田崎真也という人物が世界最優秀ソムリエコンクール優勝したというニュ−スでソムリエなる仕事を 初めて知った。
田崎氏はレストランで料理の修行中、ワインの世界に感化され、その後本場フランスに渡り、ボルドー地方のワイン蔵を訪ね歩き、帰国後、ソムリエ日本一になったそうだ。
現在のソムリエ発祥の地は、やはりフランスで中世、王侯貴族たちが美味飽食に明け暮れていた時代に、いわゆる「毒味役」としてうまれた。その中で信頼を得た人物が、ワインセラーや食材の倉庫の管理をも任されるようになったり、酒庫でワインを樽から瓶に詰め替えたり、レストランへ運んだりした。ソムリエは裏方としての仕事を余儀なくされたが、客のテーブルへワインを運び、求めに応じてワインの説明をした。それが客にうけソムリエは表舞台に常に立たつようになっていった。
ソムリエの話に聞くと、ワインが土壌、周辺の植生や気候風土に加え歴史がワインを洗練させ奥深い味をつくることがわかる。
日本におけるソムリエの誕生は、1964年東京オリンピックで、第1号ソムリエは皇居前のパレスホテルで生まれている。またワインは戦争におけるエピソ−ドが数多くある。

戦の時、勝者が敗者より奪おうとするものはいくらでもあろう。いわゆる戦利品である。
ヒットラ−は、本来自分が画家になりたがっただけに、侵略した領土の名画を集めたらしいが、もうひとつワインもその戦利品の一つにあげていた。もっともヒットラ−のワインに対する嗜好はそれほどでもなかったそうであるが、ヒットラ−の側近達の中にワインに目がない連中が多くいたのであるる。
ワインは国の威信、趣味のよさや権力の象徴であった。
随分昔に私は、イタリアのある町にワインを没収しようとやってきたドイツ人将校とその町の住民のやり取りを描いた「サンタ・ビットリアの秘密」という映画をみたことがある。
町の唯一の財産である百万本のワインを、ドイツ軍の掠奪から守ろうとするサンタビットリア住民の活躍をコメディ・タッチで描いた作品で、アンソニー・クイン演じる市長を中心に市民たちは団結してその数百万本というワインを夜昼わかたず運びついにドイツ軍が来る1時間前に、丘の中腹に隠し終えたのである。
ドイツ軍の将校は、ワインを見つけだそうと色々な手段で住民を篭絡しようとするが1びんも発見できずむなしくこの町を去らねばならなかったのである。
実はこの映画はイタリアを舞台としたフィクションであるが、現実の話としてはヒットラ−は占領地フランスに猟犬のようにワインのありかを探し回る「ワイン総統」とよばれた部下を配置し組織的のにワインをドイツに送り込んでいる。
フランス人にとってワインは宝というよりも魂ともいうべきものであった。
フランス人もドイツの略奪に対して色々と抵抗を試み、ドイツ向けの貨物列車に忍び込んで、ワイン樽からワインをぬきとったり、銘酒のボトルに安物を詰めて送ったり、ボトルに絨毯の埃をまぶして年代物に見せかけたりしている。
戦争においては略奪は敵味方はあまり関係ないともいえる。実はノルマンディ−は、連合軍がドイツ軍と戦うために上陸した場所であり、有名なワインの産地シャンパ−ニュ地方も近く、フランスとしては最高級ワインの産地には連合軍でさえ立ち入ることをできるだけ避けようとしたという。
セルラ−というワイン倉庫には、高価なワインが眠っていたからである。

日本においてフランスの戦時におけるワインにあたるような戦利品があるのかと思いめぐらしたが、 思い当たらない。ワインはフランス人にとって「希望」そのものであった。フランス人はワインのおかげで戦争を革命を乗り越えることができたと言う。
日本では戦国時代の「茶器」あたりがそれに近いかと思う。当時一流茶人として認められるためには、名物茶器を所持していることは一種のステイタスシンボルあった。
松永久秀は戦国の梟雄といわれている人物であるが反面、優れた文人、風流人としての側面をもつ人物でもあり、早い時期から今井宗久はじめ堺の有力者達と交流があった。そして久秀自慢の茶入れは当時の茶人の垂涎の的であったのだ。
  松永久秀は1568年織田信長の入京の際には一度はそれに降るものの信長に滅ぼされるのをよしとせず大和信貴山城で茶器「平蜘蛛釜」をしばりつけて壮絶な爆死をとげている。
また南北朝時代にはソムリエ・コンテストにあたる「闘茶」というものがあった。要するに茶を飲みくらべて産地をあてるのであるが、あまりにも賑々しいコンテストであったため、その反動で村田珠光らの「侘び茶」が生まれたといわれている。
また茶は、日中戦争ではある役割を果たしている。お茶は単なる飲み物ではなく疲れた体をいやすものではあるから茶の効用は戦時にこそむしろ高まるのではないかと思う。
中国周辺の少数民族は、葉をレンがのように固めたお茶を日常使っていたが、日本はこの団茶を生産してモンゴル系周辺民族に送りいわゆる宣撫工作に利用しようとしたのである。
名古屋近くに団茶専用の工場が建設され日本産団茶が中国大陸におくられたそうであるが、この団茶が果たして本当に中国で喜ばれたかどうかははっきりしない。

 ところでソムリエという職業は、ギリシャ・ローマ時代以前に存在したといわれる。旧約聖書の中には、王の「毒見役」のような役割の人物が時々登場するが、ネヘミヤの書にその記述がなされている。
聖書の中でブドウ酒は「キリストの血」をさす特別なものである。
イエス・キリストの最初の奇跡は、カナという町で結婚式に出席したイエスが、ブドウ酒がなくなって僕(しもべ)達があわてたところ、水を樽にいれてもってこさせ、それを最高級の年代物ブドウ酒に変えたという奇跡である。
婚礼は滞りなくすすみ、客はぶどう酒の質の良さに感嘆した。ただし水を汲んできた僕(しもべ)のみがこの奇跡を知っていたのだ。
「水が血に変わる」という話は聖書の中に数箇所あり、一番有名なものは、ユダヤ人の出エジプトの際にユダヤ人の解放を許さない頑ななファラオに対して、モ−セが杖でナイル川の「水」を「血」に変えるという話である。
「ヨハネ福音書」には、十字架上で死んだキリストの体から「血」とたくさんの「水」が流れ出したという話が記されている。(なんで体から水が流れるのかずっと不可解でしたが)
こうした「水と血」の話は、キリスト教における救いつまりは「洗礼」をさししめしている。つまり「洗礼」においては「水」がキリストが流した「血」に(霊的に)変わり、受洗によりキリストの贖いをうけることができ人間の原罪より解放されるということを意味している。
ブドウ酒はキリスト教ではこのように特別に宗教的な意味合いを持ち、ブドウ(または酒壷)はイエス・キリストの十字架のメタファ−(暗喩)として多くの西洋絵画に登場する。
キリストの「十字架の血」を意味するブドウ酒を「鍵十字」のヒットラ−が戦利品として集めたという「めぐり合わせ」は、ブドウ酒が単なる酒以上のものであることをより浮きたたせているように思えるのです。