使徒行伝の主役

作家・遠藤周作氏の大推奨の映画はフェデリコ・フェリーニ監督の「道」であったが、この映画は遠藤氏の宗教観と根底でかなり通じるものがあった
ある粗野な大道芸人が無垢で従順な女をひきつれて大道芸を披露しながら旅していく話である。男は胸で鎖を切るぐらいの芸しかないし、それを喜んで見ているのは子供ぐらいなものである。
男は酒好きで女をいいようにこき使っているのだが、女は少々頭が弱く他にいくあてもなく男にくっついていく。
ある時女が病死し、男はその女がどんなに大切な存在であったかをはじめて思い知り、オイオイと子供のように泣き崩れるラストシーンがいつまでも余韻を残す映画であった。
人間というのはほとんどがコリナイ面々で、どんなに痛い思いをしてもそうヤスヤスと自分を改められるものではない。
その男は女を失ってそれまでの自分を改めるとは思えないのだが、だからこそますますその女の存在が心の中で大きく膨らんでいくいったのではないか、と思う。
「道」という映画のタイトルはとてもシンボリックで、二人が荷車をひいていくシーンがとても印象的であった。
聖書にはイエスが十字架の死後に絶望的な気持ちをもってエマオという町に向かって歩んでいた弟子たちの隣に復活のイエスが歩いていたという場面があり、遠藤氏はイエスを「同伴者」として位置づけていたと思う。
遠藤氏の「イエスの生涯」をよむと、自分たちが裏ぎったイエスの存在が十字架の死後、ますます大きく膨らんでいき、それが復活のイエスとして顕れたというような小説家としての解釈をほどこしている。
つまり、エマオの途上の復活のイエスと弟子達の関係と映画「道」の男女の関係が「同伴者」という点で重なるのだが、遠藤氏にとってあの弱い弟子達がイエスの十字架後なぜ迫害にひるむことのない強い使徒となっていったのか、という疑問は依然として氷解していないように思われる。

イエスの死後の使徒達の働きを記した「使徒行伝」にしたがえば、イエスは十字架後40日間復活の姿を多くの弟子たちに顕して、自分の代わりに「聖霊をくだす」という約束をした後で、昇天したとある
そして死後50日目つまりペンテコステの日にエルサレムで人々が集まっている時に聖霊降臨があり、最初のキリスト教会が誕生した。
その時、ペテロが立ち上がり人々を前に説教を行い3千人の人々が洗礼を受けたというから、一体どんな説教かと驚くばかりである。何しろ1か月と半月ばかり前には、イエスの十字架の直前に師を裏切って逃げ出した人物である。
しかも、「あなたは鶏がなく前に三度私を知らないであろう」と預言され、その通りにイエスを否定をしたわけであるから、すっかり師からその心を見透かされていたわけだ。その悔悟たるや想像に難くない。
しかし悔悟することと自分を改めることとはまた別の問題である。人間はそうやすやすと自らの力で自分を改められるものではない。
ペテロは、ローマに伝道旅行をし、その地でイエスと同じようにバチカンの丘で磔刑となり殉教している。
このペテロの苦難については、復活のイエスが「他の人があなたに帯を結びつけ、あなたが行きたくない所に引き行かれる」(ヨハネ21章18節)と預言しているが、ペテロはそれにもたじろがなかった
こういうペテロの働きを見ると「使徒行伝」全体に溢れる基調となっている「聖霊の働き」というものを思わざるをえない。

「聖霊の働き」といえば、パウロの改心こそが最も劇的な出来事であった。
実はパウロはイエスの十二弟子にははいっていない。それどころか厳格な律法学者の家に育ったパウロは、自分の良心に従いながらキリスト者を弾圧する立場にあったのである。
大祭司の命令でステパノといわれる信者が石で打ち殺された時も、パウロはその現場に居合わせた。
そして鼻息も荒く多くのキリスト者を捕縄するためにダマスコという町に入った時に、突然光がさして「サウロよサウロなぜ私を迫害するのか」という声がして目が見えなくなってしまう。
その後聖霊の導きでアナニアという人物に会って洗礼をうけ、バルナバという使徒を通じて、パウロをおそれおののく使徒達に紹介されてその仲間に加わったのである。
そしてローマ帝国の地域を伝道旅行し、多くの教会を設立し、それらの教会の信者と手紙のやりとりをしている。その手紙こそが新約聖書におさめてある「パウロ書簡」である。
パウロの改心は、多くのユダヤ指導者層を困惑させた。ある者は「博学がお前を狂わせている」といい、パウロは「神を知る知識に比べたら、そうした知識はフン土のようなもの」と語っている。
またある者からは「この地上から除かれるべき」といわれ、別の者からは「疫病のような者」ともいわれた。
パウロは、結局逮捕されるが他の者にない特権をもっていた。親が裕福であったために金でローマ市民の権利をもっていたのである。
ローマ市民たるものがユダヤ総督の裁判だけで結審されるのはおかしいと上訴し、荒海と風雨をこえてローマに送られ、結局ローマ皇帝の前で自己の弁明とキリストの救いを堂々と述べるのである。
その後、ローマに番兵一人をつけて住むことを許され、その間訪れる人々に福音(救い)をつたえるが、結局大迫害がはじまり、ローマの城壁の外で殉教している。

イエスの直接の弟子たちはヨハネを除いて皆殉教の憂き目にあっているのだが、彼らの活躍は目覚ましいものがあり、イエスの十字架の時に離散していった弟子たちとはまったく別人のようにも思える。
エルサレムを中心として活動した初代教会は、後にヨーロッパにわたって組織された教会のように、精神的・物質的「中間搾取」がなく、救いを求める者に対しては即、罪の許したる洗礼と復活の証したる受霊を無条件にほどこしている
使徒達は、倫理や道徳を説くでもなくただ救いを語り、そこに病の癒しや不思議が次々と起こっており、ダイナミズムに満ち溢れている。
ちなみにダイナマイトの語源は聖霊であり、「使徒行伝」を読む限りその主役は十二使徒などではなく、聖霊そのものであるかのように思える。