私はあるテレビ番組でラマヌジャンというインドの天才数学者について知った。
シュリニヴァーサ・ラマヌジャンは、1887年南インドの小村に生まれた。15歳で出会った「純粋数学用要覧」が人生を変えた。
この本には、大学程度までの定理や公式が6000あまり書かれていた。ラマヌジャンはそれを自らの力で解きながら新しい定理を考えるたびに「ノートブック」に書き記していった。
ラマヌジャンは数学以外の科目では振るわず、大学の奨学金欲しさに大学の数学教師にそのノートブックを見せたところその教授は仰天した。
この番組ではラマヌジャンのような天才が生まれる上で何が影響を与えたえたのか彼の故郷を訪ねるのである。
そしてカメラはサーランガーパニ寺院という建造物を映し出した。ラマヌジャンは、学校を休んだ時などこの均整のとれた美しい建造物を眺めて暮らしたという。
確かに圧倒的に美しく壮大な建造物が近くにあれば人々の意識に働きかけることはあり得るかもしれない。
あるイギリス人は日本人の美的感性の高さは心に富士山があるからだと言っている。世界の数学界で日本人が大きな成果を挙げているのはこの美的感受性からくるという意見もある。
今世紀なお未解決だったフェルマーの最終定理が証明された。その証明には日本の数学者の「谷山・志村予想」という定理が大きな役割を果たしているそうだ。
ただし、谷村豊はプリンストン大学から招聘され、才色兼備の女性と婚約し前途洋々に思えたが、突然自殺し婚約者も後を追った。
個々の死の原因は誰にもわからない。だが、優れた数学者や物理学者が自ら命を絶つ者が多いのも背景にむしろ人並み外れた「美」や「調和」への意識が逆に災いするのかと思ったりもする。
いずれにせよ、歪んだイチジクの木を見て育った不完全主義者の私とは隔絶した世界である。

イギリスで清教徒革命から名誉革命、王政復古へと進む歴史上の転換期に、宇宙には美しい調和があり、宇宙を表すシンプルな美しい数式はないかと考えた人がいた。
イギリスのアイザック・ニュートンである。
実はニュ−トンが生涯追求していたものが3つある。物理学・錬金術・聖書である。要するに彼は、宇宙の法則を探し、物質の本質を見究め、聖書の中に神を見つけようとしていた。
つまりこれらの探求は彼の中で「神」へと収斂していたのだ。
ニュートンはキリスト教・正統といわれる三位一体を否定し、通常の教会に設置された十字架や聖像さえも偶像崇拝だと退けた。ニュートンの精神の透徹さは、同時代人を凌駕していたとみたい。
きっと彼の思念の奥には神が創造し調和した宇宙の仕組みが巍然とし存在していたに違いない。
小手先の具象には満足できなかったし、それらは何の意味も彼にもたらさなかった。
そんなニュートンの世界観が表出されるある出来事が起こった。
ハレー彗星の発見者ハレーがニュートンを訪ねてきたのである。それは文字通り宇宙的遭遇を予感させる「めぐり合わせ」であった。
ハレーはニュートンに問うた。
引力が距離の二乗に反比例する時惑星の軌道はどうなるか。
ニュ−トンは楕円だと即答する。
何故かと聞かれニュートンは前に計算したことがあるといった。
そして改めて計算してハレ−に送った。
そして三ヶ月後に手紙というよりも論文ほどの厚さの書がハレ−に届いたのである。
彼はこれを契機に力学と天文学を一つの体系にするテーマに全精力を注入した。
講義時間以外は部屋に閉じこもり、食事さえしばしば忘れるほど研究に没頭した。
1687年に、「自然哲学の数学的原理」(通称プリンピキア)が完成し、王立協会に提出された。
この原稿を見たハレーは、興奮のあまり死んでしまわなかったのが幸運だったといっている。
この時天と地がシンプルな美しい数式により一体化したのである。

最近映画で見た「博士が愛した数式」を思い出した。記憶が80分しか持続しない主人公の老数学者が、数の面白さや不思議を息子ル−トに語るのである。
印象的だったのは、完全数の話である。
私は自然数・整数・実数・虚数などについては知っているが、完全数というものをはじめて知った。完全数とは、自分自身を除く約数の和に等しい自然数のことである。
たとえば「6」という数字の約数は1、2、3で すべて合計すると6、「28」という数字の約数は1、2、4、7、14でこれをすべて足すと28となるが、そういう数字はざらにはないらしい。
プロ野球界選手で「28」の背番号を背負っているのは最も有名なのは阪神時代の江夏豊だと、阪神びいきの老数学博士は語る。そういえば江夏は延長12回を完全試合で押さえ自らサヨナラホ−ムランを放つという快挙もやったし、オ−ルスタ−ゲ−ムで連続9奪三振もやってのけた。
 宇宙は数でできていると考えたピタゴラスは、神様が6日間で世界を創造された(旧約聖書)のも6が完全数だからだと考えた。
「6」の次は「28」だが月が地球を一周するのが28日である。
数には恐るべき宇宙的神秘が隠されているのかもしれない。また我々はほとんどそのことに無知なのかもしれない。

  ところでニュートンは、聖書研究の中で歴史的出来事とヨハネ黙示録の記述をとても熱心に照合していたらしい。
そこでヨハネ黙示録に登場する宇宙と人類の運命について物語る一つの数字の解釈を紹介したい。
ヨハネ黙示録では世の終わりに666と数字がついた反キリストまたは偽キリストが出ると預言している。
ギリシア数字のイオニア式は、1から9まで異なる文字を用意し、各桁においてもこれと同じ方法で異なる文字を当てはめる。それぞれ対応する文字は次の通り(左表)である。

数値 文字 数値 文字 数値 文字
1 α' 10 ι' 100 ρ'
2 β' 20 κ' 200 σ'
3 γ' 30 λ' 300 τ'
4 δ' 40 μ' 400 υ'
5 ε' 50 ν' 500 φ'
6 ?' ?' (*1) 60 ξ' 600 χ'
7 ζ' 70 ο' 700 ψ'
8 η' 80 π' 800 ω'
9 θ' 90 ?' (*2) 900 ?'
ギリシア語  英 語
Α α alpha  A a
Β β beta  B b
Γ γ gamma  G g, n
Δ δ delta  D d
Ε ε epsilon E e
Ζ ζ zeta  Z z
Η η eta   E e, e~ (E/e に  ̄ )
Θ θ theta  th
Ι ι iota  I i
Κ κ kappa  K k
Λ λ lambda L l
Μ μ mu   M m
Ν ν nu   N n
Ξ ξ xi   X x
Ο ο omicron O o
Π π pi   P p
Ρ ρ rho   R r, rh
Σ σ sigma  S s
Τ τ tau   T t
Υ υ upsilon Y y, U u
Φ φ phi   ph
Χ χ chi   ch
Ψ ψ psi   ps
Ω ω omega

新約聖書はギリシア語で書かれている。イエス・キリストのイエスをギリシア語ではΙησου□ と表記する。
(ただし□はシグマσの語末形である。□は表示できず) この名前を上の表にあてはめて合計する。
すると合計は10+8+200+70+400+ 200=888となる。イエス・キリストの数字は888で表される。
つまりへブル語もギリシア語も「数値変換」が可能でイエスキリストは888、十字架は777と表されて、獣666とイエス888との間に十字架777が在るということだ。
ダビンチも真っ青になる数字の意味。かくて聖書は人間技とは思えずつまり神業なのだ。
さて偽キリスト666が表す「獣の名前」とは。