ナオミの夢

最近ナオミという名の女性の活躍がめにつく。ス-パ-モデルのナオミ・キャンベル、女優のナオミ・ワッツ、そして、宇宙一おいしい料理を看板に披露宴をしたナオミもいたし、私の中学時代の担任は雨の日にも庭の花に水をやる律儀なナオミだった。
それほどグローバルな名前の「ナオミ」なのだが、一体どこの国の名前なのだろう
「ナオミ」の名は世界的にはポピュラ-ではあるが、日本では元々さほど馴染みの名前ではなかった。
小説の中で「ナオミ」を女性名として最初に使ったのは谷崎潤一郎の「痴人の愛」らしい。
ある生真面目な男が、カフェでみそめて育てあげた美少女ナオミを妻にしたが、ナオミの周辺にいつしか不良学生たちが群がる。成熟するにつれて妖艶さを増すナオミに、男は愛欲の地獄のへと落ちていくという、中高生が読んだら耳から鼻血がでそうな話である。
突然、1970年初頭、「ナオミの夢」という歌が流行ったのを思い出した。歌っていたのはヘドバとダビデというイスラエルのデュオである
「ナオミの夢」はもともとイスラエルのテレビCMソングとして作ったが、あまりにも出来が良かったため1970年に開催された第1回東京世界歌謡音楽祭で歌われ、グランプリを獲得した。
この音楽祭が東京で開かれたことが奇遇であるが、日本語詞で再レコーディングされたものが大ヒットした。
「ナオミの夢」は、音楽祭で歌ったヘブライ語ヴァージョンはシングル盤ではB面で、A面は日本語ヴァージョンという奇抜なレーベルだったが,全米・全英では一切チャートと無縁だったものの、オリコンでは堂々第1位、そして66万枚の大ヒットとなった。
繰り返される「ナオミ カムバック トゥ ミー」というフレーズが頭にへばりつき、当時私の鼻歌ベストファイブに入っていた。ちなみに鼻歌一位は欧陽菲菲の「雨の御堂筋」でした。
当時、教室を出るタイミングをねらって、私が友人・義雄に「ヨシオ カンバック トゥ ミー」と吠えると、友人は「ヨシオ カンバック トゥ ユゥ」と咆え返した。中学時代はそんな「男っぽい遊び」で、盛り下がっていた

ところで、人間の歴史には女性の運命に関わる悲劇的なシーンが数多くあるが、その悲劇性ゆえに美しく語られたりもする。
例えば、日本の沖縄戦における「ひめゆりの塔」の話であるが、それに匹敵する話が韓国にもある。
百済における662年百済は新羅と唐との連合軍に破れ(日本でいう白村江の戦い)、当時の都、扶余(ぷよ)にいた約3千人の百済の官女達は追い詰められ、自決を決意し、次々と崖から身を投げた。
豪華なチマチョゴリをまとった官女達が落ちる様子は、まるでツヅジの花が落ちるように見えたことから、その建物を「百花亭」、崖を「落下岩」と呼ぶようになった
また古代イスラエルにおいては「マサダ砦」の戦いがある。ユダヤ人の熱心党がローマの支配に対して反旗を翻していた時期の紀元73年、3年間にわたってマサダの要塞に立てこもっていた女子供を含む熱心党960人が、ローマ7千人に降伏することをよしとせず、集団自決した。
  ところでヘドバとダビデの歌「ナオミの夢」のナオミは 実は旧約聖書にも登場する名前で、イスラエルでは結構ポピュラーな名前なのだそうだ。
ナオミの名は、旧約聖書の「ルツ記」に登場する。「ルツ記」の時代つまり紀元前12世紀ごろは、「士師の時代」という最も陰惨な時代でもある。
出エジプトでモーセ・ヨシュアに率いられカナンの地に帰還したイスラエルは、周辺をペリシテ人ら異民族に取り囲まれ、イスラエル入国によってカナンの地を追われた人々も虎視耽々とその地の奪還を狙っていた。
ちなみにパレスチナという言葉はこのペリシテよりきている。そして今のイスラエルの状況は「士師の時代」の状況に似ている。
イスラエルは、しだいに周辺の異民族との融和の為に婚姻関係によって結びつく一方、異民族の神を崇めるようになり、さらにその支配をもうけるようになる。
このことが神の怒りをまねき、イスラエルが再び神を求めると、神は「士師」を起こしてイスラエルを救おうとした。士師の時代、イスラエルはそうした背きと改心を七回も繰り返すのである。
志師とは、戦争のために兵士を集める強いカリスマ性を備え、戦術にたけた人々で、十二人の士師の中にはデボラという女性も登場する。
デボラはバラクという武将を片腕にカナンを支配するが、このバラクの名がついたのがアメリカの現大統領のバラク・オバマである
古代ペリシテ人の猛攻から国を守ろうとしたデボラとバラク、そして現代パレスチナと深く関わるアメリカの大統領バラク・オバマ、となると何か因縁めいたものを感じる。
また度重なる自爆テロに対して今年、イスラエルはヨルダン川西岸地区のガザを攻撃し多くの市民を殺戮した。
実は士師の時代にこのガザにはペリシテ人の神殿があり、そこに捕らえられた士師の一人サムソンが送還された。
サムソンは目をくりぬかれ鎖に繋がれたが、死の間際にそのその怪力を如何なく発揮し神殿を柱ごと揺らして瓦解させ、その時数千人のペリシテ人(パレスチナ人)を道連れに自決した。そういう歴史をもつのがガザの地である
この殺伐たる時代に、ナオミという女性の話が旧約聖書「ルツ記」に登場する
士師が世治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。
彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ。夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルバ、もう一人はルツといった。
十年ほどそこに暮らしたが、二人の息子が共に死んだつまりナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された。
ナオミは故郷の飢饉がおさまったことを知り、モアブの野を去って国ユダに帰ることにし、二人の嫁もナオミにつき従った。
帰る道すがら、ナオミは二人の嫁に、これから向かう故郷ユダは生活も風習も違うためにそれぞれが自分の里に帰りなさいと告げた。オルパはやがて姑ナオミに別れを告げたが、ルツは縋りついて離れなかった。
そして姑ナオミと嫁ルツは全くの二人きりでベツレヘムに着いた。
時に大麦の収穫の頃であったが、貧しい人々に残された生活の手段である落穂拾いの時、ナオミと嫁ルツはボアズというその土地の有力者と出会う。
この出会いをきっかけにルツはボアズと結婚し、その子孫からダビデ王やイエス・キリストが誕生する
前半生においては貧しくもあり悲しくもあり、つまり神から来る様々な辛酸で清められた二人が、ついには大きな恵みをうけ人類の最も聖なる系図の中に組み込まれたことに感動をおぼえる。
そしてこの時ナオミが未来を見通すことができるならば、それは「夢にも思わず」、想像だに出来ない未来だったに違いない

イスラエルでは18歳になると家をでて軍務につかなければならない。「ナオミの歌」を歌ったヘドバとダビデの二人は軍の音楽隊で知り合い、退役後の85年にプロ・デビューした。
「ナオミの夢」の歌詞は次の通りである。

ひとり見る夢は すばらしい君の 踊るその姿
僕の胸に ナオミ ナオミ カムバック トゥ ミー
僕はさけびたい なつかしい君の やさしいその名前
世界中に ナオミ ナオミ カムバック トゥ ミー
そのまま消えずに ナオミ 夢でもいいから
も一度愛して ナオミ 君がほしい
かすかに聞こえる 風のささやきも 窓辺にさびしく
君を呼ぶよ ナオミ ナオミ カムバック トゥ ミー
夜は消えてゆき 朝のおとずれに 空は燃え上がる
君はどこに ナオミ ナオミ カムバック トゥ ミー
僕の胸に ナオミ ナオミ カムバック トゥ ミー
僕の胸に ナオミ ナオミ カムバック トゥ ミー

イスラエルは世界で唯一男女共に兵役を課す国である。そもそもなぜ男女の兵役が必要なのかと言えば、イスラエルの建国そのものが軍事力による力ずくのものであったこと、また1967年以来の占領地を維持するために強大な軍事力が必要とされたからである。
「ナオミの夢」がヒットした1971年は、エジプトがイスラエル強行派のシリア、リビアと「アラブ共和国連邦」を結成した年でイスラエルへの対決機運が強まった年であった。
イスラエル国防軍はイスラエル人のアイデンティティの根幹であり、イスラエル人意識を作り出すために重要な機能を果たしている。
イスラエルには、士師のデボラの時代から、マサダの戦いに至るまで女性兵士が戦った歴史がある
イスラエル空軍は1950年代初頭より女性兵士を戦闘パイロットとして養成した。 1995年には、高等裁判所がイスラエル空軍のパイロット養成コースに女性が志願する権利を認定した。
その後、軍と他の治安維持組織が、女性に対してそれまでは閉じられていた多くの職務を開くようになり、現在もいくつかの戦闘ユニットに女性が参加している他、ほとんどの軍の職務は女性に対して開かれている。
映画「トップガン」に登場する女性教官を思い出すが、「ナオミ」という名の女性パイロットも大空を飛んでいるやもしれない
ただし「ナオミ」はヘブライ語で「幸せ」や「和み」という意味し、戦闘にはあまり似合わない名かもしれない。