人は重い「ジレンマ」に立たされる時がある。そのジレンマが仮に、友としてある人を死より救いたいという一方で、自己の仕事の為にいちはやくその人の死を望む、というジレンマに立たされたとしたなら、人は何を思うのだろうか。
アメリカの天才作家トルーマン・カポーティがはまった「めぐり合わせ」とは、そのような「ジレンマ」であったといってよい。

トルーマン・カポーティは、「テファニィ−で朝食を」を書いた作家として知られたが、その名前を不動としたのが「冷血」という小説であった。
私も、その題材の幅広さから、この作家に興味を抱いていた。 最近この作家が「冷血」を書く過程を映画化した「カポ−ティ」を見る機会を得て、カポ−ティについての認識を新にすることができた。
平和なアメリカの片田舎の町で家族4人が惨殺された。盗まれたものは、小型のポータブルラジオと僅かな現金だけ、恨まれるようなことなどいなかったお人よし一家を、何故、2人の青年は皆殺しするに至ったのか、作家であるカポーティが追求していく過程を映画化したものである。
カポ−ティは6年に近い歳月を費やして綿密な取材を行い、そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けている。
小説「冷血」は、加害者の片方は普通の家庭に生まれていたが、もう一人は不憫な家庭で育ち(おそらくインディアンで)社会から迫害された若者である。
被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。必ずしも殺害の必要もない衝動的な殺人にも見えるが、そこにいたるまでの犯罪者の心理を追い、理由なき衝動に見えてもそれにいたるまでに様々な要因が重なりあって生じており、その心の襞を解き明かそうとしている。
小説「冷血」より抜粋すると、「殺人の可能性は、将来の犠牲者が、ある過去の外傷的形態において中心的人物であると無意識に感知される場合ーとくにある種の不安定感がすでに存在していればー活性化されうるのである」、つまり自分を過去において傷つけた人物を思いおこすような刺激が加われば、理由もなく人を殺傷することがありうるということだ。

トル−マン・カポ−ティはルイジアナ州ニューオリンズでて生まれた。両親は彼が子供の時に離婚し、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマなどアメリカ南部の各地を遠縁の家に厄介になりながら転々として育った。
後に自殺する母に連れられて町々を渡り歩き、ホテルの部屋に一人閉じ込められ母の帰りを待つこともあったという。
引越しの多い生活のため、ほとんど学校に行かず、ほほとんど独学同然に勉強したという。
彼にとって一つの「めぐり合わせ」は、アラバマ在住当時、後年の女流作家として「アラバマ物語」を書くハーパー・リーと知り合ったことだ。
幼ななじみハーパー・リーとは「冷血」で描かれた事件を共に取材にあたっている。
カポ−ティは17歳で雑誌「ニューヨーカー」誌のスタッフになり23歳で出世作「遠い声、遠い部屋」を発表した。若き天才作家として注目を浴び時代の寵児となり一作ごとに華やかな話題をふりまきセレブリティの一員となり、ゴシップ欄にも話題を提供している。
「冷血」を完成させノンフィクション小説という新分野を切り開き名声を高める一方、それ以降アルコールと薬物中毒に苦しみ、1984年に亡くなっている。

「冷血」では、カポーティは作品を書き上げるため、不憫な育ち方をした死刑囚との面会を繰り返し、自分の身の上を明らかにして次第に信頼関係を築いていった。
友人リーが、なぜ死刑囚を取材するかという問うと、カポ−ティは新しい小説を書くための「金づる」と答える一方で、彼自身の生い立ちと死刑囚の生い立ちが重なりあい死刑囚を深く理解し、死刑囚の「最後まで友」であって欲しいという願いに応えているようにも見える。
作家は死刑囚に言う。「もしも私が君を理解できなかったら君は怪物で終わっていしまう」と。
カポーティは良い弁護士をつけて彼を死刑から免れさせようと働きかけなどもするが、実際に、死刑執行が何度も延期されると、それまで5年もの歳月をかけた小説がいつまでも完結できないということに苛立ちを覚え、まるで生殺しに合ったかのように苦しむのである。
友人リーが、死刑囚を本当に愛しているのかと問いかけると、カポ−ティは「それには答えられない。ただ同じ家で生まれた、一方は裏口から、もう一方は表玄関から出た」と答えた。
また死刑執行に立会うか否か葛藤の末、死刑囚の死を見届け、「何もしてやることができなかった」と苦しむのである。そして、友人リーは彼に「本当は助けたくなかったのかもしれない」という言葉を投げかけている。

それ以降、未完の遺作で上流社会の堕落を描いたため、懇意にしていた人々からも見放されて没落していく。
ところでカポ−ティの幼なじみハーパー・リーの「アラバマ物語」はピューリッアー賞受賞小説で南部アラバマで、差別に決然と戦う父親とその姿をを見て育つ子供の姿がえがかれている。日本の学校の教科書にも取り上げられた作品である。
このリ−が、カポ−ティとともに行動し、映画の中では、カポーティの人間としての良心を喚起させるような役割を果たしている。
カポ−ティの「冷血」は、完成前から評判になり、いち早い出版が待ち望まれていた。そして新しいタイプの文学が文学の歴史を変えるという編集者の言葉も彼の名声慾を駆り立てたに違いない。
しかしカポ−ティ自身は新作「冷血」が、さわぐほどの作品ではないと突き放している。
何度も死刑囚に問われながら答えることができなかった新作の題名「冷血」が、彼自身にもふさわいいと自嘲的な気分に襲われていったのではないかとも思う。
いずれにせよ「冷血」以後、カポーティが完成させた作品は一つもなく、1984年ロサンゼルスの友人のマンションで心臓発作で急死している。