神の流儀


齢50を過ぎて自分の心の中に湧き上がることをできるだけ書きとめたいと思うようになった。エッセイとかエピソ−ドを原稿用紙やネット上に書いてみた。そして最近、自分は何を書いているのか書こうとしているのかが次第に見えてきた。
「人々の繋がりやめぐり合わせの霊妙さ」を描こうとしているらしいということだ。
 どうも20代の終わりごろひたすら読んだ旧約聖書がかなりそこに作用していると思い当たった。
つまり物事の裏側に潜む神の導きの手を少しでも読み取ろうとしているわけだ。
ここでは旧約聖書に織り込まれたいくつかの「めぐり合わせ」の話を紹介したい。

イスラエル人は出エジプトに戻り自分達の故郷カナン地に戻るがその間、40年もの間シナイ半島の荒野を彷徨う。いよいよカナンの地に入った時にモ−セの後継者・ヨシュアは、難攻不落の城エリコを攻め落とそうと斥候(スパイ)をつかわす。
 そしてこの二人の斥候を城内に招きいれたのは、ラハブという名の一人の貧しい女(遊女)であった。斥候は城内をくまなく偵察しその情報をヨシュアに伝える。斥候は総攻撃の際に彼女とその家族が救い出だされるよう家族を集め部屋から「赤い紐」たらしておくようにと伝える。そして難攻不落といわれた城は崩落しラハブと家族はその落城の混乱より救い出されたのである。
 神の選民ユダヤ人の恩人となったその女のその後の生涯については聖書に記載がない。ただ斥候が女に祈った「あなたとあなたの一族に神の祝福があらんことを」という祈りが通じたのか彼女の孫ボアズが富を築いたことが「ルツ記」に記載されている。そしてこのボアズは富裕であると同時に地域の有力者に成長していた。
ある日のことこのボアズは自分の畑に母と娘らしき人影が落穂ひろいをしているのを見かけた。当時のユダヤ社会では身寄りのない貧民は落穂を拾うことが許されていた。二人の寄り添う姿に心を動かされたボアズは母娘にこれまでの事情をきいた。
 するとボアズはこのナオミとなのる母親が自分の親族であり飢饉のためにユダヤからモアブ地に寄寓しそこで夫と息子二人を失うという悲しみを体験していたことを知る。娘の方は息子の嫁でルツというモアブの生まれの女性であった。飢饉が終わりナオミは故郷のユダヤに帰る際に嫁二人にモアブの実家に戻るように勧めめた。
しかし一人の嫁ルツはナオミとともにユダヤに行くと泣きながらナオミを離れなかった。そしてナオミの信仰する神(ヤ−ウエ)を自分も信仰したいとモアブの地からナオミについてきたのである。
 ところでユダヤ社会では家長が死ぬと血筋の近い親族がその土地を買戻し一族の土地を守ることになっていたが、ボアズは他の親族に土地を買い戻す意志がないことを確認したうえで土地を自ら買い戻しルツを妻として娶るのである。

以上の話は、旧約聖書の他の壮大な物語と比べるとかなり地味な話である。 だが聖書にはとてもひっそりと偉大な真実が書き込まれている場合がある。ナオミはなんら意図することなく親族の畑に入っていたということ、またラハブやルツの予想だにせぬ「めぐり合わせ」。ここに出てくる遊女ラハブや母ナオミと娘である異邦人ルツのような貧しい悲しみの女性が神の壮大な救済の計画に包摂されているとを知って私は深い感動を覚えるのである。
新約聖書のはじめのマタイによる福音書の冒頭にイエス・キリストの系図というものがでてくる。驚くことに遊女ラハブと当時からすると救いの対象ではないはずの異邦人ルツがキリストの系図の中に組み込まれているのである。
「サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エッサイを生み、エッサイ、ダビデ王を産めり」
ダビデから7代あとにイエスとよばれるメシアが旧約聖書の預言の通り「ダビデの血筋」の「処女」マリアから「ベツレヘム」で誕生するのである。
そもそも系図を偽って一族の血統を権威づけるのが世の常套手段であるが、遊女ラハブや選民の対象から外れるルツの血筋からキリストが生まれるのである。聖書はそれを隠すことなくありのままを伝えている。「聖書の真実性」はこういう点にも読みとれるのだ。
 さらに聖書は至る所に「救いの型」を示し暗示している。上記の話の中のラハブの部屋にたらされた赤い糸(キリストの血)、ボアズによる土地の買戻し(贖い)、異邦人ルツの信仰(異邦人への伝道)など様々な形でキリストの血による贖いつまり「救い」というものが予徴されている。
聖書が千年にわたって多くの人々によって書き継がれながらそうした一貫性を保ちえていることに何か特別な普遍的な意志の存在を感じるのだ。
メシアの到来という預言と予徴にあふれ常に「救いの影」を示し続ける聖書、人間の頭脳や精神だけではけしてこのような書物を生みだすことはできないのではないのか。
最後に新約聖書にでてくる一つの話をしよう。イエス-キリストが十字架に架けられんとゴルゴタの丘を十字架を背負わされて登る際に、見守る群衆の中から兵卒により一人の男がよび出されイエスとともに十字架を共にせおわされる羽目になる。「シモンというクレネ人、田舎より来たりて通りかかりしに、強いて十字架を負わせ、イエスをゴルゴタという処に連れてゆけり」(マルコ15章)
この人物のその後の人生はどうなのかとずっと思っていた。しかし聖書の別の箇所ローマ16:13ににほんの一行だけこの人物の息子ルポスのことが記載されているのをみつけた。そして十字架の後シモンの家族は皆信者になっていることがわかる。このクレネ人シモンの「めぐり合わせ」は彼を深いところで神と邂逅させたのだと思う。
奇跡や不思議は起こっている。ただそれはあくまで個人的な体験として信仰なき者には気づきにくくまたは共有もしにくいものなのだ。
イエスはなぜ一部の人々にしかその輝かしい復活の姿をあらわさなかったのか、つまり個人的な体験にとどめさせたのか、それでなければ皆が信じるものを。そして何ゆえに真実を伝えることを神ご自身ではなく不完全な賎しき者達に委ねられたのか。それが「神の流儀」というものか。