ハーベイロードは、イギリスの経済学者JMケインズが生まれ育ったケンブリッジのハーベイ・ロード6番地にちなんでつけられた名前という。
ケインズは、マクロ経済学という新しい分析枠を開き、経済はそれまでの自由放任主義から政府が積極的にコントロ−ルすべきことを主張した。
その際にケインズは、一般民衆に比べてより深い、より正確な知識と判断能力をもつ知的エリ−トの集団が存在して、政府に対する賢人の役割を果たすという前提をとった。
これをハーベイ・ロードの前提という。
こうした賢人は必ずしも民主主義的な手続きを経て選ばれた人々ではなく、大衆に対して責任をとる必要のない自由な立場の人々であることを想定しており、民主主義とは異なる前提にたつもの、といってよい。
日本でも日本銀行を中心とした金融政策などは限られた賢者(専門家)によって運営されており、金融政策については「ハ−ベイロ−ドの前提」があてはまるのかなと思える。

私はこの「ハ−ベイロ−ドの前提」という言葉を最近知ったのだが、その時ハル−バ−スタムという人が書いた「ベスト アンド ブライテスト」という本を思い出した。
この本は、ベトナム戦争を泥沼に導いたケネディ政権について書いてある。ケネディ政権といえば、どうしてもケネディという若い大統領にに注目が集まるが、実はケネディ政権を他の大統領政権とは違う異色なものにしたのは、むしろケネディのもとに参集した若き俊英達だったのである。
マクナマラ、ロストウ、ラスクなどの名前は、当時小学生だった私でも幽かに記憶がある。彼らは何れもアメリカ中上流社会に生まれ、幼きころから神童とうたわれ、成人してからは天才と呼ばれたエリ−ト集団だったのだ。
そしてアメリカ東部の名門大学を卒業した東部エスタブリッシュメントの一翼を担った人々でもあった。 もしも、大統領府のスタッフのIQテストを行ったならば、ケネディ政権は間違いなく、史上最高の大統領スタッフを抱えていたことになろう。
ハルバ−スタムはこの本のなかで、「ベスト アンド ブライテスト」すなわち「最良にして最も聡明な人々」が、アメリカをどのようにしてベトナムの泥沼にひきこんだかを克明に描いたのだ。
ケネディとそのスタッフは一言でいえば世間知らずで傲慢であったといえるかもしれない。彼らは、アメリカ国民の意識もベトナムでの戦いをも意のままに操ることが出来るとでも考えていたのかもしれない。
しかし彼らの甘い観測とは異なり、ケネディとそれに続くジョンソン政権によるベトナム戦争介入は、アメリカ社会における南北戦争以来といってよい深刻な亀裂をもたらしたのである。
徴兵事務所を襲撃して徴兵カ−ドを焼き捨てた学生、自ら徴兵われることを潔しとせずに国外に退避した学生、自らの良心的苦痛から逃れるためにLSDを常用していった学生、緊張感の異常な高まりの中で精神錯乱に陥った学生など、キャンパスにもその病根が植えつけられていった。
1960年代半ば、カリフォルニア大学バ−クレ−校をはじめ諸大学で、アメリカ政府のベトナム戦争介入、アメリカ軍のジェノサイド的行為に対する厳しい反戦運動が展開された。

その一方で、ベトナム戦争には、多くの学者が協力し経済学者もその例外ではなかった。実はこのころ人間を合理主義の権化と仮定した時に、どのような行動をとるかという経済学的考察がなされていた。
犯罪の経済学というのがあって、殺人を犯そうとする人が、殺人をすることによって得られる楽しみと、捕まって死刑になる確率とその苦しみを勘案して、殺人を犯すか否かを合理的に決めるというのである。
さらに婚外交渉の経済学では、人が24時間のうち、何時間自分の妻といて、何時間愛人と一緒にいるようにした時に、全体効用がもっとも大きくなるかということを合理的に決定するなどの論文を、世間で充分に有能と認められた経済学者がまじめに研究していたのである。
そこまでやるんなら「出家の経済学」なり、「カミングアウトの経済学」なり、「耐震偽装の経済学」なり色々と想像が膨らみますね。
その延長線上にあるのかどうかよくわからないが、ベトナム戦争でで重要な役割を果たした概念に「キル・レ−ショ」というものがある。これはべトコン一人殺すのにいくらかかるかということを表すもので、マクナマラ国防長官がベトナム戦争の効率的、合理的遂行をはかるために中心的な概念として用いたものである。
ところで、ハ−バ−ド大出身のケネディ以後、ジョンソンを挟んで、ニクソン大統領、フォ−ド大統領、カ−タ−大統領、レ−ガン大統領と続くが、彼らは必ずしも東部の名門大学(アイビ−リ−グ)出身ではない。彼らは、私の感覚では南部バプテストの「古い良きアメリカ」(カ−タ−)なり西部劇にみる「強いアメリカ」(レ−ガン)を代表しているようにみえる。
そしてアメリカ人はベトナム以後、それまで自らの価値観とは異なるものを外部に探しそれと対決するなかで自己像を描きアイデンティティを固めるのではなく、自らの古い伝統の中に寄って立つ価値を見出そうとしているかのようだ。(最近は昔に戻ったかも)
ところでレ−ガン大統領の時代に採用され成功したミルトン・フリ−ドマンらのマネタリズムは、まさに「ハ−ベイロ−ドの前提」をくつがえす理論であった。
実はフリ−ドマン自身が、ケインズとは違い貧しい階層の出身であるが、マネタリストを補強する合理的期待形成学派の人々は、一部のエリ−ト(賢者)が正しい情報を握り人々をコントロ−ルするのではなく、人々ひとりひとりは誤りを犯すにせよ確率分布(期待値)としては、正しく経済値予測して行動するとすることができ、そうすると政府の経済政策はすでに「織り込み済み」ということで、ほとんど効果をもたなくなるという結論を導いた。
つまり経済政策は、賢者と一般人との間に知力なり情報なりの格差があり、賢者が一般人を「びっくり」させることができるという「ハ−ベイロ−ドの前提」に立ってはじめて効果をもつのである。
しかし、一般人が平均値(全体)として賢者と同じような質の情報を得・高い見地から賢い判断から経済値を予測するならば経済政策は功を奏しないという興味深い結論が導かれるのである。
人々が今年の物価予想を平均値として正しく予想し、それに対しての政府の貨幣供給量を平均値として予め人々が予測していたならば、人々は既にそれに基づいて行動をしているので、実際に政府(賢者達)が貨幣供給を変化させるという金融政策を実施しても利子率なり、ひいては設備投資にもいかなる影響を持ち得ないという結果になる。
マネタリズムにくみする「合理的期待形成学派」はまさにケインズ経済学の「ハ−ベイロ−ドの前提」に対する挑戦でもあった。

さらにベトナム戦争の最大の教訓が、最も優秀な賢者でも過ちを犯すということであるならば、ベトナム戦争こそ「ハ−ベイロ−ドの前提」に対する挑戦であった
ベトナム戦争以後のアメリカが原点に返ろうと、「未知との遭遇」「ET」「ランボ−」などの映画が制作され、古きよきアメリカに回帰しようとしたことと、経済学での古典派の現代バ−ジョンともいうべきマネタリズムが興隆したこととが、軌を一つにしているのである。
ところで新しい社会思想が生まれてもそれを実践にうつすのは困難である。まして政府当局者という大きな責任を問われる人々にとって、それはますます困難なことであろう。でもやってみたい、そこでそれを自分の本来のテリトリ−の外、つまり大きな責任を問われないところで政策を実践する実験場を求めることになる。
例えば、終戦直後やってきて、日本の占領に関わったニュ−デ−ラ−とよばれたアメリカ人は、社会主義的志向を持つ人々であり、まは中国満州にわたって統制経済を実践した日本の革新官僚、などもマルクス経済学の影響を受けた人々であった。
実は、イギリスのハ−ベイ・ロ−ドで生まれたケインズ経済学は、アダム・スミス以来の古典主義の伝統があまりに強いイギリスではあまり受け入れられなかった。
チャ−チルはケインズの説が正しいと思ったが実行できないと言ったために、ケインズはチャ−チルを終生軽蔑した。
ケインズ政策の実験の受け入れ先はアメリカで、フランクリン・ル−ズベルトが「ニュ−ディ−ル政策」を実践し、ケインズ政策は大成功をおさめ、ケインズ政策は各国で採用されるのである。
しかしながら、ベトナム戦争の以後、政治面では東部エスタブリシュメントから対極にあるようなニクソン大統領、アメリカ南部出身のカ−タ−大統領や、カリフォルニア出身のレ−ガン大統領らの保守主義の復権としてあらわれ、経済学ではケインズ経済学に変わってミルトン・フル−ドマンによる古典派経済学の復権(マネタリズム)であったことを考えると、ベトナムの挫折が賢者の運営を前提としたハ−ベイロ−ドの前提をくずし、いかにドラスティックにアメリカを変えたか、ということを今更ながら思わされる。
というよりもハ−ベイロ−ドの前提が似合うアメリカ東部のエリ−ト(東部エスタブリッシュメント)を例外として、基本的には開拓者が西へ西へと切り開いていったアメリカという国は、伝統的にみたら「草の根」の方がよく似合い、「ハ−ベイロ−ドの前提」などというものは、本来のアメリカ精神にそぐわにないもののように思えたりもする。