海老名弾正と熊本バンド


さなぎが蝶になる、アヒルが白鳥になる、カラスが孔雀になる、「華麗なる変身」を示す言葉は数あれど、そういう言葉が最もよくあてはまるのは誰でしょうか。
世界的なオペラで有名なマリア・カラスや中国毛沢東夫人の江青女史などもいい線いっていると思うが、私が思うに、アルゼンチンのエビ−タの「変身度」、「脱皮度」は現代史の中ではNO1ではないでしょうか。

ドサ周りのタンゴ歌手に誘われて田舎からブエノス・アイレス出てきた少女エバは、男を騙し騙されるうちに、お金持ちに体を売って芸能界にコネを作ることにも平気な女の子であった。都会に出て5年後の1939年にはにラジオにも出演しひとかどの女優になっていた。
ただすらりとして目元ぱっちりの女性ではあったが、田舎なまりがぬけずに演技も下手、ようやく端役をもらう程度でしかなかった。
しかしエバの本領は、「美」ではなく「知」にあったようだ。 自分の下積み生活でなめた屈辱や辛酸を胸に、自分を売り出してくれる人々に大胆に近づいていく。 大した教育を受けていないにもかかわらず、新聞や雑誌を熱心によみ、政治や社会について素晴らしい理解力を示し、むしろ彼女の判断を仰ぐように男性が集まったりもするようになる。
(なんだか銀座のクラブのママだった頃の細木数子を思い浮かべますが)
彼女のもう一つの特質は「偉くなる男」を見つけ出す預言者的な才能であった。アルゼンチンの有力者達、政治や経済界の大物とも親しくなっていくとともに、エバの心にも新しい視界が開けていったともいえる。陽の当たらない都会の片隅をその日暮らしで生きる人々と、自分を卑しめてきた一握りの金持ちとの、独裁政治のもとでの圧倒的な貧富の差が、彼女の胸中に重石のごとくに迫ってきたのである。
そしてエバは単に財力や権力をもつ「偉くなる男」を探したのではなく、「この国を変えうる英雄」を探したといえる。 そしてついに彼女は、自身が出演するラジオ番組のパ−ティでその英雄に出会うのである。ペロンとよばれた軍人は、立派な体格と、好感度で若い将校達に人気であった。この時、フアン・ペロン48歳、エバは24歳、ペロンは最初の妻をなくしており独身であった。
ペロンはエバと付き合ううちに、エバが単なる遊び相手以上の存在であることに気付く。この辺がエバの凄さであるが、彼女の知力からしても人脈からしてもペロンの片腕、否、守護神になってくれるかもしれない、とペロンに思わせるのである。そしてエバもペロンに国の英雄の姿を期待し、いつしか2人は一緒に暮らすようになる。
そしてエバの預言者的才能は次第に現実味を帯びてくる。第二次世界大戦後、大地主の封建的支配に不満を爆発させた都市労働者のために社会情勢は不安定となり、ペロンはそうした情勢をうまく利用し、扇動し彼らの支持を集めていく。
こうした采配の陰には、色々な人脈にワタリをつけられるエバの存在があったことは間違いない。 そしてついにペロンは副大統領に選ばれることになった。そしてペロンはエバを頼りにしていることを決して隠すことはなかったのである。(クリントン大統領がかつて夫人を頼りにしていたのと少し似てるかな)
しかしペロンの運命は暗転する、彼を新たな独裁者として見るものもおり、また戦時中のドイツ派ともみなされ、その責任を追及され逮捕されるのである。逮捕後、ペロン自身も自分の命運はつきたとエバに語った。
ところが、スッゴイのはここからのエバである。
「何いってんのよ〜そんなの関係ない! 戦いはこれからなのよ。刑務所なんか、私がタタキツブシテみせるわよ〜〜」
エバは、そこから10日間、ブエノスアイレスじゅうを巡り歩いて、ペロンを救うために、労働者達にゼネラル・ストライキをよびかけたのだ。そしてなんと70万人の労働者がデモを行い、ついにはペロンは釈放されてしまうのである。 その釈放5日後に2人は正式に結婚した。

そしてフアン・ペロンは、1946年の大統領選には圧倒的な勝利をうる。卑しい生まれの女性を伴侶としたことに批判もあったが、ペロンは自分の運命が彼女によって作られたことを信じ、そうした批判にたじろぐこともなかった。
彼女は、大統領夫人として、富を手にし世界を旅し、南米のクイ−ンは世界で歓迎された。他方、貧しい大衆のために公共施設をつくり民衆にも尊敬された。
しかし彼女の過去を知る者には口封じをされ、追放、逮捕などもされた。 彼女のことを悪く書いた新聞をゆるされなかったし、彼女に屈辱をあたえたかつての上流社会の人々も手痛いしっぺ返しをうけた。
(この辺は、毛沢東夫人の江青夫人に似ていますね。)
しかしアルゼンチンは不況におちり、ペロンも政治危機をむかえるなか、エバも病におかされていた。
いまや「エビ−タ伝説」として語られるエバ・ペロンの生涯であるが、私はエバの人間としての良し悪し、政治的功罪を問うよりも、「スッゴイ! エビちゃん」という他に言葉は見当たりません。
私がはじめて彼女を知ったのはマドンナ主演の映画「エビ−タ」を見てからである。私はその時ちょうどエビしゅうまいを食べていて、エビ−タとマドンナ自身の境涯と重ね合わせながら映画を見たことを思い出します。
エビ−タの素晴らしさは、単なる「マテリアル・ガ−ル」(物質的女)ではなかったことにある。
街角のビ−ナスならぬエビちゃんが、いつしか「エビ−タ伝説」の主人公になったのも、ハングリ−なだけでない精神の豊かさと知性がもたらす気品があったからではないでしょうか。
私はペロンなる英雄が、エビ−タに包み込まれていった秘密も、その辺にあると思っています。

1952年6月の病に冒されたエビ−タの遺書によると、
「私は神が、私の多くのあやまち、私の欠点、私の罪によってではなく、私の人生を賭けた愛によって裁いて欲しいと思います。」とある。