海老名弾正と熊本バンド


第一次世界大戦前、おカネには金(きん)の裏づけがあった、つまり銀行に行けばおカネを定まった量の金とかえてくれた。
つまり、紙幣に価値の保証があるということだが、例えば激しいインフレで紙幣であまりモノが変えなくなくなりそうだったら金に換えて価値を留保することができるわけだ。
だが、おカネ(紙幣)でちゃんとモノが買える限り金と交換する必要などなく、おカネだけが何食わぬ顔で流通するのだ
おカネが金と換えられるというのは、食券でモノ(料理)が買えると同じであるが、食券は料理と同じ量しか発行できないが、おカネの場合、おカネを金に換えてくれという人は通常の場合そうたくさんはいないので、おカネの流通量に比して金は何分の一か準備しておけばよい。
ただ外国と貿易する場合にはおカネ(円)を金に交換する必要があるので、銀行は一定量の金は必ず正貨準備として保有する必要がある。こうした制度を金本位制度という。
昭和のはじめたこの通貨制度の運用が、第一次世界大戦後の多くの人々の人生や生命をも大きく左右する魔界への扉となったのである。
金本位制の下で、限度を超えて紙幣を発行すれば金との交換に応ぜられなくなる危険があるので、ある限度を超えた紙幣の発行は認められないのは当然である。
ところが、戦争が起こったら戦費をまかなうために、そんな限度守っていられるっかってんだい、テヤンエ−ベラボ−メ−、ということになって金本位制をかなぐり捨てることになる。
第一次世界大戦で交戦国は、国内で自国の紙幣をどんどん印刷して、戦費をまかなったのである。
戦争が終了すると、金の裏づけのない紙幣を発行し続けたから、その紙幣が消費物資の購買に向かうと、戦争で生産自体がおちこんでいるわけだから、当然猛烈なインフレがおきることになる
そして金本位制に復帰し金貨で貿易の決済をする際に、戦後インフレに対応する方法はふたつある。

@このインフレを既成事実として金貨の方の価格(金平価)を大幅に切り下げる方法。
Aこのインフレを否定して、あくまでも戦前の金貨を基準にして物価を切り下げる方法。

前者の問題点は、金貨の価値をインフレに合わせて、金の含有量を何分の一かに減らし、その代わり国際間の決済では、以前の何倍かの金貨を払わないといけない。
これは現状の物価を追認するインフレ政策で、ドイツ・フランス・イタリアはこの政策をとった。
後者の問題点は、賃金を含めてすべての国内物価を強引に戦前の水準まで引き下げるで、失業・倒産などの血の犠牲を払うことになるが、国際決済手段の自国通貨の価値は変わらない。
これはデフレ政策で、イギリスや日本はこの政策をとった。
ところで第一次世界大戦で日本は戦勝国側にありものすごくもうけていた。日本の国家予算の2倍まで外貨準備を獲得し、国中成金となり、中には世界的な大富豪もでた。有名なのは明治の元勲・松方正義の息子でで有名な松方幸次郎である。
松方は川崎造船の社長で造船ブ−ムで大儲け、カネにあかせて画を買いあさった。それが松方コレクションである。
さて第一次世界大戦が終わると交戦国はすぐに金本位制に戻った。その戻るやり方は上記の二つのいづれかのやり方であるが、日本でも金本位制復帰の準備をしていた頃グラッときた。関東大震災である。
大戦終了5年後のこの関東大震災は復興のために、ものすごいモノ不足がおこって、どんどん輸入したから国際収支は一気に悪化して外貨準備は減り、金本位制復帰どころじゃなくなってきた。
さらに震災の影響で不良債権たまり、1927年金融恐慌などで銀行がつぶれ日銀非常貸し出し、モラトリアム、支払停止などが実施されたた。その間金本位制に戻す(金の輸出解禁=金解禁)か否か、民政党が解禁賛成、政友会が解禁反対で対立し続けた。
この民政党と政友会の対立はいわば歴史のハイライトで政治と経済ばかりではなく軍事も絡んでくる。
金解禁は国内物価を下げないと実施できない。それは上記のAの理由のとおりで、民政党は消極財政でデフレ政策、さらに軍事縮小を支持する。 他方、金解禁反対の政友会は積極財政でインフレ政策で、軍事的には拡大路線を支持する。

そしてようやく1930年に民政党の浜口雄幸首相と井上準之助蔵相コンビで金解禁が実施、つまり金本位制に復帰するが。その時タイミング悪くアメリカで大恐慌が始まっていた。
金本位はデフレ政策による物価切り下げをして、ようやくそれまでより円高にして実施されたわけであるが、大恐慌という波乱に窓を開けてしまった日本は、世界的な不況と、円高による輸入品の下落のために、物価下落圧力がかかってくる。
そうした安い輸入品が入れば、国産品も価格を下げなければ太刀打ちできないのであある。
こんなとき農村が打撃を受けるとは奇妙だが、デフレ政策の下で生き延びるには生産を縮小して身軽になる必要があるが、何百万の農民が生きている農村は、工場のように簡単に生産調整ができないのである。
ブラジルはコ−ヒ−を焼却している。オ−ストラリアは羊を生き埋めにする、それでも生産制限はおいつかない。「日本では生産縮小の遅れが、米相場や繭相場の下落として農民を直撃し、農村恐慌を引き起こしていくのである
また1927年の金融恐慌の余波は続いていた。景気循環による不況と、農村恐慌、金融恐慌の余波が重なって、特に農村は悲惨な状況が生み出されていったわけだ。第一次世界大戦の時の農村は、軍隊の食糧である豆、米、砂糖が欧州に輸出でき大いに潤ったのがすっかり一変してしまったのだ。

こうした農村の悲惨な実態を誰よりも強く考えたのが農林省の役人で、彼らの中から革新官僚といわれる人が多く出る。
彼らは東京大学などで大内兵衛らのマルクス経済学を学んだということもあり、ひそかにソビエトの計画経済に惹かれていた。残酷な景気変動のある自由経済よりも、国家計画経済の方がどんなに望ましく思えたかはしれない。
こうした社会情勢への一つの答えが、右翼の北一輝の「日本改造法案大綱」で、内容は意外なことに国民の財産を平等にするなんて左翼みたいなことを言っている。要するに計画経済型の完全な社会主義国家構想なのです
でもこんな計画は憲法改正でもしない限り実施できるわけがないのだが、北は右翼であるが故に天皇のつくった欽定憲法を改正なんていいだせるはずもない。もちろん右翼でなくても憲法改正なんて禁句なのだが、そうした北の苦心の表れか「天皇は神聖にして」が頻出する「日本改造法案大綱」なのでした。
それで、226事件を引き起こした青年将校の心に魔法をかけた言葉のひとつが、この「天皇は神聖にして」の部分だったらなんか皮肉ですね。
結局、人々がどんなに悲惨な状況にあろうと「不磨の大典」である憲法の制約で身動きできないならば、海外に活路を見出すほかはございません。その閉塞状態の中で満州事変がおきたのです
満州事変を一部軍人がおこしたという見方もありますが、その背後にはそれを望んでいた多くの国民がいたはずです。官民一体、新聞も盛大に応援、宣伝し実施されたというほうがむしろ真相に近いようです。
そして満州では国内で夢を実現できないでいた革新官僚達が、軍部に協力して「社会主義」的統制経済を実施したのである。後にこの官僚たちが国内で企画院を中心に国家総動員法などを作成することになります。

最後に耳寄りな情報です。金融恐慌の時、日本では預金封鎖・新円切り替えというのが実施されました。現代の日本でもデノミつまりお金の単位をひとつ減らす政策(ゼロを減らして一万円を千円にする)が噂されて、何のためにそんなことをするんだろうと思っていたら、政府のホンネは、意外なというよりも、さもありなんというところにあるようです。
仮に将来、預金封鎖→デノミ→新円切り替え、がおきた場合、期限までにおカネを交換しないと紙くずになるので、誰もが旧札を銀行に持ち込みます。それが政府のネライです。
国民の資産を正確に把握した政府は、巨額のアングラマネ−も不正蓄財として没収することもできますし、ひょとしたら何十兆円にも上るカネもあがり、さらにそこに財産税なんかでしぼりとれば、政府は財政破綻を一挙に解決することができます。
以上は噂の類の話ですが噂が本当ならば、政府は「デノミ実施の正当性」をいかに国民に語るのかが見所ですね。