AZUMINO GUIDE PAGE NO.056

安曇野大町仁科三湖白馬小谷 の情報




小谷村の歴史

小谷村は信州の最西北部にある山合い村です。村内のうち森林が約9割を占め、農耕地は僅か2%と云われる村で、白馬連峰と妙高などの東山に挟まれた峡谷の地形です。村中に姫川が流れ、その支流の中谷川や土谷川が流れ、その川沿いに集落が散在しています。しかし、日本海に近く昔から日本海と信州を結ぶ交通の要所であったことは事実です。では、小谷村にはいつごろから人が住み着き、どうして「小谷」なのか、ご紹介していきましょう。

1.小谷村には何時頃から人が住んでいたのか?
その昔、縄文時代からこの小谷に人々が住着いていました。これは村内で発掘された遺跡や石器などで証明されています。
2.小谷村の「おたり」って?

「おたり」と云う地名が初めて文献に書かれたのは、建久元年(1190年)の12月に出版された六条院の書状からです。この書物には「於他里」と万葉がなで記載されています。語源はその当時、小谷村周辺は「麻の産地」であったことから「麻垂」(おたり)となったと云われています。平安時代には「千国庄」と呼ばれ、白河上皇の内親王六条院であったことが書物より判明しています。現在の「小谷」と書かれたのは鎌倉時代中期からと云われています。

3.小谷村が生まれるまで?

戦国時代の「おたり」は、仁科郷矢原庄に属し、豪族仁科氏の支族である飯森十郎盛春が平倉城をかまえて守領していたと云う。武田信玄公の攻略の時の小谷五人衆の行動、落城、盛春討死の話は今でも語り継がれているようです。江戸時代になると「おたり」は松本藩に属し、小谷五人衆らの庄屋によって治められていたようです。明治時代に入って松本県から筑摩県へ、そして長野県に属しました。明治22年4月1日に安曇郡の千国村と中小谷村とが合併されて、北安曇郡「南小谷村」となった。その当時は「南小谷村」と「中土村」と「北小谷村」とで小谷3カ村と通称されていたようです。そして昭和33年4月1日に3村が合併して、始めて現在の「小谷村」が発足したとのことです。




小谷村の指定文化財
区分 名称 場所 指定年月
県指定県宝・大宮諏訪神社中土字宮の場S41.1-
県指定県宝・銅造阿弥陀如来・両脇侍立像北小谷常法寺 H08.02-
県指定天然記念物・白山社の大杉中土字石原S40.04県下有数の大木。根元は18m。
村指定天然記念物・乳房の木北小谷字くつがた S50.07-
村指定天然記念物・オクチョウジザクラ群落北小谷字生蒲原 S56.03オオヤマサクラ
村指定天然記念物・土谷諏訪神社腰掛杉中土上手村 S59.02-
村指定天然記念物・コメツガ千国乙 H09.03鎌池の平山
村指定史跡・平倉城跡中土字平倉山 S48.03遊歩道あり。中土駅約2H
村指定史跡・融通念仏碑中土神宮寺 S55.06-
村指定史跡・塩の道千国街道・弘法清水千国字柳久保 S60.10ボッカ・牛の水飲み場
村指定史跡・黒川城跡千国字原 S61.11-
村指定史跡・前山百体観音千国字前山 H01.01白馬大池から車10分。80数体の石仏。
県/村指定無形文化財・大宮諏訪神社の狂拍子・奴踊り中土字宮の場 H03.02/S55.04-
県/村指定無形文化財・大宮諏訪神社の式年鎌打神事中土字宮の場 H03.02/H02.01-
村指定有形文化財・信越国境争大絵図中土 S48.04山田氏所有
村指定有形文化財・武田晴信の高札、千国跡職の文書など 三郷S59.02千国氏所有
村指定有形文化財・大宮諏訪神社・奴の歌綴松本 S59.02柴田氏所有
村指定有形文化財・黒川城史跡出土品(土器)千国字黒川 S60.10-
村指定有形文化財・小谷村全図栂池 S61.11絵図・宮島氏所有
村指定有形文化財・松本城主石川三長書状中土 S61.11太田氏所有
村指定有形文化財・古鏡北小谷・宮諏訪神社 S61.11-
村指定有形文化財・仁科五郎盛信の文書北小谷 H01.07武田氏所有
村指定有形文化財・上杉景勝の文書中土 H01.07山田氏所有
村指定有形文化財・常法寺阿弥陀三尊像北小谷 H03.03-
村指定有形文化財・牛方宿千国乙 H09.03茅葺き屋根。牛の土間と牛方の部屋。

※本ページは小谷村発行の「村勢要覧資料集」を参考とさせて頂いております。





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