追っかけ日記 - ツェーレンドルフへ -

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書下ろし

[01.27] [01.28] [01.29] [01.30] [01.31] [02.01] [PROGRAMME]
チェリが亡くなって・・・もう自棄糞である(^_^;)
とにかく口惜しかった。
初めて訪れたMünchenは、前売券を一切持たずに(* と言うか、売り切れで買えなかった *)行ったのだが、それでも当日粘って4日間全て聴く事が出来た。
言葉が通じない事に対する恐怖(* は、今でも相当に有るが(^^;) *)も、実際には意外に何とかなるものだった。 そりゃまぁ、当日券売場で茄子を買おうと思ったらそれなりの語学力が要るだろう:-P でも、向こうだって当日券売場に並んで居る人間が何を買いたいのかは判って居る。
そう思うと、もっとチェリを聴く機会はあったはずだった。

で、考えてみると、聴き逃したくない人、今聴き逃すと死んじゃうかもしれない(^^;)人が、GiuliniとWandだった。 Wandは、約1年前Münchenにチェリの追悼本を買いに行った時に聴く事が出来た。 で、その強引さ、そしてその指揮者の我が儘を楽団に徹底出来る能力に感服し、また聴きたいと思って居た。
一方GiuliniはCDでしか聴いたことの無い、僕にとっては幻の指揮者だった。 ここ数年の実演を聴いた知人達が酷評するのを聞きながら、それでも昔の録音で感動した思いがあるものだから、どんな酷い演奏でも、聴いたという事実だけは作っておきたかった。

1998.01.27 (Di)
早朝荷作りし、そのまま出発と言うのが恒例化しつつある。 どうせ行きは着替えとMacintoshを詰めるだけ。 何故6〜7 Kgの荷物が、帰りには20 Kg近くまで膨れ上がるのか・・・
成田で、僕とほぼ同じ日程で廻るという絵譜さんと落ち合う。 Paris在住のF2さんから事前に伺って居た、サル・プレイエルの券売場の場所・営業時間などを伝え、現地でお会いしましょうと約束する。 彼はAF、僕は懲りずにKL。

CDGには、ほぼ定刻到着。 F2さんから便利ですよと伺って居たバスに乗ったのが18:15頃だったか・・・出発しようとして居たバスを無理矢理止め、小銭を持って居ないのかと運転手に嫌味を言われ、嫌な予感はしたが、夕方の自然渋滞にはまったらしい (* 尤も、国鉄・メトロはストライキだったとか。 F2さんは別にそこまで考えては居なかったと言うが *) 結局、モンパルナスに着いたのが19:20頃。 で、地図を片手に右往左往しながらホテルに着いたのが19:30頃。 もしかして聴けるかなと思って居た20:00からのシャンゼリゼの馬の演奏会(* バッハの無伴奏チェロから3曲 *)は諦めて寝る。

1998.01.28 (Mi)
朝、絵譜さんの宿泊して居るホテルに向かう。 11:00から開いて居るという券売場で、彼の券を無事捕獲。 ちなみに、夕刻戻った時には売切れになって居た。
彼が買った朝刊に依ると、モンパルナスで、"チェリビダッケの庭"を上映して居るらしい。 映画館の場所を確認し、16:20からと21:00からの上映であることを確認。 2時間25分の映画だから、16:20からの回なら、映画を観てからでも演奏会には間に合う。 映画館でお会いしましょうと一旦別れる。

映画は、何度も上映して居た為か、画像も汚く、音も悪い(>_<)
昨年Münchenで観た独語字幕版に比べると、字幕が少ない。 尤も、仏語字幕が有っても、僕には何の役にも立たないが。

で、映画の後、サル・プレイエルへと向かう。 昨年の内田光子に比べ、日本人の姿がやや少ない様に思う。 キャンセルの噂が流れたのが原因か。

結果論だが・・・今回の演奏会は、Conseiller artistique de l'Orchestre de ParisだったDiamand氏の追悼演奏会だった。 Diamand氏が亡くなったのが1998.01.16、この演奏会が追悼演奏会と決まった時点(* Programmeに弔辞が印刷されて居る位だから、亡くなった直後だったのだろう *)で、ちょっとやそっとの理由ではキャンセル出来なかったに違いない > Giulini
F2氏に前売券を買って貰ったのは1997年夏で、当初からヴェルレクを振る事は決まって居た。 追悼演奏会にレクイエムと言うのは単なる偶然だったが。

Giuliniは、指揮台に登るまでは颯爽として居て、それが指揮台の椅子に座った途端、存在感が無くなる。 演奏も、惨澹たるものだった。
音圧は有るのだけど、音厚を感じられない。 音と音の隙間に、虚しさを感じる音楽だった。 勿論、演奏会場の音響がそれ程良くないと言うのも有るし、直前に、濃い映画(^_^)vを観てから会場に駆け込んだので、僕自身精神的にかなり消耗して居たというのもあるのだけど。
そもそも今回の目的は、出来はともかく(^^;)、未だ聴いて居なかった「Giuliniを聴いたという既成事実を作る」のが目的だったから、一応目的は達成したことにはなる。

1998.01.29 (Do)
Paris北東部の音楽博物館(* METRO #5 Porte de Pantin下車 *)へ。 売店でミケランジェリの追悼本を捕獲。 伊語も読めない言語の一つだが、巻末の演奏記録だけでも買った甲斐はある。

2日目は・・・Giuliniが振り始めようとした途端、扉を無神経に開閉する音だったか、大きい物音があり、改めて振り直す事故があった。 あぁぁ、これで只でさえ無い緊張感が無くなってしまった・・・と思ったのだが、終わってみれば意外に快演だった。 怪演で無かったのはやっぱり初日を聴いて予想出来た通りだったけど。
Giuliniの存在感が無いと言うか有ると言うか・・・Giulini自身の存在感は希薄で困ってしまったのだけれど、初日と違い、オケや独唱や合唱の気迫がGiuliniに集中して居るのは感じられた。
幾重ものスポット・ライトが舞台中央に光を注いで居るものだから、舞台周辺を見ると舞台の中心に「存在感」が居る様な錯覚を覚えてしまうのだけれど、ふと舞台中央に視線をずらすと、何故か薄暗がりしか無かったとでも言う様な。

2日目だけ聴いて居たら結構満足したのかもしれないが、それでもGiuliniを聴いた満足感というよりは、「巨匠」の為に頑張ったオケや独唱や合唱の「誠意」を聴いた満足感だった様な気がする。
もうGiuliniは無理に聴かなくても良いかなと言うのが、正直な感想。 勿論、他に目的が有って旅に出る時に、偶々その前後に振る予定があるとか、Brucknerを振るとかなら話は別だけど (^^;)

1998.01.30 (Fr)
昼の飛行機でMünchenへ。
2点ほど、思い違いをして居たらしい。
まず、協奏曲がProkofievの3番だと信じて居たこと。 前回Kissinを聴いた時、単に機械的な演奏しか出来ないピアニストだと思って居たら、良い意味で裏切られロマンティッシュな音を聴かせてくれた。 これが大好きな曲ならどうなんだろうと思って居た。
もう1点、演奏会場がHerrakulessaalだと思って居たこと。 大音量で飽和するのが辛かったものの、ピアノの時の音の美しさは格別だったから。

で、実際は、Prokofievの2番、会場はGasteig。
はっきり言って、貧乏籤だった。 翌日Wandの2日目を聴いて再度思ったが、Berlinに直行し初日からWandを聴くべきだった。
とにかく、音が団子状態。 バルトークも荒々しい勢いが好きな曲だったはずなのに、聴いて居て面白くない。 西洋音楽の、真のバーバリズムは、本当は高度に制御されて、初めて聴けるものなのかもしれない。 フォルテの音がこんなに汚いとは・・・
Kissinも良いところが感じられない。 ガチャガチャとトイ・ピアノの様な音を鳴らして居るだけだった。

南独逸新聞に掲載されたJoachim Kaiserの評では、このKissinを大絶賛して居た様で(^_^;)
Gasteigの音響が悪いとか、Bartokがうるさいだけだったとか、共感するところも多々有ったのだけれど、あのKissinは絶賛出来る様な代物じゃ無かったんですけどねぇ。
尤も、Kaiserが聴いたのはLevineの翌日とのことですので、僕が聴いた日の前日。 初日は良かったんでしょうかねぇ > Kissin

1998.01.31 (Sa)
再び、飛行機でBerlinへ移動。 粉雪の舞うFlughafen Münchenから、約1時間遅れで飛び立つ。
Friedrichstraßeに大きめのCD屋発見。 後で寄ろうと取り敢えずホテルに入る。 一休みしてそのCD屋に向かうと、入口で阻止された。 16:00、土曜日だからもう閉店するのね(^_^;)

S1/S2でPotsdamer Platz下車、地図でこの方向だと思われる方向に歩き出すが、それにしても凄い所である。 昼にS-Bahn(* 特にTiergarten - Friedrichstraße *)の車窓から見た風景も凄かったが、とにかく手当たり次第地面を掘り返して居るという感じ。 Philharmonieへ向かう途中も、SONY CentreだったかSONY Plazaだったかと地下鉄の工事中。 今Berlinの土地勘を付けても、5年後には役に立たなくなって居ることだろう。

開演1時間前、Abendkasseには既に長蛇の列。 Kさんから、彼の知人が余分に押さえて居た券を譲って頂くことになって居るので、安心して傍観する。 Kさんとは2年ぶり。 お互い関東に住んで居るのだが、未だ日本で会ったことが無い。 絵譜さんとも無事再会。

Wandの姿は痛々しいと言うか・・・よたよたと楽団職員(?)に脇を支えられ、コンマスの手を借りてようやく指揮台に登る。 ところが、一旦棒を振り出すと豹変する。 結構、身体が動いて居るじゃぁないですか。
Wandの、積極的に音楽を支配しようという意欲が見えて面白かった。
何処だったか、fl.の速度感が、Wandの示して居る減速に従わなかった場面があって、あの爺様、fl.を睨んで、fl.の旋律の1音1音を叩く様な棒に切り替えて、従わせてしまった場面があったのだが、痛快だった。

1997.02のMuenchner Phil.の定期で、オケがWandの棒に振り回され過ぎて、半ば破綻しかけて居た日も有ったが、それを思えば、やはりBerliner Phil.は上手いオケだと思う・・・初めて聴いたけど。

Wandを聴くのは今回が2度目だが、「恣意的な」面白さを感じた。
最初から最後まで、Wandの振りたい音が存在して居て、それを的確に指示出来てる・・・と書くと当たり前の事を書いて居る様だが、それは僕の表現力の無さ故(_._;)・・・「Wandの振りたい音」が素人の耳にも明確に聴こえて来る。

終演後、絵譜さんと一杯。
「明日は日曜だからレコード屋漁りという訳にもいかんだろうし・・・何か面白いもの有ります?」
「昨日、Titania Palastを観てきましたよ」
「僕も一度拝んでおきたいなぁ。 どの辺です?」
「この地図だと・・・この辺」
「もう少し遠出すればアルゼンチン通りじゃぁ無いですか」

1998.02.01 (So)
絵譜さんと待ち合わせ、S1で南下する。 旧東ベルリンから旧西ベルリンに移っていくのが、車窓からの風景でも判る様な気がする。 旧東側は・・・何と表現して良いのか判らないが・・・「何となく」暗い。 建物自体や、壁の色や、壁の落書きや・・・それが西側に移ると風景に違和感を覚えなくなる。

1945.08.29に、Abendmusik Argentinische Alleeという演奏会があった。 Zehlendorfer Haus am Waldseeで行われた、その演奏会で、チェリはベルリン・フィルと初共演を果たした。 チェリのミーハーを自認する僕が訪れずに済ます訳には行かぬ(^_^;)

やがて、Mexikoplatzに到着。 地図に拠れば、この駅がWaldseeの最寄り駅。 目の前がArgentinische Allee。
Argentinische AlleeからWaldseeの方に一歩踏み入れば、郊外の高級住宅街とでも言った雰囲気の家並である。

Waldseeは、かなり大きめな沼だった。 暫く周囲を散策する。 もしかして、この湖畔の芝生で、野外納涼演奏会として行われたんだろうか、などと考えながら、Argentinische Alleeに戻ると、この通りに面してHaus am Waldseeは在った。

今でも室内楽の演奏会場として使われて居るらしく、Brahmsか何かの室内楽の案内が掲示されて居た。 今思うと、どうせ夜まで暇だったんだから入れば良かったのだが。

ベルリン・フィルの100年誌に拠れば、「アルゼンチン通りの夕べ」でのデビュー演奏会で、チェリは、ロッシーニのセヴィリアの理髪師序曲と、ウェーバのファゴット協奏曲(* 独奏はBPO主席のローテンシュタイナ *)と、ドヴォルザークの新世界交響曲を振ったと言う。
僅かに残されたベルリン・フィル時代の映像や録音から想像するに、若さ故の盲進的な演奏だったのかもしれない。 今聴いて面白い演奏だと言える自信は無いが、敗戦直後のベルリン市民にとって貴重な体験だったに違いない。

U1のKrumme Lankeから、S45/S46経由で、U9のWalther-Schreiber-Platzで下車。 S1でFeuerbachstraßeまで戻れば済むのだが、色々違う電車に乗ってみたいという鉄ちゃん根性が顔を出す(^^;)

Walther-Schreiber-Platz駅に、"Titania Palast↑"という標識があった。 聖地巡礼しようとする、多数の熱烈なフルトヴェングラ・ファンが道を尋ねるものだから・・・なんて想像をしてしまったが、何の事は無い、現役の映画館である。 丁度この時は、"Titanic"を上映して居た。

特にAlte Philharmonieが戦災で焼け落ちた後、Berlin Phil.の演奏会場として、ここは頻繁に利用された。 チェリも、1945.10.14から1953.11.09までの143回、ここの舞台に立って居た。 そういう歴史的資産が未だに、用途は違うものの、残って居ることに感慨がある。

SITZPLANHEFT der Berliner Konzert- und Theaterhäuser(Konzertdirection KUNST & KONZERT)には"Weitere Theater"として載って居たので、演劇などには未だに使われて居るのかもしれない。

"Titanic"を観ると言う絵譜さんと別れ、ホテルに戻る。 途中、Behren Straßeで営業して居るCD屋を発見。 日曜なのに? 何故営業して居るの? 土産物屋という扱いなのだろうか? 確かに、店の1/3 位は観光土産が売って居る。
只、仮に土産物屋だとすれば、妙にマニアックな店である。 エテルナ盤のLPが結構在庫して居たり・・・収穫は、ワイマール国立歌劇場オケのブルックナの交響曲3番など。

惰眠を貪って再びPhilharmonieへ。
Wandは相変わらず金管を鳴らす。 尤も、その棒に応えるBerliner Phil.も凄いオケだとは思う。 前日もそうだったが、終わった後の静寂と、その後の怒濤のovationが良い。

出来れば、チェリとの想い出が一杯残って居る、この曲をWandで聴きたく無かったなぁ・・・これが凡演ならともかく

PROGRAMME
1998.01.28 20:00- : Salle Pleyel
1998.01.29 20:00- : Salle Pleyel
(* Concerts dedies a Peter Diamand *)
Verdi, G : Messa da Requiem
Giulini, CM / sop. : Varady, J; mezzo-sop. : Lytting, K; tenor : Neill, S; bass : Mikulas, P; Choeur de l'Orchestre de Paris; chorus master : Oldham, A; Orchestre de Paris

1998.01.30 20:05- : Philharmonie am Gasteig, Muenchen
(* 5. Konzert Reihe A *)
Prokofiev, S : Romeo and Juliet, ballet suite, op.64; excerpts
Maazel, L / Bavarian RO
Prokofiev, S : Piano Concerto No.2 in G minor, op.16
Maazel, L / Kissin, E; Bavarian RO
Debussy, C : Nocturnes; 1 : Nuages; 2 : Fetes
Maazel, L / Bavarian RO
Bartok, B : The Miraculous Mandarin, Sz 73
Maazel, L / Bavarian RO

1998.01.31 20:00- : Philharmonie, Berlin
1998.02.01 20:00- : Philharmonie, Berlin
(* 3. Konzert Serie D *)
Bruckner, A : Symphony No.4 in Eb major, "Romantic"
Wand, G / Berlin Phil.

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