予兆としての芸術

ニーノ・ロータの音楽が印象的だった映画「ゴッド・ファーザー」は、アメリカで生きるイタリア人移民のマフィアの栄光と悲劇を描いたものである。
「ゴッド・ファーザー」とは、マフィアのボスまたはファミリーのトップへの敬称であるが、本来はカトリック教会での洗礼時の代父(名付け親)という意味である。
またこの映画は、マフィア界で親の代から子の代へと引き継がれる「報復の連鎖」の恐怖と虚しさとを教えられる映画でもあった
主人公であるヴィト・コルレオーネはイタリアで生まれで、少年時代に父と兄を殺され村を追われ、アメリカへたった一人で移住した。犯罪行為にも手を染めながら「家族を守り」「友を信じる」という信条の下しだいにマフィアの世界で頭角をあらわし、政界や芸能界、労働組合などに強い影響力を及ぼすに畏怖される存在となっていく。
この映画にみる復讐と憎悪のドラマをみると、パレスチナで繰り返されてきたアラブ人とユダヤ人の抗争を連想するのであるが、両方ともなにしろ(旧約)聖書の「眼には眼を、歯には歯を」を心の基(もとい)としている民族である。
やられたらやり返さなければならない、失われたものは回復させなければならない、といううことを神の名の下でおこない、そのことを「神の掟」として認識している人々なのだ。
現在のイスラエルには、そういうアラブ人とユダヤ人が市松模様のように入りくんで生活をしており、彼らの抗争が世代をこえて「報復の連鎖」を生んでいるから、その日々の生活は我々日本人の想像を超えたものである。
「ゴッド・ファーザー」の美しいテーマ音楽が流れたのは、マフィアの故郷である地中海に浮かぶシチリア島で、若き二代目の結婚式のシーンの時であったと記憶している。
実はシチリア島は827年から965年に侵入してきたイスラム教徒によって征服され、ノルマンの征服後もイスラムの影響は強く残った。
そういうわけでアメリカン・マフィアの価値観あるいは掟の中に、意外にもイスラムの「眼には眼を」「歯には歯を」といった教えがしっかりとスリこまれていたのではないかと推測する

スペインのプラド美術館にあるベラスケスの代表作「ラス・メニーナス」はとても不思議な絵である。
まず第一に絵の中に絵を書いているベラスケス自身がいるという不思議がある。そして幼い王妃とその周辺には、それまで王室の絵画としては絶対に描かれることのなかった人々つまり王妃の遊び相手である矮人(小人)までが描きこまれている。さらには、黒い人相(犬相)のよくない大きな犬の姿までも描かれているが、これも宮廷絵画としては常識をはなれている。
ベラスケスといえどもこの画面の中に、当の王フェリペ4世を描き入れることはなかろうと思ったが、鏡の中にうっすらとフェリペ4世夫妻が描きこまれている。つまりこの絵の風景は、実は王フェリペ四世の視点から見た風景であることがわかる。
ベラスケスはこの絵画の中に王に関わった人々をことごとく描き込んだのである。なぜそうしたのか
スペインはすでに1588年にその無敵艦隊がイギリスに敗れ没落の兆しが見えていたが、フェリペ四世の時代はスペインの衰退が決定的となった時代である
後進国であったイングランドやオランダさらにはフランスに遅れを取り、結果としてポルトガルやオランダはスペインから独立してしまう。
フェリペ四世は危殆に瀕しつつあるマツリゴトを家臣にゆだねきり、自らは芸術に没入しおかげでベラスケスという一介の装飾絵師が貴族に列されるなどしている。
ベラスケスは、これから同じ運命を辿らんとする人々、同じ波間にいままさに投げ込まれんとする人々を描いたのだ。
「ラス・メニーナス」は、その王朝最後の栄華の一時を集合写真と意味を込めていたということなのかもしれない。フェリペ4世は、ベラスケスにしか自分の肖像画を描かせないと公言していた。
そして皮肉なことに宮廷絵師ベラスケスがフェリペ4世の一族と側近そして自分自身の「滅び」の予兆をかすかに感じながらも書いた絵が「ラス・メニーナス」だったのかもしれない
実際、彼の子供達はことごとく夭折し次代のカルロス2世の時にスペイン・ハプスブルグ家は断絶してしまう。

戦争で敵国を爆撃する場合には、まずは敵国の軍事的拠点を攻撃するのが常道である。 ただドイツ軍によるスペイン爆撃は少しばかり趣が違っていた。
スペイン内乱中の1937年4月26日ナチス・ドイツ軍がゲルニカという町を爆撃した。
この爆撃によって人口三千人の小さな町で、死者1654人、負傷者889人を出し、町の建物の4分の3は破壊されつくした。
当時パリの万国博覧会のスペイン館のための壁画を依頼されていたピカソは、ドイツ軍の暴挙に対して怒りをこめて「ゲルニカ」を描いた
しかしゲルニカは軍事拠点でもなく、ドイツ軍がこの町を攻撃することの実質的な意味は、スペインの軍事拠点を無傷で明け渡すべく威嚇されたということかもしれない。こうして自治の象徴バスク地方の小さな町ゲルニカで無辜の市民の血が流されたのである。
絵の良し悪しが分からない私でも、畳6畳分ぐらいあるこの画の前にたてばかなり圧倒されるにちがいない。
パブロ・ピカソが「ゲルニカ」を戦争の無惨に対してへの怒りをこめてとか、平和への願いをこめて描いたなどという言われ方をするし、祖国スペインが、フランコ政権というファシスト集団によって自由を奪われたことに対する芸術家としての抗議がこめられているともいわれてる。
ピカソは「ゲルニカ」を黒・白・灰という色調で描き、画の中の牡牛をファシズム、馬を抑圧された人民とする解釈などがある。
またピカソはスペインの戦争は人民と自由に対する反動の戦争だと語ってはいるが、「ゲルニカ」の製作の意図を公にどのように語っているのかは知らない。
しかし 「ゲルニカ」は究極的にはピカソが平和の願いをこめて描いた絵などではなく、ただただ人間の「真実」を描ききろうとして描かれたものではないだろうか
ピカソは町の惨状を見て「ゲルニカ」を描いたのであるが、だんだんと絵の中からゲルニカの町を想像させる具体的なものを取り払っていく。
つまり「ゲルニカ」を一つの町の惨状から人類の惨状へと普遍化するのである
人間の体や牛の体を解体してその背後までも描かれているのは、戦争における悲惨な惨状のように見える一方で、人間の内側をもつかみだしてまた裏側の姿をも突き出して描いているように思える。
またピカソが「ゲルニカ」を何度か描き直し普遍的な絵としたのは、つきつめていえばゲルニカの町に「予兆」としての人間の未来図を見ていたのかもしれないとも思うのである
これから8年後に広島・長崎に原子爆弾が投下されるが、ピカソの中に予兆めいたものはそういう未来をも捉えていたのかもしれない。

今年の年頭のイスラエルのパレスチナ人の住むガザ地区の攻撃の悲惨が伝えられていた。イスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した村上春樹氏がエルサレムで開かれた授賞式で、ガザ地区への攻撃を「卵の比喩」をもって語った事は記憶に新しい。
 村上さんは、小説を書くとき「高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵」を常に心に留めており、「わたしは常に卵の側に立つ」と表明した。
壁とは「制度」の例えだと説明し、制度は自己増殖してわたしたちを殺すようになったり、わたしたちに他人を冷酷かつ効果的、組織的に殺させると警告し、約700人の聴衆が大きな拍手を送ったという。
1972年パレスチナ人グル-プがミュンヘンオリンピック会場の選手村を襲い11人を殺害した。最近見た映画「ミュンヘン」は、モサドのイスラエル人がテロ集団「黒い9月」の幹部層11人をリストアップし「始末する」姿を描いた映画であった。実際にリストアップされた11人のうち9人が殺されている。
「報復の連鎖」を示す幾多の暗殺が、あの事件以来ひそやかに進行していたことを知ってゾットした。
こういう報復も村上氏の言う「制度」的かもしれないが、確かに暴力(報復)は増殖を続けているようだ。

真の芸術家とは個人を表現しているように見えて、実は世界の中に渦巻いている様々なものを魂の中で深く受け止めて、それを形にするのだと思う。
絵画ばかりではなく文学や映画など優れた芸術の奥にはたくさんの「予兆」が秘められている
そして村上春樹は「予兆」の作家だと思うが、それ以上に村上龍は「予兆」を描いているように思う。
そういえば村上春樹「海辺のカフカ」には、サケ(鮭)やヒル(蛭)が空から降ってくる場面がありました。