ニュ−ヨ−ク・イ−ストハ−レムの小学校に一人の臨時雇いの教師パメラ・グレイが採用となる。
彼女は二人の子持ちで夫との不安定な関係に悩むごく平凡な女性である。 ただバイオリンが好きで子供達にバイオリンを教えたいと思い赴任先で買い込んだ50本のヴァイオリンを子供達 に与える。同僚の音楽教師は楽器を与えても子供達には忍耐力がないし続かないと否定的な意見をいう。
実際、弦を刀がわりにして遊んだり、バイオリンをギタ−代わりに爪弾く子供達であった。 イ−ストハ−レムはニュ−ヨ−クでも一番の貧困層があつまるブロックでもある。
祖母を殺害された子供、発砲事件に巻き込まれて命を落とす子供、DVに悩む子供達が多くいた。 黒人の親からは白人の音楽「キラキラ星」など習わせたくないのでバイオリンをやめさせたいといわれる。 教師パメラの口が悪いから子供達にもっと優しく接するようにと抗議もでる。
しかし優しく教えようとしたパメラを子供達は気持ち悪がり、元の口の悪い先生でいて欲しい願う。 しかしヴァイオリンという楽器をもった子供達に何かしらの変化がおきている。
義足の子供が夜遅くまでヴァイオリンを一人遅くまで残って練習している。子供達の目に輝きが宿りはじめている。
しかしパメラは個人生活では、夫が去り子供達からもそのことを責められるなど悲嘆の時が続いていた。
パメラのヴァイオリンクラスも学校でしっかり認知され千数百人の生徒を教えた頃、突然にニュ−ヨ−ク市が予算削減を発表しヴァイオリンクラスの打ち切りが決定した。
抗議するが聞き入れられず、校長とパメラは親を巻き込もうと集まる。その時、音楽関係者を知り合いにもつ一人の親がヴァイオリン・コンサ−トを開いて資金を集めてはとうかという意見がでた。
そして、こうした集まりがきっかけで、ヴァイオリン・クラスの打ち切りを学校側が市に抗議していることが新聞などに掲載されることになり、このクラスのことが世間に知られることになる。
市の施設をコンサ−ト会場として借りることになり、子供達は本番にむけバッハなどの難曲の練習に取り組んでいく。同時にコンサ−ト・チケットの販売も行っていった。
しかしコンサ−ト施設の水漏れなど思わぬハプニングが置き、会場の補修が本番までに完成できるか保証できなくなってしまった。その結果、別の会場でコンサ−トを開かざるをえなくなったのである。しかし事態は思わぬ方向に展開し、保護者の知り合いの音楽家の働きかけなどにより、世界のミュ−ジシャンの憧れの殿堂カ−ネギ−ホ−ルでのコンサ−トが決定したのである。
ビッグニュ−スに喜びそしてたじろぎながら、教師・子供達は一丸となって練習にはげむ。 そしてコンサ−ト当日、イ−スト・ハ−レムの子供達の演奏と著名なバイオリン奏者達とのコラボレ−ションは会場を感動の渦に巻き込み、観客は彼らの演奏にスタンディング・オベ−ションで応えた。
その後、女性教師のヴァイオリンクラスは自力で3年間継続し、その後は財団に引き継がれ今も続いているという。

ところでカ−ネギ−ホ−ルを創立したカ−ネギ−は苦学の末、現在のUSスチ−ル社を創設し鉄鋼王とよばれた人物である。彼の書いた人生の指南書「道は開ける」は世界的なベストセラ−にもなった。
カ−ネギ−・ホ−ルはカラヤン・ラフマニノフ・ホロビッツなどの世界最高の音楽家達の舞台でもある。 ビ−トルズのアメリカ公演も実はこのホ−ルで行われた。私の記憶ではビ−トルズ公演記念何周年かを記念して 、福岡県・筑豊の無名バンド「ザ・フライング・エレファンツ」がカ−ネギ−・ホ−ルに出演したことをおぼえている。それは「象が空を飛ぶ」くらいに常識ではあり得ぬ出来事であった。つまり奇跡に近いものだった
彼らはビ−トルズのコピ−バンドとして「筑豊のビ−トルズ」として演奏活動をやってきたのだが、何らかの事情でそのことがアメリカの関係者に知れたらしい。
彼らは田川出身で日頃は工場や塗装工などをしているごく平凡な青年達のバンドだが、ビ−トルズのカバ−にとどまらずオリジナル曲ももっており、ビ−トルズ・ファンにとってはたまらない存在でもあった。
1992年彼らのカ−ネギ−・ホ−ル出演決定に村中大騒ぎとなり、村あげてのカンパが行われた。 カ−ネギ−・ホ−ル出演がどんなに大きな夢のような出来事であったかを物語るものである。

臨時女性教師パメラとイ−スト・ハ−レムの子供達が起こした奇跡の軌跡は「ミュ−ジック オブ ハ−ト」という映画になっている。
実はこの女性教師の子供達への教育理念は、日本で鈴木鎮一が生み出したスズキ・メソッドが採用されていることにも付言しておきたい。スズキ・メソッドは音楽を通してどんな子でも適切な指導さえすれば極めて高い音楽水準に到達できることを世界に知らしめたのである。
名古屋のヴァイオリン工房で働いていた鈴木鎮一が徳川義親侯爵家のヨ−ロッパ旅行に随行した後、そのままドイツに滞在し体得した教育方法である。その基本にあるものは、
(1)すべての子どもは誰でも育て方ひとつで高い能力を発揮する。
(2) そのためには、母親がわが子に言葉を教える時の、愛情と言葉 の繰り返しの教育法を用いればよい という発想である。このためスズキ・メッソドは「母語の教育法」 とも呼ばれている。
それは英才教育と誤解されがちであるが、そうではなくすべての子どもたちが等しく持っている能力をヴァイオリンや ピアノなどの音楽教育を通じて高い感性と美しい心を一人の落伍者も出さず引き出すという人間教育そのものである。
「ミュ−ジック オブ ハ−ト」という映画で知る限り、子供達の能力をごく自然に信じられる女性教師と、ヴァイオリンという楽器を弾くことに誇りを感じた子供達と、そして日本で生まれたスズキ・メソッドのめぐり合わせがこうした奇跡を生んだのだと思う。