の中にいるのはみんな偉い人ばかりだ
生徒諸未十 生徒は合わせて十名にも満たないのに
先生来不謁 先生は出てきて挨拶もしない
これのどこがチンチンと関係あるのか?と思うでしょう。ところが、ここんところが朝鮮語のダブル・ミーニングの恐ろしいところ。「乃早知」「皆尊物」「諸未十」「来不謁」をそれぞれ音読みすると朝鮮語で「チンポコ」「犬のチンポコ」「女陰」「キンタマ」と言う意味になる。したがって、この詩は「書堂はチンポコ、部屋にいるやつは犬のチンポコ、生徒はオ○コで、先生はキンタマ」というとんでもない罵倒の言葉になってしまうのだ!・・・まあ、ある意味、小汚いかっこしてやってきて「泊めてくれ」「飯をくれ」などと言い、しまいにはこんな悪態をついたりウンコをまき散らしたりするサッカのほうがとんでもないやつだとも言えるのだが・・・でも、どちらが正しくて、どちらが間違っているかなんてわかったもんじゃない・・・
是是非非非是是 是を是とし非を非とする 是(これ)は是に非ず(正しいことを正しいとし、間違ったことを間違っているとする。これは正しくない)
是非非是非非是 非を是とし是を非とするは非に非ず是なり(間違ったことを正しいとし、正しいことを間違っているとするのは間違いではなく正しい)
是非非是是非非 非を是とし是を非とする是こそ非の非なり(間違っていることを正しいとし、正しいことを間違っているとする、これは間違ってはいない)
是是非非是是非 是を是とし非を非とする是(こ)の非こそ是なり(正しいことを正しいとし、間違ったことを間違っているとするこのような間違いこそ正しい)
ゼゼヒヒヒゼゼ、ゼヒヒゼヒヒゼ、ゼヒヒゼゼヒヒ、ゼゼヒヒゼゼヒ(朝鮮語ではシシビビビシシ・・・)・・・どこかの教祖様や神様、首領様に真実を求めようとする人にゼヒこの言葉を・・・
2002年10月19日(土)
チキリカ、南半球系吉祥寺ライブ。いろいろな人々に来ていただき、思いっきり飛び跳ねることができました。ちなみに「トテモアイタカッタで〜す」と言うMCは曽我ひとみさんの帰国記者会見から来ています(←だれも気づいてくれないので自分で言っちゃう)。次回は2003年1月5日高円寺Showboatです・・・ああ、そうそう、チキリカの新作CD『オジャレ!』発売中!。まだ買ってない人は近くのレコード屋さんに走・・・っても置いてないのでこちらにメールを。定価1000円です。
2002年10月21日(月)
朝、電車のなかで読んでいたはずの本が、職場でかばんを開けたらなくなっていた。???あれ?どうしたんだろう?。三つの可能性を考えてみた。@どこかで本を落とした。ハードカバーの本を落としても気づかないほど、ヒラゲはボケてしまった。A実は本は持ってきていない。電車のなかで本を読んでいたように思い込んでしまうほど、ヒラゲはボケてしまった。Bヒラゲは昔からボケている。
・・・Bか?やっぱり、Bか?
2002年10月22日(火)
やっぱりあった!。天王町にもタマちゃん便乗商品!。近所の小さなパン屋にイラストつきで「タマちゃん、ビラちゃん」と張り紙が・・・閉店後だったので詳細は不明だが、うぐいす豆が入っているらしい。たぶん、アザラシの形をしていて、うぐいす豆のつぶらな瞳がきゃっわいーと言うようなものであろう。だが、かわいいかわいいと言われながら、結局は頭からバクバク食われてしまう運命にあるのだ・・・♪ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜(←意味なし)。それにしてもビラちゃんって・・・帷子川のビラだと気がつくのに少し時間がかかったゾ。「カタビラ川のアザラシちゃん、略してビラちゃん」・・・何か、「いんちきアフリカ・バンド、略してチキリカ」みたいだな・・・続報を待て!。
2002年10月26日(土)
いやっ〜、食べないで〜
ビラちゃんパン、買って来ました。ややブサイクですが、確かにアザラシの格好をしています。つぶらな瞳はうぐいす豆ではなく、レーズンのようです。うぐいす豆はなかにたっぷり入っています。甘くてなかなかおいしいです。もちろん、「きゃわい〜」と言いながら、ばくばくと食らいました。しかし、何度か写真に撮っているうちに妙な愛着がわいてきて、何かひどく残酷なことをしているような気持ちになってくるから不思議。
チキリハのあと、石井夫妻と映画『スーパー8』を見に行った。ユーゴスラビアのバンド、ノン・スモーキング・オーケストラを描いた作品(監督のエミール・クストリッツァもバンドのギターリストである)。彼らの「ウンザウンザ・ミュージック」はバルカン半島のロマ(=ジプシー)音楽のニオイが濃厚にするものの、スカにレゲエ、パンクにジャズとあらゆる音楽を飲み込み、それをウンザウンザ(歌ってみよう〜♪ウンザウンザウンザウンザ)の荒れくれたリズムに乗せてぶち放つと言う、爽快にロック的なもの(←何言っているかわからない、と言う人は映画を見てネ)。映画はライブ映像、楽屋裏のようす(含喧嘩シーン)、写真撮影(全員裸に楽器)、ツアーの様子、プロモーション・ビデオ、などから構成されている。とにかく、ノンスモ(←もう略している)の音楽あればこそのこの映画、ぼく的にはもう少し跳びはねたり、転げまわったりするシーンがあったほうが良かったような気もするけど、十分楽しめました。そして、映画館で買ったノンスモのアルバム(『ウンザ・ウンザ・タイム』)は予想通りの素晴らしさ!・・・P. S. 映画の最後のほうにパンクの大物がちょろっとだけ登場します。
2002年10月27日(日)
昨日、『スーパー8』を見た映画館にラスタ帽を忘れた。ジンバブエでレジナルドにもらった大事な帽子だったので、あわてて取りに行く。
タワー・レコードをのぞいた後、徳さんのジャズ教室発表会を見に関内へ。徳さん、相変わらず「発表会」となると緊張するんだなぁ(笑)・・・ジャズの演奏を楽しみつつ、ビールをがぶ飲み。何か楽しくなってきたので、発表会後のセッション・タイムも居残り、飲み続ける。うへぇ〜じゃずじゃず〜、びーるびーる〜・・・べろべろべろべろ・・・
そのまま、自宅裏のロック居酒屋『オレンジ・カウンティー』に。最初は楽しく飲んでいたものの、そのうち北朝鮮問題のことで論争に・・・泥酔・・・(酔っ払って議論をするものではありません。多分ぼくの言いたいことは半分も伝わらなかったと思うけど・・・でも、この問題・・・拉致被害者の子供たちの「帰国」の問題についてはそのうちゆっくり取り上げたいと思う。彼らを「日本人」だからと言う理由で日本に連れてきてしまうことに、ぼくはどうしても納得がいかないんだ・・・拉致被害者が何を言っても脅されているか、洗脳されていることになってしまうことにも・・・)
2002年10月28日(月)
あっが−−−−−!!寝坊した寝坊した寝坊した・・・大遅刻。ほんとうに反省しています。ご迷惑をおかけした皆さんごめんなさい・・・。自己嫌悪・・・。
2002年11月
2002年11月1日(金)
雨・・・一日中、部屋にこもってアレックス・ラ・グーマの『まして束ねし縄なれば』(玉田吉行・訳、門土社)を読んでいた。冬のケープタウンは本当にこうも雨ばかりなんだろうか・・・そう言えば、降り止まないなぁ・・・。
2002年11月2日(土)
高円寺Showboatに、くるくるファンタジーのライブを見に行った。浮遊感のある演奏はとてもかっこ良かったし、歌詞もストンと腑に落ちる感じで好感が持てた。ベースの小川くんはスティーブ・マリオットに似てた。ヴォーカル/ギターの光太郎はイギー・ポップみたいだったのに、少し「ふかわりょう」が入っていた。ドラムのウナギくんは鰻ではなくて髑髏の人だった。ギターの向井はやっぱり向井だった・・・エロさんと打ち上げに乱入。二十代女性率高し。さすが(←意味なし)。一次会が終わって駅に向かう途中、プロレス活き活き塾の久世塾長が雑居ビルと乱闘。二階のバーのママを激怒させる。ひらげと小川くんが頭を下げている間に、「屋上の窓から脱出」と言うイリュージョン技で判定勝ち・・・吉祥寺に移動し、朝まで飲み明かす。始発まで飲み続けて、さすがに帰ろうとしていると「カラオケ行かないんっすか〜?今日のために練習してきたのに〜」と塾長。朝5時から熱唱する馬鹿がどこにいる!・・・とシラフなら誰でもそう思うはずが、徹夜で飲み明かして冷静な判断力を失っていたわれわれはなぜかズルズルとカラオケへ(いや、ひらげはけっこう積極的だったような気も・・・)・・・そして・・・塾長に負けじとひらげ大暴れ・・・Oh!つ・き・あ・い・た〜い♪・・・楽しかったけど、つ、疲れた・・・
2002年11月5日(火)
最近、子供たちがよく履いているすべる靴、あれ、ちょっと欲しいなぁ・・・
博多ラーメンのお店『一蘭』に行った。ここは図書館のように区切られたカウンターで有名なところ。ラーメンを味わうことに集中して欲しいということらしい。ずいぶん、無粋なことをするもんだなぁ・・・そんなわけで、桜木町に支店ができたので気になってはいたのだが、二の足を踏んでいたのだ。区切られたカウンターは養豚場みたいで(←ひらげを豚にしているわけだから、ある意味そうだ・・・って、笑うところじゃない!)、何かなぁ・・・そのうえ、カウンターの向こうともすだれで仕切られていて、注文を取りに来るときにも、ラーメンを運んでくるときにも、店員の目すら見えない。連れ込みホテルの受付みたいだ。いくらキュートな女性の声で「いらっしゃいませ〜」って言われたって、アイコンタクトがなければ人間どうしのコミュニケーションと言う気がしない(連れ込みホテルの場合はそれでいいんだろうが)。ラーメンはなるほど美味かったが、料理の与えてくれる幸せってそれだけなんだろうか。少なくともひらげの場合は違う・・・ご飯を食べた後には、ニッコリ笑って「ごちそうさま」って言いたいんだ。
2002年11月5日(水)
図書カードの整理をしていたら、Richard WrightのHaiku: This Other Worldが入っているのに気づいて、早速借りてきた。リチャード・ライトは小説『アメリカの息子』で知られるアフロ・アメリカンの作家。社会派の、抗議文学色の強い作風で知られる・・・んだけど、どうも本当はそうでもない気もしないではない。アフリカ系の作家なら政治的になるのは当たり前であって、ライトの魅力は「抗議をしている」ところにではなく、抗議をするときの語り口にあったような気もする。たしか、ジェームス・ボールドウィンが書いていたけど、ライトって実はひとりの優れたストーリーテラーとして捉えたほうがいいのかもしれない・・・と、そんなことはさておき、この本はライトが晩年熱心に書いていた俳句を集めたもの。ライトの俳句に対する思い入れは相当なものだったらしい。前書きを書いているライトの娘さんによれば、パリに移り住んだライトの部屋には俳句の書かれた細長い紙が無数に吊り下げられていたと言う。ぱらぱらとページをめくってみる。自然や身のまわりの出来事に対する新鮮な驚きが短い英語のなかにきらめいている。そのむこうに見える苛立ちと諦め。新しいブルースのようにも読める。
ぼくは何ものでもない
赤く沈んでいく秋の太陽が
ぼくから名前を奪っていった
あそこのあの凍りついた星と
水面のこの星--
どちらが遠いんだろう?
ひとつひとつ噛みしめないと、素通りしてしまいそうな短い言葉。しばらくは、暇なときにページをめくることになりそうだ。
2002年11月8日(金)
だめなぼくを見守ってくれ、助けてくれる人たちに心から感謝します。
2002年11月11日(月)
いろいろな意味で吹っ切れたので、久しぶりに新宿にレコードを買いに行った。思いがけず、すごい収穫があった。今日手に入れたのはパンチのある逸品ばかり。まずはディスクユニオン新宿店のワールド・ミュージック・フロアーで宝探し。『うちな〜ゆんたく--沖縄の笑い芸:照屋林助/小那覇舞天』(←沖縄ミュージカル・コメディーの巨匠二人のライブをカップリング。こんなものが出ていたんだなぁ!客は爆笑に継ぐ爆笑。言葉はほとんどわかんないんだけど、スットンキョーで図太いユーモアがリズムから伝わってくる)、京山幸枝若の『河内千人斬り/雷電と八角』(←河内音頭。幸枝若は浪曲の名人で、かの河内屋菊水丸もその節を学びに日参したとか。当時からギターも入っていてかっちょいい)、アルゼンチンの巨匠アタフワルパ・ユパンキの初期録音、ナイジェリアのエベネザー・オベイの70年代録音『イン・ロンドン』、ドミニカのジョニー・ベントゥーラ(←この人のアルバムが500円以下コーナーにたくさんまぎれていた。どれも似たようなものであることは予想がつくが、馬鹿ジャケ度高し)、ラヴィ・シャンカールの『ライブ・アット・モンタレー・ポップ・フェスティヴァル』、エル・グラン・コンボの『イン・アラスカ』(←プエルトリコ録音で、ライブ盤でもない。なぜ「アラスカ」なのか謎。ジャケットも流氷の写真に「はじめ人間ギャートルズ」風のロゴで「ブレイキング・ジ・アイス」とか書いてあってかなり馬鹿っぽい)・・・大漁だ〜。
西口のWarehouseに場所を移して、日本のロック関係を探す・・・するとありました!。PYGの『オリジナル・ファースト・アルバム』と、東芝エキスプレスの希少録音を集めたオムニバス『猫が眠っている』(共にCD)。後者には何と、RCサクセションのデビュー前のライブ録音「泥だらけの海」が入っているノダ!。もともとは東芝からデビューする予定のミュージシャンを集めたコンサートの実況盤に入っていたもの。以前、同じレコード屋でオリジナルのLP(『カレッジ・ポップ・コンサート』)を見つけたときには二万円を超える値段にもかかわらず買いそうになり、いっしょにいた中村くんと巴山くんの目を白黒させたことがある(←結局買わなかった)。RCは素晴らしい!。まさにハード・フォーク!。でも、二万円出さなくて良かった・・・(CDは3000円程度)。一方、前者は沢田研二、萩原健一などグループ・サウンズの残党が組んだグループ。当時グループ・サウンズと言うだけで「しょーぎょーてき!」と白い目で見られて全然売れなかったらしい。で、内容は・・・やはり、「大名盤!」とはいかないなぁ・・・実験しよう、ロックしようという意気込みばかりが空回りしていて・・・でも、一曲目の「戻れない道」だけは別。井上尭之(元スパイダース)による曲もさることながら、安井かずみの詞が素晴らしい。時はすぎていく・・・のではなくてぼくらが時を置き去りにしていくのだ、変わっていくのだ・・・と走り抜けながら、「できることなら離さない〜お前のその手を離さない」と歌うジュリー。この詞、最初ちょっと違和感があった。「できることなら」に続くのは「離したくない」ではないのか、普通。ジュリーは(安井かずみは)「離したくないけど、変わっていくためにはしかたないんだ」と言おうとして、あまりの切なさに「離さない」と言ってしまったんじゃないか・・・その証拠に、ほら、2コーラス目「その手を」のところでジュリーの声が裏返っている!・・・そんな妄想を抱かせるぐらい、この曲は素晴らしい。安井かずみってすごい人だったんだなぁ。演奏もアマチュアに毛が生えたようなものだけど、熱くて、かっこいい。特に岸部一徳(←キムタクにからむ謎のサラリーマン)のベースがぶいぶい。
2002年11月13日(水)
レゲエ・ミュージシャンが総出演の映画『ロッカーズ』のDVDを買った。サイコー。いけ好かないマフィアの親分の倉庫から盗品を盗みだす・・・という単純明快なストーリーもさることながら、何と言っても見所はキングストンの町並みと人々、それに出演するミュージシャンのキャラのたち方。ジェイコブ・ミラーは大食漢のデブ(「俺にも食わせろよ〜」と横から食い物を奪われて「冗談でもやっていいことと悪いことがあるだろう!」と激怒)、グレゴリー・アイザックスは怪しげな鍵師。主演のリロイ・ウォーレスに至ってはラスタの理想を説きながら、どこかいい加減で女好きな甲斐性なし(これじゃ奥さんもあきれるぜ!!)。ラスタの宗教性とルードボーイの粋がり方というのがどうも結びつかずにいたのだが、この映画を見て納得。グレゴリー・アイザックスの歌う「スレイヴ・マスター」なんか、最高。ジゴロ的怪しげな声といでたちで、歌っているのは「奴隷の主人よ、あんたは・・・」って、かっちょいーっ!!
2002年11月16日(土)
都立大軽音楽部の後輩、茂木さんの結婚式。いや〜、素朴な田舎娘って感じだった茂木がこんなにきれいな花嫁さんになるとはのう・・・(←お前は父親か!)。久々に軽音の連中とお酒を飲んで楽しかった。太郎ちゃんは子供ができたのね・・・かわいらしい女の子。定期入れに写真を入れてるなんて、もう、親馬鹿なんだから・・・しかし、当たり前だけど、結婚したり子供ができたりなんてことは、あの頃は想像だにしなかったなぁ・・・(←遠くを見る目)。
2002年11月22日(金)
ダイトウくん絶賛のスパイク・リー『モ・ベタ・ブルース』のビデオかDVDがあったら買おうかな・・・と思って横浜のHMVに行った・・・が、実際に買ったのは『少林サッカー』・・・(もう少しでTシャツ付のデラックス・バージョンを買うところだった・・・)。おまけに小さなバッヂがついている。ぼくが手に入れたのは「ド〜ドシドシソ〜」と歌いだすヘンな青年のやつだった。あのシーン大好きなんだよ!ラッキー。町でひらげを見かけたら、襟元につけているバッヂに突っ込んでやってください。うれしそうに「これはね、『少林サッカー』のDVD・・・」と説明してくれることでしょう。機嫌がよければ「ド〜ドシドシソ〜」と踊ってくれるかもしれません・・・。
最近気になったこと
『ダーク・クロニクル』とかいうゲームのテレビ・コマーシャル。「あの頃、RPGを買うために胸高鳴らせて並んでいた・・・それが今は・・・」とか言うナレーションに続いて、ラーメン屋に並ぶ行列が映されるのは、ラーメン好きとして納得がいかない。ラーメンもある意味RPGのようなものなのに・・・黄金の箸や翡翠の蓮華と言ったアイテムを手に、麺の国をさまよい、鳴門大人やチャーシュー剣士を味方につけ、スープの海を越え、出汁の秘密を解き明かす・・・うーん、やっぱりラーメン、深い。
2002年11月25日(月)
邪軍のオーナーが中村を取れなかった腹いせに、中村の金髪に「ああいうものに知性や教養が現れると言ってるだろ」とイチャモンをつけたとか。知性や教養が疑われるのはどっちだ!。『教養』というのは、自分と違う立場にある人のことを理解する能力のことだ。渡辺恒雄がそうした能力に見放された人物であることを、この発言自体が物語っている(「強要」ならあるかもしれないが)。「子供が真似したらどうする!」とも言っていたそうが・・・「大人が(渡辺恒雄の尊大さを)真似したらどうするんだ!」(←「子供」はあんなやつの真似はしない)・・・全国の子供たちよ!・・・中村を真似て髪を金に染めよう!。日本全国まっ金金にしてやろう。
2002年12月
2002年12月2日(月)
「ロータリー」を「ロリータ」と読んでいた・・・どうかしてるぞ、俺!。
2002年12月6日(金)
リチャード・ライト『ひでえぜ今日は』(古川博巳、絹笠清二・訳)を読み終わった。死後出版されたライトの未発表処女作品。びっくりした。自然主義的、あるいはリアリズム的抗議小説のイメージが強いライトのイメージからすると、ずいぶん違う。最初と最後だけは『アメリカの息子』的な自然主義だが、作風はどんどん変化する。ドス・パソスを思わせるようなコラージュ的手法を使った部分もある。ライトが批判したハーストンの作風に近い部分もある。ぼくがいちばん面白いと思ったのはもちろん、このハーストン風の部分で郵便局で働く主人公と仲間の会話、ダズンズ(一種のゲーム的な罵りあい)やトール・テール(ほら話)をまじえた会話が延々と続く。ありゃりゃ、ライトさん、けっこうハーストン好きだったんじゃないの?(笑)。統一感はないので習作という感じも強いけど・・・でも、そんなとっちらかったところがぼくは好き。
2002年12月8日(日)
ご飯も食べずに引きこもっていると、死んだ曾おじいちゃんのようなニオイがしてくる。腹いっぱい食べて引きこもると、腐った豚肉のようなニオイがするんんだけど。蒲団のなかで、モウイヤダモウイヤダと言いながら、自分のニオイをかいでいる。ププププ・・・わけもなく、オナラばかりでる。つげ義春の漫画みたいだ・・・
2002年12月9日(月)
田舎道を歩いていると首筋のあたりがガサガサしたので持っていた竹箒で払うと、逆上した大きなスズメバチに刺された。やばい。たしか、スズメバチの毒ってものすごく強くて、首とかやられると死ぬんじゃなかったっけ・・・どうしよう、どうしよう・・・うろたえていたら、助けてくれたのは疾風のごとく現れたケイタロウさん(←チキリカのドラマー)だった。「あの電車に乗ろう。あれはハチ刺され専門病院への直行便だ」・・・ハチ刺され病院?直行便?・・・そんなものあるのか???・・・電車に乗り込んだとたん、痛みはどんどんひどくなる・・・痛い、痛い・・・すると、半裸のお姉ちゃんが現れてあちこちでくねくねしはじめた・・・ああ、色気で痛みを和らげようとしているんだな・・・そう言えば、すこし楽になったような・・・って、おかしいだろう!。病院に行く人は女性も子供もいるんだから・・・と、つっこんだとたん、おねえちゃんは消えた・・・痛みのあまりの妄想らしい・・・次の駅(←直行便じゃないのか??)で母子が乗ってきた。痛がっているぼくを見て、「おかしいね、おにいちゃん、大人なのに」と笑っている。ばかやろう、お前のはミツバチだろう、俺のはスズメバチだぞ!・・・あた、たたたた痛い痛い痛い・・・もう死ぬ・・・
目が醒めたら、7時20分だった。7時の目覚ましで一度目を覚まして、二度寝したほんの20分の間にこんな夢を見るなんて・・・俺って・・・ドラマチック!!
ダイトウくんお薦めの本『ヴードゥー教の世界』(立野淳也・著、吉夏社)を読み終わった。こういう概説書がヴードゥーに対する偏見をとりのぞいてくれればいいと思う。改めてヴードゥーとハイチの歴史について復習することができた。かなり勉強しなおさなければならないけれど、来年は「ヴードゥーと三人の女性たち」というタイトルで論文を書いてみたい。三人の女性の一人は、もちろんゾラ・ニール・ハーストン。あとの二人はキャサリン・ダーナムとマヤ・デーレン。ダーナムは黒人の振付師、デーレンは白人の映画監督。
2002年12月11日(水)
今日はずっとジョン・レノンが聞きたかった。家に帰ったらジョンを聞こう、ジョンを聞こう、とそればかり考えていた。もちろんいちばんは『ジョンの魂』だけど、今日はやめておこう。「マイ・マミーズ・デッド」で泣いてしまうからだ。そうだ、『心の壁、愛の橋』にしよう。きっと、「わかってたまるか!」ってヤケッパチな気分になれるから・・・ジョンって、やっぱ世間的には「愛と平和」の人なんだろう。でも、ぼくにとっては「壊れちゃった人」だ。「愛と平和」とか言いながら、どこか人を信用できないところがあるし、すぐ観念的な言葉に逃げたがるし・・・壊れているからこそ「愛と平和」を求めるんだよなぁ・・・持ってる人はわざわざそんなこと言わないもの。ジョン自身も「俺は内側がかたわなんだ」(「クリップルド・インサイド」)って言ってるもん・・・などとまた勝手なことを考えながら「ジュリア」のメロディを口ずさんでいたら泣けてきた。わかったよ、ジョン、おまえの言いたいことがはじめてわかったよ・・・なんで「ぼくの言うことの半分は意味がない」のか・・・わかったよ、わかったよ・・・(←天然ラリッパーなのでほっといてください)。とにかく、ジョンを聞くんだ・・・♪ジョンは壊れてる〜、ヨーコも壊れてる〜、ひらげはもっと壊れてる〜(←はい、ほっといてください)。
ところが、橋本の本屋でとんでもないものを見つけてしまった。『ロック画報10』・・・スペシャル・サンプラーCD:70年代RCサクセション完全未発表ライブ・・・な、な、な、何〜!!!!。70年代RCと言えば、まだ忌野清志郎、破廉ケンチ、林小和生の三人でドラムもないのに生ギターをかき鳴らし、ガッタガッタやっていたころ。まじ?まじ?まじ?・・・まじだった。しかも、「つまらない仕事」「内気な性格」「もっと何とかならないの」と未発表曲が三曲も入っている!!。いいいい、いつかこんなものが出るんじゃないかと思っていたんだ(やっぱ、ゆーめいになったときのためにチキリカのリハ録音とかも残しておこう・・・笑)。もう、すっかりジョンのことは忘れて(←おいおい)聴いた・・・何度もくり返し・・・素晴らしい(涙)。ほとんど、アバンギャルドなくらい。ぶっとんだ。
町田で降りた。ひさしぶりに『いくどん』のラーメンを食おうと思っていたのだけれど、新しいラーメン屋ができているのを発見(『みそ田』)。元はさえない味噌ラーメンの店が建っていたところ。ちょっと迷ったが、扉のところに赤いサインペンで「ガラス」と書いた紙が張ってあったので入ることにした・・・「ガラス」って・・・だれか不注意してぶつかったやつがいるんだな・・・くっくっく・・・もう、いいです、まずくても・・・赤、白、八丁、麦、仙台と味噌の種類によってヴァリエーションを出しているめずらしいお店。とりあえず、いちばん一般的な「札幌ラーメン」(赤味噌)を頼んだ。ん!美味い!。
家に帰ってさんざんRCを聞いたあと、思い出した。あ、ジョン!・・・で、『心の壁、愛の橋』を聞いているのさ〜♪。この時期のジョンはヨーコとも別れちゃって、ハリーやリンゴと飲み歩いたり、フィル・スペクターと喧嘩したり・・・「もう、俺だめかも・・・なーんちゃって(←なんちゃっておじさんのポーズ)」っていう韜晦ぶりがひどい。でも、ぼくは「ジョン、ほんとの自分を見せてくれよ」なんて言わないぜ(それは『ジョンの魂』で見せてもらったし)。ジョン、好きなだけ韜晦しな、顔で哂って心で血を流す・・・ヨーコ、早く来てやって!(笑)。
2002年12月19日(木)
エレベーターで独文の助手さんと遭遇。「時間が空いたんで、ラーメン食いに行こうと思って」「へえ、どこです?」「南大沢においしいお店があるらしいんですよ。『分田上』って知ってます?」「ああ、淵野辺のお店の支店ですね」・・・独文にもかなりのラーメン好きがいることが判明。
『分田上』は、淵野辺の『大石家』から暖簾分けしたお店(正確に言うと、支店ではない)。『大石家』には以前行ったことがある。キャラの強いマスター、風変わりな店構えと、何から何までインパクトの強いお店だ。ラーメンは臭みのないとんこつ(熊本ラーメン)だが、何とスライスチーズがのっている。しかし、これがまろやかで美味い。『分田上』も『大石家』の延長線上にあるんだろうと思ったら、ずいぶん違った。まず、マスターが寡黙(って言うか、ずっとしゃべり続けている大石さんのほうがちょっとおかしいのだけれど・・・)。チーズはトッピング(ただし無料)。今日はとりあえずチーズなしで試してみた。スープは『大石家』ほどなめらかではなく、ざらっとした感じでそこがまたいい。すごく美味かった。また行こうっと。
2002年12月22日(日)
渋谷でレコード漁り。あっ、と驚くようなものはなかったのだが、それなりの収穫はあった・・・まずはレコファンのワールドミュージック・コーナーへ。ここはいわいる「ワールド・ミュージック」っていう言葉が流布した80年代のレコードから、60年代のフォーク・ブームにのって出された「世界のフォークソング」的なもの、さらには観光案内用レコードのようなもの、何だかわけのわからないいわいる「モンド」的なものまでこのコーナーに突っ込んでしまうので、なかなか見ごたえがある。さらには他の分野のコレクターが「ここなら誰にも見つからないだろう」と思って隠しておくのか、フォー・トップスとか「なんでここに?」というようなものまで混じっている、なかなか過激な空間なのだ(ここに来ると、落ちつく〜)。今日の収穫のなかからいくつかご紹介しましょう・・・
ハリー・ベラフォンテ/アット・カーネギー・ホール
ハリー・ベラフォンテってあんまり好きになれなかった。カリブ音楽を世界に広めた功績は認めるけど、あの清潔感がね〜・・・歌も容貌もなんかジェントルマン然としてて物足りないんだな〜・・・と思っていたんだけど、実はいまそのベラフォンテのレコードを捜し求めているのです。なぜかというと、大大大大大好きな(←小学生かっ)ハイチのギターリスト、フランツ・カシューがベラフォンテの初期のレコードの多くに参加していることを知ったから。カシューのことは何度かこの日記でも書いたけど、マーク・リボーのアルバム『ワークス・オブ・フランツ・カシュー』を聞いて知った。リボーはカシューにギターを習っていたのだ。クラッシックの技法と、ブードゥーのメロディーやリズムを練りあわせたカシューの曲は耳の穴から汁が出てきそうなほど切ないもので・・・何でかまったくわからないんだけど、カシューの曲を聞くと幼い頃に暮らしていた「野比」っていう町を思い出してしまう。野比とフランツ・カシューとジーン・トゥーマーの『砂糖きび』はぼくのなかで分かちがたく結びついているのであって・・・(←ちょっと寺山修司風)・・・っていうか、ベラフォンテの話でした。このライブ盤ではベラフォンテはカシューの作品"Merci Bon Dieu"(もともとは「ハイチ組曲」の中の"Coumbite"というインスト曲)を歌っています。これが素晴らしい・・・あいや〜やっぱりベラフォンテというよりカシューの話でした・・・
フィエスタ・アレナータ(オムニバス)
南米コロンビアのアコーディオン音楽を集めたオムニバス。ジャケットを見て「あ、テックスメックスね」と思ったら違った。ヒスパニック系の顔つきでアコーディオン持ってたら、テックスメックスて思うやん(←なぜか関西の人に同意を求める)。ところがコロンビア。これがすごい。テックスメックス的なところもある。もっとカリブ的なところもある。でも、それより驚いたのはときどき南アフリカの音楽(ズールー・ジャイヴ?)のように聞こえる瞬間があることだった・・・これは偶然の一致・・・?なわけないと思うんだけど・・・どういう経路で南アにこうした音楽が入って消化されたのか(多分、逆ではないと思う)、とっても興味深い。
イアン&シルヴィア/ノーザン・ジャーニー
イアン&シルヴィアはカナダ出身、60年代モダン・フォーク期の夫婦デュオ。フォークの夫婦デュオってなー、なんかなー。ヘーン、どうせ押しつげがましく愛を愛をふたりの愛を見せつけるんだろおおおおぉぉぉおおお!!・・・トワエモアみたいに!あるいはヒデとロザンナみたいにぃぃぃぃぃぃ・・・(←若い人は置いていきます)・・・などと思っていたのですが、さて、この二人(←急に冷静になる)、ジャケットのシルヴィアが美人です(イアンも好青年)。でも、多分ぼくは受け入れてもらえない美人です・・・「いやらしい本とかビデオは今すぐ捨てなさい!!」(←無理です・・・)とか言われそうです。酔っ払って羽目をはずしたりなんかしたら、平手打ちをくらいそうです・・・でも、聞いてみると意外とカントリーぽかったりして、人なつっこい音楽です。なんつーか、ほんちゅーか、プロテスト的な感じではないのです・・・案のじょー、この人たちはのちにグレート・スペックルド・バードとしてカントリー・ロックに走ることになります。
他に、チャーリーズ・ルーツとボブ・マーリーの『ラスタマン・ヴァイブレーション』豪華盤を買って、いつものように宮益坂El Sur Recordへ。今日は店長の原田尊志さん(←『ミュージック・マガジン』ベストアルバム2002ワールドミュージック部門選考者)。数ヶ月前、「ジンバブエでは今、アンディ・ブラウンですよ」と紹介しておいたら、さっそく入荷している。適切なコメントもつけられている(←アンディ・ブラウンは最高です。で、日本で手に入るのはおそらくココだけです。熱心なアフリカ音楽ファンは買わなきゃソンソン♪)。「いいですよね、これ」「いいですね」などとお話をしながら、レコードを物色。ハイチのヌムール・ジャン・バチストとウンベルト・エコーの競演盤(←これは実はハイチではとんでもないことでして、マディ・ウォーターズとハウリン・ウルフの競演のようと言ってわからなければ、そうですな・・・宇多田ヒカルと浜崎あゆみの競演と言うべきか・・・)、同じくハイチのマーサ・ジャン=クロードやインドネシアの長老グサン氏の新作なんかを買った。満足満足。
2002年12月23日(月)
渋谷で秘密のブードゥー集会。写真家・ジャーナリストの佐藤さん(←9月4日の日記参照)、ひらげの部屋BBS常連のダイトウ、ブードゥーのホームページ(←近々リンクさせていいただきます)を持っている壇原さんとひらげの四人で渋谷109のタイ料理屋に集合。ハイチとブードゥーについて語りあった。クリスマス・イブイブに男四人が集まってブードゥーとは・・・と言いながらも、ものすごく楽しかった。いろいろと勉強にもなったし・・・佐藤さんはザ・バンド好きなことが判明(←「この間、テレビで『ラストワルツ』やってたの見た!?」)・・・ぼくはウキウキが止まらなくなってしまい、そのあともダイトウと飲み続け(ダイトウは翌日早朝から仕事・・・ゴメン!)・・・結局、ダイトウ家に泊まることに・・・お邪魔しました〜。