合理的利他行動

ビル・ゲイツ夫妻は、マイクロソフトで築いて得た富のほとんどを慈善事業に寄付しているととともに新しい資本主義のあり方の提唱を始めた。
そして2008年ダボス会議で「富める者に報いる資本主義を貧しい者にも報いるようにする方法を見出さなければならない」と語った。
最近、日本では漢検など非営利団体のトップがその利益を還元することなく、自分の会社にまわしていたとか、福岡の電機会社が架空の障害者団体の割引制度を使ってDMを送り多額の利益を得ており、そこには厚生省のキャリアが絡んでいたとかいう事件が起きた。
いずれも弱者をクイモノにした性質(タチ)の悪い事件だと思う。こういう事件をみるとビル・ゲイツの言葉を実感するが、ビル・ゲイツ氏がいう「貧しい者に報いる資本主義」という社会像は容易に焦点を結ばない。
それで、強欲資本主義とは異質の「非営利的な活動に人間が喜びを見出す社会」ではどうかと思った。
それには人間の「意識の目覚め」を必要とするので、果たして実現可能かという疑問はおきるが、多くのNPO法人が「善意の伝達」的活動をしていることからすれば、それはすでに始まっているようにも思える。
ここでいう「意識の目覚め」とは、皆がマザーテレサになれと要求しているのではなく、「合理的利他」への目覚めといってよいかもしれない

人間というのも社会を広く深く認識すれば他者を滅ぼす(貧しくさせる)ことが必ずも長い目で見て「利益」に繋がらないことを人類は結構学習したと思う。
人間の社会で経済は取引している相手国が潤ってくれていた方が、こちらの輸出が伸びて豊かになるのだし、イギリスの場合、重商主義政策で金(Gold)をいくら蓄積しても国は豊かにならなし、植民地をつくっても今度はそれを「維持」する負担が国力を奪った。
ただ、さらに積極的に他を利する事が自分を利することに繋がるという世界観までは共有するまでには至っていない。
NHKの番組で「動物の利他行動」如きものを数多く見出したが、それらの行動は結局、「群れ全体」からみれば無駄の無い行動であることを知った。さらに生物学者の竹内久美子女史はその著書が、遺伝子の観点からそれらの行動の「合理性」の理由を裏打ちしてくれた。
個体は本来は利己的つまり割りあう行動しかしないが、時として他を利する行動をとることができる。なぜそういう行動をとるのかというと、いつかそれが自分の利益として跳ね返ってくるからである。
割に合わない行動をとる動物はいたとしても自然界から淘汰される。したがってどんなに利他的に見えても実は、利己的すなわち「合理的利他行動」をとっているのである
自分の身を挺して命を救う行為や自分はひもじい思いをしても他人に食糧を分け与える人もいる。火の中をかいくぐっても自分の子供を助ける母親など血縁が近ければ近いほどこういうことは起きる。
しかし個体は利己的なのに、どうして血縁だと自己犠牲的な行動をとれるかということを「合理的」に説明するのはなかなか難しい。
そうした利他行動を科学的に明らかにしようとしたのが、生物学者のJBSホールディングである
自分と兄弟は自分に特有な遺伝子から見ると二分の一の確立で共有しあっている。イトコならば 8分の一である。言いかえると自分の遺伝子が兄弟だと1/2、いとこだと1/8だけ分散しているということで、血縁者に対しては自分に対するがごとき行動をすることができるのである。
自分の子を守ろうとするのは当たり前であるが、子が持てない人にとってもそこで自分の遺伝子が行き止まりではなく、兄弟を通じていきのこるためにそれを守るべき行動するのだ。
JBSホールディングがメモに残した言葉がある。
「二人のキョウダイか八人のイトコのためなら、私はいつでも命を投げ出す用意がある」と。

ところで、JBSホールディングの話を紹介した竹内氏は、「働きばちはなぜ子をうまないか」という点に言及している。
最近不足が心配されいてるハチだが、その社会には産卵はするが労働は一切しないとう女王がおり、その一方で産卵はせずに労働ばかりしているメス(ワーカー)がいる。
オスは生殖だけのためにしか生きていないそうだが、不思議なことにオスは極端に少なくほとんどの卵からメス(ワーカー)がうまれてくるという。
つまりハチやアリなどのコロニーは、普通一匹の女王が生んだ娘たち(ワーカー)が中心となった血縁の近い者たちの集団である。そういう社会構成から次のような結論が得られる。
ワーカーにとって自分が生んだ娘が女王になるよりも、女王にメスを生ませ、そのなかから次期女王が出現した方が、自分の遺伝子をより多く次代に残すことができる。
なぜワーカーは子を生まず女王蜂に奉仕する生を自然により選択するのか、よくよく計算してみるとそれが自分の遺伝子を最も効率よく残すことができる行動だからである
つまり「血縁社会」という限定はついているが、ここに「合理的利他行動」を見出すことができる。
戦争中、日本は天皇を中心とした「擬制的イエ国家」とい国民は天皇の赤子(せきし)とされた時代があった。この時代を讃美するつもりはないが、黒沢明監督は「一番美しく」という映画で、女子勤労学生がたちが自分をかえりみず仲間と助け合いながら生産奉仕をしている姿を描いている。
皮肉なことに戦時は、少なくとももドメスティック(国内的)に見る限り、「合理的利他精神」を育成しているかのように見える。

ところで人間の世界の「合理的利他行動」とは具体的にどのようなものだろうか。
フランスの歴史家ジャック・アタリ氏は、NHKの緊急インタビューで「合理的博愛」への目覚めた人々すなわち「トランス・ヒュウマン」とよんだ人々が未来を招き寄せる最大の希望であると語った。
そして自らもアフリカの貧しい人々のために数万円単位の小額の融資システムを考案し実践している。
アタリ氏が実践しいるのは、無償の援助やボランティアではなく、あくまでも資本主義のシステムを使ったビジネスによる支援である。金利は13%と高いが返済が滞ることはないという。
三万円程度の出資で、蜂蜜の店を持つことができた人がテレビが紹介されていた。
従来の金融機関が取引の対象としてこなかった貧しい自営事業者等を主な対象として、小規模な金融サービスを供給する事業を、マイクロファイナンスと呼ぶ。
またハマド・ユヌス氏はバングラデシュにおいて、農村地域等の貧困者層をターゲットに事業を展開している金融機関であるグラミンバンクを創設者し、2006年のノーベル平和賞を受賞した。
ユヌス氏は、フランスのヨーグルト会社と合弁企業を立ち上げ、低価格のヨーグルトを子供達に販売して、子供達の様子はすっかりかわったという。
ジャック・アタリ氏は「合理的な博愛」を持った人々の「超民主主義」を唱えたが、「博愛」までには至らずとも、思いやりのある人々はたくさんいる。
問題はその思いやりが「形」になって見ず知らずの人にも届く「伝達の仕組み」なのだと思う。
日本の村社会にはユイ・モヤイといった相互扶助も伝統的に行われていたし、そうした伝統を再発見し賦活し再構築するのも一つの道ではないだろうか。
ジャック・アタリ氏は、人のために人生を捧げる人間が「新しいエリートの定義」と語ったが、 この話を聞いて童話作家・灰谷健次郎氏の言葉を思い出した。
灰谷健次郎は兄が自殺しそれが原因で小学校の教員をやめて日本の南の島を放浪することになる。そこでの人々との出会いが、病んでいた氏の心を癒す。それは人々の喜びや痛みに対する共感性であった。
灰谷氏はNHKテレビ番組「あの人に会いたい」のインタビューの中で、「共感性」こそ人間の最もすぐれた能力で、そうした能力をもつ人々は何ら際立ったところがない人々の中に多いと語っていた
また、炭鉱で働く人々は生死の運命を共にする意識を持った人々の集まりであり、そこには相互の思いはことのほか強いという。
こういう心のエリ-トに「合理的利他精神」を啓発するなど、必要のないことですね。