海老名弾正と熊本バンド


太平洋に面したカルフォルニアがなぜ発展したのか、サンフランシスコの町はどうしてできたのか、とアメリカ人に聞くならば、青竹を日本刀で割ったような、ピッカピッカのダイコンを包丁でスパリと切り落としたような、クリアカットな答えが返ってくる。〜「ゴ−ルド・ラッシュ」と。
つまりカリフォルニアに金が出るという噂が広がり一攫千金を夢見て人々がこの地域に殺到したからだ。 黄金はそれほどに吸引力がある。
そういえば日本は、マルコポ−ロの旅行記により「黄金の国ジパング」と紹介されて、ヨ−ロッパ諸国のアジア進出を促進した。
ところで最近の「デリィバティブ」取引なんぞのカネ儲けは、金融裁定取引の市場におけるた歪みを利用して金儲けするなど複雑怪異なもので、証券会社は世界で最も有能な数学者を雇うなどしている。
そういうカッティングエッジ(先端的)な世界とは対照的に、なんらの婉曲性も迂回性もない「金の掘り出し」という行為、つまるところ何もかもかなぐり捨てての本性丸出しの金儲けといった人間の本源性の発露に私は奇妙に惹かれてしまうのです。
犯罪、賭博、売春なども何らの制約もなく表出したという意味でも本源的でもあったにちがいないし、その意味では日本の戦後・闇市の時代に似ています。なぜ私がそんな時代や出来事に「魅せられて」しまうのか自分でもよくわかりません。どうか教えてください、ジュディ・オング様!
私にとって金といえば、金魚すくい。それ以外ありません。
少年の頃のあの夏の日、ヨシズばりの夜店で金魚の元手を二倍に増やし得たというカンノー的喜びが忘れがたく、もし自分が当時アメリカにいたら金魚すくいにかえスコップを片手にカリフォルニアに出向いたのではないか、と思ったりするくらいです。
日本はゴ−ルドラッシュ当時、鎖国体制であったためにゴ−ルドラッシュとの接点はないと思われていたが、明治初期にこの地域に移民したと思われる人々の痕跡が、草葉の陰の「おけい」とだけ銘のある墓の発見により明らかにされ、かろうじてラッシュの終焉期に日本との幽かな「接点」を留めていることが判明した。この移民団は福島県・会津若松からの移民団で「若松コロニ−」とよばれている。

私の中の幽かな夢、つまりゴ−ルドラッシュの廃墟やゴ−ストタウンを縦断するハイウェイ49をたどってみたいという思いは、数少ない成功者の影で命を落とした名もなき人々への鎮魂の気持ちもなくはないが、つわものどもの夢の跡に立ってみたいというただそれだけの理由からである。
このあたりのかろうじて読み取れる墓碑から、20台前半で命を落としているものが何と多いのかと気づかされるそうである。
川の堤防から転落して死んだ若者、メキシコ人に殺された若者、原因不明の病死者、など等である。
墓碑が示すとおり、黄金郷を目指したのはアメリカ人のほか、メキシコ人、イギリス人、アイルランド人、ドイツ人、フランス人、オーストラリア人、中国人などであったが、万国の労働者は団結しなかった。それどころかトラブルが頻発した。
ところで日本で金山の町といえば新潟県佐渡の相川であるが、江戸時代佐渡金山に集まった無銘墓が数多く存在する相川は「墓の町」といっていいほどで、罪人としてこの地に送られたド−ナッテモイイ人達の終焉の地であり、けして悼まれることのなかった魂の集結地であり、それが日本海の強風にのって轟く咆哮は、「千の風になって」凄愴さを増して我々の心に響いてくるに違いないと思うのです。
ところでカリフォルニアのある村では、あるバ−テンダ−が呑んで帰った鉱夫のブ−ツから落ちた床の上の泥をかき集めてそこから金を採っていたそうだ。かき集めると一晩で30ドル、週末には数倍にもなっというからすっごくオイシイ商売となった。
佐渡島にも同じような話があって、商売っ気のある商人(あたりまえだ)が、金山の鉱夫に新品のワラジを古いワラジと交換したという。

ゴ−ルドラッシュの成功者といえば、新聞王ハ−ストとスタンフォ−ド大学を築いたスタンフォ−ドの二人が傑出した存在である。
ビンボ−ズやヘイボンズは、彼らが何と幸運な人達かと羨むが、彼らを見る限りでは「金の使い道を知っている人達」にこそ幸運の扉も開かれるのかと思うのです。
ハイウエイ−49号沿いのサンアドレスの町から東16キロのシ−プランチの村で、ジョ−ジ・ハ-ストという男が採掘を始めたが、最初のショベルにもう金塊が当たったという。ハーストは後にこの金でカリフォルニア州選出の上院議員となったが、その息子のウイリアム・ランドルフ・ハーストは父の金を利用して新聞王となり、太平洋岸に百六十五部屋を持つ大別荘をつくり、これがハ−スト城とよばれ、今も現存する。
また、ハイウエー49号線沿いにサタ−・クリ−クという人口千人程度の小じんまりした町がある。
材木の伐採で発展した町は、1848年の金の発見はこの町の様相を一変させた。材木会社の従業員は仕事をやめて、外からの人々も含め鉱夫たちが山や川を埋め尽くし、飲み屋が繁盛しギャンブルが蔓延した。
1851年にリ−スランド・スタンフォ−ドが一帯に有望な金脈を発見すると、大掛かりな機械による坑道つくり、採掘、爆破などが行われたために、多くの金掘りが会社の従業員として働いた。
ところでスタンフォ−ドは若くしてサクラメントの商人として成功していたが、支払いのかたとしてとった鉱山の経営もおこなってきた。しかし鉱山経営では失敗を繰り返し、鉱山を売却しようと鉱夫長にはかったところなかなか返事がかえってこなかった。
しかし、鉱山労働者のストライキが始まらんとした時、どげゃんかせんといかんと思ったまさにその時、サタ−・クリ−クに金脈を発見したのである。それがためにストライキは一気に終息にむかう。そして事業を家族経営から企業経営にかえて大金を掴むのである。
スタンフォ−ドは、セントラル・パシフィック鉄道を興し、米国上院議員となりカリフォルニア州知事を歴任した。
またサンフランシスコにスタンフォ−ド大学を起こし、その子孫はシリコンバレ−にも頭脳を集めたのでもあるから、新たな金脈の地をこの地に生み出したいえる。
金脈には金脈でお返ししたというわけである。

ゴ−ルド・ラッシュは必ずしもゴ−ルデン・タイムスというわけにはいかなかった。家族との悲しい別離に耐え、幾多の困難を乗り越えてやってきたカリフォルニアは、けしてこの世のパラダイスなどではなく、悲惨と表裏一体であった。何よりも猛烈なインフレが町を覆っていた。過酷な労働で多くの若者が病に崩れ、命を落とした。一晩で町が生まれ、同じくらいの早さで消えていった。
ある記録によると、1848年〜64年までにゴ−ルド・ベルトで500もの町や村が誕生したそうである。ところが半数以上がすでに消え去り、今なお残った村も過酷な気候条件や人々の放置により風化が激しく廃墟に近いものがある。
ある人は、ゴ−ルド・ラッシュを定義して、過酷な労働、家族の崩壊、採掘した金より大きい負担の大きさ、そして最終的には打ち砕かれた夢だ、といっている。
ゴ−ルド・ラッシュを「富の一形態に殺到すること」だと拡大解釈すれば、その後も形を変えて、何度か起きている。
バブル経済の時代、日本人は土地と株に殺到し擬似「ゴ−ルド・ラッシュ」を演出した。
それは総じて日本人を幸せには仕向けなかったし、むしろその傷跡は深く残っている。
ただ真正「ゴ−ルドラッッシ」との違いは、その廃墟が巧妙に隠蔽されている、ということである。