ゲバラの思いを継ぐ星野村の火


キュ−バといえば「カリブ海の真珠」といわれるほどの美しい島である。
またキュ−バはサルサなどのダンスの発祥地で、音楽が国じゅうにあふれ、貧しくともとても陽気な社会主義の国として知られている。キュ−バが社会主義になったのは、1950年代のフェデロ・カストロとチェ・ゲバラをリ−ダ−とする革命よるものであった。
このはるか遠くの中央アメリカの島に、「日本で一番美しい星が見られる町」とうたう福岡県筑後地方星野村で60年以上も燃え続けている一体の火が送られることになった。
星野村で燃えている一体の火とは、1945年8月6日に広島に投下された原爆の残り火で、この火のことを知った一人の女性ジャ−ナリストが、かつてキュ−バを訪れた時の体験が結びつき、星野村の原爆の火が今年2008年、キュ−バに分与されることになったのである。

星野村は福岡県南部の山あいの土地でお茶の産地として知られ、その棚田の風景は心を和ませてくれる。星野村の名前にちなんで天文台がもうけられ、その天文台のある高台のふもとにある星のふるさと公園に、広島を一瞬で廃墟とした原爆の火がともされている。
1945年8月6日午前8時15分、人類史上はじめて広島市に原爆が投下され、灼熱の閃光は10万近くの人名を一瞬のうちに焼き尽くした。
その時、兵役の任務のために汽車に乗って広島近郊を移動していた一人の男性がいた。星野村出身の山本達男氏は、今まで体験したこともない大地を震わす爆弾音に衝撃をうけ、広島市で書店を営んでいる叔父の安否を気遣かった。
現場に近づくがその惨状に先に進むことができなくなり、ひと月の間をおいてようやく叔父の営む書店の場所へ足を運ぶことになった。
だが、あたり一面焼け野原となった書店の跡地に叔父の姿があるはずもなく、遺品になるものさえ見つけることができなかった。しかし山本氏は、そこでなおもくすぶり続けている火を叔父の魂の残り火として故郷・星野村に持ち帰ることにしたのである。
その原爆の火は山本氏宅でそれ以後11年あまり絶やさず灯し続けられたが、その火のことを知った星野村全村民は1968年8月6日、平和を願う供養の火として永遠に灯し続けようという要望をだし、役場でその火を引継ぐことになった。
さらに、被爆五十周年を迎えた1995年三月には、「星のふるさと公園」の一角に、新しい平和の塔が建立され、福岡県被爆者団体協議会による「原爆死没者慰霊の碑」とともに「平和の広場」の一角が整備されたのである。
また神奈川県原爆被災者の会では、被爆45周年の記念として、星野村役場にお願いし、分火して戴き平和の祈りを込めて「原爆の火の塔」を建立している。この原爆の火は鎌倉のすぐ近く大船観音で燃え続けている。

さてキューバに行ったことのある吉田沙由里という一人の日本人女性ジャーナリストがいた。彼女は、貧しさにも関わらず人々のきさくや明るさにあふれたキュ−バに心ひかれた。カリブの海を映すかのような黒く澄んだ目の子供達の陽気さ、老朽化したバロック建築のアパ−トに1950年代のアメリカ製のクラシックカ−が走る国。貧しいとはいっても教育と医療は完全無料ですべての人々に保障されており、食料も配給所や国営市場で新鮮なものを皆が手にすることができる。キュ−バは、誰もが背伸びせず、背伸びする必要もない開放的な国、そんな印象をうけた。
吉田さんは、キュ−バでは核兵器などに対する意識がきわめて高く、広島・長崎などの地名をよく知っていることに驚いたである。
キュ−バには革命の英雄・ゲバラの似顔絵がいたるところに描かれているのだが、そうした核意識の高さの背景にこのチェ・ゲバラの存在があることを知った。実はチェ・ゲバラは、キューバ革命から半年後の1959年に広島を訪れたのであるが、当時31歳のゲバラは原爆資料館を訪ね大きな衝撃をうけた。
ゲバラはその時に撮った慰霊碑を写した一枚の写真を革命の朋友カストロに見せ、ぜひ広島を訪問するようにすすめたのである。(そして実際に最近2003年3月にカストロ議長は広島を訪れている。)
もちろん核の意識の高さの背景には、カストロ政権下でおきた「キュ−バ危機」が忘れられない記憶として残っている。
キュ−バ危機は、1962年ソ連がキューバに核ミサイルを突然配備しそれに対してアメリカのケネディ大統領が、核ミサイルを撤去しなければ核戦争も辞さず、と対抗し、ソ連は核ミサイルを撤去したという出来事である。核戦争一歩手前にまでいったキューバでは、毎年8月6日にカストロ議長自ら演説台に立ち日本の被爆者を偲び、「この日を忘れてはいけない」と訴え続けている。
また中学校の授業では、歴史の時間に日本の原爆を勉強したり、毎年テレビなどは朝から原爆関係の映像を流し、慰霊関係の行事も頻繁に行われている。
こうしたキュ−バでの体験をした吉田は、星野村で燃え続ける灯火を知り、NGO「世界ともしびプロジェクト」をたちあげた。これは星野村の火を平和の灯火として世界に分与しようというプロジェクトである。
そして、第一回「分火国」としてキューバが選ばれた。
以上のような経緯で「ホシ」の村の火が、カリブの「シンジュ」に灯ることになったのである。
星野村の「原爆の火」が今年、平和の誓いの火として、世界の火になる。