人間や動物は生き延びるために様々な術を身に着けている。変身するもの、変色するもの、寄生するもの、偽装するもの、だまし討ちするもの、様々なことをやる。
そして最も一般的な生き延び術は「ムレ」を形成するものらしい。個体がムレから離れる場合には、それだけ生存の可能性が薄れるわけだ。
人の場合、ムレはムラとなり小国となり大国となり、個が生き延びる可能性を高めていくとも考えられる。
しかし、個体としてではなく、民族とか種族とから見るかぎり、大きな単位で一つにまとまるよりは分散していた方が、むしろ民族としての生存の危機を分散することができるかもしれない。
日本の戦国時代に、ある一族が、東軍につくか西軍につくか迷った場合に、一族全員が一方の側につくのではなく、兄と父は東軍、弟は西軍というように分かれて従軍するのである。
同じ一族が敵味方に分かれて戦うというのは、なんとか避けたいと思うのが人情であろうが、イエや一族の存続ということを考えれば、どちらか敗れても一族の半分は勝者として生き残ることを考えれば、これは合理的な生き残り術だといえる。
そして勝ち残った側が、負けた側の一族を助けだせる可能性が全くないわけではない。
ところで私は国を失ったユダヤ人の経緯を思いうかべた時、その悠久な歴史とともにとても不思議な感覚におそわれる。
アッシリア、ペルシア、バビロニア、ロ−マという名だたる大国に攻められ紀元130年頃に完全に国を失い、民族は1948年のイスラエル建国まで離散している。
離散した民族は通常、歴史の大海原に呑みこまれ飛沫のように消え去っていくが、ユダヤ人は今もなおその強烈な光を放って生き残っている。
そしてユダヤ人は固まりとしてではなく離散し分散して生きたからこそ長く生き延びことができた、ということはいえないか、ということを思った。
つまりユダヤ流生き残り術とは、(意図せざるものであったにせよ)離散(ディアスポラ)ということなのだ
確かに、離散し各地で差別されたことは、ユダヤ人に生きる知恵やしたたかさを身に着けたさせたかもしれないし、ナチスによるホロコ−スト体験は、分散していなかったならば、さらに深刻さの度合いを増していたかもしれない。
しかし私がいう「離散こそがユダヤ人を生き延べさせた」という逆説は、単純に民族としての危機を分散できるという意味ではなく、一言で言えば「敵陣の中に味方を見出す」というめぐり合わせにおいて生じるものである。
現代において、ユダヤ人支配の強い国家といえばアメリカを思いうかべるが、ロシア革命に成功した最高幹部にあたる実行政治局員7名の中でレ−ニン(ロシア人)、スタ−リン(グルジア人)の二人を除いてすべてユダヤ人であったのだ。
冷戦構造の中でも、超大国の上層部をユダヤ人が占めていたことは厳然たる事実である。

ユダヤ人は歴史のなかで、「敵陣の中に味方を見出す」ことによって難を逃れることができた修羅場がいくつもあったにちがいない。
なぜなら、旧約聖書には、そういうユダヤの歴史を暗示させる物語(出来事)がいくらでもあるからだ。
民族が離散していたまさにそのことによって、敵陣の中にも思いもしなかった味方がまぎれていたのだ。
その代表的な話のひとつが「エステル記」である。
まずは歴史的背景ですが、ユダヤ人は大国アッシリアやバビロニアによって攻められ多くの民が捕虜として強制連行され、ペルシア王国の領土内にコミュニティ−をつくっていた。
ペルシア・クセルクセス1世の時代、彼はペルシアの首都ともなった歴史ある都・スサで王位に就き、その三年後に180日に及ぶ「酒宴」を開き、家臣、大臣、メディアの軍人・貴族、諸州高官などを招いた。
その後王はスサの市民を分け隔てなく王宮に招き、庭園で7日間の酒宴を開くが、王妃ワシュティも宮殿内で女性のためだけの酒宴を開いていた。
最終日に王はワシュティの美しさを高官・市民に見せようとしたが、なぜかワシュティは王の命令を拒み、来ようとはしなかった。
王は立腹し側近から、こうした噂が広まると、女性たちは王と自分の夫をないがしろにするだろうという助言をうけ、王妃ワシュティを追放した。
そして王は大臣の助言により、新たな王妃を求めて全国各州の美しい乙女を一人残らずスサの後宮に集めさせた。スサは紀元前500年頃から大きなユダヤ人コミュニティーのある都市だが、そこにモルデカイと美貌のエステルがいた
エステルは両親を失い、いとこにあたるモルデカイが義父となっていた。
モルデカイはエステルを応募させ、エステルは後宮の宦官ヘガイに目を留められ、誰にもまして王から愛され、王妃となった。しかしエステルは、自分の出自と自分の民族つまりユダヤ人であることは語らなかった。
王はエステルのために祝宴を開くが、その時モルデカイは二人の男が王を殺そうとしていることを察知し、エステルを通じてこれを王に知らせた。その結果、王は難をのがれることができ、その二人は処刑される。
そのころ、王の下の最高権力者ハマンは自分にひざまづこうとしないモルデカイに対する恨みからユダヤ人全員の殺害計画をめぐらせ、王に「ユダヤ人」への中傷を述べ着々と準備を進めた。
そしてくじで選ばれた日にすべてのユダヤ人を殺害することが決定していた

これを聞いたエステルとモルデカイは悲嘆にくれ、そしてほとんどのユダヤ人は、自分達に訪れようとする運命を嘆くほかはなかった。
モルデカイは養女エステルにいった。「この時のためこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」
エステルはスサの全てのユダヤ人を集め、三日三晩断食するように命じ、その後、王に会いに行く。
実は王妃といえども、王の身の安全をはかるためか、召し無くして近づく者は死刑に処せられることになっていたのだ。
しかし王は上機嫌でエステルとの面会を許し、エステルは王に最高権力者ハマンとともに酒宴に招きたいということを伝えた。
宴会の前日、なぜか眠れない王は、宮廷日誌を持ってこさせ読ませ、モルデカイがかつて王の暗殺を防いだ記録をはじめて知り、その恩賞さえ与えていないことを知った。
またエステルはその宴席で王に、自分がユダヤ人であることと、ユダヤ人抹殺計画、さらにその首謀者がハマンであることを伝えた。
その後王はハマンの計画を追及し、ハマンを柱にかけて処刑した。実はその柱はハマン自らがモルデカイ殺害用に立てたものであった。
そして首謀者の死とともに、ユダヤ人殲滅計画は危機一髪、消滅した
その後王妃エステルの義父モルデカイは、処刑されたハマンの空白を埋めるかのように、ハマンの財産と地位を譲り受け宰相となった。

ユダヤ人は大国の狭間で圧迫や支配をうけたが、敵対する相手の陣中に味方つまりユダヤ人がいて、ユダヤ人を絶対の危機から救うというモチ−フはいくつかある。敵対するサウル王家に命を狙われたダビデは、サウル王家にヨナタンという友を得、何度が危機一髪のところで命を助けられている。
エジプトの王子となって育ったモ−セが出エジプトを率いてユダヤ民族解放を果たす話や、兄達から疎まれ捨てられたヨセフがアラブの商人に拾われ、いつしかエジプトの宰相にまでのぼりつめ、飢饉のときにユダヤ人を救う話など、です。
こういう話を知るにつれ、例えば現代におけるユダヤ人として初めてアメリカの国務長官になったヘンリ−・キッシンジャ−の存在やヨ−ロッパの財閥ロスチャイルドなど、ユダヤ人の危機に備えてあらかしめ用意された地位や立場のようにも見えてくるのです
そしてユダヤ人の離散は、民族が生き残る上でかえってプラスに働いたようにも思えるのです。しかしそれがプラスに働くというのは、ある意味で「ユダヤ人の特異性」を物語っている。
彼らには、どんなに離れていようと民族共通のヴィジョンである「ユダヤ王国の復興」があるからです。(1948年イスラエル建国は完全復興ではない)
だから彼らは、離散はしていても目に見えないネットワ−クで結ばれているといってもよい。これがユダヤ人陰謀説なんかにも繋がるわけですが、こうした目に見えぬネットワ−クこそは「敵陣に味方あり」が現実となる条件を裏打ちしているといってよい。
聖書は、ユダヤ人は人類が続くかぎり滅びることがない、つまり民族としての経綸がまだ残っていることを教えている。
というのも、イエス・キリストを十字架につけ、現代でもなおイエス・キリストが救済者であることを拒み続けるユダヤ人に「回心の時」がくることを示しているのです。
その時はいつか〜聖書のパウロの書簡の「ロマ書」が預言する「異邦人の数満る時」、つまりユダヤ人以外で救われる人々の数が満ちた後に、再び「ユダヤ人の時」つまりユダヤ人の救いの時が来ることを預言している。

兄弟よ、われ汝らが自己をさとしとすることなからんために、この奥義を知らざるを欲せず、即ち幾ばくのイスラエルの鈍くなれるは、異邦人の入り来たりて数満るに及ぶ時までなり。かくしてイスラエルはことごとく救はれん。(文語訳聖書ロマ書11章25節)

最後に「エステル記」は、単にユダヤ人の危機に立ち上がった一人の美貌の王妃の物語というだけではなく、助けなき時の助け、慰め亡き者の慰め、閉ざされた扉のむこうにある希望、をものがたるものであり、つまりは「救い」の物語だといえましょう