AZUMINO GUIDE PAGE NO.058

安曇野大町仁科三湖白馬小谷 の情報




小谷村中土地区長崎群落の中谷民俗村構想

小谷村は信州の最西北部にある山間の村です。村内のうち森林が約9割を占め、農耕地は僅か2%と云われる村で、白馬連峰と妙高などの東山に挟まれた峡谷の地形です。村中に姫川が流れ、その支流の中谷川や土谷川が流れ、その川沿いに集落が散在しています。
南小谷から姫川の川沿いを少し北へ行くと、県道川尻小谷糸魚川線が走る中土川沿いを約1km行ったところに「中土地区」があります。百名山として有名になった「雨飾山」への登山や、今から約400年前に上杉氏と武田氏の平倉城合戦の際に落武者が発見したと云われる湯治場で有名な「小谷温泉」がある中谷川渓谷の途中にある群落です。95年には小谷村を襲った集中豪雨で土砂崩れがあった中谷川ですが、今では砂防工事などが終了し穏やかな山村に戻っています。
数軒の民宿が点在し、商店や中土小などがある瑞穂群落は中土の中心となっています。ここには「大宮諏訪神社」があり、大木の腰掛杉は小谷村の天然記念物に指定されています。毎年8月下旬には県無形文化財の奴踊り・狂拍子などの郷土色豊かな歌・踊りが披露される例祭が行われています。また、当時、この地を治めていた平倉城主飯森盛春が1532年に建造させたと云われる曹洞宗の「宝降山・玉泉寺」があり、延命地蔵菩薩と呼ばれる御本尊と盛春の墓があります。この地区の心の寄りどころとなっています。

この瑞穂の東側の高台には数軒の民家が点在する長崎群落があります。今では過疎化で空き家が多くなっているような小さな村です。遠くには北アルプスが望め、下方には瑞穂の家々と中土川が流れている自然豊かなところです。中土地区は冬の雪国・小谷を代表する豪雪地帯で、一晩で積雪1mを越えることもあるような土地ですが、雪解けする春にはザゼンソウ・水芭蕉が咲き、裏山はまさに自然の山の幸の宝庫となります。春には蕗のとうに始まり、コゴミ・ウド・タラの芽・わらびなどの山菜が取れ、秋にはキノコ・栗・アケビ・山ぶどうなど小谷を代表する名産品が取れます。
最近では中谷川の川沿いに「中谷親水公園」が作られ、東屋などが建ち、バーベキューなども楽しめるようになった。豪雨災害の復興で中谷川左岸には桜並木も植えられ、春の桜が楽しめるようになるという。


ここに、この部落出身で現在、栂池高原で旅館を営む「山本国弥さん」(「おらが里」代表)が「中谷民俗村」(仮称)を作ろうと取り組んでいます。


「中谷民俗村」構想
(1)「中谷民俗村」の資料館
構想では、山本さんの生家などを資料館として、今までにご自分で集められた明治以降、小谷村で実際に使われていた農耕器具や林業工具などを約500展を展示しようとしている。この地区で使われなくなった生活用品を始め、養蚕用具・モミすり機・ぼろ織り機、鋸・カンナ・お盆やお膳などなど。

(2)「中谷民俗村」の炭焼き体験
自宅付近には炭焼き小屋を建てて、黒炭用の「炭焼き窯」を作っている。これを更にもう1基作る計画があるとのこと。ここでは現在「炭焼き体験」ができます。山本さんは幼き頃から父の炭焼きを見て育った経験をもとに、98年9月に栂池高原に完成した「炭焼き窯」では山本さんの経験が役立ったという。

(3)「中谷民俗村」の山野草園
標高2000m弱の「雨飾山」一帯は高山植物の宝庫としても有名です。雪解けの春には福寿草・水芭蕉そしてカタクリ、ニリンソウ、初夏からはシラネアオイ・リュウキンカ・キヌガサソウ・ヤマアザミ・ニッコウギスゲ・マツムシソウ・リンドウなどの花が咲く。99年秋の紅葉時に雨飾山を登ってきましたが、山の登山道にはたくさんの花が咲いていました。近年、この山が有名になったことで入山する登山者が増えている。山頂で出合った地元のおじちゃんは、「昔は静かな山だったのに」とこぼしていた。当然、登山道の踏み荒らしなどもあって、貴重な植物が失われつつある。このような小谷村に育つ貴重な自然の山野草を保護する目的で「中谷俗村内」に水路や畑を造成してビオトープにも取り組んでいくようです。水路には水芭蕉やザゼンソウ、畑ではシラネアオイ・スズムスソウ・ニッコウキスゲなどを植えて、失われつつある貴重な植物を保護したいと。

(4)豊富な自然体験学習
自然豊かな土地(山・川)を利用して、山菜・キノコ採りや清流の中谷川での渓流釣りなど自然体験のできる場としていく予定。

小谷村北部の活性化対策として、新しい観光資源として、地域の発展と農村と都会の人との交流の場として注目されている「中谷民俗村」です。小谷村でも当然、この構想に協力していく姿勢を見せているようです。

雨飾山登山や小谷温泉入浴で、年に何度か通るこの中土地区ですが、今度じっくり見てこうよと思う。

「中谷民俗資料館」完成
2001年4/28(日)、小谷村中土の活性化に取り組む住民でつくる「中谷開発委員会」は、長崎地区に、50年〜100年前に地域で使われた生活用品や農機具など数百点を集め、古い民家で展示する手作りの「民俗資料館」をオープンしました。長崎地区では山野草園や炭焼き小屋などの整備も進んでおり、「中谷郷・おらが里」としてPRしていく。

民俗資料館
中谷郷・おらが里


2003.4/29(祝);10:00〜16:00;小谷村中谷郷「おらが里開館祭り」
雪に埋もれていた小谷村中谷郷の「おらが里」でもグリーンシーズンを迎えます。「おらが里」は2003年で3年目。失われつつある小谷の文化や歴史を後世に伝えたいとの地元の思いで作られた。場所は小谷村中土長崎集落。約600坪の敷地に、昔の農機具、家財道具、生活用品などを展示した「資料館」(3棟)、炭焼きや炭俵編みなどが体験できる「炭小屋」、薪割りや丸太引きなどが体験できる広場、貴重な地元種の山野草や山菜が楽しめる「山野草園&山菜園」、そしてイベントが楽しめる「屋外ステージ」や憩いの広場などの施設があります。また、炭焼き体験や薪割り、そば打ち体験、小谷の伝統のボロ織り体験などさまざまな体験も楽しめます。
2003年の開館祭りは初の開催で、当日は津軽三味線演奏や山菜汁や山菜天ぷらの振る舞いなどあり。旬な山菜の味を楽しもう。(参加無料)
(10:00;オープン,12:00〜山菜汁・山菜天ぷらの振る舞い,12:30〜竹山流 津軽三味線演奏会)
(問)ビジットインぎんれい TEL0261-83-2130

2004.04/25(日);12:30〜小谷村「中谷郷おらが里」にて「中谷郷春まつり」
三味線や民謡、民舞など。山菜の天ぷら・山菜汁・かすわかしなど(\500/参加費)。
8:30〜中谷郷史跡めぐり(所要約2.5〜3H,\500,締切;04/23)
(問)中谷郷おらが里 TEL 0261-82-2130



小谷村の災害と自然との共存を考える。
白馬飯森のおじちゃんが話してくれましたが、おじちゃんが青年の頃に小谷村の山奥では、盛んに木の伐採が行われていた。多分、その材木は戦時中の戦艦などの材料として利用されていたらしい。あれから50年以上の月日が流れ、伐採した木々の根が腐ったのが原因で、96年12月の小谷村蒲原沢の土石流の大惨事が起こったのかもと嘆いていた。
その話を聞いて、小谷村についての資料を調べてみた。
第三紀層分布地帯と云われる、東部山間地帯(八坂,美麻,池田)と北部の峡谷部(小谷村)は第三紀層が分布する地帯で常に地滑りが発生しやすく、小谷村はその典型的な地域です。小谷村ではその昔、白馬乗鞍岳の火山で噴出された岩(砕屑岩・砂岩・泥岩など)で造成された土地であり、小谷特有の地形・地質により、過去に何度も雪崩れ・風水害・崩落などの災害が発生している。

明治の終わり頃(1911年)には、乾いた土砂が押し出されて砂塵が舞い浦川が埋まり、姫川の流れが塞き止められ、湖水となったこともある。また何度かの崩落と降雨で多くの人命が失われ、民家や橋が糸魚川まで流れてたこともあった。
明治44年には現在のコルチナスキー場の奥にある「碑田山」の崩落で23名が犠牲となった。翌年にも2度の崩落。
姫川支流の浦川周辺は碑田山の崩落地や地滑りが起りやすいところで、碑田山大崩壊のあとにも何度となく土石流などが発生して姫川がせき止められ、緑豊かな水田が流失。この地域に住む者にとっても苦労が多かったところであったが、今では砂防工事や砂防ダムが10数基完成し土石流も無くなってきている。浦川流域の水田も昔の豊かな田圃に戻りつつある。2001年の「脱ダム宣言」で長野県ではまだ着手していないダム建設事業は基本的に中止となった。治水にはダム・堤防・しゅんせつが必要なのだろうが、今後はこれには頼らず、「緑のダム構想」として河川の上流域の森林整備や下流域での遊水池・貯水池の設置などを検討している。本来はダムを造るべきではないと思うが、小谷のような急しゅんな地形ではダムなしでは難しい問題である。砂防ダムができてやっと豊かな土地が確保されているところがあることを忘れてはいけない。
最近(1995年・1996年)では、夏の豪雨で大網地区が陸の孤島となったことも記憶に新しい。その時は糸魚川と小谷間の交通網が全て寸断され、大糸線やR148の通行止めとなり、閑散な山間にある温泉街でも看板であった露天風呂などが土砂で埋まり、営業中止が続いていた。97年から98年にかけて急ピッチで復旧工事が進み、営業を再開した温泉旅館もある。
地滑りだけでなく豪雪・雪崩など、数えきれない災害に悩まされる「小谷村」だが、それだけに災害を乗り越えてきた小谷村には底力がある。
昔から北小谷では、姫川(暴れ川)筋には道を造るべきでない。古来からある古道(千国街道;塩の道)を利用しろと言い伝えられている。江戸時代には日本海の糸魚川から松本城下町に塩・海産物・麻などを牛馬とポッカによって運ばれていた重要な陸路であった塩の道。豪雪地帯である上に険路が多い北小谷では山の稜線従って道を造り、自然と共存していく知恵が昔人にはあったようだ。
明治の初期(1882年)に新しい道の整備が計画され、その約4年後(1886年)には現在のR148の源道ができた。また、その後、昭和の戦後(1957年)に当時の軍用鉄道が一般の鉄道として、大糸線となったと云われている。白馬の民宿のおじちゃんの話によると、戦時中、北小谷の峠越えでは軍用トラックを縄で引っ張って運んでいたと云う。しかし、その道路や鉄道を整備するにあたって、姫川沿いに造られたのがマズかったのかな?。
近年に発生した度重なる被災や災害時でも、昔の塩の道にはそれほど影響はでていないと云う。この事実から考察してみると、未だ現代人は、大切な事に気がついていない様だ。
自然と如何に共存し、近代土木工法を活かしていくかが今後の検討課題であると思う。最後に、この文を掲載するにあたって、「野外博物館通信」に掲載された博物館都市研究所の大日方氏が書いた「土石の惨事に思う」、白馬の民宿のおじちゃんの話を参考にしております。
95年7月の集中豪雨災害の記録「小谷村梅雨前線豪雨災害の記録 この体験を語り継ぐ」を全村を襲った歴史的被害を写真で紹介し、専門家による分析、救援や復旧に携わった人たち、村民の体験談などを掲載。また、96年12月の蒲原沢土石流災害の経過も掲載しています。この記録集は、A4判・112頁(カラー48頁)・3000部印刷(非売品)。希望者には\2000程度で分けている。
(問)小谷村総務課 TEL 0261-82-2001



小谷村東北部に位置する上信越国立公園に源を発し、姫川に合流する約9.5kmの「中谷川」流域は、自然豊かで数々の貴重種と多くの動植物が点在している。上流には百名山の雨飾山や鎌池、湯治場の小谷温泉があり、年間を通して数多くの登山者が訪れる。しかし、平成7年7/11〜7/12の集中雨により、護岸流出、河岸決壊、河岸浸食などの被害が発生した。このために大町建設事務所では河積を拡大し、縦断勾配・流路を改善し、河川流域の住民生活の安定を図るための災害復旧工事を行っている。中谷川流域を「親水ゾーン」「景観ゾーン」「自然環境ゾーン」に分け、各ゾーンの特性に応じた自然環境と親水性に配慮した整備を行っている。2001年度には工事が完了する。親水ゾーンは周辺住民や中土小の児童などに中谷川に対する親しみを感じさせるような水辺でのレクリエーションの場を提供する。景観ゾーンは中谷川が望める場所で、周辺環境との調和を図り、植生をし、緑化整備を行う。自然環境ゾーンでは背後の樹林地と一体的な空間となるように整備をし、動植物の生息・生育空間を生成させる。護岸工事では表面に覆土をし、自然に植生できる環境にしている。この河川工事は2001年度に完成する。2000年秋、紅葉真っ盛りのときに雨飾山や鎌池を訪れたが、中谷川の護岸工事はほぼ完了していました。



★長野県知事が2001年GW期間(05/05-06)、私的に小谷村を訪れ、「北小谷の谷止め工事」を「小谷では無駄な公共事業を見てきた」と発言。これに対し小谷村村長は「大災害を乗り越えてきた村民の苦しい思いをどう理解しているのか」と強く反論。「地域住民が安全に生活できるよう、国や県が多額の投資をしてくれた。山村住民に対して、血も涙もないコメントと思わざるを得ない」と憤慨。「視察は各市町村を通じて公に行うべ」と。流域の地質がもろく、国が砂防ダム建設などを行っている浦川や、国や長野県が95年夏の集中豪雨で災害復旧工事を行った蒲原沢などを見て回ったようだ。95年の豪雨では道路やJRが決壊するなどの大きな被害を受けている。おぜん立てした視察では無駄な公共事業を見抜けないと述べている。(2001.5.09)

★2001.8.27大北で始まった「どこでも知事室」で小谷村村長は、「知事の私的な訪村で無駄な公共事業と述べたことについて、今でも村民は心を痛めている。村、県にとっても不幸。新たな信頼関係でやっていきたい。村民に暖かい言葉を」と注文した。これに対し長野県知事は「言葉が足りなかった。しかし公共事業は補助金があるからやるのではなく、事業の進行に合わせてお金を出す制度に変えていかねばならない。」と公共事業のあり方について述べるだけだった。また、知事は「ヘリ視察で、小谷ではもっと緊急にやる必要な事業があるのでは?。必要な場所に必要な手だてを図りたい」と述べた。(2001.8.28)

★2001年度に先送りした小谷村の公共事業の鬼の沢と雪崩防止工事。2001.8/29に小谷村中小谷の山中にある採石場を長野県知事が視察した。あのH7年の豪雨災害(H7年)で姫川の氾濫、土砂崩落から壊滅的な打撃を受けた小谷村では「災害に強い村づくり」をして6年、すっかり元の姿に戻った。小谷村長は知事に対して防災工事の必要性を説明した。
2001年5月、長野県知事は小谷村防災工事について「無駄な公共事業」と発言し、波紋を広げていた。また、国が砂防工事を行っているR148の姫川沿いで大町建設事務所が業者に採石を許可していることに関して「適切な防災対策が出来ていないのでは?」、「地滑り地帯で山を切り崩して良いのか?」と行政の姿勢に疑問を投げかけ、「隣の山が国の直轄砂防指定地になっているのに、採石場の操業許可が出されているのは疑問だ?」と許可を出した建設事務所の担当者に説明を求めた。「木を切り山を崩すことが砂防と両立するのか」として大町建設事務所に許可を出した経緯に関する資料の提出を求めた。長野県土木部では「石を取った後は植樹して復元作業を行なう」と説明。(2001.8.29)

★2004.06.27;星国・県職員OBで砂防ボランティアを務める長野県内の200人余が「土砂災害から地域を守る会」を結成、「土砂災害と地域の安全について考える」を白馬村内で開いた。国や県が厳しい財政状況から公共事業を減らし、県がハードに頼らない土砂災害対策を進める方針を示したことを受け、「災害経験者の声を発信し、ハード面も含めた対策の必要性を訴えたい」と企画。集いには白馬村、小谷村の住民や村議ら約200人が出席。基調講演した堀内照夫・元信大農学部教授は「森林整備による災害防止は集中豪雨の際に限界がある」と主張。また「公共事業は最小の経費で最大の効果を上げる努力を」と。1995年7月の豪雨災害の経験者など両村の5人による公開討論会があり、郷津久男・元小谷村長は「行政は生活基盤を守る努力が大切」と主張。白馬村の民俗・思想史研究家の田中欣一さんは「災害に明け暮れた地域の歴史に学んでほしい」と話した。(2004.06.28)

★2004.09.10;小谷村濁沢にワイヤを編んだネット状の砂防堰堤が完成した。姫川砂防事務所は地元住民や業者らに説明会を開いた。土石流で運ばれる巨石をせき止める堰堤。従来のコンクリート堰堤とは異なり、取付工事が2週間程度で済む。石がたまってもネットを外して石を搬出後、再びネットを張って繰り返し使うことができる。国交省が焼岳と立山に試験施工しており3ヶ所目。当初から実用を目的に設置したのは今回が初めて。ネット状の堰堤は幅29m、高さ5m。ワイヤで編んだ網の目の直径は1〜2mと大きく、ふだんは水や土砂が流れ、土石流の際に運ばれる大きな石のみをせき止める。両岸のコンクリート構造物でネットをつって固定。ネットは上流側に折り曲げ、土石流の際は石が河床のネットを押さえつけながらたまる仕組み。約7300m3の土石流を止められる。ワイヤネット工と呼ばれ、総事業費は約1.4億円。コンクリート堰堤よりは安価。姫川砂防事務所によると現地は河床が弱く、コンクリート堰堤では施工が大掛かりになり、下流でほかの砂防工事が続いているため、早急な安全対策の必要もあってこの工法を採用した。(2004.09.11)

★2004.09.24;県姫川砂防事務所管内の白馬、小谷村の住民有志が事務所の存続を求める請願書と両村住民ら9000人の署名簿を県議会に提出。9月県会で審査される。請願書では「両村の地形地質は急峻にして脆弱で土砂災害の危険性を秘めている。開設以来、災害の復旧事業や土砂災害防止施設の整備を担ってきた砂防事務所を奪わないでほしい」と求めている。提出したのは白馬村の「存続を求める会」と小谷村の「守る会」。県が砂防・治山事業でハードに頼らない方針を示したことから、事業の縮減による事務所の廃止を懸念した住民有志が発足させた。両村議会は6月定例会で同事務所の存続を求める決議をしている。(2004.09.25)

★2004.01;白馬山麓の急峻な地形を抱える白馬村。県は10月下旬にも村内の渓流の周辺を、土砂災害防止法に基づく土石流の警戒区域・特別警戒区域に指定。県内初の指定。砂防堰堤を中心とするハードの整備に対し、危険区域を示し、避難体制を整えるソフト対策の推進が狙いだ。だが地元にはハード対策が滞らないかとの不安もある。ハードとソフトを組み合わせた対策の実効性を高めるには住民の十分な理解を得るとともに避難場所の確保や地域防災計画の見直しのため、県が村や地元と連携し支援していく必要がありそう。
「生まれ育った土地。愛着がある。たやすく移転できるわけでもない」白馬村の嶺方地区で民宿を営む樋本朝夫さんは話す。今回、村内の79渓流周辺が警戒区域となる。このうち56の渓流周辺は緊急時に知事が移転を勧告できる特別警戒区域。警戒区域内の建物(民家・公共施設)は848戸、12戸が特別警戒区域に入り、その10戸までが嶺方地区。樋本さんの民宿は特別警戒区域ではないものの、地区の30戸余はすべて警戒区域か特別警戒区域。指定によりただちに移転を求められることはない。ただ避難体制を充実させるとして、ハード対策が停滞し、事実上、移転を促されることにならないか、との不安も村民にはよぎる。指定に当たり、県姫川砂防事務所が8〜9月に村内11地区で開いた説明会では「家や土地は逃げられない。避難せずに済む手段を示してほしい」と砂防堰堤などの整備を求める声が相次いだ。これに対し、県砂防課長は「人命を守るには避難体制が必要」と説明。人家が多い区域では今後もハード対策を進める方針を示した。だが、財政難の中、予算がどこまで確保されるか。国・地方税財政の「三位一体改革」では砂防関連の国庫補助金を削減、地方に税源移譲する案が出ており、予算規模が減るとの懸念も根強い。2004年度県当初予算で、砂防関係の公共、県単独事業の総額は119億円。土石流危険渓流、急傾斜地崩壊危険個所、地滑り危険個所の安全施設の整備率は20%前後で、全国平均もほぼ同様。国交省は「ハード整備が間に合わない間、人的被害を抑える予防策が必要」とし、警戒区域・特別警戒区域の指定に理解を求める。ただ、今回の指定では課題も浮かんでいる。白馬村の地域防災計画で、嶺方地区の第一次避難所となっているスキー場の駐車場は特別警戒区域に入る。避難先も安全ではないことになる。村によると、村内28地区のうち、少なくとも8地区の第一次避難所が警戒区域・特別警戒区域となる。今後、土石流に続き、急傾斜地崩壊、地滑りについても指定を受けるため、村の担当者は「その度、避難所の再検討が必要になる。全域が警戒区域となる地区もある」と苦慮する。9月下旬、村が県に提出した意見書で、福島信行村長は「避難施設の新設や補強工事、地域防災計画の見直しには財政的支援が必要」と県に求めた。地域防災計画の見直しは、新たな避難所の確保が柱になるが財政支援はない。県は2004年度、白馬村に続き、諏訪、泰阜村、南箕輪村など11市町村で土石流の警戒区域・特別警戒区域を指定。2008年度をめどに全市町村で指定予定。建物の多い特別警戒区域では優先して施設整備を進め、指定の解除もあり得るとする。全国初の指定が行われた広島県では、住民が新たな避難計画に基づく避難訓練をするなど効果も出ている。ハードに頼らない方針は田中知事も4月に打ち出している。県は白馬村を「モデルケースにしたい」考え。だが住民に理解が行き届いたとは言えない。今後、どう理解を求め、どんな支援策を示すことができるか?。
警戒区域・特別警戒区域;土砂災害防止法に基づき、都道府県が1)土石流、2)急傾斜地崩壊、3)地滑りの各災害ごとに災害の恐れがある「土砂災害警戒区域」と、建築物や住民に危害が生じる恐れがある「土砂災害特別警戒区域」を指定。警戒区域では市町村が避難体制を整備。特別警戒区域では建物の壁の補強や防護壁の設置が義務付けられ、緊急の場合は知事が移転勧告できる。これまで広島、静岡県が指定。全国の指定個所は土石流が18.3万ヶ所余、急傾斜地崩壊が33万ヶ所余、地滑りが1.1万ヶ所余になる見込み。(2005.10.05)


姫川は美しい姫「奴奈川姫」?
暴れ川の異名を持つ「姫川」は、白馬佐野坂峠の麓の「親海湿原」を源にし、白馬岳を源流とする松川で合流して白馬連峰と小谷山地との間を北流し、糸魚川で日本海に注ぐ、全長58km、流域面積742km2の河川です。大正以前は清流で水量も豊富だったのでサケ・マス・フナ・イワナなどが多かった。特にサケ・マスは多く、網を持った人々が競い合って入るほど賑やかだったそうだが、姫川は急流である上に雪解け水が多いので、現在は発電所が多くなって、その魚の姿が見られなくなったそうです。
姫川の古名は「奴奈川」であったといわれています。古事記で「出雲大社の大国主命と高志の奴奈川姫命との結婚」の記事がある。高志とは越で、現在の新潟のこと。ヌナは玉という意味があることから「奴奈川」は玉を産する川ということになる。これらを考え合わせると、新潟に流れ込みヒスイの原石やメノウが産している姫川が「奴奈川」であったと考えられている。奴奈川姫は美しく賢い女性だったといわれ、今でもその神秘が言い伝えられている。糸魚川には奴奈川神社があり、大国主の命と奴奈川姫が祀られています。(「小谷の本」より)


山の遷移。緑豊かな森を育てるために植林。
戦後丸裸にしてしまった山々を再び緑の山に戻すために、ヤセた高冷地でも笹・鹿の食害にも強い「カラマツ」が特に植林されてきた。森は遷移する。安定した森林にできるまでには約250〜500年の長い時間がかかる。裸地には太陽を好む「アカマツ」などが林を作り、成長が続くと、地面に日差しが届きずらくなり、木が弱ってくる。そして日陰に耐えるブナやナラなどその土地に最も適した森ができてきます。長野県は高山帯の天然カラマツ、ツガ、サワラなどの針葉樹林やブナ、ナラなどの広葉樹林ができていきます。

地滑りの多発する小谷村。
豪雪地帯の雪解けの春、小谷村城の中谷川の支流・十二沢で3ヵ所に渡って、土砂が1m崩れているのが県姫川砂防事務所で確認された。2002.4/18朝、地元住民から「川が濁っている」と小谷村役場に連絡があり、県姫川砂防事務所が現場周辺を調査した。大きいところで幅170m×長さ150m、崩れた土砂量の計は39万m3。この沢から100mには民家や中土小学校と中谷保育所があります。融雪と4/17の雨が原因のようです。現場の一部は地滑り防止区域に指定されており、下流には砂防えん堤が2カ所設置されていますが、近くを流れる中谷川に流れ込むと被害が拡大する危険があるという。しかし、土砂が完全に崩落すると川をふさいで土石流が発生する恐れもあり、長野県では現場に伸縮計やセンサーを設置して警戒しています。(2002.04.18)

2002.6/28小谷村中土の熱湯沢上流で斜面の一部が崩落しているのが確認された。現場の0.5〜1km下流には温泉旅館、県道があり、小谷村では「沢の最上流付近なので土砂が一気に流れ出る状況ではない」とみている。沢で治山事業のえん堤整備に当たっていた作業員が、2002.5/中に見つけた。融雪が原因?。崩落は中規模程度。現地を調べ、中信森林管理署・北安曇地方事務所と対応を検討する。(2002.06.30)



小谷村稗田山と浦川の災害

小谷村西部の風吹岳近くを源流とし姫川に注ぐ全長約10kmの浦川。支流の金山沢は稗田山が源流。記録に残る限りで最も古い稗田山の崩壊は1726年。19世紀前半の天保年間には風吹岳が崩落し土砂が姫川に流れ込み、下流の来馬地区が被害を受けた。1911年の崩落は最大の被害を記録。昭和以降も風吹岳周辺の崩落で姫川をせき止め、大糸線が不通になるなどの被害が続いた。新潟県境の姫川支流蒲原沢では1996年12月6日、土石流が発生、堰堤工事をしていた14人が亡くなった。浦川で現地調査を続ける新潟大学積雪地域災害研究センター・丸井英明教授(砂防学)によると、稗田山周辺は火山噴出物が覆い、亀裂が多く風化も早いため、水が浸透し崩れやすい地質。浦川は上流域の崩壊部分が拡大して土砂がたまり、土石流の発生頻度も高い全国有数の危険河川。1964年に浦川の土石流が姫川をせき止めた災害を受け、国は浦川の直轄砂防工事に着手。0203年までに砂防堰堤17基を整備している。
山深い集落に人影は少なく激しい川音が静寂を破る。小谷村石坂地区。姫川支流の浦川に架かる橋のたもとに幸田文の文学碑が立つ。「道のべに生い茂る夏草は鮮やかに青く、まことに歳月茫茫の思いにうたれる」。全国有数の崩落地を巡っていた幸田がこの地を訪れ、随筆「崩れ」に書いた一節。浦川の上流に目を移すと、遠くの山並みに緩やかな曲線を描き、小さな帽子をかぶったような稗田山が見える。赤い山肌が、「抜け」と呼ばれるかつての大崩落をしのばせる。
1911年8月8日稗田山一帯が長さ約3km、幅約1km、河床からの高さ約300mにわたって崩れた。浦川右岸の段丘に点在する石坂地区24戸のうち、川沿いの3戸(17人)、姫川と合流する長瀬地区の1戸(5人)、富山から材木運搬に来ていた1人の計23人が数分で土砂にのみ込まれた。山は北側半分がだ円の弧を描くように崩壊。土砂は浦川を埋めて姫川に流れ込み、一夜で幅約110mにわたりせき止めた。姫川上流に長さ約4kmの湖ができ、下里瀬、池原下地区で計46戸が浸水。さらに湖のせきが決壊し、宿場として栄えた下流の来馬地区の17戸と田畑約30haが水没、河原と化した。県姫川砂防事務所などが1979年に体験者から聞き取った録音テープで細野星隆さんは「ゴーゴーと恐ろしい音がして、外壁に石や砂が当たる音がしていた。夜が明けると浦川の谷が対岸へ渡れるくらいに埋まっていた」と振り返っている。1977.07/07;幸田文が稗田山を訪れた。北安曇教育会総会に招かれて講演した際、世話人を務めた白馬中学校長の太田清輝さん(小谷村中土)に現地案内を頼んだ。崩落跡を一望できる浦川支流の金山沢に架かる金谷橋を訪れた午後、一帯は霧に覆われていた。翌日も途中の村道が工事で通行止め。引き返したものの「林間にはっきりと赤肌の山を見た。稜線からくっきりと崩壊して裸である」と書いている。
文学碑は1992年、太田さんら有志や村などが浦川の石で建てた。碑文は民俗・思想史研究家の田中欣一さんが「歳月とともに稗田山崩落が忘れ去られようとしている」との思いから選んだ。その碑も1995年7月集中豪雨で土砂崩れに巻き込まれ流失。建設省松本砂防工事事務所などが探し出し、1996年6月に再建。当時の傷は繰り返す災害の記憶を呼びさます。石坂地区は現在わずか6戸、住民14人の多くは70〜80代。4月雪の中から碑が現れ、稗田山が赤い山肌を見せるころ、3m近い積雪となる冬の間、国道近くの別宅で生活していた住民が戻ってきた。 「災害が起ころうとも住み慣れた場所が一番。ほかの場所には自分たちの田んぼも畑もないから」。

雨量データをHP公表し、土砂災害の警告に。
2002.4/15;長野県土木部は県内約200ヶ所の雨量計データを基に、土砂災害の危険度がどのくらい高まっているかを知らせる「土砂災害警戒情報」をHP掲載します。県内120市町村毎に、現在の降雨状況、過去の降雨パターンをグラフに表示し、危険の高まりを一般の人にも伝える。都道府県では初の試み。管理する雨量計は193基。信州内の5Km四方に1カ所の割合で設置されている。観測データは10分/1回、長野県内15建設事務所、3三砂防事務所から収集される。構築したシステムは、市町村毎に土砂災害への危険度をグラフ上に表す。横軸に累積雨量の強度、縦軸が短時間雨量の強度、過去24Hの降雨データを1時間毎に示し、今後3時間の降雨予測も示す。過去20数年間の降雨パターンも折れ線グラフで表示。過去のデータと比較することで、危険度を示そうという狙い。

2001年に発生し信州での交通に影響が出たり河川が土砂に埋まるなどの影響があった災害件数(土砂災害)は計26件。ここ5年間で最少。(長野県砂防課調べ)。2001年9月台風の影響はあったが災害は少なかった。2001年度の内訳;地すべり(15件)、崖崩れ(7件)、土石流(4件)。このうち土石流は1992年,1993年と並んでここ10年間で最少だった。土砂災害は小谷村など北部で集中豪雨により1995年は多く(170件)、1996年(23件)、その後は30〜70件台で推移。1999年は豪雨などで砂防関係は115件の土砂災害があった。

県砂防課は県内約200ヶ所の雨量観測所の降雨量データなどを基に各地の土砂災害発生の危険性を知らせる「土砂災害警戒情報」をホームページ上で提供する。危機管理室が2001年創設されたこともあり、同課が観測データを一元化し、防災情報として活用する方法を検討していた。 同情報は、単純な降雨量ではなく、土中にしみ込んだり河川に流れ出した雨量を加味して解析した「実効雨量」を採用。縦軸を短時間の実効雨量、横軸を累積の実効雨量とした平面グラフになっている。過去の災害発生時のデータや警戒基準雨量などを基に、平面グラフを「安全(緑色)」「注意(黄色)」「警戒(赤色)」の3つの領域に色分けし、その上に観測所の降雨量を基にした過去24Hの実効雨量と3時間後までの予想実効雨量を折れ線で示すことで、折れ線がどの領域にあるかで危険性が分かる仕組み。 また災害発生の際に素早い初動対応が取れるように、災害が予測される場合には県幹部や市町村の防災担当者の携帯電話にメールで情報を配信するシステムも構築した。配信リストを作成中で6月をめどに配信を始める。「これだけで判断できるという情報ではないが、防災情報を住民と共有化する第一歩。今後もデータを加え、充実させていきたい」と話している。

長野県内の1/3が豪雪地帯。積雪期の大規模地震対策が不十分なまま。避難や救助活動に不可欠な交通機能の低下、避難所の防寒対策のほか、県外のスキー客らを想定した対策も必要だが、震災対応を定めた県地域防災計画に盛り込まれていない。新潟県中越地震の教訓を踏まえ、計画の早急な見直しが求められている。都道府県を見ると北海道、東北、新潟など積雪・寒冷地の自治体の多くは、冬季の地震対策を同計画の柱の一つに位置付けている。道路の除排雪をはじめ、火災、雪崩など2次災害の拡大も想定され、対応が一層難しくなる。具体的には、「降積雪を考慮した避難誘導の標識設置」(福井)、「取水口が複数の高さにある多段式消火栓の整備」(山形)、「避難所に電源を要しない暖房器具、燃料の備蓄」(新潟)などが明記されている。輸送手段の整備では「孤立が予想される集落のヘリポート」(福島)、「雪上車やスノーモービル」(新潟)の確保を市町村に要請するなど行政の役割分担を明確化。スキー場のゴンドラ損壊、雪崩発生などによる被害を想定し、「利用客も考慮した一時避難所の確保及び救出・救助対策」(宮城)に言及する所も多い。一方、長野県は2002年3月に策定した「第4次県雪対策計画(2002〜2006年度)」で「消防防災ヘリコプターなどの整備」「積雪を考慮したライフラインの整備と復旧体制の確保」「雪崩危険個所の見直し」などを挙げているが他県に比べ具体性に欠ける感は否めない。県危機管理・消防防災課によると、雪が多いために住民の生活水準の向上が阻害されているなどとして、豪雪地帯特別措置法の指定を受ける県内の市町村数は、北部を中心に27。全県に占める割合は面積で約34%。雪崩危険個所は910。県内の地震被害に詳しい信州大学・泉谷恭男教授(地震学)は「中越地震も雪が積もっている時に起きたら、被害はもっと大きくなっていた。本県も北部を中心にこうした事態を想定し、対策を考えておくべき」と計画見直しの必要性を認める。県は「当面は雪対策計画の施策で対応する」としているが、関心が高まる積雪・寒冷地の地震対策について、「地域防災計画に盛り込むか、指針などで個別に対応するか、県防災会議などで議題にしたい」と前向きに検討する方針。2002年3月の県地震対策基礎調査報告書は、県内で想定される6つの大規模地震について、初めて死傷者などの被害想定を盛り込んだ。その結果、冬の夜に発生した場合に被害が最も大きくなるとしたが、天候に関して「雪」は想定されていない。調査は冬と夏の昼夜別を想定。最も被害が大きいとされる糸魚川〜静岡構造線(小谷〜松本)は夏の昼の死者が2117人に対し、冬の夜は3457人。被害想定の算出は建造物の築年数や構造、液状化危険度、消防能力など様々なデータを利用しているが、気象に関しては火災の延焼規模を計る「風向風速」を加味した程度。「雪の影響は想定していない」という。 降積雪の時期は雪の重みによる建物倒壊、被災者の移動速度低下、消火活動の遅れ、雪崩の発生など、通常期と異なる対応を迫られる場面もある。雪の影響を考慮に入れた被害想定が不可欠と言えそう。
※長野県地域防災計画;災害対策基本法に基づき、震災や風水害、火山災害などに関する予防、対策、復旧などの計画を網羅する。県や市町村、指定公共機関、県民らの役割を明記し、被害軽減に向けた全県規模の取り組みを定める。各界の代表者や学識経験者らで構成する県防災会議が随時、内容の見直しなどを行っている。(2005.01.22)


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