芸能人の実家の家業を知って面白いと思うことがある。その家業の発展が、一つの日本の小史を物語っており、さらにその小史がその芸能人の生き方をどこかで象っているように思えるからである。
私は大学時代、東京市谷の桜さくJR沿いの高台を歩いて大学に通ったが、そこに「吉行あぐり美容室」の建物が保存してあるのを発見した。吉行あぐりの娘は、女優の吉行和子であり、息子が作家の吉行淳之介である。
どこかモダンでハイカラな二人のイメ−ジが、かつて時代の先端を走っていたこの美容室にあったのかと思ったりした。(ちなみにB'Z の稲葉氏の実家は岡山県津山で有名な化粧品パ−ラ−です。ド−デモイ−カ)

最近、満州の歴史を彩った芸能人の名前を調べるうち、女優の木暮実千代(本名:和田つま)の名前をみつけた。さらに、彼女の実家が、日本の牛乳屋では先駆的な「和田牛乳」であることを知った。
この和田牛乳と和田一族には、日本の近代史と共に歩いた家族史があり、大女優誕生もその小史の一コマなのである。
和田家は日本における牛乳業の草分け的存在で日本で最初の低温殺菌牛乳をつくった店としてしられている。秋葉原駅近くの旧二長町に牛乳本店とミルクプラントをもうけ、後に北千住などに牧場をもっていた。

東京神楽坂に和可菜という料亭がある。和可菜は、いわゆる「カン詰用」の料亭でここで多くの小説やシナリオが書かれた。NHK大河ドラマや山田洋次・浅間義隆の共同執筆による「男はつらいよ」シリーズ35作から最終作は実はここで書かれている。
この料亭のかつてのオーナーは、和田つま、つまり木暮実千代として知られた大女優である。実質的な経営は、つまの妹である敏子が行っていた。木暮は当時、出演していた映画「源氏物語」から「若菜」という名が思い浮かんだらしい。ただし和田の和をいれて「和可菜」とした。
木暮は、和田牛乳の三代目と期待されたた和田輔(たすく)の子供である四人姉妹の三女として生まれた。 和田牛乳は、徳川慶喜に仕えた幕臣であった和田半次郎がよって創業されたものである。いわゆる「士族授産」の一環として誕生したのである。
当時、五十を過ぎていた和田半次郎がたまたま住んだ所に、オランダ人に乳牛を学び日本で始めて牛乳製造販売を行った前田留吉という男にめぐりあい感化された。さらに半次郎は当時先駆的西洋医学者で初代陸軍軍医総監の松本良順らの牛乳が健康に良いという奨励もあり、牛乳の需要が伸びると見込み乳牛業をはじめたのである。松本良順は、海水浴が健康に良いことを宣伝して大磯に日本で最初の海水浴場を開いた人でもあり、大磯ロングビ−チに行くと松本良順の像がたっていると聞く。

和田牛乳では、二代目和田該輔(かねすけ)の長男の輔(たすく)が後を継ぐべく期待されたのだが、あまりに風来坊的気質でとうてい乳牛業にはむかないと、輔の弟である重夫が和田牛乳・三代目となっている。この重夫が日本初の低温殺菌牛乳を生んでいる。
親の期待を裏切った輔ではあったが、中国や朝鮮から運ばれてきた牛馬を検疫するために下関の彦島に牧場をつくっている。
その和田輔の三女として下関生まれたのが木暮実千代であった。木暮は山口の梅光学院を卒業後、東京にでて明治大学を受験しとようと願書を出しにいったところ、前日に締め切りであったために、帰り道に日大芸術学部に願書を出したという「めぐりあわせ」であった。
学生時代にその美貌が目にとまり松竹にスカウトされ女優の道を志すことになった。
木暮の同期の学生には三木のり平や女優・栗原小巻の父・栗原一登などがいた。
木暮は、女優として成功し、後に従兄妹で20歳も年上の和田日出吉と結婚する。
夫である和田日出吉はもともとは新聞記者であったが、牧場視察のためウイスコンシン州などを回ったが、結局、帰国後も牧場経営には関心を示さず、新聞記者に戻り当時の政財界を揺るがした帝人事件を題材にした小説「人絹」を書き、一躍「時の人」となった。
この男なぜか「めぐり合わせ」に恵まれていた。たまたま首相官邸前を歩いている時、大事件に遭遇する。そして「226事件、首相官邸一番乗り」のスク−プ記事を書いて勇名を馳せた。
後に満州にわたり満州新京日報社の社長になり、そこに妻の木暮も呼び寄せて、満州映画協会の甘粕理事長の青酸カリによる自殺に際しては、現場でその死を見届けている。傍らには作家・赤川次郎の父親である赤川幸一もいた。和田日出吉は色んなものに遭遇する人なのだ。

木暮の実家・和田牛乳にはまだいくつかの興味深いエピソードが残っている。
例えば和田式健康美容法で知られたのが和田一族の一人、和田静郎である。静雄は、麻布獣医学校出身で、競馬用の馬の世話には毎日バランスのとれた餌、適度の運動、マッサ−ジにより血行を良くすることなどにより常に一定の体重を保持することが重要であることを知った。
そこで静雄が考案したのが「すらりとやせる和田式美容体操法」で、これが世間で大ヒットする。実践者の内から「ミス日本」が生まれさらに大ブレイクするのだが、この美容法が実は「馬の痩身術」からあみだされたものであったことは、一族以外はほとんど知ることはなかったにちがいない。
ただこの和田牛乳も戦争という事態に抗うことが出来ずに結局は明治乳業に合併されている。
木暮美千代という女優は、アゴほくろが印象的で官能的な女優であったという記憶がある。牛乳をたくさん飲んで健康な人生を歩んだかと思うと、病気のデパートといわれるほど病には苦しんでいる。
姓名判断で「暮」という文字が良くなかったとか言われているが、満州で多くの辛酸をなめ九死に一生を得たということにも原因があったのかもしれない。