日本の中小企業の中には、日本の伝統的な職人的技能に支えらた高い技術をもつ会社が少なからずある。ある中小企業では、入社試験を料理屋で行い魚をきれいに食べれるかを見たり、電球を絵に書かせ細やかさを試したそうである。
日本人の伝統工芸における職人的手先の器用さや繊細さの一つ背景には一体何があるのだろうか。
もし日本人の優れた職人的技能の由来が縄文時代といったら、それはあまりに突飛な説であろうか。
職人的技能は渡来人がもたらした技能だという説もあると思うが、今のところ「縄文由来説」が私の見解である。
職人の話などを聞くと、彼らがいかに五感を使って仕事をしているかがわかる。
視覚・聴覚・味覚などを使いその日その日の温度や湿気の違いによって、微妙に技能の匙加減を変えるのである。
溶接工の中には金属の味見して見分ける人もいるし、旋盤工の中には微妙な音の違いを判別するものがいる。また塗装工の中には100分の1ミリの厚さ違いをよりわけられる人もいる。
こうした鋭敏な感性が結局は正確で寸分違わぬ究極の正確さを生んでいくのだと思う。
職人達の感性は当然プロとして研ぎ澄まされたものだが、その背景に日本人が本来持つ感性の細やかさがあると思う。
縄文の森で日本人はもののけを全身で感じ取りながら生きていた。自然な微妙な変化をも見逃すまいと生きてきたのだ。もっといえば自然の中に神々の「揺らめき」さえ見出そうとしたのである。
多様な自然への対応がおのずから細やかな感受性を生んでいったのではないだろうか。
それに加え、日本人は物づくりにおいて自然の素材をできるだけ生かそうとする。日本人は建築技術においてレンガや石造りの技術を知らなかったわけではないのに明治まで「木造り」にこだわった。
(江戸時代に火事が多いのはそのためで、江戸っ子の宵越の金はもたないという生き方は、そうした火事に由来している。)
素材を生かす中でも特に木を生かすことには特別な意味があるように思う。アニミズムつまり木に潜む霊威、もっといえば木を依り代として神が降るというマナイズムなど森の中で育まれた意識があるのではないだろうか。
人形を見ていると不思議な感覚に襲われる。人形には魂が宿っているような錯覚におそわれる。日本の著名な彫刻師にこの木をどう彫って仏像を作るのかと尋ねると、その彫刻師は木の中にある仏を彫りだすのにすぎないと答えたのだという。アニミズム的な心性をあらわす言葉であると思う。
アニミズム的心性においては、自然を征服しようとはしない、自然を生かそうとする。 日本人が工芸や料理などで素材を生かそうとするのはその表れである。
日本人は斗きょうという木の組み方で建築をおこない、接合部分に釘や金属を一切使わないという技法で伊勢神宮や五重塔をたてている。
素材をそのまま生かすという技術は、素材を一旦粉々にして組み立て易くするものではないので、より繊細さと器用さを要求されるのではないだろうか。そしてこれが日本人の手先の器用さをうんだのではないか。
加工する文化に必要なものは「理」で、素材を生かす文化に必要なものは「感性」と言い換えてもよいかもしれない。
「食」の分野においても、湿気が多い風土の中、伝統的に日本人は細菌に対して高いセンスをもっていたように思われる。さらに日本人は自然界のプロセスの一つ「腐る」という現象をけして無駄にはしなかった。
もちろんワイン・チ−ズの製造などヨ−ロッパなどにも優れた発酵技術がみられるものの、日本人ほどはそうした発酵技術を広く生活の中に溶け込ませている民族はいない。
カビ(麹菌)を管理することで日本酒をはじめその他にも醤油・味噌・焼酎・味醂・一部の漬物・甘酒・米酢などの伝統的嗜好物も生み出されていったのである。
世界で一番堅い食品といわれる「鰹節」は鰹節菌というカビの一種により作られるものである。
日本人の広い意味での「職人的技能」は、本来マイナスの「腐る」現象をプラスに転じることなどにも見られる。
素材の中に神々が宿るという認識を抱く人々が、その鋭い五感をもって霊妙なる知恵と技で物や食の製作にあたったこと、このことが日本人の優れた職人的技能をもたらしたのではないだろうか、と思っている。

    機械化・コンピュ−タの発達により、多くの伝統技術が忘れられてきたが、日本人が忘れたまたは捨てた伝統技術が海外で評価されていることを知り、改めてその価値に気づくことがある。
  日本人の伝統的な学習機材「そろばん」は、日本だけの物ではなく、アジア・アメリカ・ヨーロッパなど世界で普及しており、アメリカの公立学校では、算数の中に珠算を採用する小学校が増えつづけている。
それは、位取りや十進法など数学の基礎を理解させるために、有効であるばかりではなく集中力を養い右脳の発達を促すことが科学的にも明らかになってきたからである。子供の能力を最大限にひきだす教育器具としてそろばんは、世界的な注目を集めている。
 また日本の竹工芸という編組技術を創造的に用いた工芸では、人類史において唯一といえる竹の芸術を生み出している。竹工芸は、欧米、特にアメリカで近年高い評価を受けており、こうした欧米での高い評価が、今後は逆輸入され日本での再評価につながる可能性がある。
また島根県西部に人口1万人弱三隅町があるが、この地方で作られる和紙は、石州和紙と呼ばれ、国の重要無形文化財にも指定されている伝統産業である。
 かつては大阪商人が帳簿に用いて、火事の時には井戸に投げ入れて消失を防いだというくらい強靱であり、しかも薄く、光沢があり、繊細な手触りが上品さを醸し出している。
 この和紙に注目したのがヒマラヤの懐深く抱かれたブータン王国である。ブ−タン王国には古くから紙すき技術があったものの品質が良くないために外国からかなりの量の紙を輸入していた。そこで紙の品質の改善を行って、伝統産業を復活させたいと望み、そこで手すき和紙では世界的に知られている日本の三隅町に技術協力の要請が行われたのである。
技術交流の第一歩は、1986年に海外技術研修生3人がブータン王国から来日し研修が始まったことに溯る。この手すき和紙が、国ブータン王国と三隅町との頼もしい堅固な架け橋となったのである。

  福岡からアジアにひろがりつつある合鴨農法も今後の注目技術である。
そもそも鴨を水田に放飼する農法は、わが国では約400年前安土・桃山時代に、豊臣秀吉によって推奨されたと言い伝えられている。これは、鴨が飛び立つことによって、敵の夜襲を知るという軍略的な意味もあったのである。
その農法は、まず合鴨の旺盛な食欲を利用して、イナゴなどの害虫や雑草を食べてもらう。さらに田んぼの中を合鴨が泳いだり、足やくちばしでかき回すことで、酸素が稲の根元まで行き渡る。
自然のエサを食べた合鴨のフンは優良な肥料となり、稲の成長を促進させる効果があり、農薬をまったく使わず、自然界のサイクルによって稲作を行う。
この伝統的な農法は近畿地方を中心に戦後は鴨からアヒルに受け継がれてきたが、戦後の増産主体の近代化農業の中で、非能率的で時代遅れの農法として、忘れさられれてきた。
この合鴨農法を再発見し実践したのが福岡県嘉穂郡桂川町に住む古野隆雄氏である。
古野氏は1977年農業の研究者としてよりも農業の実践化としての道を選び福岡市から故郷・桂川町に戻った。そして富山県の有機農業家が残したメモが「めぐり合わせ」となり合鴨農法に挑んだ。
そして海外からも多くの若者が合鴨農法の研究するために古野氏の農場を訪れるようになった。
古野氏は、合鴨を使った稲作をアジアを中心に世界中に広げることに功績があり、2000年スイスのシュワブ財団より「世界で最も傑出した社会起業家」のひとりに選出された。
これにはビル・ゲイツも選出されており、古野氏の場合、徹底したロ−カル性の追求がグロ−バル性につながることを示した点でも大きな功績があったと思う。
日本人は、自然風土を作り変えて人間の側が利用するというよりもむしろ自然風土に溶け込もうという自然観がある。そこにあらわれる日本人が伝統的にもつエコロジカルな生き方はユニヴァ−サルな価値をもっているように思うのである。