亀山上皇像と日蓮上人像


日蓮上人像の台座にはめられた
蒙古襲来図レリーフ

福岡県庁がある福岡市東公園あたりは、元寇時(文永の役)に戦場になったところである。
ここに2つの銅像がたっている。亀山上皇像と日蓮上人像である。
両像とも建立の発端は,湯地丈夫が明治21年(1888)に元寇記念碑建設運動をはじめたことに 由来する。この運動の間、湯地は全国を講演してまわった。
元寇講話の聴衆は100万人に達したといわれるほど、多数にのぼった。両像は1904年に完成し、除幕式がおこなわれた。
折りしも日露戦争の最中であった。

日蓮上人像

福岡市東公園の元寇記念館のすぐ前に日蓮上人像がある。 日蓮上人像が完成したのは1904年11月日露戦争がはじまった年である。 日蓮は1286年正月、国難到来の予言が的中したことを述べ禅宗を批判した。さらに執権になったばかりの北条時宗に「立正安国論」を上進した。
日蓮上人像の高さは台座を含めて約23メートルあり、台座には八面の元寇パノラマが銅版に鋳出されている。これを製作したのは横浜生まれの矢田一嘯で、彼は1893年ごろに福岡に定住し、元寇パノラマ画の製作活動を行なった。博多人形師・白水六三郎を育てたことでも知られている。

亀山上皇像

日蓮像から東、約150メートルの位置に亀山上皇像がある。 上皇は元寇当時の朝廷における事実上の実権者であった。しかし政治的実権は鎌倉幕府にあったので、元軍の襲来に対して朝廷では、神に祈ることにより国難を防ぐ他なかったのである。
明治時代、上皇が身をもって国難に報いたいと伊勢神宮に祈願した故事を記念して、元寇を愛国精神高揚のシンボルとして亀山上皇像設立運動がくりひろげられた。
上皇像は博多出身の仏像彫刻家・山崎朝雲が製作にあたり1904年日蓮上人像とともに落成した。

元寇資料館

福岡市東公園は、元寇の古戦場・千代の松原があったところである。ここに元寇到来を予言した日蓮聖人像がたっているが、そのすぐ前に元寇資料館がある。元寇資料館は日蓮聖人像・亀山上皇像建立のために全国を勧募・布教された人々が、各地に散逸していた当時の両国の武器や後世に描かれた元寇絵などをも収集したものを中心に、チベット仏教用具、アイヌ民族資料、鉄砲などの貴重な資料が集められ展示されている。

 

E-mail to Yoshimura Naohiro.