チェリビダッケの録音について

last modified at 1998.08.08

初出 : 音楽現代 (1996.11)
初校ですので、掲載されたものとは異なります。

最初に断って置きたいのですが、僕は音楽については全くの素人です。 勿論、素人と言っても、世の中には専門家顔負けの方々も少なからず居る訳ですが、僕の場合は、本当に楽譜が読めない・リズム感が無い・音感が無い。 それでも、聴けば、この演奏は好き・嫌いと言う事だけは出来ます。 1980年のLSOを偶々放送で聴き、1986年の来日で初めて実演に触れて、以来1996年01月16日の演奏会まで計20回の演奏会に通い続けたのは、僕はチェリの音楽が好きだということを知ったからに過ぎません。 自分独りで楽しんで居る分にはこれで十分だったのですが。

録音を否定し続けたチェリの1ファンとして、チェリの録音について書こうというのは、自己矛盾を孕んだ行為の様な気もします。 演奏と録音は、丁度、食品と冷凍の様な関係なのかもしれません。 冷凍技術と解凍技術が進化して、様々な食品が冷凍出来る様にはなりましたが、それでも冷凍に向かないものも有ります。 中には、高野豆腐の様に、元の豆腐とは全く違った魅力を引き出したりするものも有る訳ですが。
録音に向いた演奏が駄目という考えがある訳では無いのですが、チェリの音楽は、意図的だったのか、或は結果的にそうだったのかは別として、確かに冷凍し難い音楽でした。

不幸にしてチェリの実演を体験することが無かった方は、是非、彼のドキュメンタリを見て頂きたいと思います。 録音というのは、実演の極一部だけを固定したスナップ・ショットの様なものです。 0次元の「点」に過ぎない録音から、チェリの音楽を想像するのは至難の業でしょう。(勿論、それで感動出来るのならば、その方にとって幸せなことだと思いますが) 一方のドキュメンタリ、若しくは、練習風景は、ヴェクトルです。音楽が創られていく過程という「動き」が有ります。 練習風景であれば、楽団員が発するどの音にチェリが「Nein!」と言って居るのか、それを拾っていくことは、チェリの音楽を、再構築していく上での助けとなるはずです。

まず見逃してならないのは、シュミット=ガレーのドキュメンタリ"Celibidache Man will nichts - man läßt es entstehen"。 原本は 1992年に出た本に付属の100分余りのVHSで、1992年にNHK-BSで、完全版が放送されて居ます。 現在は60分の短縮版が、新世界の付録(TELDEC)として入手可能です。 チェリの演奏を聴いて如何に感動したかを語る婦人に、「この体験は私が起こしたものではない。 あなた自身の魂の力によるものだ。 ・・・ あなたの体験は、私の指揮が引き起こしたと思っているが、残念ながら私にはそんな力はない。 それを可能にしたのは私ではなく、あなた自身だ。」と諭すシーンは印象的でした。 確かにその通りかもしれません。 僕もチェリの音楽で得難い体験をすることが出来ました。 でも、そんな僕の、聴き手としての「才能」は、チェリの音楽によって引き出されたものでした。 そして、チェリを失ったこれから、僕の「才能」を引き出してくれる演奏家が現れるのだろうかと考えると、心許ないところですが。
また、シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン音楽祭管との練習風景の場面で、学生達の好演を称えながら言う一言、「私の後にも音楽はある。」・・・今聞くとまるで、遺言の様な気がします。

他に、古典交響曲の練習風景(TELDEC; こちらも独逸で放送されたものの短縮版)、ブルックナ・ミサ第3番(PIONEER LDC; 練習風景と実演を繋ぎ合わせたドキュメンタリ)が入手可能です。 前者は、楽章毎に、楽典の講義が有ったり、物語を語ったりと、演出し過ぎて居る様な気もしますが、見て面白い作品になって居ます。

チェリの音楽を大別するなら、大体以下の4期に分けて考えることが出来ると思います。

1. ベルリン・フィル時代
事実上のデビューである1945年08月29日のツェーレンドルフでの演奏会以降、1954年11月30日のベルリン音楽院での定期演奏会まで、チェリとベルリン・フィルは、非常に多くの、そして幅広い音楽を提供して居ました。 例えば、1946年06月08日から1946年06月14日の1週間の演奏旅行で、昼夜合わせて13回もの演奏会を行って居ました。 また、曲目についても、コープランド・エルガー・ハリス・ホルスト・ピストン・Wシューマン・ヴォーン=ウィリアムスと言った新しい作品も取り上げて居ます。 これは、通常の定期演奏会の他に、進駐軍の為の演奏会を行う必要が有ったからでもありますが。 実際、この時期に、 25曲以上の初演、若しくはドイツ初演を行って居ます。
当時の演奏の幾つかは録音が為されて居り、独逸国内のFM局で以前放送されて居ます。
記録映画"Botschafter der Musik"に使われたBPOとのエグモント序曲(DREAMLIFE)が入手し易いでしょう。 また、ベルリン・フィルとでは有りませんが、フルトヴェングラーに勧められて嫌々吹き込んだ(?)録音(DECCA)も入手可能です。
勿論、録音でしか判断する事が出来ないのですが、当時のチェリは、伸びやかな瑞々しい音を聴かせてくれます。 一途に前向きな演奏とも言うことが出来ますが、後年の怪演を思うと、前しか見て居ない演奏と言えるかもしれません。

2. 放浪期
イタリアや北欧を点々として居た時期の録音、以前は、イタリアの海賊盤が多数出て居たのですが、最近は入手が難しい様です。 これらの録音に最初に出会って居たら、果たしてチェリのファンになって居たかどうか自信が持てないと言うのが正直な所。 録音も酷いのが少なくないし、オケ自体の演奏技術が少々心許ないものも何点か見受けられます。
玉石混淆の中で、特に注目すべきは、1969年05月20日のミケランジェリとの皇帝(ARKADIA他)。 最盛期を予感させる快演でした。 また、録音の悪さを我慢出来るのなら、バルトークのルーマニア民族舞曲(ARKADIA)、モーツァルトのレクイエム(HUNT)なども面白いでしょう。 ただこの時点では、単なる優秀な指揮者に過ぎなかった様にも思います。

3. 最盛期
録音で聴く限り1970年代前半頃と思われますが、チェリの音楽に転機が訪れた様です。
この時代のチェリの音楽を一言で言うなら、「強いる音楽」でした。 聴き手に対してさえ、緊張と集中を強いる音楽でした。 特に、ピアノの音の密度の濃さには、何度聴いても圧倒させられます。 広いダイナミック・レンジと、精密な構造とが共存して居ることにも驚嘆させられます。
この時期(1970年代から1980年代前半)の録音は、ブラームス・ドビュッシー・ヒンデミット・ラヴェル・リムスキ=コルサコフ・Rシュトラウス・・・何を聴いても面白いと思います。 勿論、録音の酷いものも有りますが。
丁度、ドヴォルザークの新世界が、シュトゥットガルト放送管との録音(METEOR)で入手可能です。 ミュンヘン・フィルとのLD(TELDEC; 減速感の有る・・・まるでブルックナを聴いて居るかの様な新世界)との違いを聴き比べるのも一興かと思います。
また、シベリウスの2番(AUDIOR)、マ・メール・ロワ(DOCUMENTS; EXCLUSIVE)、シェヘラザード(AUDIOR他)などが面白いところ。

4. 老成期
1980年代後半(映像で観る限り1988年以降?)、彼が座って指揮をする様になってから、チェリの音楽に変化が現われた様です。 少なくとも、最盛期の様に、オケも聴衆も完全に制御し切ることは出来なくなった様に思われます。 昔のチェリを知る人達にとっては、これが非常に歯痒いと感じて居られる様ですが、最盛期とはまた違った魅力も有ると思って居ます。 それは、ゆったりとした呼吸と、楽団員の自発性に助けられた音楽でした。 ゆっくりと噛み締める様な音の運びは、最盛期以上に味わい深かったと思います。
例えば、ロ短調ミサ(EXCLUSIVE; PARTITA)やブルックナの録音(例えば、AUDIORの8番)にそれが現われて居る様に思います。

なお最後になりましたが、CeLIST(チェリスト)と題して、チェリの演奏記録を纏めたものを登録して居ます。 御興味の有る方は是非参照下さい。 本稿での参考文献等もCeLISTの方に記載して有ります。


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