2劇通信・幕の内タケ第11号 1999年(平成11年)11月11日
中島さんの思い出
今年六月に亡くなられたウイングフィールドのプロデューサー・中島 陸朗さん。2劇は劇団創設当初から、ずっとお世話になりっぱなしの存在でした。中島さんとの思い出を、阿部 茂が語ります。
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いろいろとお世話になって。とても一言じゃ言えない。この間、朝日新聞で中島さんの記事が出てたけど、そこに出てくる劇団といえば関西の、日本の小演劇界を代表するような名前ばっかりで。そんな劇団と同じくらい古くからお世話になっていながら、私たちは本当に出来の悪い子供だった。
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今までこうして劇団を続けてくる上で、中島さんが支えてくれているっていう安心感は大きかったんだよね。関西小劇場界で、曲がりなりにも少しは評価してくれてる数少ない人が、それこそ二人ぐらいしかいない内の一人がお亡くなりになって、2劇の今後はどうなるのかって話が劇団員から出たくらい。
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中島さんは語り口調は訥々としていたけど、ものすごく情熱的な人でね。その情熱に中年後期にいる私はずいぶん力づけられました。いや、力づけられています。今でも。
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ずっと面倒みてくれてた理由? さっきも言ったけど、周りの劇団がどんどんブレイクしていく中、いつまでも地下をはい回るネズミみたいな私たちを見捨てるに見捨てられなかったんじゃないかな。義理堅い中島さんとしては。
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今またこうやって「ハードボイルドをやる!」なんて言ってる私たちを天国からどんなふうにごらんになってるんでしょうね。まさか、笑ってるんじゃないでしょうね、中島おじさん。(談)