宇都宮氏の呪い


語り部が登場するのは活字では言い表されぬものがあるからである。語り部とは伝えようとすることを体現する者なのだ。その人が語るからこそ伝わるものがある。
ここではそういう語り部について紹介したい。彼らの心には語らんとするマグマがある。それを消そうとしても燃え盛るマグマがある。だからこそ彼らは今日でも語り部なのである。

アイヌのことを聞いても多くの人が、北海道の片隅にいる少数民族をなぜわざわざ知ろうとするのかと思うだろう。
実は、アイヌ文化は縄文期に日本全体をおおっていた文化でありそれを知ることは日本文化全体の基層を知ることに繋がるのである。いかに表層において外来宗教が日本の社会を覆ってもその基層は普遍なのだ。
超越的思惟ではなく現実的思考傾向だとか、魂の救済よりも御利益主義だとか、悪人も善人も同じように救われる絶対平等主義だとか、こうした傾向は日本人の基層にあるアイヌ的心性をぬきにして語ることはできない。
第二にアイヌの生命哲学の中に近代社会を超える生き残りの哲学があるというこだ。
人間が守るべき自然のエチカは、法律や校則のように箇条書きになっておらず、ドラマ性のある物語の中に埋め込まれ、それを大人が子供に楽しげに語っているのである。したがってアイヌの物語や儀礼は自身の内奥にあるものとけして無関係ではない。
また沖縄文化も南方系の海洋文化の影響を強くうけているものアイヌ文化と同様に縄文的要素を多分に有し日本人の基層文化を形成するものである。彼らが紡ぐ音色や踊りをもっと身近なものとして捉えていけたらと思う。

まずアイヌ語を研究した人物として国語学者の金田一京助をあげなければならない。金田一はアイヌ語研究は世界に対する日本の学者の責任なのだとい認識からアイヌ語の研究を始める。
北海道へ行き現地を調査、アイヌ民族に伝わる叙事詩ユーカラの存在に注目し、アイヌの人々と交流しながら研究を続け、埋もれていたアイヌ叙事詩の存在を明らかにした。この金田一が聞き取りを行ったのが萱野茂という青年だった。
萱野 茂は1926、日高地方の沙流川流域にある二風谷コタンに生まれ、小学校を卒業するとすぐ造林の現場で山子として働いた。最初は父親のもとを訪れるアイヌ研究者を憎み、アイヌを捨てようと考えていたが、次第に民族意識に目覚め、自らがアイヌ文化を取り返そうと決意する。
金田一京介やアイヌ語学者知里真志保との出会いが彼を変えていくその足跡は感動的ですらある。彼はその手始めに研究者が次々に持ち出していく民具を取り戻そうと私費をはたいてアイヌ民具を集め、自宅横に「アイヌ文化資料館」を開館した。
1980年代少数民族への人権意識の高まりの世界的傾向から、アイヌに対する理解も広がり、アイヌ文化保護のための議論が国会でも論ぜられるようになった。
そして1994年、萱野茂が「アイヌ」のアイデンティティを掲げる者としては初めて国会議員に当選するに及び情勢が大きく動いた。
在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られる。
そして北海道旧土人保護法という時代錯誤の法律が残ったままになっているという事実がようやく全国的にも認知されるようになり1997年アイヌ新法が制定され、北海道旧土人保護法が撤廃される運びとなった。
萱野の生涯は、アイヌ民具、ユカラ、ウェペケレなど、小さなころから慣れ親しんだアイヌ文化を収集し、記録し、解読し、出版する事業に費やされたと言える。アイヌの語り部としての生涯を2006年に閉じた。

多くの人々に愛される曲「花」の作曲者・喜納昌吉は沖縄民謡の第一人者喜納昌永の四男として生まれた。沖縄民謡を元にした独特のメロディーとウチナーグチ(沖縄語)を織り込んだユニ−クなポップスを歌い沖縄ばかりではなく多くの日本人の心を捉えた。「ハイサイおじさん」は中学時代に作曲したデビュー曲で「こんにちは、おじさん」の意味である。「花」のヒットは、バブル経済でいきり立った日本人の心に癒しや再生をもたらすものがあったからではないかと思う。
喜納は「花」の作曲については次のように言っている。
16歳の時あった東京五輪の閉会式で選手達がごちゃ混ぜになって場内を行進したのをテレビで見て衝撃を受けた。自分が生まれ育ったコザでの米兵同士の人種対立や暴動事件とまったく異なる人種の融合を見て文句なく国際性に目覚めた。
その後復帰運動と復帰があって反石油備蓄基地運動がおき地球的規視座で環境を守るべきこと、生命の古里として海や環境を守ることを教えられ、視野が広がっていき、政治も音楽も地球的視野から捉えていくようになりその結果「花」ができた。
2004、参議院議員通常選挙比例区に民主党から出馬し当選し、「すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争より祭りを」というメッセージを発信し続けている。
オキナワの語り部として喜納は平和活動に携わり、「すべての人の心に花を(「花」の副題でもある)」、また「花」は、日本国内はもちろん、台湾、タイ、ベトナム、アルゼンチンをはじめ世界60か国以上で、多数のアーティストにカバーされている。喜納昌吉によると、音楽著作権がない国でのヒットが多いので、印税収入は少ないのだという。

我々日本人(和人)がかつて低位におき破壊してきたアイヌやオキナワの文化の中には、我々が明日を生きるための生命や英知を吹き込んでくれるものがまだまだたくさんあるような気がする。
皮肉な「めぐり合わせ」だ。