一人のアフリカ人女性により日本人の伝統社会の知恵が再認識され世界に広げられている。きっかけはある日本語との出会いだった。
ワンガリ・マータイはケニア出身の環境保護活動家であり、独裁政権下に植樹活動「グリーンベルト運動」を推進するなどの活動により2004年に環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞した。独裁政権下にあったケニアにおいて、公然と政権を批判したことで数度の逮捕と投獄を経験した。2002年に国会議員となり、2003年から環境・天然資源・野生動物省の副大臣を務め、ケニア緑の党を設立して代表も務めている。

ワンガリ・マータイは2005年2月に京都議定書関連行事のため、毎日新聞社の招聘により日本を訪問した。その時のインタビューで「もったいない」という言葉を知り、日本人が昔持っていた「もったいない」の考え方にこそ、環境問題を考えるにふさわしい精神があると感銘したという。
「もったいない(勿体無い)」とは、仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している。
もともと「不都合である」、「かたじけない」などの意味で使用されていたが、現在では一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を戒める意味で使用されている。
マータイさんによると「もったいない」のように自然や物に対する敬意、愛などの意思(リスペクト)が込められた言葉、また消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、再生利用(リサイクル)、修理(リペア)の概念を一語で表せる言葉が他に見つからなかったため、そのまま「MOTTAINAI」を世界共通の言葉として広めることにしたという。
マータイさんは当時の内閣総理大臣・小泉純一郎と会談した際、「もったいない」を世界に広めたいと初めて言及した。その後、国連女性地位委員会で出席者全員に「もったいない」と唱和させたりするなど、世界へこの語を広めようとしている。
マータイさんは、イギリス・スコットランドのパースシャーで2005年7月に開かれた主要国首脳会議)で英首相のトニー・ブレアにアフリカ支援を訴えたあと、エディンバラのサッカー場で開催されたライブコンサートで、6万人の観衆に「もったいない」を紹介した。さらにアメリカ合衆国ハーバード大学やエール大学などの講演でも「日本人の知恵」としてこの言葉を紹介している。
マータイさんの活動を受け、小泉当時首相は2005年日本国際博覧会(愛知万博)開会式で「もったいない」に言及し、この言葉を万博を通じて広めたいと語った。
この開会式にはマータイも参加した。さらに、同年度版環境白書、循環型社会白書も「もったいない」に言及し「もったいない」は日本の国家キャンペーンとなったのである。
マータイさんは2006年2月に再来日した際には、日本の伝統美である風呂敷を「もったいない精神の象徴」と紹介し、小池と一緒に「FUROSHIKI」をアピールし、風呂敷ブームを巻き起こした。
毎日新聞はマータイを名誉会長に迎え、「MOTTAINAI」キャンペーンと銘打った環境キャンペーンを開始したが、このキャンペーンに賛同した伊藤忠商事は資源循環型のブランド商品開発を展開、リサイクル原料などを使ったネクタイや風呂敷、家具、肥料、伝統工芸品、ケニアの女性によるフェアトレード商品の「もったいないサンクスバンド」、「サンクスバッグ」などを世界に販売している。
北海道の住宅総合メーカー「木の城たいせつ」(夕張郡栗山町)の創業者・山口昭はマ−タイさんの精神に最も良き賛同者で、「もったいない」運動をさらに深化させた人物である。
山口は「もったいない」という言葉にはかつての日本人が持っていた、人間も含まれる自然への敬いと畏れ、愛情が含まれているとして、その意味を北海道を中心に広めた。
山口は、祖父母や両親をはじめ郷土でこの「もったいない」の精神を教え込まれたが、「もったいない」には、常に自然と共生し、時間を無駄をにせず、全てのものに対する畏敬と感謝、深い愛情の意が込められているという。さらにこの言葉の実践にこそ、現在起きている環境破壊や健康被害、家族や教育の問題、地域社会の崩壊や故郷の喪失といった問題などへの解決策があると主張している。
また山口は大量生産、大量販売、大量消費の20世紀型社会のパラダイムを「かんけいない」と称し、その対極に仏教由来のこの言葉「もったいない」があるとしている。

さてマ−タイの自叙伝「Unbowed」(「不屈」)によると、彼女は夫により妻が女であるにもかかわらず意志が強すぎコントロール不可能であると国に訴えられ離婚させられた経験をもっているという。
日本語の「もったいない」という言葉は、彼女によって再発見されるまで概してネガティブな響きをもった言葉であったが、「MOTTAINAI」は、環境保護、平和運動の実践理念として何とポジティヴな響きをもつ言葉として生まれ変わったことだろうか。
このことは日本語とワンガリ・マータイの「めぐり合わせ」であったにとどまらず日本人自身にとっても貴重な「めぐり合わせ」であったような気がする。