映画館で面白い体験がある。私が学生の頃、お金のない学生がよく行く映画館が池袋東口にあった。
文芸座という映画館であるが、この映画館で「復讐するは我にあり」という映画を見ていたところ、映画のワンシ−ンで逃走犯役を演じる緒方健が刑事の追及を逃れて、まさにこの文芸座に逃れてくるというシ−ンであった。
しかも文芸座の映画館で逃走犯が座った座席の位置がちょうど私がその時に座った場所あたりであった。
そのシ−ンで館内は首を振る人や苦笑する人がいたが、一人だけ酔っ払いが大笑いしたのを覚えている。
そういえば20年ほど前に、私がアメリカのバ−クレ−でしばらく暮らした時期、ダスティン・ホフマン主演の「卒業」という映画をみたら映画館のすぐ前の風景が映画のシ−ンとして登場し、館内は待ち構えていたように学生の口笛がなりはじめたのをよく覚えている。 現実の世界と虚構の世界とが入り混じったような面白い体験であった。

ところで私は高校1年の頃「男はつらいよ」の3本立てを学校帰りに映画館で見て以来、すっかり寅さんの虜になってしまった時期があった。そして今思うことは、仮にフ−テンの寅さんが街にいて物を売っいたりしていたら、いつのまにか寅さんの口上「けっこう けだらけ ねこはいだらけ」を素直に聞いてしまって、瞬時にせよ渥美清という役者の存在を忘れてしまうのではないか、とさえ思う。
フ−テンの寅さんはそれほどまでに渥美清という役者に貼り付いていたのである。
これも虚構と現実が入り混じった体験ではないかと思うのである。
渥美清が寅サン以外の役をするなんて許せない、と思うファンは結構いると思う。私もその一人だが、仮に彼が刑事役などやったとしても寅さんのイメ−ジがあまり強くて役作りに果たして成功したか疑問に思う。
私は、渥美清が寅さん以外の役をした映画を見たのは1本しかない。
映画のタイトルはなんと「トラ トラ トラ」。日本のハワイ真珠湾攻撃を描いた戦争映画だが、戦艦の厨房で働く料理人の役に渥美清がなっていたのだ。渥美清が、同僚に日付変更線をはさんで大砲をうったらちゃんと命中するかという話をしているわけだが、ボケ方といいい「フ−テンの寅さん」路線からけして外れるものではなかったのである。
役柄の「寅さん」こと車寅次郎は、それほどまでに渥美清という役者を限定してしまったともいえる。

では渥美清は役柄「フ−テンの寅さん」とどいう出会い方をしたのだろう。そのためには、まず映画「フ−テンの寅さん」の監督の山田洋次監督について書いておきたい。
山田洋次は1931年、大阪府豊中市生まれた。満州鉄道のエンジニアだった父親の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごし終戦後の1947年、大連から一家で日本に引き揚げ、青年期をを山口県宇部市の伯母の持ち家で過ごした。流れ者や社会の逸脱者を多く描くのは、山田自身の引き揚げ体験が強く影響していると思われる。
旧制宇部中(現在の宇部高等学校)を経て東京大学法学部を卒業している。1954年に東京大学を卒業して松竹に入社した。松竹では大島渚、篠田正浩、吉田喜重といった気鋭の新人が絢爛たる才能を発揮し独立していく中、山田はどちらかといえば地味な存在であった。そして山田が松竹の伝統的な喜劇路線を受け継ぐ形で「フ−テンの寅さん」が誕生するのである。
そして高度経済成長と日本社会を内部から締め上げるように進行する管理社会の中、「寅さん」の人情味あふれる気ままな人生は、各地の風景とあいまって故郷回帰願望を刺激し多くの日本人の心を捉えていったのだと思う。

ところで渥美清の方は、1928年上野の車坂に生まれるも一家で板橋区志村清水町に転居するが小学生時代は所謂欠食児童であったという。加えて、病弱でもあり学校は欠席がちで、日がな一日ラジオに耳を傾け徳川夢声や落語を聴いて過ごしたという。戦争の色濃くなる1940年に巣鴨中学校に入学し卒業後は工員として働きながら、一時期、担ぎ屋やテキ屋の手伝いもしていたことも寅次郎のスタイルを産むきっかけになったといえる。
その後、中央大学経済学部へ進学したが、船乗りになろうと退学したが母親に猛反対されたため船乗りになる事を断念し、知り合いの伝手を頼って旅回りの演劇一座に入り喜劇俳優の道を歩むことになったのである。以後、浅草で活躍1956年テレビ出演し喜劇役者としての地位を不動のものとしていった。
こうみると山田洋次と渥美清二人の「めぐり合わせ」が「男はつらいよ」シリ−ズ48作を生み国民的映画とまで言われほどの成功をおさめたのだと思う。

寅さんの故郷・柴又帝釈天では、寅さん神社ができたと聞いた。 もちろん渥美清が祭られているわけでもなんでもないのだが、「フ−テンの寅さん」はやっぱり渥美清なのだ。
渥美清は自分の素顔をあまり表に出さないと聞いているので、「寅さん」ばかりを演じることにどういう気持ちをもっていたのかよくわからないが、フ−テンの寅さんに「役柄としてではなく」誰よりもなりたかったのは、ひょっとしたら渥美清自身ではなかったかと思うのである。