海老名弾正と熊本バンド


ついつい出来心でありました。
カリフォルニア大学バ−クレ−校に、学生になりすまして授業を受けに行ったことがある。
ベルがなって講義が始まるかと思っていたら、テスト用紙が配られてテストを受けさせられる羽目となり、約1時間 拘束されることになった。
社会科学の方法論などを書かせるテストで、内容はともかく名前だけはしっかり書いた。当時絶大な人気があったミュ−ジシャンの名前「Prince」と。
しかし私の「偽学生罪」はカワイイもんで、近所のアパ−トにいた年配の日本人は偽学生として約1年半余りバ−クレ−校に通いつめ、すっかり卒業生気分でいらした。
彼は会社の出張でサンフランシスコに来てそのままバ−クレ−に居ついてしまった。今にして思えば会社の出張も彼のハンコウ計画の一部だったのではないかと思ってしまう。
アメリカの大学では、講義のあいまあいまにこういう演習テストみたいなことが頻繁に行われ、一般学生の大学教科書には演習問題がふんだんに取り込まれている。
日本との大きな違いは、そういうテストを想定した問題集が科目ごとに豊富に用意されていることだ。学生はこういうテスト段階で振り落とされるていくのだから、こういう想定問題集ができて当然である。
日本の大学のように試験直前になると、キマジメさんのノ−トのコピ−が学生間で流通するのとはわけがちがう。
それどころかアメリカの大学で注意すべきことは、試験前になるとノ−トなど放置しておくと盗まれるので財布並の管理をしないといけない。ノ−トの盗難はコピ−するためにではなく、純粋に競争相手に打撃を与えるために行われるのだ。

私が浪人生であったころ見たアメリカ映画「ペ−パ− チェイス」は、ハ−バ−ド・ロ−スク−ルの激しい競争を描いていた。岩石巌氏のような教授が、学生達一人一人に法の問題点を提示し質問をたたみかけてくのだ。そこにいかなる妥協もない。徹底的に学生の論理の甘さをつきつめ叩きのめすのが趣味であるかのように。
この緊迫した講義についていけず脱落者がでる。映画では、「写真的」といってもいいほど天才的な記憶力をもつ学生が、講義の 厳しい追求にネをあげ自殺に追い込まれる。
テスト対策として深夜ひっそりと図書館に忍び込み、門外不出の過去の講義ノ−トを盗み取ることなんかも行われている。
アメリカの大学教育の視線はあくまで強者に偏っているのだ。それを思えば日本の大学教育なんて護送船団方式だ。
大学院教育なんて、教授と学生の談合と慣れ合いで単位修得と論文の評価まで決まってしまう。隠微な人間関係はあってもフェアな競争はない。

アメリカ社会は確かに激しい競争社会ではあるが、自由はしっかり守ろう、挑戦するものを高く評価しようという雰囲気はあるので、カリフォルニアの青空のようにスカッとしている。
大学院の面接では、過去にどんな失敗をしたか、失敗のどこに問題点があり、課題か残ったかなどが聞かれ、新たな挑戦への可能性が問われるのだ。
ところでアメリカ社会で、勝つためには何でもアリということを我々に教えてくれたのがニクソン政権下で起こったウォ−タ−ゲ−ト事件である。
1972年6月17日ワシントンのウォ−タ−ゲ−ト・ビルの6階にある民主党全国委員会本部に賊が侵入し7名が逮捕された。彼らは民主党本部に盗聴装置をしかけようとして未遂におわったものである。一人の男の持ち物からニクソン大統領側近の名前がみつかり、新聞社などの調査により次第に事件の全貌が明るみになる。
さらに裁判の過程で、この侵入事件がミッチェル大統領再選委員長を中心に計画が立てられ、ニクソン大統領側近ナンバ−ワンのハワ−ドハントも関知していたことが明らかになった。
また裁判でニクソン大統領も事件の隠蔽工作に参加したという証言もでた。
公聴会でのハイライトは、ホワイトハウスには大統領も含む側近の会話がすべて記録されているテ−プの存在が明らかになったことである。ニクソン大統領は側近として より頼んだ人物にも、不信と猜疑心を抱いていたのだ。
大統領の無実を証明するためにそのテ−プを裁判に提出するように要求されたが、そのテ−プにも18分間ほどの空白があることが判明し、大統領への不信感はさらに強まった。
ニクソン大統領はついに事件の隠蔽工作に加担したことを認め、世論に抗しきれずついに1974年8月大統領を辞任した。
民主党本部への盗聴装置の設置にどんな意味があったのか、ピンとこないが、選挙というものが選挙戦略というものに大きく左右されることを熟知していた彼らは、相手の手の内を知った上で少しでも選挙を有利に戦いたかったのだろう。
選挙戦略は、リベラル色でいくか、中道色でいくか、右派でいくか、宗教色を抑えるか、マイノリティ−への配慮、票読み、目標得票数に応じたメッセ−ジの出し方、長期的資金計画、イメ−ジ戦略とテレビの活用などなど様々な要素を含んでいる。
私はニクソン政権の懐刀で「殺し屋」といわれたチャ−ルズ・コルソンの伝記「ボ−ン アゲイン」を読んで、アメリカ大統領選挙の勝つためには何でもアリ、の典型をみた
コルソンが関与したのは、ベトナムからカンボジアへと戦争を拡大したニクソン政権に対する反戦勢力のシンボル的存在であるエルズバ−グ氏を追い落とすために、彼が過去にLSDにより精神科に通ったことを突き止め、精神科病院にカルテを盗むために侵入した事件であった。
この侵入については病院に放火して侵入することまでも計画されていた。
コルソンは、ニクソンへの強い忠誠心をもち、政敵を追い落とすためなら何でもやったのである。そこにモラルは欠如していた。結局、コルソンはこの事件の計画者ということで裁判にかけられ有罪判決をうける。
ちなみにエルズバ−グ氏は後に、空母は核兵器を搭載したまま日本に寄航すると証言し、「非核三原則」を旨とする日本政府を揺るがし物議をかもしたあのエルズバ−グ博士である
ところでコルソンは、ウォ−タ−ゲ−ト事件後、キリスト教に深く回心した。新聞社は彼を「ミスタ−・コルソンに悔い改める能力があるとしたら、どんな人間にも希望がもてる。」などと揶揄したが、アラバマ刑務所服役後は、キリスト教の実質、宣教師として世界中に自分の体験を語ってきた。

映画「氷の微笑」でシャ−ロン・スト−ン演じる主人公は、カリフォルニア大学バ−クレ−校出身の設定となっているが、この映画ではマイケル・ダグラス演じる刑事が殺人容疑者の主人公の過去を徹底的に調べ上げるのに対抗し、容疑者である女主人公も刑事の過去を徹底的に調べ上げていくのが面白い。
要するに、相手の過去を調べあげ弱点を見つけ少しでも優位に立とうしているのだ。
また、アメリカは日本以上の車社会であるが、日本のような「初心者マ−ク」なんてありえない。事故があって睨み合った場合も、裁判の場合でも、初心者であることは不利に働く可能性の方が高い
だいたい初心者に譲りましょうとか、初心者だからあったかく見守りましょう、とかいう意識などカケラもない。
日本では弱みを見せると仲間に入れてもらえたりもするが、アメリカでは弱みを見せたら最後と、妻達ばかりではなくみんな結構デスパレ−トなのです。
負けるが勝ちはなく、勝ったもん勝ちで、なかなか非を認めようとはしません。
「初心者マ−ク」などは愚の骨頂で、からかわれ、あそばれるのがオチ、つまり相手の弱点を徹底してついてくるのがアメリカ社会なのです。
そういうわけで、「初心者マ−ク」は日本が世界に誇る「珍文化」なのです。