鳩山家と友愛社会

鳩山由紀生氏が語る「友愛社会」は、戦国武将・直江兼続の兜の「愛」ほどではないにせよ、政治プロパーの人物の言葉としては、少々不似合いな気がした。
金星に行った奥さんの影響かとも思ったが、「友愛社会」は鳩山一家の「家憲」といってよかった。
また日本労働運動の黎明期に「友愛会」があり、そこに連想が働いたが、いかに民主党が労働組合の支持を受けているとはいえ、鳩山一族を戦前の労働運動と結びつけるのは無理がある。
もっとも、鳩山家や鈴木文治の「友愛」も源をたどれば、同じくフランス革命の「自由 平等 友愛」に行き着くと思う。
以前住んでいた東京の神田川沿いの街・文京区関口から、江戸川橋を渡り北に15分歩けば音羽で、東の方角に鳩山御殿がある。
この辺りは国立大学の付属小学校や高校もあり、「お受験殺人」まであった文字通りの文京地区である。
最近、立派なマンションが立ち並ぶようになったが、音羽通りから丘高くに鳩山御殿を見ることができた。音羽の町がまるで、文部大臣を輩出する鳩山一族の城下町にも見えてしまう

音羽の街を北西へ少し歩けば池袋の街にはいる。池袋には青春の映画館「池袋文芸座」があり、ここで「カサブランカ」を見たことがある。
そして当時、この映画と鳩山一家にある繋がりがあるとは、思いもよらないことだった。
この映画に、鳩山一家に「友愛社会」の哲学を与えた貴族をモデルとした人物が登場する。
その人物は「カサブランカ」でイングリッドバーグマン扮するイルザの連れだっていたレジスタンスの有力指導者ラズロのモデルになった人物で、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギ-である。
りヒャルトは、ユーロや国際連盟の精神的支柱になった汎ヨーロッパ思想の提唱者で、彼の母親はなんと青山光子という日本人であった
青山光子は1874年(明治7年)、東京牛込の油商の娘として生まれた。娘時代、紅葉館という社交場の女中として働いていたが、家の前でオーストリア・ハンガリー帝国代理公使でリヒャルトの父クーデンホーフ伯爵が、窪みにはまり落馬したために介抱したことから伯爵に見初められた。
1892年(明治25年)に二人は国際結婚し、光子は日本で二子を生んだ。その次男リヒャルトは日本名を栄二郎といった。
クーデンホーフ家は、ハプスブルク王家に仕える名門旧家で、1896年にクーデンホーフ光子は夫の故郷・ボヘミアに渡り、二度と日本の土を踏む事はなかった。
ボヘミアの古城の伯爵夫人となって平穏な日々を送っていたが、連れ添うこと14年目にして夫が急死する。光子には7人の子供達とボヘミアその他にある広大な土地が残され突然、光子の双肩に子供の教育と土地の管理がかかった。
そして、伯爵夫人ク-デンホ-フ光子は夫の死後の困難を見事のりきり、その名は「MITUKO」という名の香水が出回るほどにヨーロッパ社交界で知られたが、太平洋戦争が始まる少し前に亡くなった。
ところで国際連盟を唱えたウイルソンは「民族自決の原則」を唱えたが、それは今日の中国の紛争に見るように国内の民族間の紛争を助長する傾向をもっていた。
実際「民族自決の原則」が何を生んだかと言うと、民族対立によるヨーロッパの分裂とあまたの弱小独立国家だった。リヒャルトはこうした民族自決の原則にある種「きな臭さ」を感じたのかもしれない。
そうした不安定な情勢を克服する為にリヒャルトが唱えたパン・ヨーロッパ思想は、国家同士が連邦を形づくることで国の乱立に統一を与え、生産や販売をその連邦内で調整するといった構想だった。
リヒャルトはパン・ヨーロッパ思想を普及させる為に、月刊雑誌を創刊し、1926年には第一回パン・ヨーロッパ連合会議を開催するまでに至った。
その後このビジョンは着実に拡がっていくかに思えたが、ヨーロッパに暗雲が立ち込め始めた。ヒットラー率いるナチスが台頭し、1938年には強力な軍事力を背景にオーストリアを併合した。
この時期、ヒットラーは「ウイルソン大統領の宣言から20年近く経て、やっとゲルマン民族の自決権を行使すべきときがやってきた」と豪語した。ウイルソンの「民族自決の原則」はかく悪用されその脆さを露呈させてしまった。
ナチスの思想とパン・ヨーロッパ思想はまったく正反対のものであったから、リヒャルトにナチスの魔手が及ぶのは必定だった。身の危険を感じたリヒャルトはすんでのところでスイスに亡命したのだ。その時には14歳も年上の女優も一緒だったのだが、そのシチェーションが映画「カサブランカ」に素材を提供したと考えられる
戦後の復興過程でリヒャルトの思想は息を吹き返し、シューマン・プランそしてヨーロッパ共同体つまり欧州連合へと実を結ぶのである。

戦前の文部大臣・鳩山一郎はリヒャルトの本に感激し「自由と人生」として翻訳し、その本の中心思想「友愛社会」の考え方を自己の血肉とした
鳩山氏は戦後の公職追放が解除され、1953年の政界復帰宣言で「友愛社会」を実践していくことを宣言した。
リヒャルトはこの本のなかでファシズム やボルシェニズム の終焉を予告し、技術の進歩は階級闘争や貧窮、それに当時まだ残っていた奴隷制度までも無くし、社会を大きく変えると宣言していた。
鳩山氏は政界復帰宣言で「自由のための革命が成功せず、平等の革命も失敗した後では、友愛革命こそ諸国民間・諸階級間をかけわたす橋となる。そして我々は皆兄弟であるという事実に目を開いてくれる」というリヒャルトの言葉を引き合いに出して熱く語った。
結局、「友愛運動」は鳩山氏がリヒャルトの書物からヒントを得たヒューマニズム哲学であった。そして鳩山は友愛青年同志会を結成し自ら総裁となった
10万人の会員を主導し、当時の日本の政財界はじめ、日本の思想や文化に大きな影響を与えた。今でいうと松下政経塾を連想するが、会員は10万というから広く青年教育を進める意図で結成されたものだった。

ところで、モロッコの都市カサブランカは、ヨーロッパの戦災を逃れた人の群れが、ポルトガル経由でアメリカへの亡命を企ろうとしていた所で、地中海を挟んでポルトガルの対岸に位置する。
映画「カサブランカ」には幾多の名文句がある。
一番有名なのは「君の瞳に乾杯」だが、ダジャレて「君の瞳に完敗」なんかもいいんじゃないでしょうか。
ひとつ間違えば認知症と誤解されかねない以下の会話も、ハンフリー・ボガードだとサマになる。

酒場の女 「昨夜はどこにいたの?」
ボガード 「そんな昔のことはおぼえてない。」
酒場の女 「今夜はどこにいるの ?」
ボガード 「そんな先のことはわからない。」

映画の主役リックつまりボガードは、かつてナチス抵抗運動の指導者ラズロの妻を愛していたが、自ら反ファシズム・レジスタンス運動に関わった過去もあり、二人を親ドイツ・ビシー政権下のフランス植民地警察の目を欺き、彼らの脱出に手を貸す。
宵に旅発つ飛行機を見送るリックの姿が印象的なラストシーンであった。

ところでラズロのモデルとなったリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーは、自由と平等との対立を解消・克服するのが「友愛主義」であるとしている。
最近、鳩山氏の米国論文が市場万能主義を否定し、非対米従属的な内容の論文がアメリカの政府関係者に不安を投げかけているという報道があったが、その根本理由はこの「友愛社会」の哲学によると思われる。
リヒャルトによると、自由放任の社会は経済的不平等、富の偏在、貧困の差をより大きくする。如何にして自由と平等の対立関係を調和せしめるのか、この対立解消のベースに友愛主義を提唱した。
もっともリヒャルトの説く革命は、力による革命でなく人間一人ひとりの「心の中の革命」を意味し、人々の心の中に友愛を植えつけ、人間本来の持つ人類愛そのものを喚起することにより達成されるものある。
この思想に共感した鳩山一郎が、社会発展の原動力に「青年教育」を置いたのはむしろ当然であった。
ところで、鳩山一郎氏が前任の吉田首相の親米一辺倒の外交に対し、ソ連をも視野に入れた外交路線を主張したのも、そういう人類皆兄弟的な友愛哲学によるものだったかもしれない。
その成果として1957年日ソ共同宣言が実現し、その結果日本の国連加盟につきソ連が拒否権を行使せず、日本の国連加盟が実現したのである

こうみると、鳩山ファミリーの友愛哲学はリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの存在に負うところ非常に大きいが、同様にリヒャルトを生み育てた青山光子の存在を忘れてはならない