オズの魔法の壷

最近、たまたま二人の戦場を生き場としている二人の人物のテレビ番組をみた。一人は瀬谷ルミコさん32歳で、 彼女の仕事は、国連傘下のNGO職員として紛争地帯のいわば「交渉人」である。
硝煙の匂いの漂う場所に出向き対立する双方の言い分を聞き妥協点を見出し停戦にこぎつける仕事である。とても美人の彼女は、兵士たちが二度と戦場に戻らないなように職業指導までも行っている。
もう一人、戦場カメラマン・鴨志田穣氏の話である。戦場に生きる人々の表情がとても好きなそうだ。家族を失っても、残された者のために夕食の用意をする母親の姿、廃墟の街でなんとか寝場所をつくって再び生活を始める人々。爆撃音の中、水遊びに興じる子供達の表情、などなど。
戦場は死と隣り合わせである。したがって明日すべてが「無」に帰してしまうかもしれない場所である。だからこそ、人々の生活のヒトコマ・ヒトコマが愛おしくも思われるのだろう
そこで吉田兼好の「徒然草」の話を思い出した。木に登って転寝して今にも落ちそうな男を笑う人々を坊さんが諌める話である。通りすがりのその坊さんが言うには、誰があの男を笑えようか、あの男と我々の運命はそう異なるものではないと

人の世は「無」の世界を下地に生きている影絵のようなもので、絶望に陥らずに何とか色彩が保てるように何事かに「励んだり」誰かを「愛したり」しているのかもしれないなどと思ううち、思い浮かべたのが映画監督・小津安二郎である。実際、小津安二郎の墓には大きな墓碑銘「無」と書いてあるからしても、小津の終生のテーマが「無」に収斂したことは間違いないといえる
1950年代クロサワ・ミゾグチに続き海外の映画人はオズを発見し高く評価したが、どんな「視点」から評価したのか興味がわくところである。
小津の映画では壺や石庭や能が長時間映しだされるシーンがあり、「禅」的世界を意識的に醸し出している。 したがって海外でのオズ・ブームの背景には、外国人の小津映画に含まれる禅的な世界への憧憬があるのは確かであろう。
西欧初の近代的な自我は、世界を支配しようという、世界を「対象」として捉える。その結果世界を対立と見ざるをえない。そういう世界観に疑問を持ち始めた西欧人が独特の映画技法と一体となった「無」の世界を小津映画に見出しその世界に魅了された、ということだろうか。
しかし海外が「エキゾシズム」だけで小津を評価したのではないことは、海外での今日に至る評価の高さにうかがえる。小津映画がしっかりと人間の普遍的な要素や問題をとらえきったからであろう。
小津氏の何ものにも迎合せず、淡々と日常の人間ドラマを低い位置(ローポジション)から「凝視」していく姿勢の強さには、むしろ強烈な自我をさえ感じさえするのである
それでは、小津映画の主題である「無」は具体的にどのように描かれているのだろうか。

小津が撮影現場でよくなげかける言葉は、「隠せ 隠せ」であり「けずれ けずれ」であったそうだ。隠しても削ってもどうしようもなく表れいずるものこそ小津表現が目指したものだろう
小津映画の有名なシーンは「晩春」という映画で、父と嫁にいく娘が布団を並べて語り合う有名なシーンがある。
障子の向こうに笹がゆれ幽玄な雰囲気の中、少し首の長い壺が二度にわたって映し出される。父と娘はとりとめもない話をするのであるが、その壺の存在感たるや二人の存在を霞めるほどなのだ。
そしてこのシーンで主役は父娘ではなく、壺のようにも思える。一旦人世の事が打ち切られ、突然禅的な無の世界へと導かれるのである。 この壺のシーンがあまりに長いので、父(笠智衆)と娘(原節子)との間に近親相姦があったという 「思わずキャッ!}というような解釈をした外国人が多かったそうだ。西欧映画の表現法ではそういう技法が定番であるからだ。
そして私が思うに、主役の笠智衆はセリフを語らせば棒読み、抑揚にかけ単調なのだ。
つまり笠智衆はとても「ダイコン役者」なのだが、かえって小津監督がこの笠智衆を好んで使ったのもわからぬではない気がした。要するに笠智衆は面長の「壺」のようなものなのだ。(失礼!)
東京物語では、「壺」たる笠の表情がよくいかされていた。
子供達が育っていきそれぞれの生活をもち、老夫婦が尾道から子供達を尋ねて東京に出てくるが、それぞれの家族はそれぞれの生活上の都合で必ずしも老夫婦にたいして温かく接することができない。長女はむしろ親を邪魔扱いしたりもする。 尾道に帰る途中に母親が発病ししばらくして亡くなるが、家族は義務のように葬儀を終えて日常に戻っていく。
親も自分たちが大切には扱われていないことを感じつつも、相手を責めるでもなくある種の諦めをもって温かく接している。実はここに「無」という絶望が控えているのだが、笠智衆や東山智恵子のほのかな笑顔や単調な語りのひとつひとつがいつまでも心に残るのだ。
そうした笠智衆の存在を使うのが小津の計算であり、その存在感を巧みに映像の中で生かしきるならばそれは、オズの「魔法」(オズ・マジック)に近いと思えるのだ。
先述の「晩春」では妻に先立たれた学者が一人鎌倉に住んでいて、娘の方は自分が嫁いだ後の父の一人暮らしを思って縁談を断り、思いあぐねた父親は架空の再婚話を作り上げて娘を結婚させてしまう。
父親のために色々なものを縫ったであろうミシンが部屋からきれいになくなっている、つまり娘の結婚とともに父親の周りから消えていき、ここでも「無」へと連なっていく世界がある。
ラストシーンで笠が力なく椅子にすわりこみ林檎の皮をむが、その無骨な剥き方で皮は長くつながらず、不格好に歪んだリンゴの形に父親の孤独感(絶望感)がにじみでていた
先の「東京物語」と合わせて言えば、世間一般の姿として人々は日常の生活にかまけて身近にある「老いの絶望」に心を寄せるほどの余裕はないのだ。

ところで映画監督と大女優の結婚は、篠田正浩と岩下志摩、大島渚と小山明子、新藤兼人と乙羽信子 となどの例があるが、小津と様々な映画でコンビを組んだのが原節子であった。
結婚について問う記者の質問に、小津は「家庭にあんな美しい女性を迎えるのは」と答えている。(陣内よ学べ!)
小津は終生独身であったが、原節子は小津の死後銀幕だけではなく、人目からもほぼ完全にその姿を隠している。原節子は小津に殉じて「無」と化したようでもある
それが小津監督と原節子の関わりの深さを語っているようにも思える。
小津安二郎監督の映画を人生の節目でまた見たくなる気がする。節目節目とは、何かを失っていくことつまり「無」に近づくことかもしれない。例えば、親を失うとか、娘を嫁に出すとか。
そんなことを思うこと自体、すでに「オズの魔法」にかかっているのかもしれない。