最近、遠いケルトの文化が日本人に近づいたような気がしている。
映画「タイタニック」に登場するリバ−ダンスや映画「ハリ−ポッタ−」などがケルト文化の雰囲気を日本人に浸透させたように思えるからだ。
ハリ−ポッタ−の著者であるJ・K・ローリングの生まれ育ちはウェールズ地方で、現住地はスコットランドのエディンバラである。ともにケルト的伝統の強い地域と関わりが深い。そこに描かれた世界はキリスト教の世界ではなく、むしろキリスト教徒によって魔界に落とされた魔法使いたちの世界なのである。
東京・原宿では毎年3月にケルトの祭が行われている。実は私はサンフランシスコでこのすばらしい祭をみたことがある。その時、アングロ・サクソンにはこういうパレ−ドは必要ではないのではないか、アングロサクソンによって迫害をうけてきたケルト民族だからこそこのようなデモンストレ−ションは価値があるのだろうと思ったのである。
ケルト文化といえば、奥深い森と妖精というのが私の第一印象である。事実、ケルト文化はゲルマン侵入以前にヨ−ロッパに栄えた森林で育まれた文化である。今ではアイルランド、イギリスのスコットランド、ウェ−ルズ、フランスのブルターニュなどに残っている。
私が個人的にケルト文化に興味を持ったのは、明治時代に日本にきたアメリカの新聞記者ラフカデイオ・ハ−ンが、ギリシアとケルトの血をひいていたことを知ったからである。ハ−ンが日本人以上に日本を理解し小泉八雲を名乗って日本に住み着いたのには、ケルトと日本に何か共通する部分があるのではないかと思ったからである。
そして色々調べていくうちに私の想像以上に、ケルト文化と日本文化が重なり合い共鳴し合うものであることを感じたのである。
ただこの両文化の不思議な符号という「めぐり合わせ」がなぜ生じたのかについては、私にはわからない。

ケルトつまりアイルランド音楽の中には日本人の感性にぴったりとくる音楽がある。明治初期に文部省が音楽教育で教える唱歌として採用されたのは日本音楽と同じ5音階のアイルランド民謡やスコットランド民謡だったのである。
私自身の体験では、高校時代に聞いたロックバンドのピンク・フロイドやキング・クリムゾンの音が、日本の神社の荘厳な儀式に奏でられる音楽に近いような感覚を抱いた覚えがある。
彼らもよく調べるとケルト音楽の影響を受けたロックバンドである。最近、テレビで皇室の誰かがエンヤの音楽に傾倒されていることを知ったが、エンヤも日本的な旋律をもつアイルランド出身のミュ−ジシャンである。
実は、ビ−トルズはイギリスのウエ−ルズ地方のリバプ−ルという港町で結成されたバンドであるが、リンゴ・スタ−を除き他の三人はケルト系なのである。
ポ−ル・マッカ−トニ−は最近アイルランドの古城で結婚式(再婚)をあげている。ただ彼らの音楽の中にはケルトを感じさせるものが多いとは思えない。
しいていえば初期の「ラブ ミ− ドゥ−」や「イエロウ・サブマリン」などがそれにあたるのではないかと思う。日本人に人気の「ミッシェル」や「イエスタデイ」はどうだろうか。

時代を遡れば、ヨ−ロッパの森林文化(ケルト)と日本の森林文化(縄文)には大きな共通点がある。それはアニミズムの信仰に基づく多神教の世界であることである。
ケルトの知識階級であるドルイドはケルト文化において最もよく知られているが、その役割は多種多様でその基本には神々への信仰をつかさどり自然信仰に基づいたアニミズム的な側面を強く持っている。
ケルト世界においても縄文文化と同じように樹木と岩場が大きな役割を果たしている。ドルイドという名前も樹木という言葉と関係が深く、森深い岩場でドルイドは祈りをしそして聖なる生贄を奉げたのである。
またケルトの世界では、予言の力を通じてそして強い政治的影響力を持ち王たちをコントロールしたといわれている。
私の中では、鈴鹿の森に囲まれた伊勢の神域を白い衣装で厳かにすすむ神主たちの姿が、ケルトのドルイドの姿と重なりあうのである。
祭りといえばケルトに由来する祭りにハロウインがある。ハロウィンは魔女や精霊が闊歩する愉快な祭りで古代ケルト民族の収穫祭が起源である。アメリカへはアイルランド移民によってもちこまれ、キリスト教の行事と習合したといわれている。
古代ケルト暦では10月31日が1年の終わりの日。その夜は収穫感謝祭が行われ、また、死者の霊が親族を訪れる日でもあった。
ドルイド教の祭司たちは、かがり火を焚き、作物と動物を神に捧げた。翌11月1日、新年の朝、祭司は各家庭にかがり火の燃えさしを与える。
この火を家に持ち帰り、カマドの付け火とした。かがり火は死者の霊を導き、作物を荒らす悪霊を払う聖なる火であった。
これらの一連の行事は、日本での七夕(ミソギ・収穫祭)から、御盆の迎え火までの流れと良く似ている。作物を荒らす悪霊を払う、かがり火は、あたかも稲の害虫を追い払う「虫送り」の松明であるかのようだ。

ヨーロッパ文化の源流は地中海周辺のギリシャ・ローマ文明であるとされてきたが、もう一つの大きな流れとして「ケルト文明」の存在が認識されるようになり、近年、ヨーロッパで歴史の読み替えが盛んに行われるようになった。 ヨーロッパ世界に目を転じてみれば、キリスト教以前のヨーロッパはケルト人の住む世界であり、ケルト的妖精の世界が花開いていた。
森の中にはキリスト以外のいろんな神様が存在したのである。 「ロビンフッド」はそのようなキリスト教世界とは別の中世ヨーロッパの森に住むロビンを描いたものである。
実は、クリスマスがキリストの聖誕祭となっているのは古代ケルト人たちの太陽信仰に基づくものである。ヨーロッパの森のうす暗さのなかで冬至の日をさかいとして太陽がだんだん元気を取り戻していくさまは、古代人にとっては、格好の祭りの対象となったのである。
クリスマスの日の太陽神信仰がキリスト教の聖誕祭という仮面をかぶらなければならなかったにすぎない。
第一に、生まれた年さえはっきりしないイエス・キリストの生年月日などわかるはずもないではないか。
要するに、支配民族と被支配民族の「めぐり合わせ」が、信仰の内容にさえ 大きな変容をもたらしているのである。
「魔女狩り」のようなまがまがしさは、本来のキリスト教からは生まれるものではない。
したがって12月25日の 「クリスマス」は真に異教的な祭りでなのである。
ついでにいえばキリスト教の正統といわれる「三位一体」でさえ異教的多神教的世界観との妥協があるのではないか、とさえ思っている。
(私には西欧キリスト教が信じられず、原始キリスト教のみが信じるに価すると思っている。)

ところでこのケルト文化と日本の縄文文化がよく似ていることを指摘した人は、「ゲイジュツはバクハツだ!」の故・岡本太郎氏である。以下の文章は岡本太郎氏の「美の世界旅行」からの引用である。

「ところで驚くのは、このケルトと縄文文化の表情に、信じ難いほどそっくりなのがあることだ。地球の反対側と言っていいほど遠く離れているし、時代のズレもある。どう考えても交流があったとは思えない。そして遺物も、一方は狩猟・採取民が土をこねて作った土器だし、片方は鉄器文化の段階にある農耕・牧畜民のもの、石にほられたり、金属など。まるで異質だ。しかし、にもかかわらず、その両者の表現は双生児のように響きあっている。部分を写真などでくらべて見ると、実際区別がつかないくらいだ。いったいどうしたことだろうか、まったく想像を超えた不思議な相似である。」