海老名弾正と熊本バンド


日本人の意気ショ−チンと韓国人の元気ハチラチィ−、と一般論として言えるのかどうかわからない。ただ私にはそう見える。お隣さん、元気の秘訣教えてください、と韓国が気になる。
日本と韓国、同じく不況を経験しなんとか抜け出しつつある。韓国の実態をよくは知らないが、昨年旅した感じでは、やっぱり韓国の方が日本より元気に見えた。特に若者は、そう見えた。
バスガイドさんから聞いた話では、韓国人は総じて消費性向が高く不況がそれほど深刻化しないそうだ。ちょうど江戸っ子が何度も火事にあったために「宵越しの金は持たない」生き方をしたのと似て、韓国人も何度も他民族から国土を蹂躙された経験から、同じような生き方を持つに至った。つまり金は貯める物ではなく、さっさと使っちまおう、というわけだ。これは不況から立ち直るのが早い、という経済効果を生む。
韓国人の血の中には、すべてを失い廃墟から立ち上がる、ということを何度も体験してきた血がながれているのだ。韓国の明るさの原因を、そういう意味での「逞しさ」に求めることもできる。
だがしかし戦後復興を想起すれば、日本人の血に「逞しさ」に欠けるということはいえない。人間はいざとなったら必死に生きようとするものですから。
韓国社会の明るさの根本的な原因は他にありそうだ。社会がもつ「理念」みたいなものが韓国の方がしっかりと浸透しているのではないか、と感じた。その理念とは儒教社会の枠を超えて広く国民を結びつつあるキリスト教の理念ではないかと思うのである。
各人の人生の目標は多様であっても、目標にむかって努力し実現することの意義や価値をプロテスタントの世界観が支えているように思うのである。つまり人の評価にかかわらず真面目に勤勉に働くという姿勢である。それが家族や一族のためだけにがんばるならば儒教的だが、キリスト教はそういう枠を乗り越えて「がんばりの普遍化」をもたらす役割を果たしているのではないだろうか。
長く軍事政権に浸されてきた韓国人にとって「個人」「自由」「正義」の理念は何より大きい精神的支柱を提供してきたのではないだろか。
日韓のキリスト教徒の全人口に対する割合の大きな比率の違い、これは決定的である。韓国の街を歩いて一番目につくのはキリスト教のシンボル「十字架」の多さである。プロテスタントは10年ごとに倍増し1100万人を数え、カトリックは300万人であるから、全人口4500万人のうち3分の1がキリスト教徒である。
ちなみに日本におけるキリスト教の人口比率は 黎明期を除いて1%を上回ったことはない。
これはもはやキリスト教が韓国社会に儒教規範とは違う新しい規範や価値観を創出していることを誰も否定はできないであろう。
韓国が身分や血縁というものを非常に重視している社会であることは知っているが、一方で自由や平等という普遍的価値観が、そういう壁を乗り越えさせる精神的な基盤となったことは想像できる。
ところで日韓の近代国家への過程では、鎖国から開国、西洋文化導入という成功を治めたという共通項があるのだが、日韓の近代化の性格の大きな違いは「キリスト教の受容」であったといっても過言ではない。
ただ韓国社会のキリスト教の受容のプロセスを調べると日本との介在という、カラオケボックスで浜崎あゆみに会ったのような「意外かつあり得るかも」というようなことに出くわしたのです。
わかりやすい一例から言えば、日本でのキリスト教のあまりの不受容な社会風土にお手上げム−ドの宣教師がお隣の韓国に渡って宣教して多くの実を結んだということである。
日本人は知識面ではキリスト教を有難がり学んでも、「福音」すなわち「救済」としてのキリスト教を受け入れたものはけして多くはなかった。信仰の面からすると日本はむしろ不毛の地といってもよい。韓国人が自己認識や生活意識などの面でキリスト教を受け入れたのとは対照的に、日本の不受容は日本が神道と自然崇拝の国であったことと関係するのかもしれない。
第二に、1881年に最初の韓国学生代表団の一員として兪吉濬という男が日本に留学し福沢諭吉のもとで学んでいる。約18ヶ月東京に滞在し、そのうち6ヶ月は福沢諭吉の食客となった。その後アメリカにも留学し東京大学でも教えたモ−スの下に寄寓した。
そして兪はモ−スの友情と助力により、アメリカの学校に入学した最初の韓国人学生となったのである。兪はそこで社会の自由と進歩という理念にキリスト教が大きく関わっていることに気づき、帰国して外務省にはいり韓国の国創りの理念としてキリスト教を取り込むことを「私が西洋で学んだこと」という本を書いて積極的に推進したのである。
第三に日本軍が関わった閔妃妃殺害事件のあとに、思わぬ形で韓国宮廷でキリスト教が受容されたことである。
韓国の宮廷では諸勢力が外国と結んで主導権を握ろうと闘争と陰謀が渦巻いていたが、日本は門戸開放を主張する改革派を支持し、清に忠誠を近いその影響下に留まろうとする保守的勢力と対立していた。1884年12月4日、突如、宮廷に日本軍の兵士が急進分子と共に宴会の席に乱入し清国支持の王族を殺害した。この争乱により重症を負った保守派の重臣が、漢方では効かないために、西洋流の医術をとりいれたところ目に見えて回復した。その結果、保守派が西洋医学のみならず、科学技術を取り入れることを支持するようになったのである。結局は、日本人の「和魂洋才」を超え、韓国人はその魂(理念)をも取り込むことなったのである。
大変不幸な出来事であったが日本軍が乱入しなかったらどうだったのか、と思ったりする。
第四に日本の植民地支配に対する反抗の精神的基盤となったのがキリスト教に他ならなかった。
国家的危機(日帝支配)という圧力は、韓国人に国という意識を高めていった。特に、日本の植民地支配に抵抗する3・1独立運動は、韓国人がはじめて国家という意識をもった出来事ともいわれているが、この運動のなか、韓国のジャンヌ・ダルクとばれた柳寛順という16歳の女学生がいた。彼女はクリスチャンであった。実はキリスト教は、日本により神道の強制、創始改名などで植民地支配を強める日本に対抗する、韓国側の精神的な基盤となったのである。
西欧の海外進出では植民地支配の先導役となったキリスト教が、韓国では反植民地主義の精神基盤となったのも面白いですね。
以上要するに日本と日本人が直接的に間接的にか韓国のキリスト教の普及と定着に貢献した、というその「意外性アルカモ」に頷く。

日本・韓国は一衣帯水の位置にであるが、私は韓国を軍事独裁政権の時代までは星を見るような遠さで見ていた。 親近感も覚えつつどこか避けたくもなるのも正直な気持ちだった。戦時における日韓の支配・被支配の関係もあるが、それよりも韓国の軍事独裁政権のイメ−ジが長く纏わりついていたからだ。
お隣の国に知らんふりをきめこんでも生活に何らの支障もないが、1987年の韓国の民主化宣言以来、日本との文化的距離を一気に縮めたというのに、何も を知ろうとしないとか、何も語ることがないというのも、やはりもったいない気がするのです。
そこでちょい恥ずかし気分で韓国ドラマを語ろうと思います。韓国ドラマで感じるのは、男は実にシャキッとしていること、気持ちを相手にストレ−トにちゃんと伝える、ことです。
儒教的な社会の硬直性とは反対に、男女の恋愛表現などはむしろ西欧的かとも思うほどストレ−トです。「スキ」「キライ」をはっきりと言い、感情表現はかなり豊かでオーバーなくらいだ。
「花束を渡す」などという行為はけして秘め事などではなく、皆がいる前で公然と渡すのが原則で、彼氏・彼女を自慢することには遠慮はない、否、自慢しなければ恋人に失礼なのです。
オレの彼女ってさあ、キャサリン・ゼタ・ジョ−ンズとチェ・ジュウあわせたようなサァ、などと言ってもかまわないのです。そうすると周りの方が気を使って暖かく無視してくれます。
こういうのを「愛のムシ」と言います。
私がかなりはまった「バリの出来事」というドラマでは、主人公が思いが通じぬ切なさに何度涙を流したことか。日本のドラマであんなに大泣きする男の姿なんてついぞ見たことございません。
もうバリバリ・バリュ−な出来事なのです。
韓国恋愛ドラマの特徴は、まずは様々社会的・家族的桎梏や紐帯を超えて男女が愛を貫こうとすることです。たとえば家父長の力は絶対で、ドラマの中で年老いたヨボヨボ爺さんが政略結婚を放棄しようとするイイ年こいた息子に暴力を振るうシ−ンを何度も見ました。
日本のように、「恋愛?どうぞご自由に」という社会では、愛のボルテ−ジはなかなか高まらないのです。社会的緊縛つまりバンテ−ジこそが愛のボルテ−ジを高めるのです
そこで韓国ドラマに学ぶ「愛ボルト」の高め方は、色んな意味でのシバリを与えること、そして我慢させること、そしてその我慢も「ポラリスのように君を見守ってあげるよ」などと美しい言葉で覆うことです。
くれぐれも、我慢する方はオアズケをくらった犬のようにヨダレをながしたり、我慢させる方はニシオカスミコのように「欲しがり屋さんだね、ブタヤロ−!」 などとは叫ばないことです。
最近の韓国映画では、「猟奇的彼女」や「僕の彼女を信じないで下さい」みたいな弱い男を描いた作品がヒットしたが、「男は男、女は女」、とスッキりしているのが、昨今の日本の混濁したドラマを見飽きた人にとって新鮮に映るのではないでしょうか。