海老名弾正と熊本バンド


自分は、もともと花や木の名前をすすんで覚えるような風雅な人間ではない。
歌謡曲の世界で有名になった、くちなしの花、シクラメンの花、サボテンの花、ひなげしの花、マンジュシャゲ、サルビアの花、などの花々の名は多少意識に上ることはあっても、それ以外はほとんどハナっから無頓着といっていい、花オンチなのです。
昨夏、そんな私が子供の総合学習でのお付き合いで、家の裏手にある鴻巣山の植生を観察にいく羽目になった。
そして子供のレポ−トを手伝ううちに、植物のもつ様々なアメイジィングな実用価値を知ることになり、造化の神様は、木々や花々を美的(詩的)な存在としてばかりではなく、実用面でもこれらの花々を恩寵としてこの世に咲かせて下さったことを再認識した。
そんなことに今更ながら感動し、街のネオンや提灯が花々に見えてしまう自分がとてもフケツに思え、「真に花を愛する人間になろう」と、固く誓ったのです。
美しいハナには「トゲ」がある、けれど、美しい花には「エキ」もある、という事実こそ、私が夏休みの総合学習から学んだことでした。以下は、そのお付き合い総合学習の成果です。

くちなしは、日陰でもよく育ち、秋の終わりごろには黄赤色の実が熟し、オリエンタルな雰囲気を醸す花である。晩のしとやかな暗がりの中では、楚々としたこの花の姿がくっきりと目をひく気がする。
初夏には、なやましき芳香をふりまいて雪白の六弁花が咲くが、その香りこそが渡哲也のヒット曲「くちなしの花」では、旅路の果てまでついてくる「花の香り」として表現されている。
実用面では、くちなしの果肉中には色素クロチンが含まれ、黄色に染めることができ、平安時代から使用されてきたが、衣服の染料としてのくちなしはもはや歴史的なものとなってしまった感がある。
しかし、江戸時代からは、沢庵付けや強飯(こわめし)などの食品染色料として用いられている。天然色素で無害というのは、自然食が見直される中にあって、大きな価値がある。
大分県臼杵地方では、実を乾燥した粉末を混ぜて炊く黄飯が郷土料理となっているが、くちなしの花の実で染められたご飯なんてですね。
我々の身近なところでは、正月料理の栗きんとんの色は、くちなしの花の実により染められている。
くちなしの花は、ヨ−ロッパやアメリカでは、イギリスの医師の名前に由来し「ガ−デニア」とよばれ、ガ−ルフレンドに贈る最初の花である。
その花言葉は、幸せ者、清潔、沈黙であるからして、渡哲也の歌の、「指輪が回るほど痩せてやつれた」幸せ薄きイメ−ジとはチトちがいますよね。
くちなしの花は、赤黄色の果実が熟しても割れないため、「口無し」という和名の由来となったという説がある。 このくちなしの花を愛ししばしば頭につけて歌ったのが、アメリカの伝説のジャス・シンガ−であるビリ−ホリデイでした。
そのビリ−・ホリデイの代表曲が「奇妙な果実」だったのも、何んだかくちなしの花を連想させる。
ビリ−ホリデ−のジャズ・シンガ−としての名声はともかく、その生涯は「薄幸」を絵に描いたといってよいでしょう。

布施明のヒット曲「シクラメンのかおり」の中の「真綿色したシクラメンほどすがしいものはない」という歌詞はデタラメです。だいたい「真綿色したシクラメン」など存在しないし、シクラメンは「かおり」を発しない花、なのです。
その昔、この歌詞を真に受けてカラオケで熱唱していた私ほど恥ずかしいものはない。
実はヒット曲「シクラメンのかおり」は、作詞家・小椋桂の遊び心が溢れた歌といってもよい。小椋桂は、布施明に曲を作るという話が持ち込まれた時のことを次のように語っている。
エルビス・プレスリーの歌で、一番の始まりが「朝見る君ほど素敵なものはない」、二番が「昼見る君ほど素敵なものはない」、三番が「夜見る君ほど素敵なものはない」という歌があり、そこから「○○○ものはない」というフレ−ズをつかった。
それから言葉は北原白秋全集の中のオイシメな部分に黄色いマーカーを引いて、それを集めてちょっとアレンジしてはめ込んだ。
恋の始めから終わりまでを一曲の内容として構成にするうちに、自分でもなんだかウソ臭いと思い始め、ウソをついていることをどこかでちゃんと言っておきたい、ということで、タイトルにわざわざ「シクラメンのかほり」と香りのある花にして、「うす紫のシクラメン」とありもしない花色を持ってきたそうだ。
ちなみに小椋桂の奥さんの名前は「かおり」というそうですが、多少、奥さんの圧力があったのかもしれませんね。ナイッカ!
もっとも、ヒット曲のために需要が高まったのか、今では品種改良のために白やピンクなど様々な色のシクラメンが登場している。
シクラメンは元々地中海沿岸、トルコからイスラエルにかけて原種が自生している。名前は花茎がはじめ丸まった状態で発生することから「サイクル(Cycle)」から命名された。
古来は花ではなく、塊茎の澱粉を注目され「アルプスのスミレ」などの美称があり食用とされていたが、大航海時代以後ジャガイモがもたらされると、シクラメンを食用にする習慣はなくなったという。
ただ興味深いことに今なお「豚のえさ」などに使われているらしく「豚の饅頭」という別名まである。
布施明は、別名「豚の饅頭の匂い」を熱唱していたことになる。
シクラメンに関する伝説としては、イスラエルのソロモン王が王冠に何か花のデザインを取り入れようと思い、様々な花と交渉するが断られ唯一承諾してくれたシクラメンに感謝すると、シクラメンはそれまで上を向いていたのを、恥ずかしさと嬉しさのあまりにうつむいてしまった、という。
その頭を垂れた姿からか花言葉は、「はにかみ」「内気」「清純」「思慮深い」「思いやり」などである。
このシクラメンが部屋にあるだけで暖かく感じさせるのが不思議で、渡哲也さん歌うところの「お前のような 花だった」という女性のイメ−ジがふっと沸いてくるような気がします。

「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」は、サンスクリット語で天界に咲く花という意味で、おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ている。
サンスクリット語からついた曼珠沙華は日本では彼岸花とよばれる。田んぼの畦道などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるため、お彼岸の頃に咲く花として親しまれている。
開花期間が1週間ほどなのに、秋の彼岸と時を同じくするかのように開花する彼岸花は、あの世つまり彼岸とこの世つまり此岸が最も通じやすい時期に咲く花でもある。
山口百恵のヒット曲「曼珠沙華」は、今でも何人かのアーティストがカバーしている名曲ですが、阿木曜子・作詞のこの歌は「まんじゅしゃか」が正式な曲名です。
阿木さんといえば、歌詞がなかなか思い浮かばずに、「バカにしないでよ〜」と怒りを原稿用紙にぶちまけたら、それがそのまま歌詞として定着したというエピソ−ドがある人です。
「プレイバック Part2」「美サイレント」など阿木曜子の独自世界は、これっきりですか、と思っていたら、「曼珠沙華」で新境地を開いたではありませんか。
「マンジュ−シャカ 恋する女は マンジュ−シャカ 罪つくり 白い花さえ 真紅にそめる」などという歌詞は、石川さゆりの「天城越え」を思わせる情念の世界を感じさせますね。
阿木曜子がこの花を歌詞の主題としたのは、毒々しさもある反面にぎやかに咲くほどに悲しさ深まるこの花に、人間の「業」を見た、ということでしょうか。
「不気味」「妖しい」などと様々な言われ方をするこの花は、土葬をモグラや野ネズミなどから守る意味もあって墓地などによく植えられているため、「死人花」「地獄花」「幽霊花」のような、怖い呼び名もついている。
その反面、でんぷんを多く含んでいるため食用可能でして、毒は水にさらすと抜けるため、昔は飢餓に苦しい時に毒を抜いて食用にすることもあったそうだ。
実は江戸時代の天明の飢饉の体験が、この花を田んぼの畦道など人間の生活の周辺に植えたという歴史がある。つまり救荒食としてこの花を植えた、ご先祖様の配慮であったわけだ。
ところでアグネスチャンの歌で知られた「ひなげしの花」は、虞美人草ともよばれるようになった有名なエピソ−ドが残っている。
秦末の武将・項羽にはと言う愛人がいた。項羽が劉邦に敗れて垓下に追い詰められた時に、死を覚悟した項羽が詠った垓下の歌に合わせて舞った後、自刃した。
彼女を葬った墓に翌夏赤くこの花が咲いたという伝説から、ひなげしの花を虞美人草とよんでいる。
そういうわけで、ひなげしの花はアグネスチャンのハイピッチな歌声とは裏腹に、もし「花心」というものがあるならば、阿木曜子が「涙にならない悲しみ」とか「形にならない幸福」とかと表象した曼珠沙華に良く似ている。
曼珠沙華はその姿から、「狐の松明」「狐のかんざし」「剃刀花」など、意味深で含蓄のある呼び名が多い。この花のもつ妖艶さのゆえか。