AZUMINO GUIDE PAGE NO.057

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小谷村



小谷村災害の記録

 
2004年12月06日小谷村土石流災害の現場調査
2004.12.06;小谷村北小谷と糸魚川市境の蒲原沢で1996年12月、災害復旧工事をしていた作業員14人が死亡した土石流災害で、発注者の国土交通省北陸地方整備局などの関係者ら約70人が現場を見下ろす慰霊碑前で8回目の慰霊式を行った。松本砂防事務所をはじめ、工事を受注した業者や災害後の復旧工事に携わった関係者らが参列。14人の犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑前では10:30事故の発生時間に合わせて全員が黙祷、花束や線香を供えて冥福を祈った。毎年12/05事務所と受注企業が安全対策の勉強会を開き、翌日慰霊に訪れるのが慣例化している。 亡くなった14人は殆どが北海道や東北出身の作業員。一部遺族による国などを相手にした訴訟が係争中で遺族の参列はなかった。
2003年10月07日小谷村土石流災害の現場調査
1996.12に14人が犠牲となった小谷村の土石流災害を巡っり、作業員遺族が国などに損害賠償を求めている裁判で裁判官による現地視察が行われた。作業員14人のうち3組の遺族が工事を発注した国や県などを相手に総額1.1億万円余りの損害賠償を求めている。10/07;現場を確認するため地裁松本支部の裁判官と原告側と被告側が土石流が発生した標高1300mの蒲原沢源流部を訪れた。原告側の代理人は、現地で「源流部は崩れやすい地層で国や県が事前に調査をし、安全対策をとっていれば犠牲者を出す災害は防げた」と説明。これに対し被告側は説明を行っていない。蒲原山山頂に近い標高約1300mの蒲原沢源頭部の土石流発生現場に地裁松本支部の裁判官、原告/被告の弁護士らが登山。現場は山はだがえぐり取られ荒々しいがけが広がる。原告側弁護士は「古い時代の来馬層と新しい時代の白馬大池層の間に湿っぽい粘土質の角れき層が断層のようにあり、一帯は土石流が発生しやすい地質。滑りやすい地形にもかかわらず、前年の95年に起きた土石流災害の時に十分な調査も行われず、国や県は十分な安全対策を取らなかった」と主張。作業員が死傷したR148新国界橋前の現場も訪れ、大きな岩や流木が散乱する蒲原沢の前で、原告側は「危険ということが明らか。今あるセンサーなどが必要だった」と。「裁判官にどういう現場か見てほしかった。自分で登って土石流が発生するのは当たり前だと思った」と。一行は工事現場を訪れた。裁判では国や県の安全管理の責任をどこまで認めるかが焦点。
2003年06月23日小谷村土石流災害の現場調査は10/02
1996.12;小谷村蒲原沢で発生した土石流災害の損害賠償請求訴訟で、地裁松本支部は原告の遺族が求めていた現地調査を10/02に行うとした。原告側によると調査は現在も崩落が続く沢の源頭部の崩壊状況や災害発生現場の地質などを、裁判官と原告、国や県、業者らの被告が実際に見て把握する目的で行う。このため原告側は信大教授が調査に同行し、専門的な立場から地層や地形の説明をすることを求めている。 原告側は源頭部に安全対策として土石流発生を感知するセンサー、作業現場には避難用のはしごの設置などが可能だったことも説明したいと。現地調査は2002年秋に実施する計画だったが悪天候で中止。2003.10/02悪天候時は10/07に予定。またこの日、原告の支援者は公正な裁判を求める850人の個人と労働組合など5団体の署名、現場検証実施を求める200人の署名を地裁松本支部に提出。
2002年12月06日小谷村土石流災害で7回忌
2002.12/06;14人の犠牲者が出た小谷村土石流災害から丸6年が経ち、現地で7回忌の法要が行われた。冷たい雨の降る中、慰霊碑の前で行われた法要には亡くなった14人のうち5人の遺族と建設会社の関係者らが列席。土石流が起きたのは小谷村の蒲原沢、6年前の12/06;大量の土砂が上流から姫川との合流地点まで流れ込んだ。災害発生当時、蒲原沢では国と県が発注したえん堤工事や橋脚工事などが行われおり、土石流に巻き込まれた作業員(14人)が死亡。災害から丸6年がたったこの日、たくさんの花が捧げられた慰霊碑の前で遺族達は静かに手をあわせ、悲しみを新たにしていました。この災害では3遺族が「災害は予測できたのに安全対策を怠った」として国・県、建設業者に損害賠償を求める裁判を起こしています。これに対し国や県は「予測は困難で責任はない」と全面的に争う姿勢を示し、裁判は長期化しています。
2002年09月09日小谷村土石流災害の現場調査
96年12月14人が死亡した小谷村蒲原沢の土石流災害の損害賠償請求訴訟の協議が松本地裁であった。災害が起きた現地の調査を9/26から実施予定。原告側代理人によれば、現地調査は災害現場一帯の地形や地層、崩壊状況を見て、その危険性を裁判官、原告、被告らが把握するのが目的。原告側が同行を要請していた信大教授は当日、裁判官に発言しないとの条件付きで参加する。
2002年02月20日小谷村土石流災害訴訟の13回弁論
96年12月小谷村蒲原沢で起きた土石流災害の損害賠償請求訴訟の第13回口頭弁論が松本地裁で開かれた。犠牲者の遺族である原告側は災害現場の検証などを裁判所に求める立証計画を提出。立証計画では「現場がいかに危険な場所かを把握する必要がある」として裁判官による災害現場の検証を求め、その上で信大理学部教授など2人を証人申請。裁判長は検証の具体的内容を示す検証計画書の提出を待って採用するかどうかを決定する予定。次回;2002.5/15
2001年12月06日小谷村土石流災害も既に5年目
小谷蒲原沢の土石流災害は1996年12月6日。小谷土石流災害から5年。作業員14人が死亡した小谷村北小谷の蒲原沢土石流災害から丸5年を迎えた。遺族と、国・県・村、建設会社などの関係者らが現地を訪れ、犠牲者を慰霊した。今日は小雨が降るあいにくの天気だったが、各地から遺族が駆け付けた。小雨が降る中、蒲原沢の脇に建てられた慰霊碑の前で行わた式には犠牲となった14人のうち3組の遺族が参列しました。工事を発注した行政の関係者との同席を避けた人もいます。僧りょの読経とともに県境を流れる蒲原沢の新潟県側に設けられた慰霊碑に献花・焼香がなされた。土石流が発生した10:30過ぎにはサイレンを約30秒鳴らし、参列者全員で黙とう。この災害を巡っては遺族の一部が国や県、建設会社を相手にして損害賠償請求訴訟を起こしており、係争中。県の責任を認め、裁判所が公正な判断を下すよう求める署名活動も今夏から始めている。「命の次に大切」という署名は約1万人になった。遺族らは「発生から1年でも5年でも気持ちは変わりません。行政は悪かったことは悪かったと認めてほしい」と話している。2001年春には「力を貸して欲しい」と長野県知事に手紙を書き、知事は5月にプライベートで小谷の現場を訪れ、8月にもヘリで上空を飛んでいる。しかし知事からは何の返事もなく、9月には7700人分の署名を添え、県は責任を認めるよう迫っています。蒲原沢では災害のあと、再開された工事も終了し、災害を伝えるのは犠牲者の名前が刻まれた「慰霊碑」だけです。災害から5年、遺族にとってはまだまだ先の見えない道が続きます。
2001年11月12日小谷村土石流災害で署名提出
小谷村蒲原沢の土石流災害で長野県などを相手に損害賠償を求めている3遺族と訴訟を支援する会の代表ら11人が行政の責任を認めるよう求めた署名7700人分を提出した。遺族側が「要請では土石流に対する注意義務を被告側が怠ったのは明らか、災害を2度と起こさないためにも責任を認めて欲しい」と訴えた。長野県土木部長は「裁判で係争中でありコメントは差し控えたい」と。裁判では亡くなった14人の内3人の遺族が、一昨年国・県を相手に総額1.1億円の損害賠償を求めて起こしている。被告側は災害の予測は困難で責任はなかったとして全面的に争っている。訴訟を支援する会では、この他にも同様の署名を国に対して7600人分、地裁松本支部には8000人分を提出した。
2001年09月05日小谷村土石流災害訴訟の10回弁論
小谷村蒲原沢で96年12月に起きた土石流災害の損害賠償請求訴訟の第10回口頭弁論が9/05にあった。原告・被告共に文書弁論は終了。分種分原告側から8/18視察の現場崩落地写真を提出。11/中までに現地検証を願いでた。国・県側は検証の意味はなしと反論。裁判長は今後の進行状況で判断すると。次回は11/14で証拠調べ・証人尋問。
2001年07月11日小谷村土石流災害訴訟の9回弁論
小谷村蒲原沢で96年12月に起きた土石流災害の損害賠償請求訴訟の第9回口頭弁論が7/11にあった。土石流発生の危険があり予見ができたとする作業員の遺族ら原告側の主張について「抽象的な危険を示しているだけ」などと被告の国と県が書面で反論。現場の気象条件に正確性を欠き、崩壊しやすい条件があったという点についても「失当」と主張。被告側は「土石流の発生する具体的危険性を予見すべき義務があったとは到底言えない」などとこれまでの反論を繰り返した。次回は9/05。
2001年03月14日小谷村土石流災害訴訟の7回弁論
国・県側は準備書面で「災害対策基本法では発注者が請負業者に第3者の損害予防を指示すべき義務を定めていない」と主張。逆に原告側は「国・県は安全性確保のための監督責任がある」と反論。国・県側は「発注者が請負業者の行為について責任を負わないのが原則で、安全管理や災害防止対策は請負業者が行うこと」としてに国・県には責任はないと、各々真っ向から対立している。次回は5/16。
2001年01月31日小谷村土石流災害訴訟の6回弁論
国・県は「工事の安全性を確保するための監督義務がある」と原告は主張。国家賠償法には公務員の不作為について責任を問う根拠は規定にない」との国・県の主張に反論し、国に対しては「災害復旧工事では高度な安全確保の義務がある」。県に対しては「地方自治法や県土木工事監督指針で監督職員を置き、安全対策の適合について十分な監督が要求されている」としている主張。次回は3/14。
2000年12月06日蒲原沢土石流災害から4年目。遺族・関係者による慰霊祭。
96年12の小谷村の蒲原沢で災害復旧工事で起きた土石流災害から本日で4年目。小谷村と新潟県境にある蒲原沢わきの慰霊碑の前で慰霊祭が行われました。遺族や工事を発注した国土交通省(旧建設省)・林野庁、建設業者らが出席し献花が行われました。しかし参加者の中には工事を発注した長野県関係者はなし。現在、災害をめぐって工事を発注した国・県を相手取って遺族が、損害賠償を求める裁判が続けられています。「土石流の発生は 予測できた」とする原告側と 「工事の発注者にどこまで安全管理の責任があるのか明確に示すべきだ」とする被告側との間で裁判は長期化。今後、長野県新知事にも蒲原沢の視察を求めたいとしている。
2000年11月07日小谷村金山沢で土砂崩壊
小谷村の姫川水系浦川支流の金山沢で土砂崩壊が起きているのを、工事中の作業員が発見した。国土交通省(旧建設省)松本砂防工事事務所姫川出張所は「今後の大雨により土石流が発生する恐れがある」として注意体制に入った。土砂崩れは約1万m3。翌日から掘削機で土砂を撤去。
2000年11月01日小谷村土石流災害訴訟の5回弁論
国・県は「国家賠償法には公務員の不作為について責任を問う根拠は規定にない」と。「安全対策をすべきだったのにしなかった不作為による義務違反があった」と原告側。作為義務が発生する場合は「具体的危険の切迫知っている、又は容易に知ることが出来るに予見可能性が認められ場合であり、予見可能性が明確でない場合は行為義務は認められず不作為が違法とはならない」と主張している。
2000年09月07日小谷村・糸魚川の姫川復旧工事が完了
95年7月の集中豪雨で被害を受けた県境の姫川の復旧工事が全面完了した。この集中豪雨ではJR大井線が2年間も不通となり、R148も土砂で通行不可となり、姫川温泉は土砂で流され、ホテルや旅館の建物が倒壊したりして大きな被害が出た。小谷村側の復旧工事は98年8月に完了していたが、このほど糸魚川側の復旧工事が完了し、約5年ぶりに全面復旧されました。00.9/07にはR148の姫川災害復旧記念広場(糸魚川)で国・県・地元の関係者が集まり、記念碑の除幕や記念の植樹を行った。
復旧工事は姫川左岸の小谷村姫川温泉と右岸の糸魚川で、上流2kmは長野県、下流9.5kmは新潟県が担当。復旧工事費用は長野県97億、新潟県265億と、総費用は362億円もかかった。
この集中豪雨で陸の孤島となったことから災害時のルート確保として、「松本糸魚川連絡道」を建設しようと、地元団体から道路建設を望む声が強く上がっている。今、安曇野周辺ではこの「松本糸魚川連絡道」道路建設予定地の沿線住民から「安曇野の景観をそこなう」と反対運動が上がっているが、小谷村などの県境にはR148しかなく、双方の意見を取り入れて検討して欲しいものだ。
2000年08月13日小谷村土石流災害の現場調査
96年12月に発生した小谷村の蒲原沢土石流災害現場で遺族の弁護士らが現場を調査。土石流の原因となった標高1300mの土砂崩落現場を訪れ、土石流の発生現場などを詳しく調査した。土石流が起こりやすい場所だったことを再認識した。今回の調査結果をまとめて裁判に役立てたいとしています。
2000年07月12日小谷村土石流災害訴訟の3回弁論
96年12月小谷村蒲原沢で災害復旧工事中に土石流が発生し作業員14名が死亡し9人が重軽傷を負った土石流災害で、作業員3人の遺族が国や県などに総額1.2億円の損害賠償を求めた訴訟の第3回口頭弁論が地裁松本支部で行われた。工事中止などの権限がある現場の監督職員と、発注者の被告側に安全配慮義務があると主張する原告側に対し、被告側は監督職員は工事契約の適正な履行を監督するもので、監督職員と被告側に安全配慮の義務はなかったとする準備書面を提出して反論した。
訴状によると96年12月6日、松本の田中忠義さんが県発注の橋の復旧工事現場で、北海道大成町の藤谷一彦さんと青森県弘前の中田鉄治さんの2人は国土交通省(旧建設省)発注の砂防工事現場で、それぞれ土石流に巻き込まれて死亡。原告側は「工事は土石流の復旧工事で同じ場所での再発を予見できたにもかかわらず、国と県の事前調査は不十分で請負業者への安全対策を怠った」と主張している。
2000年05月31日小谷村土石流災害訴訟の初弁論
96年12月の小谷・蒲原沢土石流災害での第2回口頭弁論訴訟が5/31に松本地裁で行われました。災害復旧工事 中に土石流が発生し、作業員14人が死亡9人が重軽傷を負った土石流災害。作業員3人の遺族が国や県などに総額約1.2億円の損害賠償を求めている。
原告側は97年の労働省の事故調査報告書を踏まえ、改めて「国や県、業者の責任が重大」とした準備書面を提出した。準備書面では(1)蒲原沢は過去にも土石流があり急しゅんで災害発生の可能性が高い。(2)事業所の安全基準は融雪などの要因を配慮されていない。(3)土石流の早期検知などの対策がなかったとしている。
災害の1年前策定された安全対策要項では、「災害復旧工事で工事発注者は事前に地質の調査を行い、その結果を関係事業者に説明すること。」になっていたが、蒲原沢災害では土石流の復旧工事で、同じ場所での再発を予見できたにもかかわらず、国と県の事前調査は不十分で請負業者への安全対策指導を怠ったと主張している。
国と県は次回(07/12)の口頭弁論で反論する予定だ。
2000年04月19日小谷村に防災情報施設が完成
2000.4.19小谷村北小谷に国土交通省(旧建設省)松本砂防事務所が防災情報を発信する「松ヶ峯無線中継所」が完成した。 姫川の防災情報基盤整備の中心となる施設で2F建て高さ40mの鉄塔一基と高さ20mの鉄塔二基の施設で、災害時を考慮して、自力の風力発電や太陽電池を設備している。浦川周辺は地質がもろく、過去には1911年のひ田山の大崩落や、大雨で度重なる土石流が発生していた。この鉄塔や浦川上流1.5kmにある高感度カメラの映像、土石流センサー、雨量計などの情報を、無線と光ケーブルで送信し、小谷村役場や長野県庁、砂防務所に映像を送ることができる。重要な防災中継施設となる。
2000年03月22日小谷村土石流災害訴訟の初弁論
96年12月に小谷村蒲原沢で作業員14名が犠牲となった「土石流災害」で、遺族が国や県を相手取って総額1億1800万円の損害賠償を求めている裁判で、第1回口頭弁論が松本の地裁で行われた。松本の遺族ら3遺族が99.11/24に提訴。3人は土石流災害が発生する前年(95年)の豪雨災害の復旧作業に従事していたのに「同じ場所で土石流が起きることが予見できたはず。安全対策が不十分だった。災害の発生前3ヶ月は記録的な豪雨が続くなど土石流が発生しやすい状況にあった。国や県は土砂崩壊が起きたときの警報体制などを業者が適切に実施しているか指導する注意義務を怠った過失がある。」として損害賠償を求める裁判を起こした。
今日(3/22)の口頭弁論では、被告側は 「国や県が責任を問われる理由からして不明だ」として原告側に法的根拠の提示と予見可能とする事故の発生原因の詳細を示すよう求め、全面的に争う姿勢を示した。この訴訟では 「現場の安全管理は施工業者が担っている」 とする行政を相手に「災害防止の責任をどこまで追及できるか」が焦点。原告側は「行政は公共的立場からも積極的に事故の詳細を明らかにすべき立場にある。真相を早く明らかにして、早期解決を望んでいる」。(2000.3.22)
99年12月1円玉で歳末助け合い運動の寄付金集め
JA大北の女性部北小谷支部では「歳末助け合い1円玉運動」を行い、 集まったお金を小谷村とNHK歳末助け合い義援金に贈った。小谷村を襲った「集中豪雨災害」と「土石流災害」の際に、 多方面からお世話になったというお礼を込めて恵まれない方々に義援金を贈ろうと考えたもので、98年度に引き続き2回目。募金の 2/3を小谷村社会福祉協議会へ、1/3をNHK歳末助け合い義援金に寄付しました。(JA大北より)
99年11月24日蒲原沢土石流災害の遺族、松本地裁に提訴
96年12月に小谷村で起きた蒲原沢土石流災害で死亡した作業員14人のうち、松本の遺族ら3遺族が99.11/24に国を相手に、総額1億1800万円の支払いを求める損害賠償請求を地裁松本支部に提訴した。うち一遺族は県と雇用主の建設会社にも損害賠償を求める。
・松本の田中忠義さん(当時51才):県が発注した新国界橋の工事に従事。
・北海道の藤谷一彦さん(当時65才)、青森県の中田鉄治さん(当時52才):国土交通省(旧建設省)の砂防工事に従事。
・田中さんのご遺族は県,雇用主に対し7800万円。他の2人のご遺族は国に対し各2000万円の損害賠償。
・提訴要約:95年7月に蒲原沢で大規模土石流が発生。96年12月6日の土石流災害の発生前3ヶ月は記録的な豪雨が継続。など、土石流が発生しやすい状況があったと指摘。国や県は気象条件や渓流の地盤変化などの把握、土砂崩壊が起きた場合の警報、連絡体制などを業者が適切に実施しているか指導・監督する注意義務を怠り、漫然と工事を進めた過失があったとされる。(信毎:99.11.24より)
蒲原沢での堤・橋脚の工事を発注した「行政の監督責任」や「現場の安全対策の不備」を追及するとみられている。
99年11月16日また地滑りでJR大糸線が一時運休
99.11/15の夕方に小谷村中小谷池原の県道「おんびし洞門」北側の壁面で発生した地滑りで、11/15終電から運転を中止していたJR大糸線の南小谷〜平岩間が11/16朝方には運転を再開しました。大町署・姫川砂防事務所・小谷村・JR関係者らが現地調査した結果、地滑りは上部の原野で幅約20m×長さ約30m。JRの通行はOK。但し、県道の洞門〜姫川橋間はまだ通行止め。人的被害はなかった。
99年11月11日土石流で運休中だった大糸線が再開
10/27に発生した土石流のため運休していたJR大糸線の[南小谷〜平岩]間が予定通り、11/11の始発より15日ぶりに再開しました。たい積した土砂は11/08までにほぼ取き除かれた。上部ではまだ一部作業を継続中。安全対策として橋梁から約200m上流にセンサーを新設。土砂流出を感知すると信号機が赤に変わり、松本の運転指令所に通知。これまで1時間の降雨量が40mmを10mm下げ、運行規制を改正した。まずはひと安心。スキーヤーを乗せた列車もこれで小谷・白馬へ来れそうと関係者がもらしていました。
99年11月10日蒲原沢土石流災害で遺族が賠償請求
96年12月06日に小谷村蒲原沢の土石流災害で死亡した作業員14名のうちの3遺族が11/10までに、国を相手どり損害賠償を求め、11月中には提訴する方針を固めたそうです。1遺族は県と雇用主の建設会社にも損害賠償を求めている。民法では損害賠償責任は加害者となってから3年間が有効(時効は99.12.05)とされ、時効寸前の提訴。遺族は「土石流の発生は予見可能」とし、行政の監督責任などを追及する。
99年10月29日土石流発生で運休中の大糸線再開は?
10/27に発生した土石流で運休中のJR大糸線の復旧は数週間後となる見込みです。現在、南小谷〜平岩間は運休中。バスやタクシーで代行運転中。10/29の現場調査を行っている大町建設事務所と県姫川砂防事務所,JR,小谷村によると、大量の土砂が流出で復旧作業にはかなりの時間がかかる見込みとのこと。運転再開は早くても11/10頃。
99年10月28日小谷でまた土石流発生
10/27県北部で降り続いた雨で小谷村でまた土石流が発生。JR大糸線は運転を見合わ。土石流が発生したのは 小谷村李平のJR大糸線・北小谷駅に近い濁沢にかかる濁沢橋りょう付近。土砂は高さ3mの橋げた近くまで堆積。土砂は幅10m×長さ50m×深さ30cm。平岩〜南小谷間が運転中止、バス代行輸送中。運転再開のメドなし。
99年10月26日小谷・災害復興記念式
小谷村では95年7月に発生した豪雨災害の復旧工事がほぼ完了したのを受けて、工事に携わった人々を招いて「災害復興記念式」を開催しました。北小谷に造った「災害復興記念公園」に建てられた恐竜モニュメントを除幕した。
99年06月16日小谷・大網の姫川沿いで地滑り防止対策。
小谷・大網の姫川と大糸線沿いの斜面で、99年春以降に発生している地滑り防止の緊急対策を行う。地滑り現場は姫川温泉北東部の姫川右岸、大糸線に迫る休耕田の斜面。姫川の護岸ではひびが入ったり、大糸線のレールがやや曲がるなどの影響が出ており、99.7〜2000.3月に地下水を抜くなどの防止策を行う。99年春の雪解けによって地下水が増え、幅200m、長さ約500mの斜面下部で地滑りが起きていると云う。毎年、7月頃には集中豪雨でこの小谷エリアは土砂崩落や土石流などの被害がでており、今回の工事現場は既に「地滑り防止区域」に指定されている。
99年05月15日蒲原沢土石流災害現場で植樹
「信州フォレストワーク」のボランティアの人々(約50人)が、95年7月に起きた小谷村集中豪雨災害の崩落土砂搬入地(中土)でミズナラやヤマハンノキなど4種類1200本を植林をした。災害に強い森林をつくり、都市と山村の交流を進める狙い。98年に続き2回目。(信濃毎日新聞99.05.16より)
99年04月08日蒲原沢土石流災害で遺族が賠償請求
小谷村で起きた蒲原沢土石流災害で死亡した作業員14人のうち松本市内の遺族など3遺族が当時工事を発注した国などを相手に損害賠償請求訴訟を起こす意向を固めたようです。早ければ5月中にも。人々の記憶が薄らいできたこの頃ですが、ご遺族にとっては。(信濃毎日新聞99.04.09より)
99年01月19日蒲原沢土石流災害の再調査を
市民グループ「公共事業と災害を考える会」は、砂防学会の報告書に対する公開質問状の回答を公表した。学会が「土石流は予測できなかった」とする点に対して「気象条件の分析に欠陥がある」と再調査を求めている。考える会によると「土石流発生前の累積雨量は400mmを越えていたのに前日の雨量だけを参考にしている」と指摘。まだまだこの問題は継続されそうだ。(信濃毎日新聞99.01.20より)
98年12月21日JR大糸線の復旧は12/26。
12/16に発生した小谷村の岩石崩落で、大糸線路沿いに防護ネットを設置工事を行っています。12/26に関西方面発の「シュプール号」乗入れに合わせて、大糸線の不通区間の運行を再開します。落石を防ぐ防護ネットは、山と線路の間に高さ4m,長さ約40mの柵を設置する。
98年12月17日小谷村で岩の崩落。
小谷村の大糸線近くで12/16午前に発生した岩の崩落現場は午後にも小規模な崩落が続き、JRや県関係者らが監視や現地視察をした。土砂は線路にはないが、南小谷間〜小滝間は安全確保が確認されるまでの間が運休。岩の崩落現場は共有地で通称「達磨(だるま)」と呼ばれる所。山の北側。高さ約60mの岩肌がほぼ垂直に切り立っており、岩登りのスポットにもなっている。このため、大糸線は12/17,12/18も小滝駅〜平岩駅間を運休し、バスやタクシーによる代行輸送を行います。
98年12月06日蒲原沢土石流災害から2年目。遺族・関係者による慰霊祭。
98.12/03に開通した信越県境のR148「新国界橋」のたもとの慰霊碑で慰霊祭が98.12/06に行われました。今年三回忌となる今回は公式の慰霊祭ではなかったが、それでも訪れた遺族からは「当時は山の見回りなどの安全対策をしていなかった。事故は人災だとの思いは今も変わらない。」と無念な気持ちを語った。(信濃毎日新聞98.12.07より)
97年12月:糸魚川労基署は労働安全衛生法違反の疑いで、工事元請け業者4社などを書類送検。
98年03月:長野・新潟両県警の合同捜査本部は「災害予知は困難と」業務上過失致死傷での刑事責任追及を断念。
98年07月:「蒲原沢土石流災害調査委員会」は「災害予知・予測は困難」と報告。新潟地検は起訴猶予処分。
98年11月:「発注者の国や県は監督を怠った。」として一部の遺族が損害賠償を求める訴訟を準備中。
98年07月28日蒲原沢で土石流監視・ 警報設備の作動訓練と避難訓練。
林野庁、国土交通省(旧建設省)、長野・新潟両県の工事受注八社が合同で上流部の治山ダムが破壊された付近と、姫川本流合流点周辺で実施。営林局、労基署など官庁関係者も含め約70名が参加。監視・警報設備の点検、サイレン、スピーカー、無線電話などをテストし安全設備を点検。続いて山腹や沢筋、合流点付近など工事現場数カ所で一斉に避難訓練を実施しました。治山工事が本格的することを考慮しての非難訓練。今後の工事でも犠牲者を出さないためにも定期的な訓練が必要であろう。
98年07月10日雨の影響で大糸線の列車脱線。
大糸線で脱線事故発生。平岩〜南小谷は1時間40mmの雨で運転中止となるが、この日は警戒区間から少し離れた場所で雨量も約20mmであったため、通常運行していた。事故の内容は北小谷「常蔵沢落石覆い」、上部で行われている砂防ダムの工事現場付近で崩れた土砂が「落石覆いの窓」と呼ばれる空間から線路内に入って南小谷行きの普通列車が乗り上げた。復旧は24h後の7/11正午過ぎとなった。大糸線の南小谷〜平岩区間は、昔から強風、水害・土砂災害が発生している場所です。建設現場では付近で倒木などが発生していて異常には気が付いていた者もいたらしい。災害の教訓が活かされているのでしょうか。疑問が残る結果となった。
98年06月17日集中豪雨で流れた道標が戻る。
小谷村大網地区の住民が95年7月の集中豪雨災害で、新潟柏崎の海岸に漂着した「塩の道」の道標を下清水に建て直しました。豪雨災害から約3年の月日が過ぎた。道標が建て直されて、これからは観光シーズンの開幕です。
98年06月08日蒲原沢の工事全て再開。
小谷村蒲原沢の土石流災害で中断していた治山工事を再開する。土石流センサーなどの安全対策施設の設置し、7月中旬には工事着工。なお、蒲原沢の国土交通省(旧建設省)、県工事は既に行われており、同災害で中断したすべての工事が再開されることになった。
98年05月25日小谷村の土石流災害の再発防止策が提示。
小谷村で起きた蒲原沢土石流災害をきっかけに長野労働基準局は、事前調査・避難策の確保を義務づけた。土石流危険渓流、崩壊土砂流出危険地区の河川工事では、事前に工事現場上流の形状やこう配を調査すること。作業開始前24hの累計降雨量と開始後の1時間毎の降雨量を記録すること。土石流発生を知らせるサイレンや非常ベルを設置すること。桟橋や梯子など避難設備を設けること。
98年05月22日小谷村に新型の砂防ダムが完成。
北小谷の姫川支流に、えん堤にトンネル状の巨大な通水路を設けた新しい砂防ダムが完成した。新しい砂防ダムは上下流を遮断せずに通水路から常に水が流すため、下流の河床低下を防ぎ、土砂の体積を抑え、魚・水生生物の往来を妨げないなどの利点があるらしい。大規模な土石流を止めて破壊力を弱め、災害防止と環境保全の両立を目指すと云う。98年の梅雨入り前に完成した新型ダムの効果はどれくらいあるのか、期待はしたいが、この付近は昔から土石流災害や土石崩落が相次いでいる場所で、この姫川の支流の浦川は、国内でも有数の荒廃河川で、「稗田山大崩落」(1911年)では土石流が集落を飲込み多数の犠牲者が出た所。自然の偉大な力を痛感しますね。
97年11月29日大糸線が2年振りに再開。
JR大糸線の南小谷(小谷村)―小滝(糸魚川)間21.7kmがいよいよ11月29日に再開しました。大糸線全線開通時には、関係者などたくさんの人々が訪れました。AM8:30の一番列車の糸魚川駅ホームでは「出発式」が行われた。しかし、強風25mで記念の臨時列車が運転を見合わた。雨の中、小谷でのイベントは南小谷小の鼓笛隊演奏を始め、ふるまい酒、みこし、太鼓演奏。JRは災害の大きさ(復旧工事費用)と収益面から廃線も検討したと云う同区間です。今後は小谷・白馬エリアへのスキーヤ・白馬オリンピック向けに関西・北陸方面からシュプール号・臨時列車を運行する予定です。
97年11月21日土石流災害から1年。慰霊祭を行う。
小谷村の土石流災害から約1年を迎え、犠牲者の慰霊祭が行われました。R148「新国界橋」脇に慰霊碑が建てられ、めい福を祈った。今後の工事には最善の安全を努めることを誓った。
97年11月04日大糸線で電車の試運転が開始
大糸線の電車の試運転が開始されました。また、土石流災害でストップしていた砂防・護岸工事も8月から再開されました。なお、大糸線全線開通時には、特別列車の運転などのイベントが行われます。
97年08月上旬小谷村の土石流災害現場を見学。
97年夏に、95年夏に小谷村を襲った集中豪雨と96年末に発生した小谷村の土石流災害の現場を見てきました。崩落した道路・鉄道の復旧工事、小沢・河川の砂防ダムの建設工事、川に溜った土石の取除工事など、懸命に復旧作業と自然災害の再発防止作業が行われていました。97年の台風上陸や寒冷前線による豪雨の影響で姫川の水嵩は増し、姫川の水もかなり濁っていた。小谷村から糸魚川への国道は復旧していた。鉄道(大糸線)は、その後97.11.29に再開しましたが、昔の美しい姿に戻るには、まだまだ時間がかかると実感した。
96年12月06日小谷村蒲原沢土石流発生。
96年12月6日10:40、68人が働く蒲原沢の災害復旧工事現場で土石流が発生した。14人が行方不明となり、犠牲となった。国土交通省(旧建設省)・県知事は天災と公言した。

2004.06/17;白馬村と小谷村議会は姫川流域を管轄する県姫川砂防事務所の存続を求める決議案を可決。2004年度事業は国の補助事業として砂防事業(10カ所)、地滑り対策事業(6カ所)、雪崩対策事業(4カ所)で実施。県単事業は急傾斜地崩壊対策事業(1カ所)で行っている。県が新規の砂防ダムなどの計画を見直す方針を示していることもあり新規事業はなく継続事業のみ。1995年の集中豪雨災害でも砂防施設によって人的被害がなかったことを強調。一方で今後も防災対策事業が不可欠とし、事務所の存続を求めている。(2004.06.19)


詳細は、小谷村土石流災害ホームページを参照願います。

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