アメリカに行ったらぜひラスベガスを見てみたいと思っていた。20年ほど前、ロサンゼルス空港からラスベガス空港に着くや空港内にさっそくスロットマシ−ンがまるで作業場のように並んでいるのを見つけた。さすがカジノの街ラスベガスだ。
巨大ショッピングモ−ルをまわった後あるホテルの一階にあるカジノに立ち寄ってみた。 日本人観光客も含めて数人が集まっているル−レットテ−ブルで、お金を色つきコインに換え、数字が書いてある枠に置いてみる。ル−レットがまわりはじめ玉が数字の枠に落ちるが残念ながらはずれ。次はトランプゲ−ムに加わり店の人が目の前で封を切った新品のトランプを使う。このゲ−ムではすこしばかり勝つことができた。
帰りにはそのトランプを丸ごとくれたのも嬉しい。トランプは細工がないように封切の新品しか使わないそうだ。
泊まったホテルはフラミンゴ・ホテル、高いところから見るラスベガスの風景に愕然とする。
砂漠の中に忽然と不夜城がさんざめいているのがよくわかる。
一体この街ラスベガスとは何なんだ。サンフランシスコからヨセミテに向かうあたりにリノというカジノの町がある。この町は西部黄金狂時代に押し寄せた採掘労働者達が集まった場所なので街が発展するのも理解できるのであるが。
日本に帰ってたまたま1991年封切の「バグジ−」という映画を見た。するとその映画がというのが、私が泊まったフラミンゴ・ホテルを創設した男の話なのであった。そしてこの男こそラスベガス発展の基礎をつくった人物であることを知った。
 ラスベガスに人が住み始めたのは1931年4月、コロラド川の氾濫をせき止める為に、大恐慌の失業者対策の1つとして、ニューディール政策のひとつフーバーダムの建設が始った。
多くの労働者が集まり、同時に飲酒、ギャンブルが解禁となり、ラスベガスの街も次第に賑わう様になってきたものの、当時はまだまだひなびた町だった。
1935年にフーバーダム完成した。このダムの完成により、世界最大の人造湖「ミード湖」が誕生し、水の確保と広域の電力供給を補ったもののこの時のラスベガスはまだ、人口25人ほどのさびれた街だった。
そこへラスベガスを大きく変える男が登場する。
ベンジャミン・シーゲル、あだ名は、バグジー(Bugsy=虫けら)という男である。あたりまえだけれど彼はバグジーと呼ばれることを毛虫のように毛嫌いしていた。
1937年、ニューヨークマフィアであった彼は、西海岸の縄張り確立の為にロサンゼルスに移住した。その当時、ラスベガスは、駅周辺のダウンタウンに、カジノバーが数件あっただけの、さびれた砂漠の街にすぎなかった。
1944年 バージニア・ヒルというハリウッド女優の彼女と一緒に、任されたダウンタウンのカジノの様子を見に行った帰り道、砂漠のど真ん中、ダウンタウンから約10km離れた場所にリゾートホテルの建設を思い付いた。
早速、マフィアのボス達から資金を調達し、カジノとホテル、プール、ギフトショップ、ゴルフ場、射撃場から乗馬クラブまで揃った一大リゾートを建設開始した。
ところが、バグジーの構想は妥協を許さなかった為、当初100万ドルの予定だった建設資金が600万ドルに膨れ上がった。当然、組織からは、批判される事になっていく。
本人はホテルがオープンして客が押し寄せれば許されると思っていたようだ。 ついに完成したホテルの名前は、彼女バージニア・ヒルのニックネームから「フラミンゴ」とつけた。
1946年12月26日に、盛大にオープンしたが、ラスベガスには珍しく大雨が降り、ハリウッドスターを乗せてくるはずだったチャーター便も欠航となり、寂しいオープンを迎えた。その後ホテルは経営不振の為にわずか2週間で一時休業に追い込まれた。
3ヶ月後ホテルを再開したものの、組織は600万ドルも損害を出した男を許さなかった。さらに赤字経営が続いたため、バグジーが売り上げを着服してるとの噂が流れ、バグジーは、身の危険を感じ、厚い壁と防弾ガラスで防護した自分の特別室を最上階に造らせ入り口を厳重に見張らせた。
1947年6月21日、防護対策など施していないビバリーヒルズの邸宅で、9発の弾丸を浴び射殺された。この時バグジーは42歳であった。 バグジー亡きあとフラミンゴを経営したのは、マフィア仲間のガス・グリーンバウムという男であった。
その後、皮肉な事に、彼(バグジー)が、命を賭けてまで建設したホテルを一目見ようと大賑わいを見せ、その後、次々とホテルが建設されていったのである。
その後、フラミンゴは多くの人の手に渡り、1971年にヒルトンの傘下に入り1993年には開業当初の建物を全て壊して新築した。

私が何も知らずにとまったホテルこそラスベガス発展の基点となったところであり、もともとマフィアの資金源として建てられ男の愛人のニックネ−ム「フラミンゴ」が名前となったホテルであったのだ。
こういう面白い「めぐり合わせ」も一生のうちそうざらにあることではないと思っている。