本来、仏教は輪廻と転生を唱え、現実の苦からの解放を教える生者の宗教である。
このことを何度反芻しても、我々が馴染んでいる日本の仏教とは異なる、というか果たして日本の仏教を仏教とよんでいいものやら、それが疑問にさえ思えてくる。
仏教は本来、生者志向のものである、そして仏教には霊の世界はない。
仏教がインドから中国にわたると「孝」が強く意識され死者祭祀儀礼をとりいれるようになった。さらに仏教が日本に伝わると、自然信仰における様々な要素をとりこみ、さらに江戸時代の檀家制度を基礎に「家」永続の宗教とまで変容していく。
平安時代に浄土教がおこり、死後は浄土にいくという。永遠に浄土にいて安住するのならば、輪廻も転生もなく、そういう一番本質的なものをすてた日本仏教を仏教とよんでいいのか
さらに日本の仏教は、日本古来の自然信仰に萌芽した怨霊信仰を取りこみ、仏教は霊的になり、「生者の宗教」から「死者の宗教」へと変わった。
ところで梅原猛の、「隠された十字架」は、法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるために藤原氏により再建されたものであるという説をうちだし世に衝撃を与えた。
さらに、井沢元彦氏は、日本で「聖」というような名がつけられた人物は、政争などに巻き込まれ無念の死をとげ怨霊となったものが多く、「聖」は怨霊を鎮めるためにつけられたのだと主張している。そういう意味で、日本人は井沢氏のいうところの「逆説の日本史」を生きている。
例えば歌聖とよばれた柿本人麻呂や六歌仙となった人々などである。 こういう怨霊はもともと仏教にはなく、縄文期の自然信仰に由来するものであり、ある意味で日本の仏教を死者志向にさせたのも、この怨霊信仰といえるかもしれない。奈良時代には鎮護国家の思想へと発展する。
とはいえ、源氏物語には「生き霊」というものが登場するのもまた興味深い。
ある夏の日の夕暮れにとあるこの廃邸で、源氏は夕顔という可憐な女性と出会う。
源氏に寄り添うようにしてはかなげに見える夕顔に、源氏は締め付けられるようないとおしさを覚えていくのである。
ところが、けなげに咲くこの女性は、源氏のもう一人の愛人である女性の「生き霊」に取り付かれるかのようにして、まもなく苦しみはじめそして息絶えるのである。
この話、村上春樹の「海辺のカフカ」で、少年カフカの父の殺害とアリバイのある少年カフカの血染めのワイシャツとの関係を探る中で、「生き霊」とは人の無意識に潜む強い願望として生じるか、という少年カフカの自問の中で、語られる話でもある。
それによると「生き霊」は、ある強い願望が自己の肉体を離れて目的を達するというもので、当人でさえその働きに気づかないものなのだそうである。

以上のように仏教は、日本でその本質的なものを捨ててもなお仏教とよばれているのだが、ヨ−ロッパで発展したキリスト教も、もともとパレスチナで生まれたキリスト教の本質的な部分を捨てながらも、なおもキリスト教とよばれているのである
ところでキリスト教を霊との関連で語れば、おもしろい対照がある。
旧約聖書には、聖霊は出てこないが、新約聖書では、聖霊がふんだんに登場する。 当然といえば当然、イエス・キリストの十字架の死後、聖霊が下ったのであるから、旧約聖書に聖霊が登場するはずがない。ただし旧約聖書には「御使い」というものが登場する。
実は、キリストの死後50日目に、信者の集会に聖霊が火のように下って教会が始まる。 巷間では、ペテロ殉教後に教会が立てられそこから教会が始まったと勘違いしている人が多いようですが、これはロ−マ・カトリック教会の始まりです。本物のキリスト教会はそれ以前にありました
キリスト死後50日後の聖霊降臨の日を「ペンテコステの日」といいい、この日こそ初代教会がエルサレムで始まった日である。そしてその時、信者達は今までに知らない「新しい言葉」(異言)を語ったとある。
ところで、旧約聖書では神は預言者に、聖霊が降っていないので御使いを通してその意思を伝えている。預言者とは、文字どおり神の言葉を預かるもので神によって派遣される。その言葉は多くの場合、悔い改めなければ滅びがちかい、などと辛辣で厳しい預言を人々に語るのである。
他方、時の王の周辺には、王が喜ぶ都合のいいことばかりを語る偽預言者で固めているので、真の預言者は決死の覚悟で預言を伝えることになるのである。
預言者とは、さぞや厭な役まわりであったろう。確かに人々の中には悪徳に励むものもいただろうが、皆が楽しく愉快に、明日を信じて真面目に前向きに生きている人も多い中で、そんな恐ろしいことを伝える使命とは、イヤがられ、キラわれ、キヒされる役回りであったにちがいないのだ。
いかに神の命令であったとはいえ預言者の本当の気持は、預言を伝えた後に、真っ直ぐに穴があればいりたい気分、といったものであろう。
そして預言後に、人々の圧力に耐え切れず、本当に穴(=洞窟)に逃げ込み、自分の命なんか取り去ってくれと神に祈ったエリアという預言者もいた。しかしエリアは、カラスが食糧を運ぶことによって生き延びたというから、神の恩寵はそれでもなお絶えなかったということです。

さて、キリスト教会では常識といえるが一般にはあまり知られていない、とても重大なことを以下に敷衍すると、
旧約聖書のヨエル書の2章の預言(その他にも数箇所)に「先の雨」(=秋の雨)「後の雨」(=春の雨)という言葉があり、この雨とは聖霊の降り注ぎを意味する

シオンの子らよ、あなたがたの神、主によって喜び楽しめ、
主はあなたがたを義とするために秋の雨を賜い、またあなたがたのために豊かに雨を降らせ、
前のように、秋の雨と春の雨とを降らせられる。


キリスト教会が始まった当初、初代教会(=原始キリスト教)に多くの聖霊が降りそそがれており、これを「先の雨」とよんでいる
しかし、日本の仏教が変容したように、キリスト教がヨ−ロ−ッパの多神教をとりいれるにしたがい、次第に初代教会の息吹を失って、中世の暗黒時代にはいっていく。つまり聖霊が降らなくなり、神の恩寵は特別な人にしか与えられなくなったのである。
ところが20世紀にはいるや、聖書の「後の雨」の預言のごとくに、スウェ−デンを皮切りに、アメリカをはじめ多くの教会では復興運動(リバイバル運動)がおきて、ペンテコステ運動は世界中に広がっていった。
そして今日、正しい救い(=洗礼)さえ受ければ、一般の人々が修道院で苦行する必要もなく滝にうたれるでも断食も必要なく、聖霊を受けられる「春の雨」の時代になっているのである。