相馬愛蔵・黒光夫妻がパン屋に転身した1901年より死ぬまでの約55年間、中村屋の仕事を貫き通した業績はおおきい。 古い封建時代の商習慣をうちやぶって、他のどこにもない優秀で斬新な商品をそろえ安く売る正札主義の商法で、みごと成功したのである。 昭和初期の新宿は発展地とはいえ喫茶店のような店は一軒もなかった。 1926年10月、三越が新宿に進出し、新宿一帯に大きな刺激を与えた。土地が次第に賑やかさを増すにつれ、中村屋に対し得意先から一休みできる程度の喫茶部を開設してほしいという要望が度々でた。 相馬夫妻の娘婿のボーズは日本人のインドに対する認識が誤りがちなのを嘆き、中村屋で喫茶部を開くならば純インド風のものを味わってもらいたいと希望していた。 このときすでに相馬夫妻は、ボーズに嫁いだ長女・俊子を心労のために失っていたが、インドに対する親愛の情はひとしお強く、ボーズの案に心が動き、1927年6月ついに喫茶部「レガル」が開設した。
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