魂が奏でる音色


フジコ・ヘミングについての本を読みたいと思っていたが、どの図書館でもいつも貸出中でなかなか手に取ることができない。彼女の本がなぜそれほどまでに読まれているのかと思った。いじめや挫折の問題も絡みつつ多くの人々が「癒し」や「再生」をねがっているからではないかと思う。

フジコ・ヘミングは画家を目指していたスエーデン人、ジョスタ・ジョルジ・ヘミングとピアニストを目指していた大月投網子の間に、ドイツ、ベルリンで生まれる。5歳の時に家族とともに帰国するが、父は軍事色が濃くなる日本に締め出されるかのように家族3人を残し、一人スウェーデンに帰国してしまう。
以来、フジコは母と弟と共に東京で暮らし、母の手ほどきでピアノを始める。10歳から、父の友人であり、ドイツで母のピアノを師事したロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァー氏に師事し、幼少の頃から天才ピアニストとして周囲から注目されていく。
17歳でデビュー、東京芸術大学卒業後多くの賞を受賞し多くのオーケストラと共演した。帰国時点で国籍を失い実現出来なかったドイツ留学を1961年に28歳の時に果たした。
ドイツでは母からの僅かな仕送りと奨学金で何とか凌いでいくが、大変貧しく苦しい生活が長らく続いた。
人間関係においても、日本でも外国でもどこに居ても外国人として扱われ疎外され、特にベルリン留学時代にはフジ子の才能を妬んだ人達やフジ子が避難民であるという事などを、ドイツ人はおろか同じ日本人の留学生からも、いじめや中傷が続いた。
母親と同じようにドイツで暮らし同じ夢の実現に向けてなんとか歩み続けるも、フジ子はしだいに、この地球上に自分の居場所はどこにもなく天国に行けば自分の居場所はきっとあると自身に言い聞かせるようになっていく。
そしてようやくバ−ンスタインに見出されその支持をうけ、一流を証明となるはずのリサイタルが開かれることになった。しかし真冬の部屋に暖房をつけることができない程の貧しさの為か聴力を失うというアクシデントに見舞われ、両耳が聴力を失っての演奏となった。リサイタルは失敗しこの時にフジコはソリストとしての夢を完全に断念した。
私はアメリカの恐怖映画「キャリ−」(スチ−ヴン・キング原作)を思い出す。この映画で、一人の少女が華やかなスポットライトを浴びる中、天井から泥水をあびせかけられるシ−ンがあったと思うが、このリサイタルの失敗は、彼女の心の内側に泥をかぶせられるような恐ろしい出来事であったにちがいない。
フジコは、もう世に認めれれることはないという絶望にうちひしがれながら、ピアノ教師をやごく小規模化なコンサ−ト活動などをしながら生活の糧をえていった。
母の死去にともない30年のヨーロッパでの活動の後、1995年に帰国し、一時はピアノの演奏活動をあきらめ、画家志望の父親ゆずりの才能で絵を描いたり動物たちと過ごす日々が続いたが、あるNHKの番組出演がきっかけとなり多くの人々に認められ世界的な活躍が続いている。
フジコが最も得意とする代表曲が、最も技巧を必要とする高難度な曲といわれるリストの「ラ・カンパネッラ」である。 彼女は正確で完璧な演奏を嫌いむしろ情味たっぷりに演奏する。 彼女の人生から滲み出ているような血の通った音色から「魂のピアニスト」とも評されるようになる。
私は1999年にNHKのドキュメント番組「フジコ〜あるピアニストの軌跡」ではじめてフジコ・ヘミングのことを知った。音楽の良し悪しが分からぬ私には沈鬱な番組という印象しか持たなかった。しかしこの番組が大反響を巻き起こし、フジ子ブームが起こった。その後、発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」は、発売後三ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。

  それから2年後、私は同じNHK特集で「人生を奏でる家」という番組で、イタリアのミラノにある音楽家のための老人ホ−ムのことを知った。 1899年イタリア・オペラの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディがイタリアミラノに私財を投じて恵まれない音楽家のためにつくった老人ホームを紹介していた。
 当時の音楽家は年金も何もなく、貧しいうちに亡くなるひとが多かったのでその窮状を見かねたヴェルディが起こした事業であった。経費はヴェルディの作品の著作権で賄われていたが、現在はすべての経費が、専用の財団と寄付で賄われている。
ヴェルディは、存命中にその作品は多大の評価を博したのだが、前半生においては、勉学の費用にも事欠く貧しい時期を過し妻子を失うという体験もしたという。
この「人生を奏でる家」は 以来1世紀、運営は途絶えることなく、現在50人あまりの人がこの家で暮らしているという。元指揮者、ピアニスト、バイオリニスト、チェリスト、ハープ奏者、バレリーナ、中でも世界最高のオペラハウス・スカラ座の舞台で活躍した人もいる。
  毎年、膨大な数の演奏家が音楽大学や学校を卒業し、音楽で生計を立てようとするが、 どんなに時間をかけて努力をしても、才能で「ここまで」という線が引かれる厳しい世界ではないかと思う。
  栄光をつかみ華やかなスポットライトを浴びる人は数少なくチャンスを生かせず今なお苦悩する人もいる。しかし皆この家に入居することで、それぞれの音楽と向き合いながら、ひたむきに生きている。
  ところでフジコ・ヘミング「めぐり合わせ」は、ドイツでのリサイタル直前の奈落の底から帰国後のテレビ出演以後の予想もできない再生の経過をたどる。
  フジコ・ヘミングの苦難の日々は何のためにあったのか、結果からすると色々のものが削ぎ落とされて魂が音色を奏で始める為の秋霜であったと私は思う。
  そしてあの「人生を奏でる家」においても魂の音色が響いているにちがいない。