1274年10月19日、元軍は博多湾に姿を見せ翌20日、博多湾の西部・百道浜や今津から上陸した。 そして福岡平野における合戦がはじまる。 元軍は船から下り、馬に乗り旗をあげて日本軍に攻めかかった。元軍は太鼓をたたき、銅鑼をうち、紙 砲・鉄砲を放って戦闘の開始をつげた。 紙砲・鉄砲とは火薬を用いた飛び道具である。日本軍と元軍とでは合戦の作法がまったく異なっていた。日本の武士達の戦いは一騎打ちでお互いが名乗り合い、相手を確認して合戦におよぶ。 元軍の戦いは大将の指揮による集団戦である。日本軍はいまだ経験したことがない戦い方にとまどい、多くの武士が討たれた。また元軍は射殺された馬を食らい、腹を満たしたという。 博多湾西部から上陸した元軍は麁原や別府といった高台に軍陣をかまえ、赤坂方面に進撃した。 そして鳥飼や赤坂あたりで激しい戦闘を繰り広げられた。 こうした日本の武士達の活躍にもかかわらず、元軍が優勢で日本軍は退却し、太宰府の水城まで退却した。 ところが翌10月21日の朝、日本軍が海の方つまり水城から博多方面を見渡したところ、元の船は皆いなくなっていた。
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